Chapter 1 episode: Black
食堂から少し離れた廊下の片隅で、少年は額の汗をぬぐった。
――ふぅ、危ない危ない。
大事なレイス、というより自分の一部が、危うく消し飛ばされるところだった。もしそうなっていたら、本当に〔痛かった〕。
いつものように霊体を用いて学校内の様子を探っていただけだったのだが、思わぬ形で戦いになってしまった。
目立つ行為は避けるべきのわきまえていた。この学園都市、特に白鳳高校には〔何が潜んでいるか〕わかったものではない。
今、自分たちのことが感づかれたら元も子もない。
――でも、もし本当にあの男が〝華院〟なら。
放っておくこともできなかった。勝手な行動とは知りつつ、調べてみることを決めた。
――別人なのかな。
霊の男からはほとんど霊気を感じず、戦闘能力もたいしたことはなかった。
問題は、髪の長い女子生徒のほうだ。
こちらが本気ではなかったとはいえ、霊体を一撃で粉々にし、その後の攻撃もすべて無効化してみせた。
――あのお姉さん、何者だろ。
こちらの情報にはまるでなかった存在。仲間に報告しておいたほうがよさそうだ。
「君、ここで何をしているのかな?」
いきなり背後からかけられた声に、文字どおり飛び上がって驚いた。
丸い鏡のような小さい霊器をこっそりポケットにしまいながら、おそるおそる振り返った。
そこには、あか抜けないスーツをまとった大男が立っていた。細面にあまり似合っていない眼鏡などをかけている。
驚きのあまり沈黙してしまったが、内心の動揺を悟られないようすぐに口を開いた。
「あ……小学校の食堂がいっぱいだったので、こっちに」
「そうかそうか、白鳳小は建物が手狭だったな」
右手で顎をさすりながら、納得しているのかいないのか、ひとつうなずいた。
意外と表情が読めない。霊気はあまり感じないが、妙な迫力が全身から発せられていた。
指を顎に当てたまま、じっとこちらを見る。うまくごまかせたかどうかわからず、居心地の悪さに目を背けてしまった。
――ばれたかな。
悪い予感が頭をよぎるが、そこへ横合いから不意に若い女性の声が飛んできた。
「夏目先生、さっさと来てください」
「ああ、わかったわかった」
やれやれ忙しいことだね、などと文句を言いながら、大男は廊下の奥へ消えていった。
ほっと胸を撫で下ろすと同時に、違和感が込み上げてきた。
――なんで僕に気づけた?
認識阻害の術も霊力抑制の術も使っていたし、確実に有効だった。実際に、あの男以外には誰にも見つかっていない。
それなのに、彼はこちらの背後をとってみせた――誰にも気取られることなく。警戒心を煽るには、十分すぎることだ。
――この町、やっぱり厄介だ。
要注意人物がまたひとり増えたことに、言い知れぬ不安を覚える少年だった。