淡夏
俺には幼馴染がいる。女の子だ。大抵そのことを男友達に話すと羨ましがられることが多い。
その幼馴染は俺の家の隣に住んでいて、親同士が同級生ということもあって家族ぐるみの付き合いをしている。だから、物心ついた時にはいつも一緒にいた。それが当たり前だった。
しかし、中学に上がる頃になると思春期のせいか女の子といるのが気恥ずかしくなり、そいつと話したりすることは次第に少なくなっていった。
高校も同じ学校に入ったが、ほとんど顔を合わせることはなかった。
そんな時だった。父が仕事の都合で海外に行くことになり、母もそれについて行くと言い、俺は一人暮らしをすることになった。
「もう夏かぁ……」
学校が終わり友人とともに帰路についている途中、俺はポツンとつぶやいた。
「どうしたんだよ優人。哀愁漂わせちゃってよぉ」
答えたのは俺のクラスメイトであり小学校からの友人でもある吾郎だ。
「いや、夏ってアレじゃん。恋人たち……いわゆるリア充の季節じゃん」
「そうとも言える……のか?で、それがどうしたんだよ」
「つまり、俺らにとっては『夏?なにそれおいしいの?』状態なんだよ!」
「ふむ。でもさ、お前には幼馴染の千雨ちゃんがいるじゃないか」
「あぁー」
千雨は俺が一人暮らしを始めてから、たまに家に来るようになった。千雨曰く、うちの両親から俺の面倒を見てくれと頼まれたらしい。
「ならさ、千雨ちゃんを夏祭りに誘ってみたらどうだ?」
「夏祭り……か」
吾郎とは途中の道で別れ、家に帰るとカギが開いていた。
「あいつか……」
俺はそのまま中に入りリビングへと向かう。そこにはソファーに座ってテレビを見ている千雨の姿があった。俺が帰ってきたのに気づくとこちらを振り向き声をかけてきた。
「おかえり、遅かったね」
「おう、ちょっと友達と話しててな」
「今日の晩ご飯、私のお母さんが作ったカレー持ってきたから、それでいい?」
「ああ」
その後自室に戻り、制服から私服に着替える。
着替えながら俺は先程吾郎と話していた内容を思い出す。
「夏祭り、誘うにしてもなぁ。なんて言えばいいんだよ。つか、千雨って彼氏とかいんのか?もしそうだったら……ああもう!」
はぁ、なんで俺はこんなにも悩んでいるんだ。いや、答えはわかってる。
答えはずっと前に出ていたんだ。気づかないフリをしていただけで。
――俺は千雨が好きなんだ、小さい頃からずっと。
「今更自分に嘘をついても仕方ない、か。……よしっ」
千雨はリビングと対面式になっているキッチンで、カレーの入った鍋をコンロにかけ、かき混ぜながら温めていた。
「あ、あのさ……」
「ん?どうしたの、まだご飯の用意できてないよ」
「いや、そうじゃなくてだな」
――やっべ、超緊張する。手汗パねぇ。断られたらどうしよう。
心の中はいろんな気持ちが渦巻き、なにがなんだかわからなくなってきた。
「えっと、その……」
「なによ、言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ」
「お前さ、夏祭りの日って予定あるか。もしなかったらでいいんだが、お、俺と一緒に行かないか。夏祭り」
――言った、とうとう言っちまったよ!呆けた顔しちゃってんじゃん。あぁ終わったな俺。
静寂があたりを包む。その状態が数分続き、俺が自室に逃げ込もうかと考えていたころ、千雨が静寂を破った。
「……わよ」
「えっ?」
声が小さくてなんて言ったかうまく聞こえなかった。
「だから、いいわよって言ったの」
「ほ、ほんとか。ほんとなんだなっ!よっしゃあ!」
こうして、俺と千雨は一緒に夏祭りに行くことになった。
夏祭り当日。
俺は神社の鳥居の前で千雨が来るのを待っていた。時間は待ち合わせの15分前。
「ちょっと早く来すぎたかな」
仕方がないので、周りを観察して暇を潰しことにした。
多くの人が鳥居をくぐり、石畳の上を歩いて人ごみの中に消えていく。
何人の人を見送ったのかわからなくなった頃、千雨は現れた。
「ごめんごめん、準備に手間取っちゃって」
千雨は浴衣姿だった。黒の布地に水の波紋と金魚の刺繍が施されていて、夏を感じさせるものだ。
それがあまりにも似合っていて、俺は不覚にも見蕩れてしまった。
「なによボーッとして。あっ、もしかして浴衣姿の私に見蕩れちゃった?」
「ばっ、ななななにいってんだよ。そそそんなわけねぇだろ!」
「まったく、優人はわかりやすいんだから。はやく行きましょ」
「ちょ、待てよ」
それから俺と千雨はいろいろな屋台を巡り歩いた。
定番の金魚すくいや射的、お面を買ったり綿あめやリンゴ飴を食べたりもした。
「うおっ」
「大丈夫?」
「ああ、ちょっとぶつかっただけだ」
「だいぶ人が多くなってきたもんね。そうだ」
千雨はなにか思いついたように、俺に手を差し出してきた。
「なんだこの手」
「察しが悪いわね。はぐれたりしたら大変だから手をつなぎましょ、って意味よ」
「……ッ」
――まったく、なんでこいつは小恥ずかしいことをサラッと言いのけるかな。
「ほら、はやく」
「……ああもう!これでいいんだろっ」
俺は千雨の手をガシっと掴んだ。
「きゃ、もう乱暴なんだから。女の子は優しく扱わなきゃダメなんだよ」
「うるせっ」
そんなやりとりをしていると、近くのスピーカーからアナウンスが流れてきた。
『まもなく打ち上げ花火を行います、ご覧になる方は……』
「打ち上げ花火だって、行く?」
「行きましょ、このお祭りの目玉なんだし」
花火は近くの河川敷から打ち上げられる。そのため多くの見物客は土手に集まりその時を待つ。
「花火はまだかしら」
「気が早いなぁ、もう少し待ってろよ」
千雨は花火が早く見たくてウズウズしているようだった。まるで小さい子どもだ。
――それにしても、ここに千雨と一緒にいるのがまるで夢のように感じる。つい最近まで学校で見かけても声をかけることすらなかったのに、今では小さい頃のように笑い合って話せる。不思議だな。
俺は改めて思った。こいつが好きなんだと。さっきからドキドキが止まらない、鼓動は早まる一方だ。
今なら伝えられるかもしれない、好きだと。
「なぁ、千雨」
「ん?どうしたの」
「あのさ。実は俺、ずっと前から千雨のこと――」
突如、轟音が俺の声をかき消した。
わぁと周りの見物客たちから歓声があがる。花火が打ち上がったのだ。
それに続いて次々と花火が打ち上がり、夜空に大輪の花を咲かせていく。
「さっきなにか言おうとしてなかった?」
「い、いや。なんでもないよ」
――恥ずかしくて二度も言えるかっての。
「……いくじなし」
「なにか言ったか?」
小声だったから周りの雑音と混ざって、なんて言ったか聞こえなかった。
「なんでもないわよ」
最後に一際大きい花火が上がり、今年の夏祭りは幕を閉じた。
結局、千雨に告白することはできなかった。
でも、きっといつか……。