Chapter 1 episode: Classroom to Battle Field 2
「ちくしょう……なんでこんなことに……」
「あんたが悪いんでしょ」
「あれは事故だ!」
「わかってる」
きょとんとした蓮の前で、美柚は表情を変えずに言った。
「弥生にしたことは許しがたいけど、全部わかってる。あんたって誤解されやすいんだね」
「うるさい」
「それで、弥生とは付き合ってるの?」
「…………」
わかってない、こいつは全っ然わかってない、と蓮は少しでも相手を見直そうとしたおのれを呪った。
「おい。いい加減、この縄をほどけ」
「そのぞんざいな口調、なんとかなんないの? 私は、あんたの奥さんじゃないんだからね」
「は?」
――しまった。
言ってから失言を悟り、頬をわずかに赤らめた。
「べ、別に夜伽がどうとかって意味じゃ……」
「何? お前、頭大丈夫か?」
小声で聞き取れなかったか、〈高手小手〉に見事に縛り上げられた蓮が、怪訝な表情で美柚の顔をうかがった。
――聞いてもらえなかったことをかえって残念に思うこの気持ちはなんだろう。
「外すけど、いきなり暴れないでよ」
「俺は猛獣か」
「似たようなもんでしょ」
「…………」
なぜか慣れた手つきで縄をほどいていくのを不審に思いながらも、あえて何も言わずにおいた。
「はい、これでいいでしょ」
「そういえば、昼休みだったな。食堂へ連れてけ」
「こいつ……まあ、私もそのつもりだったけど」
相手の物言いに慣れてきたこともあって、もう素直に目的の場所へ向かうことにした。
周囲の生徒から奇異の視線を向けられると、さすがの二人もばつが悪い。
昼日中に見事に緊縛された男とそれを引き連れた女というシチュエーションは、確かに十二分に変だった。
「そういえば、蓮はどうして転校してきたの?」
「お前には関係ないことだ」
つっけんどんに言い放った蓮は、直後、激しく後悔することになった。
隣で、美柚が涙を流している。
「なぜ泣く!?」
「だって……」
「俺が泣かしたみたいじゃないか!」
「泣かしたんじゃない……」
声を震わせ、しゃくり上げてまでいる。
ざわっ。
周りの空気が一気に変わった
『見知らぬ男が美柚ちゃん泣かしたぞ……』
『いきなりひどいことしたらしい……』
『唇を奪われた……』
『押し倒され……』
「おいっ!」
一秒ごとにエスカレートしていく内容に猛抗議するものの、その伝達速度は空気媒介のウイルスもかくやというほどで、人ひとりに止められるものではなかった。
「くっ……!」
対策を考えようとしても、混乱するばかりでいいアイデアが浮かんでこない。
問題の根源である当の美柚は、マジ泣きしていた。
「…………」
逃げた。
華院蓮は、ただひたすらに逃げた。
恥も外聞もなく、きびすを返して脱兎のごとく逃げたのである。
周りからの非難も、軽蔑の視線も、今は関係ない。
対処法のわからないことにあえてかかわらないようにするというのは、まったくもって正しい判断だ。そうだ、何もやましいことはない。
こころない中傷と蔑視が刃となって胸に突き刺さるが、ただひたすらに耐え、走った。
案の定、体が思うように動かず、いい加減息が切れてきた頃、見知らぬ回廊のような場所で足が止まった。
「奴と出会ってから……最悪の事態ばかり……」
息も絶え絶えにつぶやくと、隣に気配があった。
「それは私の台詞……」
未だ泣きつづける髪の長い〝ザ・四谷怪談~現代版~〟がそこにいた。
「なんでついてくる!?」
「一言も謝らないつもり……?」
「い、いや、俺が悪かった――気もする」
「じゃあ、転校してきた理由を教えて」
涙声でそう言われては、もはや素直に答えるしかなかった。
初めからそうしておけばよかったのだが。
「俺の師匠が――昔から世話になっている先生が勧めてくれたんだ」
「へえ」
「日本に帰ってきたらここへ行け、と」
「へ~」
美柚が、手の甲でぐいっと涙をぬぐった。
「帰ってきたらって、帰国子女なの?」
「ああ。今どき、珍しくもなんともないだろう」
「それはそうだけど」
さっきまで泣いていたのが嘘のようにケロリとしている。
――女という生物は。
二言三言、文句を言ってやりたくなるが、それでは元の木阿弥になりかねないので、不満をぐっと抑えてこらえるしかない。
男とは、そういうものだ。
「もう、いいから食堂へ連れてけ。俺は、疲れ果てた」
誰かさんのせいで、という言葉はのみ込んだ。
「え? 何言ってるの。こっちで合ってるよ。知ってて来たんじゃないの?」
「なんだと? じゃあ、なんで周りに生徒がいない」
「あれ……?」
見回しても、まったく人影がない。
「いつも通れないくらい混むから、こんなの有り得ないんだけど」
しん、と静まり返っているのが不気味だ。
――おかしいな、何もない。
霊力を明確に感知することはできなくても、〝気配〟のようなものは察知できる。
それが、今はまるでない。
まるでできたばかりの無人のビルに来たかのように、中はがらんどうで風さえ消えた。
「おい、美柚。試しに一度、俺の眼鏡を――」
言いかけたところで、その必要はなくなった。
何かが、来る。
虚空の一点に黒いもやがかかったかと思うと、それが急速に集約し、黒衣をまとった人物の姿になった。
しかし、それはフードのようなものを目深にかぶり、その瞳は赤く輝いている。
悪霊――レイス。
蓮は、肌身離さず持ち歩いている刀を袋から出すと、すぐに両手で横に構えた。
――やっぱり抜けないか。
霊力が足りないのか、それとも他の理由か、柄に力を込めてもびくともしない。
――このまま戦うしかない。
「美柚、逃げろ。こいつは――ちょっとやばい」
実体を持たない霊的な存在は、通常の物理的な攻撃がまるで効かない。
一定の実力を持った〝ハンター〟にとっても、厄介な相手。
ましてや今は、おそらく実力の十分の一も出せない。素人を狙われたら守りきれるものではなかった。
「美柚!」
「だ、駄目……」
「何!?」
「あ、足が動かない……」
術か。すでに敵が動いてきたのか。
「腰が抜けた……こんなの初めてで……」
「…………」
違った。
「あっ、変な意味じゃないよ! わ、私、まだ誰とも――」
「は? とにかく、そんな元気があるなら、無理にでも体を動かせ」
「そんな無茶なこと言われても……」
――駄目か。
ならば、ここは自分が戦うしかないようだった。
正対して鞘に入ったままの刀を構える。
レイスは大きく弧を描いて移動しながら、側面から襲いかかってきた。
蓮は間を置くことなく、迷わず後方へ跳んだ。
――遅い。
腹立たしいほど反応が鈍い。この状態で応戦するのは、やはり厳しいかもしれない。
予想どおり、レイスがすかさず追いかけてくる。
寒気のする叫びとともに、黒い腕を伸ばしてきた。
――ならば、迎え撃つのみ。
爪が長く、形状が不安定なゆがんだ手を、刀で軽く弾いた。
これくらいなら、なんとかなる、と手応えを感じた直後、想定外のことが起きた。
相手の腕が千切れ、それが一本の槍となって飛んでくる。
――なんだと!?
まったく予期しないことに、対応が完全に遅れた。
迎撃しようにもその動きは速く、かわすこともできそうにない。
黒槍が、蓮の胸を完全に貫いた。
――やっちまった。
最悪の事態。
霊的な存在に直接触れられるだけでも大問題なのに、体の中心をもろに抜かれた。
〝ドレイン〟によって、霊力をごっそり奪われるのを覚悟する。
〝あやかし〟と呼ばれる存在、中でも実体を持たない霊は、対象の力を吸い取る能力を持つことがよくある。
「…………?」
その特有の脱力感は、一向に訪れなかった。
体を通り抜けた槍は床に激しくぶつかり、四散した。
――また眼鏡のおかげ、か?
何が理由かは判然としないが、これで相手の攻撃が効かないことだけははっきりとした。
だが、これで安心できるわけではなかった。
正面にいたはずのレイスが、急に方向を変えて美柚のほうへ向かっていく。
「ちっ……!」
いつもなら、難なく対応できる動き。しかし今は、いつもとは違っていた。
敵が、こちらの真横を通り過ぎてゆく。それを止めたくとも、まったく間に合わない。
「美柚ッ!」
叫べど手は届かず、走れど光は見えず。
眼前で、黒いかたまりが美柚に手を伸ばした。
「…………!」
あまりのことに声も出せないでいる美柚は、目を見開くことしかできない。
「あっ」
と思った直後、レイスが彼女の両肩を掴んだ。
触れられた部分から生気がすぐさま奪われていく――はずだったが、いつまでたっても脱力感は来なかった。
相手の側も不審に思ったか、いったん高い天井近くまで上がり、二人を見下ろしている。
「なっ、何……今の……?」
「なんともないのか!?」
「なんともって……怖い」
「そんなこと聞いてるんじゃない。体のほうは大丈夫なのか」
「腰が抜けたまま……」
話が噛み合わないが、どうやら大きな問題はないらしい。
――あの女も、〈〝抵抗〟(レジスト)〉の能力を持ってるのか?
原因ははっきりとしないものの、ともかく無事なようだ。
といっても、状況が改善されたわけではまったくない。
レイスは空中で黒い粒子をまき散らしながら反転し、再び襲いかかってきた。
――こちらが相手に触れることはできない。相手も、こちらに触れることはできない。
ドレインを気にしなくていいならば、眼鏡をかけたままでもなんとか対応できるかもしれない。
気持ちを改め、集中し直して刀を構えた。
――ちょっとは力を貸せ、〈〝秀真〟(ほつま)〉。
相変わらず鞘から抜けない眠ったままの刀に、いら立ちを覚えて睨みつけた。
自分の霊力が足りないことはわかっているのだが、こうまで使えなくなるとは思ってもみなかった。
――愚痴を言っていても仕方ないか。
いつの間にか右腕を修復した敵が、三度向かってきた。
――どうするつもりだ?
このままでは、対象に干渉できないことは相手もわかっているはず。それとも、それを認識できないほど知能は低いのか。
敵は、陰鬱な波動を出す黒色の球体を無闇やたらに放ってきた。
当たっても意味はない、はずだった。
「!?」
先頭の黒弾が当たったとたん、明確な衝撃が襲いきた。
――なぜ当たる?
いくつかは体をすり抜けたものの、ひとつ、ふたつと確かにぶつかった。ただの偶然かもしれないが、このダメージはけっして無視できるものではない。
こちらが怯んだわずかな隙に、悪霊はあっという間に距離を詰めてきた。
直った右腕をざっと伸ばす。
――やるしか、ない。
わざとぎりぎりまで引きつけ、敵の攻撃を見極める。
不気味にうごめく半透明の右腕がこちらの胸に触れる直前、一気にどす黒く変色した。
直後、再び訪れた衝撃。
――そうか。
確かに見えた。相手は、インパクトの瞬間だけ拳を実体化させている。
その後、すぐさまそれを解くことによって、こちらの体をすり抜けていく。
――なんて奴だ。
低級の霊とは、とても思えない。
ひょっとしたら操っている奴がいるのかもしれないと、敵の攻撃をかわしながら気配を探ったものの、それらしき人影はなかった。
「それにしても……」
攻撃をやらしいくらいに的確に当ててくる。眼鏡に邪魔をされている現状では、これといって対処のしようがなかった。
時を追うごとに霊力だけではない、確実に体力までも削られていく。
明らかにこのままでは危険だった。
――この眼鏡を壊すか。
そろそろ選択すべきときだ。霊力を封じられた状態でも、全力でやればなんとかなるかもしれない。
――それとも、師匠は。
こういった状況でさえ、抑えた力で切り抜けろということか。
確かに、今の状態で対応できたならば、かなりの鍛練にはなる。しかし、取り返しのつかないことになってからでは意味がない。
「やばい……!」
だんだんと、そんなことも考えられなくなってきた。意識が瞬間的に薄らぎ、強くみずからを奮い立たせなければ持っていかれそうになる。
決断の時だ。ここで倒れてしまっては、元も子もない。
――やるか。
決意は固まった。もはや、選択の余地はなかった。
意識を眉間に集中させ、眼鏡の形をした〝器〟に一塊りとなった霊器をぶつける。
が、思いもしないことが起きたのは、戦いの波動に反応した愛刀が震えだしたときだった。
「こいつぅ!」
と叫んで前に飛び出す影。
その後ろ姿は、まぎれもなくあの女のものだった。
「あ、ばか!」
止めようとしても、もう遅い。無理やりにでも抑えつけようと伸ばした手は届かない。
黒い影が美柚に襲いかかり、彼女の細い肢体を容赦なく弾き飛ばす〈幻視〉が明確すぎるほどに頭をよぎる。
――何をしようというんだ、あいつ。
叫ぶことすらままならない蓮の目の前で、美柚は右足を引き、右腕を上げ、半身に構えた。
――あの型は。
蓮が驚く間もなく、美柚は腰を落とした低い重心からすり足で一歩、前に踏み込んだ。
「おりゃっ!」
かけ声はともかく、すでに異常な事態となっていた。
――なんだ、この霊気は……!
右の拳に集約した霊気の輝きが周囲を圧し、壁を、床を白く染め上げていく。
美柚の腰の回転が始まった。激しすぎる霊気が空気を飛ばし、異音をがなり立てる。
驚愕し、動けないでいるレイスに、危険な光をまとった一撃がついに到達した。
鏡が粉々になるような破砕音とともに、悪霊の黒い霊体が弾け飛んでいく。
ひとしきり閃光を八方に突き刺してから、美柚の右手から輝きが消えていった。
あとには何もない。レイスの体の一部すら見えなかった。
「やった」
「まだだ!」
無邪気に喜ぶ美柚を叱咤する。
まだ気配は残っている。完全に倒したわけではまったくない。
――いた。
遠方、十五メートルほど奥に、うっすらと姿が見える。
相手は振り向きざま、黒い塊を弾幕のようにして無数に放ってきた。
――来たぞ。
襲いくる黒弾の雨。ひとつひとつ防ぎきることは困難。
蓮は決断した。
強い霊気を正面からぶつけて一気に消す。
愛刀・秀真を両手で正面にかざし、それを媒体に、強引にみずからの霊力をうちから引き出す。
――全然足りないか……!
悲しいほどわずかな霊力しか集まらない。これでは、相手の攻撃に対応できるかどうか、かなり怪しい。
――ええい、どうにでもなれ!
なかばやけになって、前方へ思いきり中途半端な〝霊光〟を飛ばした。
「……む?」
刀から放たれたそれは、思いのほか力なくへろへろと相手に向かっていく。情けないほど間の抜けた攻撃だった。
しかも、飛び来る敵の黒弾のことごとくにかわされ、まったく効果がない。
――眼鏡をかけたままでは、どう考えても厳しい。
こうなったら身をていして美柚をかばうしかないと、蓮は思うままにならない体に舌打ちしながらも、横へ走った。
案の定、床のわずかな段差につまづき、よろめき、転びそうになる。それでも歯を食いしばってこらえ、左足を踏んばり、右手を伸ばした。
だが、想定外のことが起きたのはそこからだった。
美柚も左手を伸ばしてきた。
「……は?」
助けを求めているのかと思ったのだが、そうではなかった。
広げた手が蓮の顔を的確にとらえ、予想よりも強い力で押し返した。
「むぎゅっ」
あまりにも情けない声を上げて、当の蓮は今度こそ倒れ伏した。
屈辱に身を震わせながらも顔だけ起こして前方を見やると、何を思ったか美柚が再び構えをとっていた。
「私の蓮に――」
今度は、両の拳を腰の位置に置き、その先端に急速に霊気を収斂させていく。
「手を出すな!」
光をまとった攻撃が、次々と高速にくり出されていく。それらは飛び来る黒い霊気を例外なく消し飛ばしてみせた。
あとには、何も残らない。
「よし!」
「…………」
意気揚々と決めポーズをとっている女にかけるべき言葉が思いつかず、ただただ呆然と見上げるしかない。
「大丈夫だった?」
「……誰も守ってくれなんて言ってない」
制服についたほこりを払いながら起き上がった。
「女が余計なことをするんじゃない。ありがた迷惑だ」
「まあ、それが助けられた側の言う台詞?」
「だいたい、何が『私の――』だ。俺は、お前の奴隷なんかじゃない」
「べ、別にそういう意味で言ったんじゃ……」
「じゃあ、どういう意味だ?」
「…………」
――奴隷にできるなら、したい。
などと本音を言えるはずもなく、美柚はぷいっとそっぽを向いた。ごまかすしかなかった。
「ったく、無茶苦茶な女だ。親の顔が見てみたい」
「うっさい」
なぜか不機嫌になった美柚は放っておいて、さっと周囲を確認した。
――もう、敵の気配はない。
元からあの弾幕は、自身が逃げ打つための擬装だったようだ。おそらく、今から追いかけて間に合う位置にはいないだろう。
気がつくと、あっという間に人通りが戻ってきた。
学校の休み時間特有のやかましいざわめきが鉄筋コンクリートに跳ね返って響き合い、先ほどまでの冷えた空気を一掃していく。
生徒たちは皆、通路奥の食堂へ向かっていった。その少し手前に、右手に伸びる別の廊下がある。
「あっちは?」
「ああ、研究棟があるほう。特別教室とか倉庫の」
――なるほど、あっちへ逃げたか。
霊がわざわざ人の多く集まるところへ行くとは思えない。向かうとしたら、昼休みでただでさえ人気のない研究棟のほうだろう。
追いかけるべきか、自重するべきか。
「さっきのなんだったのかなぁ。噂ではよく聞いてたけど、初めて見た」
「噂?」
「幽霊見たとか、謎の叫び声を聞いたとか――ああ、そうそうミノタウロス見たなんてのもあった」
「…………」
――ミノタウロス……牛鬼か。
やはり、ここは一種の〝巣窟〟であることは間違いないらしい。あとで、圭や雛にきちんと確認したほうがいいだろう。
「というか、貴様。どうやってあの術を憶えた」
「〝貴様〟言うな。術って、普通にぶん殴っただけなんだけど」
と、ブォンブォンと不穏な音を立ててシャドウボクシングを始めた。
――自分の霊気に気づいていないのか。
拳の突きが異様に鋭いのはともかく、あの霊力は意図したものではなかった。
――天性のものなのか、それとも。
先ほどのレイスよりもずっと、この女の素性のほうが気になってきた。
「〈痛〉っ」
いきなり背後から突き飛ばされ、前のめりになった蓮は無様に手をついた。
「廊下の真ん中で突っ立ってないで。邪魔」
上から降ってきたのは硬質な女の声だった。
体を起こしつつ振り返ると、そこには声質のイメージどおりの女子生徒が腕を組んで立っていた。
縁のやや太い眼鏡を人差し指で上げながら、こちらを睥睨している。
蓮は、かちんと来た。
「そっちからぶつかっておいて、なんだその態度は」
「私は廊下を普通に進んでいただけ。道の真ん中に突っ立っていたら、自動車にはねられて当たり前」
「止まらない自動車のほうが悪い」
「議論は結構。廊下を走るのも悪いけど、通り道を塞ぐのも悪い。これからは気をつけなさい」
「…………」
結局、一言も謝りもせず、そのままスタスタとひとりで食堂へ向かっていった。
「まったく、この学校はこんな女ばっかか」
「あの子、厳しくて有名で。生徒会の役員だし」
「生徒会……」
「あとでヒナ先輩に聞いてみれば。生徒会長だから」
ふと聞き流しそうになった。だが、それは看過しえない重大事項であった。
「あの女が生徒会長!?」
「〝あの女〟言うな。他の学校でも有名なくらいなんだよ。みんなから信頼されてる」
「あの女が……」
だからあの女言うなって、という美柚の声はどこか遠くに聞こえていた。
――みんな、騙されてる。
九宝雛子という女は、自分以上に傍若無人で人の話を聞かずそのくせ自己主張は強い。
思うままにならないことがあれば、思うようにする――たとえ術を使ってでも。
雛は、そういう女だった。
――それより、さっきの感覚。
気のせいでなければ、わずかな霊気と〝あの気配〟を感じた。だが、今は眼鏡のせいで霊感がおかしくなっている。自分の直感が正しいか否か、やや自信がなかった。
「はぁ、お前を含めて厄介なのばっかだ」
「何ぃ?」
再び険悪になった雰囲気に、周囲がざわめきはじめる。
窓の外では、ゆるやかな風が吹いていた。