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Go one way!  作者: ミッチ
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第一話 同じ言葉、違う世界

入学式の日から二日後、早速授業が始まった。

内容は特に変わらない物もある。これらは高校受験をして進学してきた響希にとっては、何も問題はない。

しかし、世界史、理科という名前で学習してきた科目は『魔族世界史』『魔学』と、彼からすれば珍妙な名前に変わって授業に組み込まれていた。


それは五限目。

響希のクラスではその『魔学』の授業が行われていた。


「今日から、君たちの『魔学』の授業を担当する、佐倉幹夫だ。一年間よろしく」


細身な中年男性だ。佐倉は自分のノートを教卓に広げた。


「魔学というのは君たち自身に直接関係してくる学問だから、真面目に授業を受けるようお願いしたい。

では目次が終わった次のページを開いて」


佐倉は黒板に向かって文字を書き出していく。再び向き直ると黒板には『魔族』と書かれ、その単語から右に矢印が伸びていた。


「ここにいる全員『魔族』だと思うが、その定義を今一度確認するぞ。教科書に目を通してくれ」


響希は視線を落とした。


「この世界で生命活動を行う全てのものは、たった二つに分ける事ができる。

その基準こそ、魔族か、そうでないかだ。

そしてー……」


魔族、それは空気中に含まれるエネルギー、『マナ』を意図的に利用することができる生物。

佐倉は教科書にそう書いてあることを声に出し、黒板にて文字に起こした。

『意図的』という単語に赤で下線を引くと、『マナ』という単語を『魔族』の項と同じ調子で書き出した。


「マナというエネルギーは、ただそこにあるだけじゃ機能しない。

魔族の体に取り込まれ、個体ごとの特質を持たされる」


佐倉は『特質』に下線を引いた。


「そうすることで初めて自分のエネルギーとして利用できるわけだ」


「そして次に、魔族はそれをどう使うか。次のページを見て」


教室に生徒たちがページをめくる音が木霊する。


「まず魔族は、危険を感じると『バリア』とでも呼ぶべき『保護膜』を、体の周りに張り巡らせる。

これは違う特性を持ったマナ、つまり別個体の魔族によってでしか破ることはできない」


響希はノートに聞き覚えのない単語の羅列を、書き写していく。

佐倉が黒板をチョークで叩く音が聞こえなくなると、また話始めた。


「そして保護膜は破った先から瞬時に再生される。これによって、魔族の体は恒久的に傷をつけることは出来ない。

だが、それも限度がある。

保護膜はマナによって作られているので、当然いつか尽きる。

マナの変換、貯蔵には時間がかかるのを考えれば、それまでの時間は保護膜を作れないことになる」


一気に書き出し、一気に話を終えた。その間、響希はペンをノートに走らせる。


「これは無意識な生態活動の一種だ。

魔族にはそのようなマナの使用例がほかにもあるが……」


佐倉は腕に巻いた時計に目をやった。


「今日はここまで」


そう言い終えるやいなや、間延びしたチャイムがスピーカーから発せられた。


「きりーつ!」


今朝決めた学級委員の男子生徒が号令をかける。


「礼!」


「ありがとうございました!」


いまいち揃わない挨拶で授業が終わる。


「ふあぁあ……」


間抜けな声を出し、長いあくびと共に響希は天井に向かって両手伸ばした。

響希の席は窓際の列の先頭だった。少し振り替えれば周りの様子がよく見える。

次は体育なせいか、更衣室が用意されている女子は、着替えを持って続々と出掛けていく。男子にしても佐倉の板書を写しきれていない者は忙しくペンを動かしていた。


だが、そのなかで一人


「まだ寝てるし……」


響希の真後ろ、繋だけはまだ静かに寝息をたてていた。


「おいって、もう授業終わったろ!」

「……んがっ!」


ノートと教科書を重ね、突っ伏している頭に落とすと、奇妙な声が漏れた。


「おう」


繋は調子を崩さない。


「おうて……次体育だろ。早く準備するぞ、移動しなきゃだしな」

「わかってるって。

それとノート見してよ、後で」


一方は現実味のない単語を必死で写していたというのに、逆の立場の人間はこうも呑気だ。

響希は眉間にしわを寄せた。


「わかったよ、早く着替えろ」

「うぃっす」


本当に呑気なものだ。


※※※


響希たちが集まったのは、本館の裏にあるドーム状の施設だった。楕円形に土が詰められている。

九百人ほどの生徒を一度に集めることができる体育館がこの学校にはあるが、それと同じほどの広さがあった。

響希たちが到着すると、短髪のさわやかな青年が待っていた。


「間宮哲平です!よろしくっ!」


間宮は活気にあふれた自己紹介の後、授業の中心は『模擬戦』を行うことになることを告げた。


「今日は体を慣らす意味でも軽く行こう。じゃあ、まずは明日葉と……」


名前を響希と一人の男子生徒が前にでた。


間宮に連れられ、響希ともう一人は演習場の中心へ移動した。広大な空間の中心で二人は距離をとって向かい合っている。二人の間に入って間宮は言った。


「危なくなったらすぐ俺が止めに入るし、それに……」


間宮は離れた位置に立っている男に目配せして、もう一言付け加えた。


「ガードナーの人もいるから、絶対怪我はさせないよ」


物騒な物言いだが、対して響希は気楽に構えていた。


―模擬戦とは言っても、ただマナを発散させるだけだ。今からやるのはただの運動。


相手に指名されたクラスメイトの様子も、特に変わったところはない。それが余計何も理解していない響希を納得させたのかもしれない。

間宮はホイッスル持ち上げた。


「よし、構えて……」


相手は腕を胸の高さで構えた。響希もそれを真似る。それから一拍置いて、ホイッスルの音が響き渡った。


その瞬間、相手は構えた片手を引っ込め、そして勢いよく突き出した。開かれた掌から、揺らめく何かが放たれる。突然のことに、響希の思考が追い付かない。


だが幸いなことにも放たれたそれの速度は遅かった。今からでも避けるのには十分間に合う。そう響希が判断し、体が動くまでの猶予があるほどに。 


右方向へ身を投げた。体は派手に地面を転がった。

揺らめくものはさっきまで響希がいた場所を通り過ぎ、やがて地に落ちた。それは爆発音を上げながら弾け、その場を焼いた。


響希は首を捻り、後ろを確認した。今放たれたのが炎だと気付いたのはこのときだ。

だが困惑する暇もない、相手に向き直ると二発目の火球はすでに放たれていた。火球は響希に狙いをつけて飛んでくる。


今度は考えるより先に動くしかなかった。

膝をついた体勢から後ろに飛ぶ、今度は情けなく尻餅をついてしまった。


火球は再び地面に突き刺さり、白い煙を上げた。

 

完全に混乱してしまっている。頭が鈍って状況を把握できていないが、胸の奥からは言い知れぬ感情が沸き上がってくるのはわかる。

抑えきれずに、言葉にして吐き出した。


「なっ……なんなんだよこれっ!」


感じるままに怒号をあげる。


「意味がわからない!授業で殺し合いさせるなんて!」

 


鼓動が高鳴る。胸が激しく上下して必死に空気を肺に詰め込もうとしていた。


もう攻撃の手は止んでいた。それに気付くと、ようやく冷静になれる。

 

まず感じたのが違和感だったが、その訳はすぐにわかった。火球を放ったクラスメート、そして間宮の顔を見たときだ。

必死の訴えに対して返ってきたのが、こちらを理解出来ないとでも言いたげな顔だったからだ。


困惑している響希に間宮が声をかける。


「明日葉……大丈夫か?今日は見学で……」


どうにも話が通じない、話す言葉が同じなのに。


「いえ……あの……保健室、いきます」


「そうか、一人で行けるか?」


響希は頷いた。こんな調子では会話するのも億劫になる。

響希は小走り気味で演習場をでて、保健室に向かった。


その道中、自分はとんでもない場所へ来てしまったという後悔だけが胸にあった。


※※※


頭がすっきりしないまま、保健室の扉を開くと、柔らかい女の声が響希を迎えた。


「あら、どうしたの?」


白衣を着た女性が机に向かっていた。自分の母親と同じくらいの年齢に見える保険医にそう尋ねられ、そういえば理由を考えていなかったなどと思っていた。


そういえば派手に地面を転がったはずだ、きっと擦り傷の一つでもあるだろう。だが、体のどこにもそんなものはなかった。

しばらく体を見回していると、保険医が机の下から椅子を引っ張り出し、響希に言った。


「体育の授業だったんでしょ、だったら怪我をしてるはずがないわ。とりあえず座りなさい」


「あ、はい」


響希は勧められた席に腰掛ける。


「別に怪我をしていなければ来てはいけないってわけじゃないのよ、何か吐き出したいことでもあれば聞いてあげるし」


「えっ?」


不意に図星を突かれて、響希は素っ頓狂な声を上げた。保険医は小さく笑みを見せると言った。


「あら、当たり?」


「まあ……そんな所ですけれど」


「そう。それで何を話したいのかしら」


「えっと……」


話してみてもいいのだろうか。

そんな疑問が響希の脳裏をよぎった。またあんな目をされるのではないだろうか。

仮に話すにしても何と言っていいかわからなかった。先ほどの事がここでは当然のように行われていることなのであれば、ここ以外から離れるわけにはいかない自分はどうすればいいのであろうか。


「いえ、話すほどの事でもありません」


結果、響希は話すことを放棄した。


「ならいいわ」


保険医は特に気に留める様子もなく、机上の書類に視線を落としている。


「なんなら休んでいく?服が汚れてるからベッドは遠慮してもらいたいけど、そこのソファーなら問題ないから」


「いいんですか?」


「ええ、どうせ暇だしね」


「ありがとうございます」


茶色い革のソファーだ。響希は服についた汚れを軽く払うと、ソファーに深く座った。

話すものがいなくなって静かになった部屋には、保険医が書類にペンで文字を書く音だけが聞こえていた。そうしてしばらくたったころ、思い出したように保険医が話しかけてきた。


「あなたはどこのクラスなの?」


「一年B組です」


「そう、やっぱり一年生なのね」


保険医の口調は妙に納得したようだった。


「珍しい子が入ってきたもんだと思ってねえ」


「……そうですか?」


むしろ普通だと思うけど。響希はそう言おうとして飲み込んだ。


「さっき保健室に来た理由聞いて言い淀んだでしょ?あなたみたいにあやふやなまま行動する子ってここにはあまりいないから」


「あやふや……そうですか」


心なしか響希の返答のトーンは低かった。それを聞いて保険医は愉快な調子で返す。


「いやねえ!別にそれが悪いとかじゃないのよ?ただ……」


少し間があった。


「そういう子って昔も今も少ないものだから」


言い終えて、保険医は左手首に巻いた腕時計を見た。

その仕草に、響希もつられて壁にかかった時計を見上げて言った。


「あと五分ぐらいで授業終わりますね」


「そうねえ」


「俺、戻ります」


立ち上がり、保険医の横まで移動すると、一礼した。


「ありがとうございました」


「ええ」


返事は短かった。教室へ帰ろうと踵を返すと、保険医が一言声をかけてきた。


「色々あるかもしれないけど、あなたなりに頑張るのよ」


もうこの人には見透かされてるかもしれないと、響希は薄々感じていた。それなら、と響希は素直に返す。


「はい、ありがとうございました」


※※※


帰りのホームルームも終わった後、響希は職員室に来ていた。間宮に呼び出されたらしいというのを担任から聞いたからだ。そしてなぜか繋もいた。


「俺はここで待っててやるよ、さっさと行って来い響希」


ここ数日でなぜか「アシタバ」呼びが「響希」に変わっていた。相部屋なうえに同じクラス、さらに席が前後なため、彼とは一日中顔を合わせることになるせいで二人の距離はぐっと縮まっていた。彼に親しくされるのは、響希にとって嬉しいことだった。


「オーケー」


短く返して職員室の扉を開けた。

間宮はすぐに見つかった。職員の多いこの学校では、職員室もかなり広いものになっているが間宮の席は入り口からそう離れていなかった。

響希と目が合い、間宮は片手を上げて手招きをする。響希はやや早歩きで向かった。

近づいていくと開口一番、間宮は謝ってきた。


「すまなかった」


「いえ、先生が謝ることでは……」


間宮はなお頭を下げた。


「いや、お前の事情も知らないで……俺の責任だ、すまなかった」


「ああ……はい……それで話っていうのは」


目上の人間にここまで謝られた経験のない響希はどうしてよいかわからず、話を逸らした。

それを聞いて思い出したように言った。


「ああ、それで体育の授業の事なんだが、基本的にこの学校の体育の授業は模擬戦が中心ということは聞いてるか?」


「はい」


「そうか、というか模擬戦のために体育が用意されているようなものだな」


つまり模擬戦しかやらないということか、と響希はため息がつきたくなった。


「それでだ、明日葉はこれからどうする?」


自分の体の事、そしてなにより響希の過去の経験を考えると、やらないなどという選択肢はあって無いようなものだった。


「いえ、なんとかやってみます」


「そうか……そうだな」


間宮は一瞬考えるようなそぶりを見せたが、響希の返答に納得したようだった。


「わかった、俺も協力するからゆっくりやっていこう」


「はい、ありがとうございます」


話はそれっきりだった。響希は軽く頭を下げ、出口へ歩を進める。

はっきりと模擬戦を続けるとは言ったものの、自分には到底できるとは思えなかった。恨んでもいない相手を大した理由もなく殴ることなど。

不安が募るばかりだった。


扉を開けると、響希は思わず眉をひそめた。そこにいるべきだった友人がいないからだ。

人懐っこくて話しやすい繋には友人も多いだろう、きっとどこかで話し込んでいるのかもしれない。

響希は扉の正面の壁に背を預けて、繋を待ってみることにした。もし彼が戻ってくるとしたらここから動くとややこしくなるだろう。


授業が終わったばかりの放課後はまだまだ騒がしい。響希はそんな騒がしさを耳にしながら、思考を巡らせた。


まずこれからの事。自分はこれからどんな理由であれ、他人と戦わなければいけないということ。自分にはそれができるのだろうか。殴り合いなどしたことは無いし、喧嘩すら覚えている限りでは経験が少なかった。そんな自分に。


そして気になるのはなぜ戦うのかということだった。マナを消費したいのであれば他に方法を探してみてもいいはずだ。

繋も戦ったのだろうか。あんなに人の良さそうな彼でも他人を殴れるのか。今の響希には理解できそうにもなかった。


そこまで考えて、響希の思考は途切れた。


「いてててっ!!」


校内の喧騒にかき消されることなく耳に届いた苦しげな声が、自分の待っていた友人のものだったからだ。


繋は壁に手をつき、右足を引きずって歩いていた。こちらを見ると笑って言った。


「よお!悪いな待たせたみたいで」


見てみると唇の端も切れていて血がにじんでいた。制服も薄汚れている。どうにも様子がおかしい。

響希は繋の腕を肩に回し、右足をかばうようにした。


「大丈夫かよ!?保健室行くか?」

「ああ……」


繋は少し考えるように間を置いた。


「じゃあ頼むわ……」


「わかった」


ゆっくりと歩き始める。途中、繋はその様子のことを何度か聞かれたが、一貫して転倒したことにしていた。


「本当の事話すと面倒くさいからな」


繋は響希にそう耳打ちした。同じ調子で本当の理由を話してきた。


「実はさっき校舎裏で一悶着あってさ、上級生に絡まれたんだよ」


「上級生?」


「ああ、不良ってやつだよ。正確には俺のダチが絡まれてたんだけどな」


―不良ねえ。


簡単に人を深く傷つけられる力を持った人間が物騒な性格だとしたら。

あまり考えたくはなかった。

それよりももっと考えたくなかったのが


「それで喧嘩したのか?」


「喧嘩?……まあそんなところだな」


繋もまた他人を殴れる事の出来る人間だということだった。友人のためという理由はどうあれ。


そうしてしばらく歩くと、保健室にたどり着くことができた。ついさっき出たその扉を開ける。


「すいません、ケガ人です」


「どもっす」


相変わらず保険医は机に向かっていた。こちらの声に気付いて視線を向ける。


「あら?」


こちらをうかがうような様子を見せた後、担がれている繋に視線を移した。


「あらあらあら」


みるみると顔がほころんでいく。


薬品棚からいそいそと物を取り出し、机に並べた。


「そっちのソファーに座らせちゃって」


繋をソファーまで運ぶと、横に座らせて足を伸ばした。保険医はその足の先に座る。


「痛いかしら?」


保険医が繋の足首をゆっくりと動かした。それに対し繋は顔をゆがめた。


「痛いっすね」


「そう、やっぱり捻挫ね」


 

今度は繋の足首を両手で包むようにした。


―なんだ?


響希には何をしているのかはわからなかった。保険医は念じるように目を閉じている。繋はそれを黙って見ていた。

そうして数十秒たち、保険医は繋の足首から手を放す。


「これで動くかしら」


「はい、どもっす」


繋は何事も無かったかのように足首をしきりに動かしている。そのやりとりに、響希は思わずため息をついた。自分の知りえないことがまた起こっているということに。


患部に軽くテーピングを施し、続いて保険医はガーゼを取り出し、消毒液を染み込ませた。

それを口の端にできた傷に当てると、繋は反射的に身を引いた。


「いって!」


「そんなものよ、ほら動かないで」


保険医は終始楽しそうだ。テキパキと小さい絆創膏を貼りつける。


「これで終わり、用がないなら早く帰りなさい」


繋はソファーから素早く立ち上がると、怪我をしていたとは思えないほど自然に歩いた。


「どもっす、んじゃ行くぞ~響希」


「ああ……」


そそくさと保健室を出る繋を響希は追った。そこから少し離れたころ、繋が可笑しそうに話をしだした。


「あの先生、絶対変態だぜ」


「え?」


「俺が怪我してんの見て急に元気になってんの、ありえねーだろって」


「ああ……」


その後も繋の話は続いたが、響希の頭にはいまいち入ってこなかった。


繋が喧嘩をしたことを聞いて、どうにもそのことを考えてしまう。ただの殴り合いならばともかく、模擬戦で見たような力をその時も使ったのかと考えると、彼も自分とは遠いところにいるのだといつまでも考えてしまうのだった。


次の日、授業は滞りなく進み、最後の六限目。

響希にとっての悩みのタネである体育の授業はこの日にはない。特に問題なく過ごせるはずだったが、また次の日にはその体育の授業が組まれていた。


そのせいで響希はまたしても考え込むことになる。板書を書き写す手はすっかり動かなくなっていた。


まず前提として、自分には模擬戦という言葉で誤魔化されているものの、恨んでもいない他人と戦うという選択肢しかないこと。


そして自分には理由もなく人を殴ることなんてできそうにもないし、それをする人間は大嫌いだということ。


だが、それでも戦っていいとするなら、昨日繋がしていたようなこと。誰かを助けるために戦うのなら許されるのではないか。改めて考えてみれば実に人道的な理由に思えた。


自分も同じように誰かのためと思えれば……。

ここまで考えて何度も響希の脳内論議は振り出しに戻ってしまっていた。


それは自分が誰かを合理的に殴る言い訳を探しているようで、たまらく嫌だったからだ。それまで積み重ねてきた思考を、すべてそこでふいにしてしまっていた。


いっそのこと開き直ってしまえればどれほど楽か。誰に証明するでもないのに、響希は話した全員に納得させられるような、戦う理由を求めていた。


「明日葉君!?」


その声にはっと我に返る。顔を上げると若い女性と目があった。


「話、聞いてた?質問の意味わかってる?」


彼女の名前は中園綾子。響希のクラスの担任であり、『魔族世界史』の教師であった。


「えっと……」


響希はバツが悪そうに言葉を濁す。中園はあきれたように息を吐いた。


「中世の魔術師、エレンファスが残した文献にあった動物を構成する三つの要素は……」


響希は教科書のページに目を通す、同じ文章はすぐに見つかった。


「物質体、メンタル体と、もう一つは何?」


「ア……アストラル体です」


「はい、そうですね」


正解はあれで間違いはなかった。だが、響希にはどうにも現実味のない単語で自信が持てなかった。


中園は教科書を片手に持ち、話を始めた。


「動物の魂を反映する要素は、私たちの肉体を指す物質体」


中園は自分の手を広げて胸に当てた。続いてそれを頭に持っていく。


「具体的な思考を司るメンタル体、感情を司るアストラル体からなるとされています」


黒板に向かい合い、中園の細い手が整った形の文字を書きだす。一通り終えると振り返り、続きを話し出した。


「特にアストラル体は、感情と密接に関わりを持つマナを重視する魔族にとって重要な概念です


ですが、近年では医学との兼ね合いで、その定義は変わっています。現代においてアストラル体とは……」


言い終わる前、スピーカーからチャイムの音が放送された。中園はやや早口で続ける。


「何らかの形でマナが固体化してしまった例を指します、テストにも出しやすいのでよく覚えておいてください。


それじゃあこのまま帰りのホームルームにしちゃうので、下校の用意をするように」


教室が急にざわつき始めた。響希が荷物を鞄につめていると、後ろから肩を叩かれた。繋だ。


「今日先に帰っててくれ」


どうにも引っかかる物言いだった。


「ああ、わかったよ」


そうは言ったものの、響希は彼の用事に思い当たる節があった。ホームルームも終わり、繋はそそくさと教室を出ていく。響希はその後を追った。


繋は響希が思った通り、階段を登って行った。響希たち一年生の教室は本館の二階部分に収まっている。上には上級生の教室しかない。


―「実はさっき校舎裏で一悶着あってさ、上級生に絡まれたんだよ」


響希の頭には昨日の会話が残っていた。もし繋が上級生に用があるとしたら、その相手のもとにいくのではないか、と響希は予想していた。

響希は繋の後ろを離れてついていく。繋は階段を登り終えると廊下の突き当たりを曲がる。

響希は曲がり角から顔だけを出して様子を見ていた。


三階の廊下は授業を終えた二年生でごった返していた。その中で一際目立つ金色に染色した男子生徒。

繋はその生徒の背中に歩み寄っていく。


「おいアンタ!」


騒がしい中でもよく聞こえるハッキリとした声だった。

聞き覚えがあったのか、その相手は振り返る。長い前髪から不機嫌そうな顔が覗いた。


「あ?お前昨日の奴じゃねえか」


二人のやり取りに、周りはしんとする。その様子を不審に思ったのか、教師が廊下に顔を出してきた。それを見て繋が言った。


「ここじゃ目立つな、下に降りるぜ」


二人は響希が隠れている場所に歩き始めた。響希は思わずそこから離れた。


二人が階段を下りていくのを見て、響希は後を追った。


昨日の今日で喧嘩を仕掛けに行く繋もたいがいだが、それにおとなしくついていく相手も相手だ。内心そう呟く響希は、この後の展開がひたすら心配だった。


二人は本館から離れ、中学生の教室が主な別館に向かっていった。まだ学校の中には生徒がたくさん残っていて賑やかだが、この別館の裏側だけは物音一つしない。人が近づいてくる気配もなかった。


二人はそこへ着くと、距離を取って向き合った。繋が口を開く。


「着いて来たってことは、わかってるよな」


金髪の男子生徒は鼻で笑った後、返した。


「バカだなお前は。昨日ボコされてまだこりねーのか」


「ああ!」


繋は力強い語調で話す。


「友達のためだからな、やらなきゃなんねーんだよ!」


「ほんっと、ただのバカだな!」


その会話を皮切りに、二人は一気に駆け出した。距離は瞬時に縮まり、互いの顔面に拳を打ち付ける。


―やっぱこうなるのかよ!


響希はそれを影からただ見守る。

互いに最初の一撃は互角だったものの、金髪は隙を見せず次の攻撃に入る。

繋はわき腹にフックをもらった。相手はひるんだのを見てすかさず腹の中心にボディーブローをヒットさせた。


足元がぐらつき、繋は後ろに倒れこんだ。金髪は地面に背を預ける繋に手のひらをかざした。


「おらあっ!!」


火の球が放たれる。繋はそれをまともに受けた。体が燃え、なおの事火球は浴びせられる。


「どうした!こんなもんか!?」


その言葉とともに、攻撃の手は一度止んだ。手のひらは空に向けられ、そこからは今まで放たれていたものより一回り大きい炎が揺らめいていた。


そして手はゆっくりと下へ傾き始める。叩きつけるように。


だが、


「うっ!」


金髪の体は横へ吹き飛んだ。くぐもった声が漏れ、炎は消えてしまう。その間もじたばたともがいていた繋の体からは炎は消え失せていた。


そして、自分を救った人物を見て繋は驚愕した。


「響希っ!」


「……」


気付けば、体が動いていた。もちろん人を傷つけるのに納得のできる答えは出ていない。

彼にとってこれは現実味のない問題で、どんな答えを出しても、確証が持てる気がしない。

それでも、今やるべきことはハッキリしているように感じた。

響希は両手を構える。


「このっ!」


金髪は即座に体勢を持ち直すと、片腕を引っ込めた。

微かな慨視感。だが体が反応しきれなかった。

次の瞬間、響希に向かって火球が突撃してきた。直撃を喰らい、吹き飛ばされる。


「響希!」


繋が呼びかけた。響希は地面でもがいて素早く体に着火した炎を消す。


模擬戦で混乱していた響希がいきなり実践なんて無茶だ。


そう思って叫んだ繋をよそに、当の本人は冷静に今の状況を分析していた。


響希が火球を身に受けてまず感じたのは、ただ火を浴びせられただけではないということだった。

火球は質量を持っていたのだ。それが自分にぶつかった瞬間破裂したように膨れ上がった。

それこそ爆弾のように。


そして自分の体が傷を負っていないのにも気が付いた。制服は焦げているが、外傷は一切ない。


―「魔族は、危険を感じると『バリア』とでも呼ぶべき『保護膜』を、体の周りに張り巡らせる」


授業でやったあの話は本当のようだ。それならば……。


模擬戦の時に混乱していたのが嘘の様に、響希の思考は高速で回転し突破口を彼に示した。

それによって導き出された答えは冴えていると言えるのかどうかは疑問だったが、彼の目にこれまで見たことも無いような光が宿ったのは間違いない。


響希は力強く地面を蹴る。


「こいつもバカか!」


悪態をついて金髪の手から火球が放たれた。撃ち込んだ本人に近い位置で爆発を起こす。今度も直撃だ。

黒煙が上がり、その場が見えなくなる。動きは見えないが、動いていないとも取れる様子だった。


あれほどの直撃を受けて無事なはずがない。勝利を確信した、その時。


「あああああああああっ!!!」


煙を突如裂いて、響希がまっすぐ突っ込んできた。彼の出した答えは、火球を自分が耐えられることを見越しての正面突破だった。


「うらああああああっっ!!!」


怒声を上げながら文字通り体ごと突っ込んでくる。響希の拳は金髪の顔面に深く刺さり、共に倒れこんだ。


アスファルトの地面を転がる二人。倒れ伏す金髪とは逆に、響希は立ち上がると繋を助け起こした。


「今だ!逃げるぞ!」


強引に繋を引っ張る。よろよろとおぼつかない足取りで二人は走り出した。


校門に集まる生徒たちの間を突っ切ってとにかく走った。学校を出てとにかくめちゃめちゃに走り、止まったのは響希が足を縺れさせて転んだ時だった。


「お前っ……はあはあ……めちゃくちゃだぜっ!」


「ゼー……ハー……ゼー」


二人とも呼吸が落ち着かない。たまったものを飲み下すようにごくりと喉仏が動いた後、響希は言葉を捻り出した。


「こういうもんだろっ!ゼー……戦うってっ!ハー……」


「まっ、んぐ……そうかもな」


地べたに座り込む響希の目の前に、手が差し出された。


「ほら」


響希が見上げると、繋がそれだけ言った。意図を理解した響希はその手を掴む。


「よっと」


繋は響希の体を引っ張り上げた。膝が伸び、完全に立ち上がる。


「え?」


立ち上がってもなお、その手を離さない繋に響希は疑問符を浮かべる。繋は屈託なく笑って見せた。


「これで俺たち、仲間だなっ!」


「仲間?」


「ああ、友達じゃなくて!な、か、ま!」


その表現の違いにどんな意味があるのだろう。響希にはいまいち理解できないが、心地の悪いものではないのは分かった。


ただ照れくささからか、はたまたボロボロの少年二人が握手して見つめ合うという光景に、一抹の気持ち悪さのようなものを感じたか、響希はその手をすぐ振り払うのだった。



※※※


「今日はこれで帰ります」


顔の整った若者がそう言った。シャワーを浴びたのか、髪はうっすらと水に濡れている。


会話の相手は壮年の男。上下赤いスーツの強面の男だった。その男が座っているのはバーカウンターだということが、薄暗い照明の光でわかる。

男は生き生きと話す。


「今日もトレーニングご苦労だった、明日に備えて存分に休みたまえ!」


若者は一礼し、男の横を過ぎる。自動ドアが開き、彼の姿はすぐ見えなくなった。

男はグラスに注がれた赤いワインを口にし、生き生きと語りだす。


「霧島漣君!彼は素晴らしいよ!」


それを聞くのはカウンターの向こうの女。細い銀フレームのレンズの奥に鋭い相貌を持つ知的な印象の女だ。

頷きを返すこともないその女を相手に、男は話続ける。


「恵まれた才能を持つ天才でありながら、それに慢心せず精進し、さらに磨きあげる……その姿はまさに秀才だよ!パーフェクトだ!!」


背を逸らし、歓喜をめいっぱい表現した顔面はほの暗い天井を仰ぐ。

その後、落ち着いたのかワインをまた少し口に運び、打って変わって穏やかな口調で問いかけた。


「ところで、今年は興味深い生徒はいたのかね」


「はい鮫島先生」


女は無表情のまま言葉を紡ぐ。


「こちらをご覧ください」


壁に取り付けられたモニターが映像を映し出した。


「フライングカメラにより撮影された映像です」


機械のように調子の変わらない口調で女は話す。映像には金髪の男子生徒、それと対峙する響希が斜め上から映されていた。


「黒髪の男子生徒の氏名は明日葉響希今年入学した高校生でクラスはB組先日行われた身体測定では身長百六十八センチ体重六十二キロ視力」


「待ちたまえ!」


「はい」


抑揚のない声で続けざまに話す女を鮫島が一喝した。女は即座に話を切り上げる。


「その生徒かね、面白いというのは?」


「はい」


「そうか、では映像を再生しなさい」


「はい」


映像が動き出す。


火球を浴びせられ、それを突き破って進む響希。彼が金髪の顔面を殴りつけたところで、映像は停止した。

そして、カメラは響希の拳にズームする。


「これがどうかしたのかね」


響希の拳からは、白く発光する粒子のようなものが舞い上がっていた。だが、それだけなら何の変哲もない物だった。


「見たところ、あの粒子はマナを圧縮したもののようだね。対したものではないが、やろうとする魔族は確かに少ない」


「はいですが注目すべきは彼の経歴と家族構成についてです」


「ほう……」


興味を惹かれたのか、鮫島は目を細めた。


「聞かせてくれたまえ」


「はい彼は共に純粋な人間と魔族のハーフで義務教育を通常の人間の学校で過ごし魔族としての知識を持たぬまま央陵高校に入学しました」


息継ぎを一切せずに話続ける女の口は止まらない。


「先日の模擬戦でも魔術を発現できず実質的にこれが初めての魔術の使用になります」


「ほう……!それは面白いじゃないか!」


鮫島は立ち上がった。そしてモニターに近づいていき、声を大にして話し始めた。


「つまり、彼は誰にも教わるでもなく魔術を発動させた。そういうことになる。ところでっ!」


鮫島は急に振り返った。


「君は何故動物が、傷口を舌で舐めるか知っているかね?」


女は表情のないまま首をかしげる。その反応を待っていたとばかりに鮫島は語り始めた。


「唾液には殺菌作用が含まれているが、もちろん野生の動物が知る由もない。では何故そうするのか……それは本能で理解しているからだよ」


「ほ、ん、の、う」


「そうだよっ!!」


女のビジュアルに似合わない奇妙な返答に、嬉々として語調を強める鮫島。そのやり取りはかなり滑稽だった。


「本能で理解している!それと同じだっ!」


弾かれたようにモニターに向き直る。激しい動きにグラスにわずかに残ったワインが大きく揺れた。


「本能が戦い方を教えているのだよ。さらに素晴らしいのが戦いへの強い意思が見て取れることだ。


それによって彼の思考は理性によって縛り付けることのできないレベルにまで……純粋に磨かれる……」


思わず身を震わせた。映像の中の響希を見据える鮫島の目は、愛おしそうにさえ見える。


「そしてより質の高い魔術を発動させているのだ!……素晴らしいっ!!!」


ビリビリと空気が振動した。

そうすることで落ち着いたのか、元々座っていた席まで戻ってくる。


「興味深い観察対象だよ、これからも彼を追い続けてくれたまえ」


「承知しました」


鮫島は大げさにグラスを傾けると、残ったワインを喉に流し込んだ。



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