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牙 - kiva -  作者: takasho
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prologue: The Edge

episode: Ren



 薄い雲に包まれ、淡くたゆたう月光が、古びた白の壁面を愛撫するかのごとく撫でていく。

 装飾のない無機質なテラスの上を一陣の重い風が吹き過ぎてゆくと、そこに立つ一組の男女の衣服がわずかにゆらめいた。

 ひとりは、礼装に身を包んだ男。

 ひとりは、華やかなナイトドレスを着こなす女。

 妙齢の淑女は恍惚とした表情を浮かべ、腰に手を回した男にさらに身を寄せた。

 その首筋から、赤いものが一筋、流れた。

 男の異常に伸びた犬歯が、女の白く濡れた肌を突き破っていた。

 女の悲鳴は聞こえない。

 むしろ、愛しげに男の傷のある頬を撫で、みずからの首を男の口元へいっそう近づけていく。

 だが、その繊手が男の耳に触れようとしたとき、女は糸が切れた木偶人形のようにその場にくず折れた。

 男の口元は歪んでいた。

 嫌悪感によって。

「こんなものか……」

 物足りない。

 ――最近の女は化粧でごまかしているだけで、どうやら中身はひどいらしい。

 まずくて喰えたものではなかった。

「まあ、いい。こうして生命の糧を得られれば、私は生きつづける。他とは違う生を謳歌できる」

 男は居住まいを正すと、女であったものに背を向けた。

「明日も、あさっても、ずっとだ」

 おそらく、百年後も。

 しかしその思いは、不意の言葉によって打ち破られた。

「いいや、今日が最後だ、ヴァンピール」

 有り得ない方向から突然かけられた声に、ぎょっとして振り返った。

〝それ〟は、テラスの手すりの上にいた。

 雲を払った満月を背に、ひとりの男がたたずんでいる。

 白いコートが風にはためき、まとまらない黒髪がさらりさらりと揺れる。

 右手には、細い曲刀。

 男にしてはきめの細かい肌が、逆光でも映えている。

 ――美しい。

 白い衣服と黒髪のコントラスト。

 そのスレンダーな身によく似合った刀。

 すべてが絶妙のバランスをなしている。

 だが、それを認識した瞬間、男は自分を呪った。

 ――こんなガキ相手に。

 相手はその顔に、まだ少年の影を残していた。子供、というほどではないが、大人にもなりきっていない。

 だが、そこでふと違和感を覚えた。

 この格好、この雰囲気。

 そして、この〝霊力〟。

「貴様、クルースニクか」

 と、自分で言ってから自分で気づく。

 ――いや、違う。

 クルースニクとは、ここスロヴェニアに存在する、生まれながらのヴァンパイア・ハンター。

 だが、目の前の少年は明らかに東洋系。クルースニクのはずがない。

 戸惑う男の前で、少年がようやく口を開いた。

「半分当たりだが、半分外れだ」

「何? ……そうか、〝X~《クロス》ハンター〟」

 この世ならざる者を狩る、人ならぬ人。

 否、同族を狩る異端者。

「なぜ、東洋人がこんなところで狩りをしている」

「貴様と問答をするつもりはない」

 少年が左手を鞘に添え、わずかに刀身を引き抜いた。

 その瞬間、目に見えるほど爆発的な〝妖力〟が辺り一帯に広がった。

 ――少し抜いただけで……!

 あの鞘は、封印の役割もしていたことはすぐにわかった。

 しかし、まさかこれほどの力を抑え込んでいたとは!

 刀が完全に抜き放たれると、もはや男は目を開けることさえできなかった。

 赤い霊力が強烈な光となって、暴力的なまでに襲いくる。

 ――いかん!

 そんな中でも、わずかな霊力の揺らぎを察知した。

 相手が動いた。

 凄まじい速さで接近してくる。

 反射的におのれの霊力を左手に集中させ、すぐさま爆発させる。

 それを盾に使うと同時に、その勢いを利用して大きく横に跳んだ。

 ――かわした。

「遅い」

 だが、少年は目の前にいた。

「なん……だと……」

「貴様が術が使ったときにはもう、俺はここにいた」

 少年の服も、髪も、何も乱れてはいない。

 まるで手すりの上から瞬間移動したかのように、場所だけ違っている。

 ――まずい。

 格が違いすぎる。風貌が幼いからまだ未熟だろうとたかをくくっていたが、ひょっとしたら実年齢と見た目に関係がないのかもしれない。

 相手も〝妖の者〟ならば十分有りうる。

「お前、いったい何者だ……。これほどのハンター、聞いたこともないぞ」

 ――いや。

 と、ひとつのことに思い至った。

「そうだ……ナスティアの――あの忌まわしい女に弟子入りした者がいると聞いていたが……」

 頬の傷がうずきだす。

 かつて自分を徹底的に追いつめた女。

 どうしようもなく強かった女。

「ナスティアめ……今度は、私を新参者の踏み台にしようというか!」

「その名を軽々しく口にするな」

 瞬間、少年の気配が切り替わる。

 霊力が、カッと弾けた。

 今度は刀ではなく、彼自身から。

「ああああッ!」

 圧倒された男は雄叫びを上げながら、右手の五指からそれぞれ〝霊弾〟を四方八方へ散らし、弾幕を張った。

 ――こんな奴、こんな奴とまともに戦えるか!

 すぐに体の形態を変化させ、細かい粒子に変じたそれぞれを霊力の膜で包み込み、上空へ向かって飛んでいく。

「愚かな」

 少年は失笑した。

「貴様らを狩るために鍛えられた我らから、その程度で逃げられるとでも思ったか」

 男の無力な攻撃をかわすことすらせず、かき消し、そして右手の刀を上段に振り上げた。

「消えろ、ヴァンピール」

 辺りに充満していた霊力が、刃に集約していく。

「閃」

 赤い煌めきが、黒いものを包んでいった。

〝レン〟の瞳は、血の色に輝いている。



episode: Miyu



 どす黒い闇の世界。

 その中で、自分はもがくのでもなく、はたまた受け入れるのでもなく、ただ高いところから睥睨していた。

 すべてが壊れ、すべてがのみ込まれていく。

 自分は震えているのだろうか、喜んでいるのだろうか。よくわからない。

 周りで大切な何か、これまで積み上げてきた何かが壊れていくのがわかるのに、何もしようとしない。

 自分が自分ではないかのような感覚。

 そんなことは日常茶飯事。

 だが、〝崩壊〟に対して無関心なおのれを客観的に見るのが怖い。

 今の自分は、闇の侵食を見下ろす自分を、さらに高いところから眺めている。

 怖い。

 嫌だ。

 この世のすべてが儚いのなら、確定した存在を求めるのは無意味。

 しかし、そこにこだわらないというなら、もはや人ではない気がした。

 今見ている自分を変えたい。

 でも、どうにもならない。

 そこにいる自分は、もはや他の存在だった。

 下の〝自分〟の長い黒髪が揺れると同時に、何かが黒い膜に包まれた。

 その何かは、自分にとって最も大切な存在なのだとわかる。

 それが、さらなる闇に吸収されていく。

 ――駄目。

 やめて。やめてください。

 誰にともなく懇願するが、なんの音もしない。

 声にならない叫びを、のどが痛みを感じるほどに発しようとした刹那、闇の底へ暗く沈んでいったはずの何かが、弾けた。

 その強烈な光は黒いものを打ち払い、徐々に徐々に浮かび上がりながら、周囲を白く染めていく。

 やがて、その輝きは驚く自分たちをも圧倒し――

「あっ!」

 体が明確な衝撃を受けると同時に、はっとして目が覚めた。

 不自然なほど呼吸が荒く、胸の動悸が耳にうるさい。

 体は重く感じるのに、どこかふわふわとした感触が気持ち悪い。

 しばらくして赤い輝きが目に飛び込んできて、ようやく現状がわかってきた。

 もう、夕方だった。

 広くもない室内に陽光がわずかに差し込み、衣装ケースの上にある写真立てを照らしている。

 体の下の中途半端な感触は、安物のマットレスだった。

 ――やだな。

 自分でもびっくりするほど、ぐっしょりと汗をかいている。

 薄手のキャミソールが胸に張りつき、不快なことこの上ない。

 ――近くに男の子がいなくてよかった。

 などと緊張感のないことを考えながら、ゆっくりと半身を起こす。

 変な夢。

 だが、いつものことだった。

 面白くもないが、見慣れた夢。

 今さら驚くほどのものでもなく、けっして心地いいわけでもないが、子供の頃から慣れた情景だった。

 ――だけど、いつもと何かが違う。

 最後の光景。

 あれは、今までに一度としてなかった。

 黒い夢のあとは、いつもこころも重くなるというのに、今日ばかりはなぜか胸の中に涼しい風が吹いていた。

 不思議だ。

「ま、いっか」

 生来、物事を深く考えないたちの彼女は、あっさりと疑問を投げ捨て、再び横になった。

 まだ眠い。

 なぜか笑顔になっていることに本人はまるで気づかず、眠りの精霊に誘われるがまま闇の世界へ落ちていった。

「……レン……」



episode: to east



 生き物の気配が消えたテラスに、遠くから鳥の声や虫の音が静かに戻ってきた。

 少年、レンの足元にわだかまった白っぽい灰は、ゆるやかに吹く春の風にさらわれ、虚空に消えていった。

「下級のヴァンパイアだったか……」

 抜き身のままだった刀をすっと鞘へ戻すと、レンは深々とため息をついた。

 某所から情報を得て、この古城へとわざわざやってきたが、得られたものは何もない。

 ――〝奴〟じゃなかった。

 望みの相手は、ここにはいない。未だその足取りは摑めていないが、ひとりひとりでも吸血鬼を調べていくしかなかった。

 そうすれば、いつかは目的の存在にぶち当たるだろう。

 東洋系の女をその眷属とする者、闇の王に。

「それにしても……」

 レンは、やや困惑した様子で眉をひそめた。

 前方に、先ほど件のヴァンパイアに襲われていた女性が倒れている。

 赤みがかった金髪に、静脈が見えるほど白い肌。明らかにヨーロッパ系だった。

 だが、問題はそんなことではない。

 元から胸元が大きくはだけたドレスがはだけ、豊満すぎる胸元と太ももが官能的なまでにあらわになっている。

 外傷はない。だが――

「困った……」

 生来女を苦手とするレンは、抱き上げるどころか触れることすらままならず、ただただ途方に暮れた。

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