Chapter 1 episode: Hina
たいして長くもない授業と授業の合間の休み時間。
そんな中でも、生徒たちは仲のいい友達と話したり、購買部に走ったりと思い思いに過ごしていた。
廊下に大量の生徒があふれ出すのを気にもとめず、制服のすべてのボタンをきっちりと留めた、いかにも硬そうな男子生徒がまっすぐに前へと進んでいく。
突き当たりに着くまで表情をいっさい変えなかった生徒は、一室の前で立ち止まると、律儀にノックした。
〝生徒会室〟――扉にはそうある。
「どうぞ」
明るい女性の声がすぐさま返ってきた。
扉を開けて中に入ると、簡素なオフィスチェアにやわらかい雰囲気の女性が座って紅茶を飲んでいた。
「ああ、甲一くん。やっぱり来たんだ」
「会長も気になっていたんですね」
女子生徒の声とは裏腹の硬質な声で返事をすると、〈東賀〉甲一は前を向いたまま器用に扉を閉め、中へと足を踏み入れた。
「例の男、来ましたね」
「そりゃ来るよ。私が呼んだんだもん」
「……は?」
生徒会会長である〈九宝〉雛子がさらりと言ってのけた言葉に、甲一は初め、その意味を図りかねた。
「会長、まさか――」
「いろいろと多方面にお願いしてこうなるようにしてもらったの。いいでしょ?」
「よくないです! なんで、みずから厄介ごとを抱え込むようなまねを」
あはは、と雛子はあっけらかんと笑った。
「そっちのほうが面白い」
「理由はそれだけですか!?」
「いいじゃない。トラブルが多いほうが、楽しいよ」
「自分は頭が痛くなります……」
「まじめだなぁ、甲一くんは。もっとリラックスしなきゃ駄目だよ」
「誰のせいですか」
ひとつ大きくため息をついてから、ファイルを置いた。
「ぶっちゃけ、目的は保護ですか、それとも監視ですか」
「どっちでもないよ。保護する必要も監視する必要もないし」
「では、野放しにしておけと?」
「じゃあ、甲一くんは彼のどこが危険だと思うの?」
「いや、だって……」
改めて面と向かって問われ、答えに窮した。
「疑わしきを悪としていたらきりがない。人を見るときは、クリアなこころで判断するように。自分が絶対的に正しいと自信があるならそれを貫けばいいけど、そうじゃないならそもそも人のことをとやかく言う資格なんて誰にもない」
「――はい」
表情の変わった雛子の言葉は、厳しいが真摯だった。
「それと、甲一くん」
「はい」
雛子が、同性からも羨望の視線を受けるその繊手で、甲一の置いたファイルをぱらぱらとめくった。
「こういう情報、プリントアウトしないようにね。誰の目があるかわかんない」
「――内部にも敵がいるということですか」
「私は敵だなんて思ってないけど、向こうはそう思ってないかもしれない」
「厄介ですね。獅子身中の虫ですか」
「虫で済めばいいだけど……」
「相手が誰かすらわからない状態では、その力を計りようがない」
「うん」
柳眉をひそめた雛子に、甲一はあえて問いかけた。
「でも、会長。本当は目星がついているんじゃないですか」
「どうしてその思う?」
「いや……」
「甲一くんも、おおよその察しはついてるみたいだね」
「……はい」
「でも、動かない。うぅん、動けないよ。さっき言ったとおり、疑わしい存在を切り捨ててたら、誰も信じられなくなっちゃう」
壁に備え付けられた簡素なスピーカーから予鈴が鳴った。
雛子は、立ち上がりながら言った。
「彼ら自身が気づいてくれるって信じたい」
「はい」
狭くも広くもない室内には、平日午前の淡い光が射し込んでいた。