Chapter 2 episode: Watchdog of Underworld 3
相手は、狭いところでは思うように動けないことを悟ったか、間接攻撃に切り換えた。次から次へと火の玉を放ってくる。
よけることでいっぱいいっぱいの蓮たちは、対応することができない。周囲は火の海になりつつあった。
「華院、このままじゃやばいぞ!」
「言われなくてもわかってる」
――美柚は。
よけるのではなく、ものの見事に拳で消し飛ばしていた。立ち位置にまったくブレがない。
「…………」
「こっちは任せて!」
「……任せた」
自信満々に言う美柚にかけるべき言葉が思いつかず、ただ素直に答えた。
――どうするか。
相手の性質からいって、きっと完全に倒さないかぎり再生して戦いが長引くだけ。
――無尽蔵の霊力か。
現実には有り得ない。しかし、通常の攻撃では元に戻ってしまう以上、一気に叩くしかなかった。
「おい、いけ好かない奴」
「東賀だ。東賀 甲一」
「〔東一〕、一瞬でいい、奴の隙をつくれ」
「変な呼び方するな!」
「できるのかできないのか」
「……少しでいいなら十分可能だ」
「じゃあ、やれ」
「こいつ……!」
いちいち癇に障る言い方に反発したくなるが、今はそんなことをしている場合ではないことは甲一もわかっていた。
手早く術式を組み上げていく。
完成したそれは、炎をまとった翼の形を成していた。
その両翼がケルベロスを覆うようにして広がっていく。
炎に炎で返されるとは思っていなかったか、三つある首のいずれもが明らかにたじろいだ。
好機だ。
――一瞬で決める。
大きく跳躍した蓮は、ありったけの〝力〟を刀に込めた。眼鏡がないのをいいことに、際限なく秀真の霊力を増幅させていく。
自身の片割れでもある刀をケルベロスめがけて振り下ろした刹那、それまでため込んだ霊気が一気に弾けた。
「行け、〝〈紅蛇〉〟!」
〈禍々(まがまが)〉しいまでの霊気が四方八方へと爆発的に広がり、巨大な獣だけでなく部屋中を覆った。
「え? これって……」
驚く美柚の眼前で、それはひとつの形を成した。
巨大な光り輝く蛇。
炎よりも赤い肢体はケルベロスの頭部を超える太さがあり、全体があまりに長すぎて扉や窓から体の一部が外へ飛び出している。
その蛇が巨大な首をもたげると、何を思ったか凄まじい勢いで周囲の炎を喰らっていった。
「な、に……?」
驚く甲一は、自身が放った霊気の炎まで喰い尽くされていくのを見た。
やがて、一通り部屋の炎を吸収した紅蛇はさらに巨大化し、その視線を動けずにいるケルベロスへとゆっくり向けた。
一瞬の静寂。
直後、引き裂けんばかりに顎を大きく開けた紅蛇は、相手の三つある首の中央を一気にのみ込んだ。
他の首が凄まじい悲鳴を上げるものの、瞬く間に大きくなった蛇は袋で覆うようにケルベロスを完全に取り込んだ。
胴が不自然にふくらみ、まるでツチノコのような体形になっている。
それでもしばらく暴れていたケルベロスも、すぐに動かなくなった。
「よし、帰れ」
蓮が合図を送ると、ちらりと主のほうをうかがった紅蛇は、一瞬で空気に溶け込んでいった。
先ほどまでの騒ぎが嘘のように、部屋には静けさが戻っていた。
――なんとかなった、か。
〝葛之葉流幻武術 紅蛇〟
そう命名された術は、創始者と自分の二人しかまだ習得していない。まさか、この学校に来てこんなにも早くこれらの術を使わなければならなくなるとは。
――だが、思ったほど力が戻ってない。
眼鏡を外し、〝秀真〟まで抜いたというのに、おそらくこれまでの中で最低の威力だった。そもそもあの程度の相手、以前なら術を使わずとも倒せていたのに。
昨日の戦いの影響だろうか。自分でも気がつかない疲れがあるのか。
いや、
――そうだ、この学園タウンそのものが結界に包まれていた。
強制的にあらゆる霊力を抑制するのかもしれない。
それとも、〔あの眼鏡〕は離れていても効果があるのか。
美柚の足元に落ちている黒縁の厄介者を見やる蓮の耳に、二人のあわてた声が聞こえてきた。
「早く火を消さないと!」
「華院! なんで、どうせなら全部の炎を食べさせなかったんだ!」
「そんな細かいことできるか!」
「お、おい、水の術だ!」
「言われなくてもやってる!」
両手に霊気を集約させ、簡単な水の術を発動させる。
「む?」
先ほどまで炎の霊気が満ちていたせいか、霊力のコントロールがうまくいかない。
そこへ、突然の声がかけられた。
「お前たち、何をやってる!?」
「蓮ちゃん、大丈夫!?」
扉――があったはずのところに、大男=夏目 戒と雛子が立っていた。
「あ」
あからさまに集中力が途切れた蓮の手元で、術が暴発した。
今度は縦横無尽に水柱が飛び交い、壁も床も天上も、何もかも水浸しにしていく。
気がつけば、戒を除く全員が見事に濡れ鼠になっていた。
「…………」
長い黒髪から雫をしたたらせる美柚は、上着を着ていないがために肌に張りついた白いシャツが透けて、下のキャミソールがあらわになった。
「――嫌っ、この変態ども!」
「すっ、すまない!」
「見たくて見たんじゃない」
失礼なことを言う輩には、蹴りを入れておいた。
「君たち」
ぎゃーぎゃーと騒ぐ面々に、静かな声がかけられた。
「派手にやらかしてくれたね。ケンカかいたずらか知らないが、〔覚悟はしておくように〕」
「いや、これは――!」
「甲一くん、言い訳はらしくないよ」
「いや、本当に!」
必死になって状況説明をしようとする甲一の横をすり抜けていく影があった。
――こういうときは、逃げるに限る。
一切を周りに押しつけ、静かに退散しようとする卑怯者を逃さない目があった。
それは眠りから覚めたかのようにバッと跳ね起き、対象をしっかと認識した。
そして、対象に向かってまっすぐ前進していく――障害物があるのもお構いなく。
「やっ」
場に不似合いなかわいらしい声が上がった。
蓮がはっとして振り返ると、例の黒いブツが美柚の濡れた白いスカートを下から問答無用に押し上げていた。
「ちょっとやめてよっ!」
上も下も押さえなければならない苦境に陥った美柚は、主犯を睨みつけた。
「文句は眼鏡に言え!」
と返しつつ、これ幸いにと部屋からの脱出を試みるものの、残念ながら部屋の出入り口は大男が塞いでいた。
「こら、華院! 君は、白昼堂々何をしている!?」
「俺じゃない! よく見ろっ!」
「よく見ていいわけがないだろう!」
グダグダの会話を交わしながら、それでも戒は引かなかった。
「まあいい。とにかくすぐに〔元に戻すんだ〕、ネギ坊主」
「誰がネギ坊主だ」
「それまで帰さん。さあ、やれ。とっととやれ」
「くっ」
観念して立ち尽くした蓮の顔に、スカートの下から抜け出た黒いアレが飛びかかり、音もなく元の鞘に収った。
部屋の外では、どこかのん気な非常ベルが鳴っていた。




