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転生したら霧の精霊でした〜最弱体なのに吸収進化で気づけば世界最強〜  作者: 妙原奇天


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第九話 獣人国からの使者

 ミストリア建国から、季節がひとつ変わるくらいの時間がたった。


 もともと小さな村だった場所は、今では「霧の国」と呼ばれるようになり、少しずつだが人が増えている。


 行き場をなくした流民。税から逃げてきた小作農。魔物に村を焼かれた商人。事情はさまざまだが、彼らは決まって同じことを言う。


「霧に守られた国があると聞いて……」


 井戸の水は今日もこんこんと湧き、畑の作物はゆっくりと葉を広げている。村の外周には薄い霧の結界が張り巡らされ、低級魔物は近づこうともしない。


 かつて崩れかけていた家の隣には、新しく建てられた家が並びはじめた。焚き火を囲む輪も、前より一回り大きくなっている。


(……賑やかになったよな)


 ミストリア全体を覆う霧の中で、俺はそんなことをぼんやりと考えていた。


 井戸で水を汲む新顔の少女。畑で慣れない手つきながらも鍬を振るう元流民の青年。笑い声も、泣き声も、怒鳴り声も、霧を通して俺のところまで届いてくる。


 全部が混ざり合って、「生きている国」の匂いを作っていた。


「ユウト様、こちらの畝ですが、もう少し間隔を広げた方がいいと思うのですが!」


 畑の方から、ミネルの声がする。


 どうやら、新参の農夫たちと栽培方法について議論をしているらしい。最近のミネルは、すっかり「若き実務担当」みたいなポジションに落ち着いていた。


(頼もしいよなあ、ほんと)


 胸のどこかに、こそばゆい誇らしさが浮かぶ。


 そんな穏やかな午後だった。


    ◆


 異変に気づいたのは、日が傾き始めたころだ。


 村の結界の外側。森の手前あたりに、妙な「沈黙」が生まれた。


 音が消えたわけじゃない。風も吹いているし、鳥の声もある。ただ、その一点だけ、空気が妙に張り詰めていた。


(……何だ?)


 俺は霧をそこへ送った。


 視界の代わりに、温度と匂いと魔力の気配が色になって立ち上がる。


 そこにいたのは――。


(獣人……?)


 狼の耳と尻尾を持つ戦士。猫のような耳としなやかな肢体の者。がっしりとした熊型の者。いくつもの獣の特徴を持つ人々が、霧の結界のすぐ外でひざまずいていた。


 鎧はボロボロに傷つき、ところどころ血や泥で汚れている。武器も刃こぼれだらけだ。全身から、疲労と飢えの匂いがしていた。


「ここが……霧の守護にある国、なのか」


「本当に存在したとは……」


 低く掠れた声が、霧越しに耳に届く。


「これ以上逃げ場はない。ここで断られたら、我らは……」


「助けを乞うほかない。誇りなど、とっくに砕けておる」


 その言葉には、妙な芝居がかった陰りはなかった。ただ、追いつめられた者の、生々しい諦めと焦りが滲んでいた。


(……ミストリアの噂、こんなところまで届いてるのか)


 正直、嬉しいような、困るような、複雑な気分だ。


 とりあえず、勝手に結界の内側に入られたくはない。俺は霧を村へ引き返させ、ミネルと、今は「相談役」として落ち着いている元村長のところへ向かった。


    ◆


「獣人か……」


 元村長は顎ひげを撫でながら、難しい顔をした。


 ミネルはと言えば、説明を聞いた瞬間から、もう顔に全部出ている。


「助けてあげましょうよ、ユウト!」


「ミネル、まだ何も決まってないから。落ち着いて」


「だって、助けを求めてるんでしょう? それも、わざわざ国の外でひざまずいてるなんて、よっぽど追いつめられてるに決まってます」


 ミネルは拳を握る。


「私たちだって、あのまま見捨てられてたら滅んでました。霧の守護がなかったら、今ここに立っていられません。だったら――」


「気持ちは分かるがのう」


 元村長がため息をつく。


「わしらの国も、まだ余裕があるとは言えん。新しく流れてきた人たちの分の食い扶持だって、ギリギリじゃろう?」


「それは……そうですけど」


「獣人たちを丸ごと受け入れるということは、その分、畑を広げ、家を建て、仕事を分けるということじゃ。無計画に増やせば、いずれ皆が共倒れになる」


 ミネルは悔しそうに唇を噛んだ。


(どっちの言い分も正しいんだよな)


 俺は霧をゆったり揺らしながら、元村長の家の天井近くに漂っていた。


 そこへ、別の方向から意識が繋がる。


『聞いておった』


 レイガルだ。


 空のどこか、高い場所で翼を休めながら、この会話を見守っていたらしい。


『獣人国か……あやつらは人間に長く搾取されてきた弱小国だ』


『知り合い?』


『昔な。人間の王たちが戦争の駒として使っておった。力はあるが、人口も資源も少ない。単独では大国と抗することはできぬ』


 レイガルの声には、ほんのわずかに憐れみの色が混ざっていた。


『だが、だからといって安易に受け入れれば、こちらの負担にもなる』


『……だよな』


 俺は心の中で頷く。


『憐れみだけで国を動かすな、ユウト。だが、憐れみを捨てた王は、いずれ自分自身も捨てることになる』


『難しいこと言うなあ』


『王とは、そういう難しいところで決めねばならぬ立場だ』


 その言葉に、思わず苦笑が漏れた。


 元社畜に求められるには、だいぶハードルの高い仕事だ。


「とりあえず、話を聞いてみるよ」


 俺はミネルと元村長に向き直る。


「門の前まで行って、代表者から事情を聞こう。その上で、受け入れるかどうか決めたい」


「分かりました。一緒に行きます」


 ミネルが頷く。


「わしも行こう」


 元村長も杖を握り直した。


 こうして、霧の国ミストリアは、初めて「外からの正式な使者」を迎えることになった。


    ◆


 ミストリアの外縁――といっても、まだ形ばかりの木柵しかないが――その前で、獣人たちは今もひざまずいていた。


 近づいてみると、その疲れ具合は想像よりもひどかった。


 肩で荒い息をしながらも姿勢を崩さない狼獣人。腰を痛めているのか、少しだけ震えている熊獣人。猫の耳を持つ女戦士は、足に包帯を巻いていた。


 その中心に、一人の若い獣人が立ち上がる。


 灰色の狼耳。鋭い黄色の瞳。傷だらけの軽鎧。背筋は真っ直ぐで、目の底には消えていない炎があった。


 彼が、一歩前に出て口を開く。


「霧の国ミストリアの守護者殿に、謁見を求める」


 その声は、掠れているがよく通った。


「俺は、獣人国ルガ=レムの戦士、ガルド。今は……もはや戦士と名乗るのもおこがましい亡国の民だが」


 その自嘲に、周囲の獣人たちの耳がわずかに伏せる。


 俺は、彼らの目前で霧を濃くし、人型の仮体を作った。


 半透明の青年の姿で、柵の向こう側に立つ。


「ようこそ、霧の国ミストリアへ」


 なるべく、威圧しすぎず、舐められすぎない声を意識する。


「俺はこの国の……まあ、一応、王ってことになってる霧の守護者、ユウトだ」


 ガルドの瞳が、わずかに見開かれた。


「霧の……王、か」


「王って言うと、何か偉そうで好きじゃないんだけどな。ここでは一応そういう扱いなんだ」


 軽く肩をすくめると、ガルドの口元にほんの一瞬だけ苦笑が浮かんだ。


 すぐに真剣な表情へ戻り、彼は深く頭を下げる。


「我らは、あなたに助けを乞いにきた」


 その額が地面に触れるほど深く下がる。


「獣人国ルガ=レムは、今、人類国家連合の攻撃を受けている。領土の大半を奪われ、放牧地も森も焼かれた。我らが住む土地は、もはや残っていない」


 話しながら、彼の肩が小さく震えた。


「飢えた民を連れて逃げ回ったが、行く先々で門を閉ざされ、国境では矢を向けられた。これ以上、逃げ場も、守るべき土地もない」


 言葉が途切れる。


「噂で聞いた。霧に守られた国があると。魔物を寄せ付けず、水の尽きない土地があると」


 彼は顔を上げた。


 黄色い瞳が、まっすぐ俺を射抜く。


「どうか、一部でもいい」


 声が震える。


「住む土地を……そして、働けるだけの仕事を、我らに分けてもらえないだろうか」


 沈黙が落ちた。


 後ろで見守っているミネルが、胸を押さえる音が聞こえる。


「ユウト……」


 彼女の声には、もうほとんど迷いがなかった。


 だが、元村長は厳しい目をしている。


「ユウト殿。わしらも、まだ余裕があるとは言えんぞ」


 小声で囁く。


「今いる流民たちの分だって、畑を広げてどうにかしておる状態じゃ。ここで一気に増やせば、皆が飢える」


「分かってる」


 俺は頷く。


 だからこそ、ここで感情だけで動くわけにはいかない。


 それでも――目の前の獣人たちの姿を見ていると、完全に見捨てるなんて選択肢は取れそうになかった。


 俺は霧を獣人たちの周囲に薄く巡らせた。


【解析】


 彼らの体温、脈の速さ、筋肉の状態、血の匂い。


 慢性的な栄養不足。古い傷がうまく癒えきっていない。だが、危険な病気の気配はない。


 魔力の波も安定している。体内に爆発物のようなものを仕込んでいる気配もない。


 なにより――。


(このガルドって奴の感情に、嘘はないな)


 霧を通じて伝わってくるのは、羞恥と悔しさと、それでも生きたいという必死さ。


 策謀めいた冷たい思考は感じられなかった。


「ガルド」


 俺は口を開いた。


「正直に言う。今のミストリアには、お前たち全員を一度に受け入れる余裕はない」


 ガルドの肩がわずかに震える。


 後ろの獣人たちの中には、絶望したように目を伏せる者もいた。


 ミネルが不安そうに俺を見る。


 だが、そこで区切るつもりはなかった。


「だけど」


 俺は続ける。


「今すぐ全部は無理でも、全く何もしないって選択も取りたくない。だから、提案がある」


 ガルドが顔を上げた。


「まずはお前たちの一部を、この国の中に試験的に迎え入れたい」


「試験的に……?」


「そうだ」


 俺は頷く。


「ミストリアの生活に馴染めるか。今いる住民たちと揉め事を起こさないか。お互いの文化の違いで問題が起きないか。そのあたりを、しばらくの間、一緒にやってみながら確かめたい」


 あえて「こちらが見極める」という言い方はしない。そういう言い方をすると、相手を完全に「選別される側」に追いやってしまうからだ。


「それで問題がなければ、少しずつ人数を増やしていく。その代わり、ミストリアの一員として、この国のためにできることをやってもらう。力仕事でも、見張りでも、何でもいい」


 ガルドはしばらく黙って俺を見つめていた。


 やがて――。


「……それだけでも、ありがたい」


 静かに頭を下げた。


「すべてをもらおうなどと、もともと考えていない。我らには、もう選べる未来がないのだから」


 その言葉に、後ろの獣人たちも次々とひざまずく。


 ミネルは目尻をぬぐいながら、ぐっと拳を握った。


「じゃあ、ミストリアの中で話し合いをしよう」


 俺は振り返って言う。


「獣人たちを迎え入れるかどうかじゃなく、“どう迎え入れるか”についてな」


    ◆


 ミストリアの広場に、再び人が集まった。


 新しく増えた住民も含め、ほとんど全員だ。


 獣人たちは結界の外で待機してもらい、まずは国の内側での話し合いを優先することにした。


「獣人なんて、怖いです」


 最初に声を上げたのは、子を抱いた若い母親だった。


「牙も爪もあるし、怒らせたら噛みつかれそうで……子どもたちの近くにいてほしくない」


 隣で少年がむっとする。


「でもさ、魔物だって牙と爪があるよ。大事なのは、こっちを食べるかどうかじゃないの?」


「お前は少し黙っとれ」


 母親が息子の頭をぺしんと叩く。


 別の男が口を挟んだ。


「あいつらがいれば、きっと戦力になる。俺たちだけじゃ森の深いところに入るのは怖いが、獣人が前に立ってくれれば、もっと広い土地を開拓できるかもしれねえ」


「でも、その分食い扶持も増えるだろうが!」


「今だってギリギリなのに、これ以上口を増やしてどうする!」


「でも、手も増えるんですよ?」


「増えた手で刃物を握られたら意味がないだろ!」


 賛成も反対も、次々に飛び出す。


 元村長は黙って皆の声を聞き、ミネルは不安そうに俺の顔を伺っている。


 俺はあえて、しばらく黙っていた。


 ミストリアは、俺の国である前に、ここに住む人たちの国だ。


 だから、「王の一言で全部決まり」にはしたくなかった。


 十分な時間をおいてから、俺は口を開いた。


「俺から、一つだけ話してもいいか?」


 視線が俺に集まる。


「ここにいる多くの人たちは、もともとこの村の住人じゃない。流れてきた人たちだ」


 かつての村人たちは、もう半分にも満たない。


「税に耐えられなくなった人。村を魔物に焼かれた人。街から追い出された人。いろんな事情があって、ここにたどり着いた」


 焚き火の火がぱちぱちと弾ける。


「正直に言って、最初は俺だって迷ったよ。結界と水だけで守れていた小さな村を、大きくする必要なんてあるのかって」


 霧の王になんてなりたくなかった頃を思い出す。


「でも、ミネルが言ってくれた。“今度は、私たちが誰かの居場所を作る番だ”って」


 そのミネルは、今、涙目になりながらも胸を張っている。


「獣人の連中も、今の俺たちと同じだ」


 俺は続けた。


「国を失って、行き場をなくして、噂を頼りにここまで来た。ただ生きたいだけだ。誇りだって、きっと何度も踏みにじられてきた」


 焚き火の周りの空気が、少しだけ静かになる。


「もちろん、不安なのは分かる。牙や爪を怖いと思うのも当然だ。だからこそ、いきなり全部を受け入れるんじゃなくて、少しずつ一緒にやってみる」


 俺は拳を握った。


「俺たちだって最初は“見捨てられた村”だったんだ。この国は、誰かの居場所になりたいから国になった。だったら、誰かの居場所になろうと手を伸ばしてくる相手に、完全に背を向けるのは違うと思う」


 沈黙の中で、ミネルが一歩前に出た。


「私からも、一つだけ」


 彼女は強く言う。


「私たちは、霧の守護がなければとっくに滅んでいました。水も、畑も、結界も、全部もらいものです」


 ミネルの拳が震える。


「でも、今は違います。畑を耕して、家を建てて、子どもたちを育てて、一緒に笑ってる。この場所は、もう“もらいものの命”だけじゃない」


 彼女は涙ぐみながら笑った。


「だったら、今度は私たちが誰かに分ける番じゃないですか。水も、土地も、“ここにいていいんだ”っていう気持ちも」


 その言葉に、誰かが小さく息を吐いた。


「……まったく、お前は時々、恐ろしいことを言うのう」


 元村長が肩をすくめる。


「ユウト殿」


「はい」


「わしは、反対じゃ」


 その言葉に、ミネルが顔を曇らせる。


 だが、元村長は続けた。


「“今すぐ全員を受け入れる”ことにはのう」


 一拍置いてから、口元に笑みを浮かべる。


「試験的に一部を迎え入れる、という案ならば、賛成じゃ。わしら老人の役目は、若い者が無茶をしたときに少しだけ引き戻すこと。今回に関しては、若い者が止まりすぎぬよう背中を押してやるべきかもしれん」


「じいさま……!」


 ミネルの目から、ぽろりと涙がこぼれた。


「ただし、条件はある」


 元村長は指を一本立てる。


「獣人たちにも、この国の掟を守らせること。喧嘩や盗みは許さない。子どもを脅かすような真似をしたら、すぐに外に出てもらう」


「それは当然です」


 俺は頷いた。


「あと、できるだけ早く“彼らにしかできない仕事”を用意することじゃ。居場所というのは、ただ寝る場所だけではないからな」


「分かりました」


 こうして、ミストリアは獣人たちを迎え入れることを決めた。


    ◆


 結界の内側へと案内された獣人たちは、最初こそ周囲の視線に落ち着かなげだったが、仕事が始まると表情が変わっていった。


「ガルドたちには、前線の見張りをお願いしたい」


 俺はミストリアの地図代わりの簡単な土の図を前に説明する。


「霧が魔物の気配を感知したら、それを聞き取ってすぐに動いてほしい。危険な個体がいそうなら、レイガルや俺に知らせる。そうでもないなら、自分たちで対応するか、村まで下がるか判断する」


「霧が、魔物を教えてくれるのか」


 ガルドが感心したように問う。


「ああ。お前たちの嗅覚や聴覚と合わせれば、かなり精度の高い見張り網になるはずだ」


 獣人たちは、森と共に生きてきた種族だ。遠くの足音や、風に混じる血の匂いを嗅ぎ分ける能力は、人間よりもずっと高い。


 彼らが霧と情報を共有できるようになれば、ミストリアの安全度は飛躍的に上がる。


「それと、森のこの辺りに新しい畑を切り開きたい」


 別の場所を指差す。


「木々を倒すのは大変だけど、俺が霧で根を弱らせておく。その上で、お前たちの力で引き倒してくれれば、今の数倍のスピードで進むはずだ」


「なるほど……」


 ガルドは腕を組んで頷いた。


「働く場所があるというのは、ありがたい。何もしないで施しを受け続けるだけでは、“生きている”気がしないからな」


 そう言って笑う横顔に、少しだけ誇りが戻ったような気がした。


 ミネルは、その様子を見て頬を緩める。


「ガルドさんたちが働いてくれるなら、新しい家も早く建てられそうですね」


「ミネル殿、だったか」


 ガルドがきょろりと彼女を見る。


「我らを信じてくれて、感謝する」


「信じたというか……ユウトを信じてるので」


 ミネルは照れくさそうに言う。


「ユウトが“大丈夫”って言うなら、きっと何とかなるだろうなって」


「そうか」


 ガルドは俺の方をじっと見る。


 その視線には、さっきとは違う色が宿っていた。


「ユウト王」


「う、王はやめない?」


「いや、あえてそう呼ばせてもらう」


 ガルドは膝をつき、頭を垂れた。


「俺は、あなたに命を預ける。霧の国ミストリアの王として、俺たちを導いてほしい」


「ちょっと待った」


 俺は慌てて手を振った。


「忠誠とか命とか、そんな重い言葉を簡単に使うのはやめてくれ。俺は偉くなりたいわけじゃないんだ」


 ガルドがきょとんとする。


「じゃあ、何になりたい」


「ここを、“帰れる場所”にしたいだけだ」


 自然と、そんな言葉が口をついて出た。


「戦場から帰って来ても、旅から戻って来ても、失敗して逃げ出しても、ここに戻って来ればやり直せる。そういう場所にしたい」


 俺はガルドを見た。


「だから、お前たちも“従う”んじゃなくて、“一緒に作ってくれ”。この国は俺のものじゃなくて、ここに住む全員のものだ」


 ガルドの喉が、わずかに震えた。


 彼はゆっくりと顔を上げ、牙の見える笑みを浮かべた。


「……分かった。なら、友として、同じ国の仲間として働かせてもらおう」


「ああ、それがいい」


 そうやって、獣人たちはミストリアの一員として歩き始めた。


    ◆


 数日後。


 霧と獣人たちを組み合わせた見張り体制は、想像以上にうまく機能し始めていた。


「ユウト!」


 森の外れから少年の声が飛んでくる。


「さっき、ガルドさんたちが森の奥から魔物を追い出してたよ!」


「前よりずっと早く気づけるようになったわ」


 ミネルも嬉しそうに報告してくる。


 森の木々は着々と切り拓かれ、新しい畑の場所が整えられていく。倒木を運ぶ獣人たちの背中は、もう最初のような絶望だけの姿ではなかった。


 夜になれば、焚き火を囲んで、獣人たちと人間たちが同じ鍋をつついている。


「獣人が怖いって言ってた子どもが、今は耳を触りたがって困ってます」


 ミネルが苦笑しながら言うと、ガルドが耳をぴくぴく動かして笑った。


「触りたければ触らせてやればいい。子どもに耳を触られるくらい、どうということもない」


「そういう問題か?」


 そんな何でもない会話が、霧を通して俺のところまで届いてくる。


(……悪くないな)


 胸の中に、じんわりと温かいものが広がった。


 ただ、その温かさの影で、別の冷たい気配も、確実に近づきつつあった。


    ◆


 ミストリアから遠く離れた山脈の向こう。


 広い平原の上を、規則正しい軍列が進んでいた。


 幾つもの旗が風にはためいている。盾を構えた歩兵、槍を構える騎兵、魔法陣を刻んだ杖を持つ魔術師たち。


 その先頭で、紋章入りのマントを翻しながら、一人の男が馬を進めていた。


「獣人難民の一部が、突然、姿を消したそうです」


 副官が報告する。


「普通なら、山で飢え死にするか、盗賊に落ちるか、どこかの村で門前払いを食うはず。ですが、最近、この辺りの霧が妙に濃くなったという噂が」


「霧、か」


 男は遠くの山を眺めながら目を細める。


「新興の霊的勢力、あるいは魔王の配下かもしれんな」


「いずれにせよ、獣人どもがそちらに逃げ込んでいるなら、見過ごすわけにはいきません」


 副官が口を尖らせる。


「獣人の残党が戦力としてまとまり、霧の加護まで得るようなことがあれば、やっかいな火種になります」


「……ああ」


 男は頷いた。


「霧に包まれた新興勢力、か」


 風が吹き、彼のマントに縫い付けられた人類国家連合の紋章が揺れる。


「放っておけば、いずれこちらへも霧が流れてくるだろう。今のうちに、どういう存在か見極めねばならん」


 そう呟いた男の瞳には、警戒と――わずかな好奇心が浮かんでいた。


 こうして、人類国家側の視線もまた、霧の国ミストリアへと向けられ始めていたのだった。

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