幕間2
まさか一年も間があくとは……。
「ようこそ、冒険者ギルドへ」
そう言って笑みを浮かべる裏側で、ジーニャは或る疑問について考え続けていた。
一体、彼は何者なのだろうか?
ろくな装備も無く、フラフラになりながらも軍隊ネズミの居座る街道を無傷で抜け、この宿場町へ辿り着いた彼。
そう、「彼」だ。
……女性だと思ったから、こっちで預かることにしたのに……。
それが、ボロボロになっていた服を着替えさせようと脱がしていったら凶悪なモノがポロリだ。もう少し正確に言うならボロン! だ。
勢い余って下着まで脱がしてしまった自分が悪いとは言え、本当に、少女のような顔立ちに似合わぬ凶悪さだった。
冒険者という、常に更衣室があるわけではない職業柄、そういうアレを見てしまうような機会もそこそこにはあった。そういう機会でしか見たことがないのはまあ、さておき。
例えば以前、新人を含む複数のパーティーで商隊の護衛依頼を受けたことがあったのだが、その際、水浴びをしに行った男共が猪系魔物に襲われ全裸で逃げて来る、ということがあった。
……あの時は動揺した新人パーティーの女魔術師が、目測を誤って土系の壁魔法で逃げて来る男共の股間をかち上げたりして色々爽快……いや、大変だったわね。
まあ、その女魔術師が可愛らしい小動物系で、馬鹿共が要らんちょっかいをかけたりしていたから、爽快だったのも事実だが。私にそういうのは無かったけれど。
本当はわざとやってるんじゃないかと言いたくなるような精度で、次々と土系壁魔法に股間をかち上げられ吹っ飛んでいく全裸共。
土壁のこちら側に落ちた全裸はまた新しい土壁に、壁の向こう側に落ちた全裸は猪にかち上げられて再び空へとポンポン飛ぶ様はもう……って、
……いけないいけない、話がそれてたわ。
まあ、死者が出なくて良かったねということで。
とにかく、開けてみたら過去最大級のモノが至近距離でドン! だ。
正直、一瞬固まった。数年ぶりに乙女な悲鳴も喉から出そうだった。
だからといって、一度請け負ったからには放り出すわけにもいかない。何より、このままだと気を失っているのをいいことにお持ち帰りして全裸に剥いたエロエルフにしか見えなかった。略すとエロフだ。
放り出すにしても、せめて服を着せるくらいは頑張らなければならなかった。
……頑張りました。ええ、頑張りましたとも……!
頑張った自分を誉めてやりたいところだが、ここでそもそもの話からもそれていることに気づいた。
……そうでした。何者か、でした。
武器も、防具も、荷物すらも。冒険者どころか行商人とも言い難い。およそ旅をするとは思えない着のみ着のまま。
しかも、どうやら例のネズミに遭遇したらしきボロボロの衣服を脱がしてみたらズドンがボロ……いや、違う。それじゃ、さっきと同じ脇道に入ってしまう。
問題は、ボロボロの衣服からは傷ひとつ無い身体が出てきたことだ。
あり得ない。軍隊ネズミは複数の魔術師による広範囲魔法で殲滅するような魔物だ。
この辺りは王都周辺ということもあり、騎士団や魔術師団の活躍によって平均的に魔物の脅威度が低い。それ故に旨味が無い為、高位冒険者、特に魔術師は少ない。だからネズミが湧いた際は王都の魔術師団を待つことになるのだが……。
それを、着のみ着のままといった感じの、こんな可愛らしいくせにズドンな……いや、華奢な人間が無傷で抜けて来るなんてあり得ないのだ。杖も見あたらないため、魔術師でもないだろうし。
だが、華奢で手ぶらでもネズミの群れを単独で、しかも無傷で抜けられるだろう人物をひとり知っていた。
ラクスの元上級武僧であるライラさんだ。
徒手空拳に特化し、身体強化術にも長けたラクスの武僧ならば、着のみ着のまま無傷でネズミを突破するのも可能ではあるだろう。
比較的女性上位の考え方をするラクスであれば、その才能故に女の子として育てられた……ということであの可愛さにも納得出来るし。
彼はラクスの人間かも知れない。
そう思ってライラさんに会わせ、その話をしてみたが、残念ながら一向に目立った反応は得られなかった。
ライラさんほどの上級武僧を、ラクスの人間であれば知らないはずはないのだけれど。
ともあれ、これでラクス出身である線は消えた。では? と疑問して、もしかすると、と次に浮かぶものがある。
その鍵は、背中にあった。
彼の背中、右の肩甲骨付近には紋様が彫られていたのだ。
正直それを見た瞬間、厄介事を拾ったと思った。
この国において刺青は、元犯罪者か、犯罪奴隷の証だからだ。
国を問わず、犯罪を犯して捕まった者には、そうとわかる刺青が彫られる。
そこからさらに奴隷となったのが「犯罪奴隷」だ。
全ての奴隷には、脱走や反抗を防ぐ為に魔力を使った契約紋で縛るのが通例なのだが、他の奴隷がその立場から脱することが出来た場合を考えて首輪に刻みつけるのに対し、犯罪奴隷はその身に直接契約紋を彫られるのだ。
ならば彼はそうなのかと言えば、恐らくそれも違うだろう。そもそも違うと思ったから、まずラクスの武僧を疑ったのだ。
何より、ボロボロになってはいたが彼の着ていた服は触ったことの無いような生地で、しかも見たことも無いほど仕立てが良かった。
他の奴隷ならわからなくもないが、使い潰すだけの犯罪奴隷にそんなものを着せる主など、聞いたことも無い。それに、
……それに、あの刺青は何か違う気がするのよね。
何らかの魔術紋のようには見えるが、何かが違う。術式に長けたエルフ。その端くれである自分が、今まで見たことも無い紋様。
……まあ、本当に端くれで、エルフの中では術式が駄目な方だったけど。
里の、詳しい者ならわかるかも知れない。
だが、きっと里の者でもわからないだろという妙な確信があった。それが例え長老であってもだ。
結局、彼が何者であるかはわからないままだ。
軍隊ネズミ の群れを、ろくな装備も無いまま無傷で通過し、触れたことも無いような素材の服を身に纏い、見たことも無い刺青を背負った、女みたいな顔のくせにズドン……いやだからそこは関係無い……な、王都の方から来た少年。
……まあでも、悪い奴ではなさそうだし。
これから、冒険者としてこの街の戦力になってくれるなら。そう思った瞬間、ひとつの可能性が頭を過った。
……戦力?
そういえば、と思い返す。
王都から来た商人の噂、ではあったのだが……。
王都でとある儀式が行われるらしいと最初に聞いたのが一年近く前のこと。
それを裏付けるかのように、各地の神殿から人の移動が見られたのが半年ほど前。
その後、ネズミのせいで情報が届かなくなってしまい、どうなったのかわからなくなっていたのだが……。
魔物や、何より魔族に対する現状を覆すほどの戦力になると言われている存在。その召喚。
過去に幾度と無く行われながら、数えるほどしか成功しなかったというそれ。
失敗の反動によって、手足をはじめとした身体の一部を失った者が居たと言われ、中には逆にこの世界から消えた者も居たというその儀式。
もしかして。いやまさか。
けれど、もしそうだとすれば、色々なことに辻褄が合ってくる。
辻褄は合うが、それならそれで何故こんなところに、こんな状況で居るのかがわからない。
……もし彼がそうだったとして、考えられる可能性は……?
もしかしたら、本当に厄介事を拾ったのかも知れない。
考え至った可能性に、ジーニャはそれが的外れであることを願わずにはいられなかった。。