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転生したら霧の精霊でした〜最弱体なのに吸収進化で気づけば世界最強〜  作者: 妙原奇天


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第6話「古代竜の封印を解け」

 村の井戸からこんこんと水が湧き出すようになって、十日ほどが経った。


 畑の苗は少しずつ青さを取り戻し、子どもたちの頬も前よりふっくらしてきた。夜になれば、村の中央広場から笑い声が聞こえることもある。


 霧として村を包みながら、その様子を見守っていると、どこかくすぐったいような、誇らしいような気持ちになった。


 だが、その一方で、胸の奥に引っかかっているものもある。


(レイガルとの約束……そろそろ、ちゃんと向き合わないとな)


 古代竜レイガルの封印を解くこと。


 あれは、勢いだけの約束じゃない。村を守るためにも、強力な味方はどうしても欲しい。


 水と結界で今は平和に見える村も、この先ずっと安全とは限らないのだ。


 ある日の夕方、ユウトは仮体をとり、村長の家を訪ねた。


 質素な木の扉を叩くと、すぐに中からミネルが顔を出した。


「ユウト様。どうぞ」


 中に入ると、村長が湯気の立つ木のカップを持って待っていた。中身はハーブを煮出した温かい飲み物らしい。


「霧の守護者殿。今日も見回り、ご苦労さまですじゃ」


「そんな固い呼び方しなくていいのに……ありがとうございます」


 カップを受け取りながら、ユウトは少し真面目な顔になる。


「それで、今日は相談があって来ました」


「相談?」


 ミネルが首をかしげる。村長も目を細めて、ユウトの顔を覗き込んだ。


「しばらくの間、この村を離れようと思っています」


「……え?」


 ミネルの瞳が揺れる。


「もちろん、霧の結界は残しておきます。畑の霧の調整も、ある程度は自動で動くようにしておきます。だから、すぐに村が危険になることはないはずです」


「ユウト様、どこへ行かれるんですか」


「前に言っていた、俺の“師匠”のところへ」


 レイガルのことだ。


「俺を助けてくれて、この世界のことを教えてくれた存在です。あいつの封印を解く約束を、まだ果たせていなくて」


 村長が静かに頷く。


「古代の竜というやつじゃな」


「信じてくれてたんですね」


「ユウト殿が嘘をつく人間には見えんでな。それに、あれほどの力を持つお方が、“師匠”と呼ぶ相手じゃ。並の存在ではないことくらい、目をつぶっていても分かる」


 冗談めかした言い方に、少しだけ空気が和らぐ。


「でも、封印を解くって……危ないことなんじゃないでしょうか」


 ミネルは不安そうに唇を噛んだ。


「もし、その竜が暴れ出したら……」


「そこは大丈夫」


 ユウトはきっぱりと言う。


「あいつは、戦争に利用されるのを嫌がって封印されたやつだ。理不尽に世界を壊したいとか、そういうタイプじゃない。むしろ、今の世界のバランスが崩れかけてるのを気にしてるくらいだし」


 レイガルの静かな瞳と、封印の中からでも感じられる誇り高さを思い出す。


「それに、封印を解くためには、『世界を壊そうとしていないか』っていう試験が用意されているらしい。そこを突破できないなら、そもそも解けない仕組みなんだってさ」


「そんな仕掛けが……」


 村長が感心したようにうなる。


「だから、行ってくる」


 ユウトは笑ってみせた。


「この村の守護者として、もっと強くなるために」


 ミネルはしばらく黙っていたが、やがて顔を上げた。


「……分かりました。でも、絶対に戻ってきてくださいね」


「もちろん」


 その「もちろん」の重さを噛みしめながら、ユウトは頷いた。


「約束するよ。レイガルを連れて、またここに戻る」


「竜さんが村に来るのか……」


 ミネルが想像したのか、目を丸くする。


「その時は、柵をもう少し丈夫にしないといけませんな」


 村長の冗談に、三人の間に小さな笑い声が生まれた。


     ◆


 洞窟への帰り道は、前に来たときよりも短く感じた。


 森の獣道も、魔物の棲み処も、霧として何度も見回っているおかげで、危険なルートと安全なルートの区別がつきやすい。


 それに、今のユウトの魔力は、以前よりずっと安定していた。村の結界を張り続ける中で、自然と魔力操作の精度が上がっていたのだ。


 封印の洞窟へ入ると、いつもの重い魔力の空気が出迎えてくれる。


 岩盤に刻まれた巨大な魔法陣。その中心で、鎖に縛られた黒い巨体。


 古代竜レイガルは、目を閉じてじっとしていたが、ユウトの気配を感じ取ったのか、ゆっくりと瞳を開いた。


「戻ったか、ユウト」


「ただいま、レイガル」


 ユウトは仮体の足で洞窟の床を踏みしめ、封印陣の外周まで歩み寄った。


 レイガルの瞳が、じっとユウトを見つめる。


「随分と、魔力が安定してきたな。霧の流れも、以前とは比べものにならんぞ」


「村で結界を張ったり、畑の霧を調整したりしてたからな。毎日実技テストみたいなもんだよ」


 軽口を叩きながらも、その言葉の奥には、自分でも驚くほどの成長の実感があった。


「村の様子はどうだ」


 レイガルの問いに、ユウトは短く村での出来事を報告する。


 水が湧いたこと。魔物が村を避けるようになったこと。畑の苗が元気を取り戻していること。そして、村の人々が少しずつ笑顔を取り戻していること。


 レイガルは静かに聞いていた。


「……良い居場所を見つけたようだな」


 ぽつりと漏れたその一言には、ほんのわずかな安心と、羨望のような感情が混じっていた。


「だからこそ、だ」


 ユウトは一歩前に出る。


「あの村を守るためにも、約束通り、あなたの封印を解きたい。レイガル、力を貸してくれ」


 レイガルの瞳が、少しだけ見開かれる。


 その後、ゆっくりと細まり、やがて深く頷いた。


「改めて言おう。封印を解く条件は、二つ」


 レイガルの声が洞窟に低く響く。


「一つは、信義ある霊的存在の魔力。もう一つは、外界の鍵――かつて我を封じた王国の遺物『星晶石』の力だ」


「信義ある霊的存在ってのは、俺との霧の盟約で何とかなるんだよな?」


「そうだ。お前は異界から来た霊であり、この村を守ろうとする意思も見せている。封印陣はその魔力を“世界を壊そうとしているものではない”と判定するはずだ」


 封印そのものに、再利用を防ぐための「性格診断」が組み込まれているというのは、かなり念の入った仕様だ。


「問題は、外界の鍵か」


「星晶石は、王国の時代には封印術式の触媒として用いられていた。今は……教会か、古物商か。人の街に流れている可能性が高い」


 ユウトは、ミネルの村長から聞いていた近くの町の情報を思い出す。


 ミネルたちが作物を売りに行く町。小さいが、教会と市場があるという。


「じゃあ、行き先は決まりだな」


 ユウトは握り拳を作る。


「村のついでに、その町にも寄って、星晶石の手がかりを探してくる」


「気をつけよ、ユウト。人の街は、村とは違うしがらみが多い」


「分かってる。でも、いつかは向き合わなきゃいけない場所だしな」


 軽く笑ってみせると、レイガルの口元もわずかに緩んだ。


     ◆


 町の城門の前に立つと、ユウトは思わず感心した。


 ミネルの村とは比べものにならない人の気配。石畳の道。簡素だが、村よりはずっと頑丈そうな木の門。門の上には見張りらしき兵士の姿もある。


 このまま半透明の霧人間で入れば、間違いなく大騒ぎになる。


(さすがに、それは避けたい)


 ユウトは森の外れで一度足を止め、近くを通る人々に霧を薄く伸ばして【解析】した。


 服装、髪型、顔立ち、歩き方。


 粗布のシャツとズボン、腰に巻いたベルト。簡単なブーツ。頭巾を被る者もいれば、髪を適当に束ねただけの者もいる。


(なるほど、この辺りの“普通の若者”って感じか)


 ユウトは霧を集め、仮体構築を発動した。


 いつもの半透明ではなく、霧の濃度をぎりぎりまで高めて、外側に薄い皮膚のような層を形成する。触ればふにゃりと柔らかいが、遠目には十分「人間の青年」に見えるはずだ。


 服も霧で再現し、土色のシャツと黒いズボン、くたびれたブーツの幻を纏わせる。


 鏡はないが、光の反射と他人のシルエットを参照して、普通より少しだけ整った顔立ちの青年を作り上げた。


(よし。これなら……近くに寄られない限り、バレないはず)


 ユウトは人波に紛れ、城門をくぐった。


 中は、活気に満ちていた。


 露店が立ち並び、野菜や肉、布、壺、怪しげな薬草まで、さまざまなものが売られている。人々の話し声、子どもの笑い声、商人の値切り交渉。遠くからは鍛冶屋の金属音も聞こえてきた。


「……すごいな」


 村とは違う、この世界の「生活」が、ここにはあった。


 ユウトは市場を歩きながら、さりげなく聞き込みをしていく。


「星晶石? なんだそりゃ、うまいのか」


「教会に行けば、そういう話は聞けるかもな。あそこは昔のおとぎ話が大好きだからよ」


 そんな反応が多い。


 やがて、町の中央広場の一角に、白い石造りの建物が見えてきた。


 教会だ。


 鐘楼の下には、簡素だが手入れされたステンドグラス。扉の上には、この世界の神を象徴する紋章が刻まれている。


 ユウトは一度深呼吸――の代わりに、霧をわずかに整え、扉を押し開けた。


 中は、外の喧騒とは打って変わって静かだった。


 祭壇の前では、数人の人々が膝をつき、祈りを捧げている。年配の神父らしき男が、柔らかな声で説話を語っていた。


「古き時代、この地には災厄の竜がいたと言われています。その力はあまりに強く、人々は恐れた。しかし、神の導きと勇者たちの知恵によって、竜は封じられ、世界には平和が戻ったのです」


 耳に馴染みのある単語に、ユウトは思わず耳を傾ける。


「その時、竜を封じるために使われた聖なる石。それが、ここに祀られている星晶石なのです」


 神父が、祭壇の奥を指し示した。


 ユウトは視線を向ける。


 そこには、透明に近い水晶状の石が、銀の台座の上に静かに鎮座していた。内部には、淡い星のような光が瞬いている。


(あれだな)


 レイガルの話と照らし合わせるまでもなく、直感が告げていた。


「あのう」


 説話が一段落したタイミングを見計らい、ユウトは神父に声をかけた。


「おや、旅の方ですかな」


 神父は穏やかな目でユウトを見つめる。背は低いが、背筋は伸びており、その瞳には長年人々の相談を聞いてきた者の落ち着きが宿っていた。


「少し、星晶石についてお伺いしたいことがありまして」


「星晶石に、ですか?」


 神父の眉がわずかに上がる。


「はい。私は……霊的な研究をしている者でして。この世界における封印や魔力の流れに興味があるんです。もし可能でしたら、その石を間近で観察させてもらえないかと」


 できるだけ怪しまれないよう、言葉を慎重に選ぶ。


 しかし、神父の返答は予想通りだった。


「申し訳ありません」


 彼は静かに首を振る。


「星晶石は、この教会にとって非常に大切な聖遺物です。信徒の皆様にとっても、神と勇者の物語を象徴する宝。外部の方に触れさせることはできません」


「やっぱり、そうですよね」


 ユウトは苦笑した。


「無理を言ってすみません。説話、とても興味深かったです」


「星晶石について学びたいのであれば、祈りの場はいつでも歓迎しますよ」


 神父はそう言って微笑んだ。


 その夜になるまでは。


     ◆


 夜の教会は、昼とは違う静けさに包まれていた。


 ユウトは仮体を解除し、教会の屋根付近に薄く霧を広げていた。星晶石の近くまで霧を伸ばして解析したいが、昼間は人目が多すぎる。夜の方が動きやすい。


(……ん?)


 その時、教会の裏手に、人の気配が増えた。


 数人。靴底を意識している、音を殺した歩き方。


 霧を伸ばして様子を窺うと、黒い布で顔を覆った男たちが、教会の裏口の扉の前で何かをしていた。


「こっちは頼んだぞ」


「ああ。さっさとやって、とんずらしようぜ」


 鍵をこじ開ける金属音。扉が静かに開く。


(おいおい……タイミング悪すぎだろ)


 ユウトは小さくため息をつき、霧を教会内部へ滑り込ませた。


 男たちは慣れた様子で廊下を進み、直接祭壇のある聖堂へ向かっている。どうやら星晶石を狙っているようだ。


「マジであんな石を欲しがる物好きがいるとはなあ」


「いいんだよ。教会の宝なんざ、金持ちの道楽と同じだ。ちょっと減ったところで誰も困りゃしねえさ」


 軽口を叩きながら進む盗賊たち。


(こいつら、もしかして……)


 ユウトの頭に、一つの案が浮かんだ。


 彼らが星晶石に近づき、触れようとしたその瞬間――。


 霧を石の周囲に集中させ、一瞬だけ薄く触れる。


 石そのものを持ち出さなくてもいい。必要なのは、封印解除に使われている「魔力の波形」と「共鳴パターン」だけだ。


(こっちが先に“解析”さえできれば……)


 ユウトは盗賊たちの背後で人型の仮体を構築しながら、霧の本体は星晶石へと忍び寄らせた。


 聖堂の扉が静かに開く。


 祭壇の奥で、星晶石がかすかな光を放っている。


「これだな」


「おお、けっこうでけえじゃねえか」


 盗賊の一人がニヤリと笑い、石に手を伸ばす。


 その指が触れる寸前で、ユウトの霧が先に石を包んだ。


(解析、開始)


 脳裏に、膨大な情報が流れ込む。石の内部で渦巻く精密な魔力の波。特定の周波数で封印陣と共鳴する「鍵」のパターン。


 あまりの情報量に意識がくらくらするが、今は時間がない。必要な部分だけをかき集めるようにして吸い上げる。


 ちょうどその時だった。


「そこまでです」


 ユウトは仮体の口を開き、静かな声で言った。


 盗賊たちが一斉に振り向く。


「なっ、誰だ!」


「お前らこそ、何者だよ」


 ユウトは、少し肩をすくめて見せた。


「昼間説話を聞いてたら、あまりにも分かりやすい狙い目の宝の話をしてくれるからさ。『ああ、これは夜に盗まれるやつだな』って思ってね」


 盗賊の一人が舌打ちした。


「チッ、見張りがいたか。だが一人なら――」


 彼が短剣を抜いて飛びかかってくる。


 ユウトはその腕をすっと霧の手で受け流し、逆に盗賊の足を払った。


「ぐっ!」


 男が床に転がる。


 別の盗賊が背後から殴りかかってくるが、ユウトは身体を霧に変えて攻撃をすり抜け、軽く手刀で男の首筋を叩いた。


「ごふっ……」


 床に崩れ落ちる男たち。


「お、お前……何者だ……」


「通りすがりの“霧使い”ってところかな」


 軽く笑いながらも、意識の半分は星晶石へ集中したままだ。


(解析、完了)


 頭の中に、封印解除に必要な共鳴パターンが、はっきりと浮かび上がる。


 石そのものを盗む必要は、もうない。


 その時、聖堂の奥の扉が開き、神父と数人の信徒が慌てて入ってきた。


「何事です!」


 床に転がる盗賊たち。星晶石に傷一つついていないのを確認して、神父はほっと息をつく。


「君は……昼間の若者か?」


「たまたま通りかかったら、怪しい連中がいたもので」


 ユウトは肩を竦める。


「星晶石を狙ってたみたいですけど、間に合って良かった」


「なんと……なんと、ありがたいことを」


 神父は深々と頭を下げた。


「君は、聖なる霊に守られているのかもしれませんな」


「霊、ね」


 半透明の本体を思い出しつつ、ユウトは曖昧に笑った。


「まあ、そんなところかもしれません」


 盗賊たちはその後、町の兵士に引き渡された。ユウトはしつこく礼を言われ、少し居心地の悪さを感じながら教会を後にする。


(ごめんよ、神父さん。石そのものは盗んでないけど、中身はしっかり解析させてもらいました)


 心の中で謝りながら、ユウトは洞窟への道を急いだ。


     ◆


 封印の洞窟に戻ると、レイガルは目を閉じたまま静かに佇んでいた。


「ただいま、レイガル」


「おかえり、ユウト」


 レイガルの瞳が開き、ユウトを見据える。


「星晶石は、見つかったか」


「石そのものは無理だったけど……中身はちゃんと持ってきた」


 ユウトは更新された「解析結果」を、霧の盟約を通じてレイガルへ渡した。


 共鳴パターン、魔力の波形、封印陣とのリンクの仕組み。


 レイガルの目がゆっくりと細まる。


「……なるほど。教会が保管していた星晶石か。封印陣の形式とも一致している」


「使えそう?」


「十分だ」


 レイガルは、全身に刻まれた封印の紋様をわずかに輝かせた。


 岩盤に刻まれた魔法陣も、それに呼応するように淡い光を放ち始める。


「ユウト。封印解除の儀式を始める」


「ああ」


 ついに、この時が来た。


 ユウトは深く息を吸うように霧を整え、封印陣の外周に立った。


「まず、お前の霧を封印陣全体に染み込ませよ。盟約を媒介に、星晶石の共鳴パターンを流し込むのだ」


「了解」


 ユウトは自身の霧を広げ、魔法陣の一つ一つの線へと浸透させていく。


 岩に刻まれた紋様の溝を、霧が満たしていく感覚。冷たい石の感触と、そこに宿った古い魔法の痕跡が、同時に流れ込んでくる。


 膨大な情報量に頭がくらくらするが、ここで引くわけにはいかない。


(星晶石の波形を、この陣に合わせて……)


 解析で得た共鳴パターンを、霧を通じて封印陣に流し込んでいく。


 次の瞬間、洞窟の空気が震えた。


 封印陣の赤い光が、徐々に青へと色を変えていく。


 レイガルの身体に刻まれた紋様もまた、赤から青へと移り変わり、その光が全身を走った。


「っ……!」


 ユウトの霧が、ビリビリと痺れる。


 封印陣が、ユウトの魔力を「判定」しているのだ。


 信義ある霊的存在か。世界を壊そうとしていないか。


 村での出来事が、頭の中をよぎる。


 乾いた畑。泣きそうになりながらも笑っていた子どもたち。ミネルの必死のお願い。井戸から湧き出す水に歓声を上げる村人たち。


(俺は――)


 この世界を壊すために、ここにいるわけじゃない。


 守りたい居場所ができて、そのために力を求めているだけだ。


 霧の粒子一つ一つに、その想いを込める。


 やがて、封印陣の青い光が、安定した脈動へと変わった。


「……判定は、通ったようだな」


 レイガルの口元がわずかに笑みを浮かべる。


「次は、星晶石との共鳴だ」


 洞窟の天井付近に、微かな光の粒が現れ始める。


 ユウトが星晶石から読み取った波形が、霧を媒介に空間へ放たれているのだ。


 見えないはずの「音」が、光となって洞窟を満たしていく。封印陣の紋様が、その光と共鳴し、刻まれた鎖が音を立てて震え始めた。


 その時だった。


 岩壁の奥から、低い唸り声のような音が響いた。


「……来たか」


 レイガルが目を細める。


 封印陣の外側、岩に埋め込まれていた石像が、ゆっくりと動き出したのだ。


 人型だが、四本腕を持つ異形の石像。目に当たる場所に赤い光が灯り、その視線がユウトに向けられた。


「封印の監視者……自律防衛機構か」


 レイガルが唸る。


 石像が、岩盤を砕くような音を立てて歩き出す。四本の腕には、それぞれ違う形の刃が刻まれている。


「侵入者を排除するよう設定されているのだろう」


「俺の霧を、封印にとっての“異物”と判断したわけか」


 ユウトは舌打ちした。


 石像が腕を振り上げ、ユウト目掛けて叩きつける。


 ユウトは瞬時に霧へと分裂し、攻撃を紙一重で避けた。


 岩盤に叩きつけられた石の拳が、床に大穴を開ける。砕けた岩片が飛び散り、洞窟全体が大きく揺れた。


「ここで止まるわけにはいかないんだけどな!」


 ユウトは霧を再び集めて仮体を形成し、石像の腕に取りついた。


 霧の腕を槍状に変え、石像の関節に突き刺す。だが、硬い。表面にひびは入るが、完全に砕くには力が足りない。


 石像はユウトを振り払うように腕を振り回し、その動きに合わせて洞窟の天井から石柱が崩れ落ちてくる。


「ユウト、封印の共鳴は続いている。止めるな」


 レイガルの声が響く。


「分かってる! 今しかないんだろ、これ!」


 ユウトは霧を分散させ、石像の周囲を取り巻くように動く。


 石像の攻撃は強力だが、動きそのものは単調だった。一定のパターンで腕を振り下ろし、目標を叩き潰そうとするだけ。


(だったら、こっちでリズムを崩してやる)


 ユウトは一部の霧を濃くして、石像の足元にまとわりつかせた。


 【吸収】を微弱に発動し、石の内部の「魔力の流れ」をほんの少しだけ乱す。


 四本の腕が、同時に振り下ろされるタイミングで、わずかに魔力のリズムをずらした。


 その結果――。


「……ぐ」


 石像の動きが、ほんの一瞬だがもつれた。


 上半身と下半身の動きが噛み合わなくなり、バランスを崩したのだ。


 その隙を逃さず、ユウトは霧を鎌のような形に変え、石像の膝関節に叩きつけた。


 ぱきん、という音と共に、石の関節に大きなひびが入る。


 石像が膝をつきかけた瞬間、洞窟全体がさらに激しく揺れた。


 封印陣の光が、最高潮に達しつつある。


 レイガルの全身を走る紋様が、青から眩しい白へと変わった。


「ユウト」


 レイガルの声が、今までで一番鋭く響いた。


「今しかない。行くぞ」


「おう、任せた!」


 ユウトは残る霧を全て封印陣に注ぎ込む。星晶石から得た共鳴パターンを、限界まで出力する。


 封印陣の光が一瞬だけ消え――次の瞬間、爆発したように広がった。


 鎖を形作っていた魔力の線が、次々と断ち切られていく。


 レイガルの巨体を縛っていた黒い鎖が、金属音を響かせながら砕け散った。


 その瞬間。


 古代竜が、翼を広げた。


 長い封印のせいで少し痩せてはいたが、その存在感は圧倒的だった。翼を一度広げただけで、洞窟の空気が全て吹き飛びそうになる。


「おおおおおおおお――!」


 咆哮が洞窟を貫いた。


 石像の守護者が、その音をまともに受ける。


 四本の腕が震え、石の身体に蜘蛛の巣のようなひびが走った。


 次の瞬間、石像は粉々に砕け散った。レイガルが放った威圧だけで、封印の「番人」は用を成さなくなったのだ。


 岩盤に刻まれていた封印陣も、完全に光を失い、ただの古い刻印へと戻る。


 ユウトの視界に、いつもの機械的なメッセージが表示された。


「災厄級存在・古代竜レイガルが解放されました」


「霧の盟約により、ユウトは古竜語魔法へのアクセス権を獲得しました」


「……古竜語魔法?」


 ユウトが思わず呟く。


 頭の中に、今まで見たことのない魔法体系の情報が流れ込んでくる。言葉そのものに魔力を宿し、世界の法則に直接働きかける、高度な術式。


「お前との盟約のおかげで、我が力の一部を、お前も扱えるようになったということだ」


 レイガルが静かに言う。


 封印から解き放たれたばかりとは思えない落ち着きだが、その目の奥には、長い長い年月を経て得た自由への喜びが隠しきれずに輝いていた。


「さて」


 レイガルは翼を大きく広げ、洞窟の天井を見上げる。


 封印陣が崩れた余波で、天井の一角に大きな裂け目が開いていた。そこから、外の光が差し込んでいる。


 レイガルはひとつ深く息を吸い込み――ゆっくりと飛び上がった。


 巨大な翼が空気をかき混ぜ、ユウトの霧が揺れる。


 岩壁を蹴り、翼で風を掴み、レイガルは裂け目から外の空へ飛び出した。


 洞窟の外には、青い空が広がっていた。


 太陽の光。冷たい風。遠くに見える山々と、森の海。


 レイガルは大きく息を吐き出した。


「……自由の味か」


 低く呟く。


「忘れていたな」


 ユウトは洞窟の出口近くまで霧を伸ばし、その光景を見上げた。


 空を舞う古代竜の姿。その影が、地上に大きく落ちている。


「本当に……とんでもない存在を味方にしちゃったな、俺」


 苦笑しながらも、全身が震えるような心強さを感じていた。


 レイガルは一度大きく旋回し、再びユウトのいる洞窟の前へ降り立つ。


 巨大な頭をユウトの方へ向ける。


「ユウト」


「なんだよ、レイガル」


「借りは、必ず返す。我が友よ」


 古代竜の口から出た「友」という言葉が、ユウトの胸にまっすぐ刺さる。


 何百年も封じられてきた存在が、自分をそう呼んでくれた。


「こっちこそ、これからよろしく頼むよ、相棒」


 ユウトは笑いながら、霧の手を伸ばした。


 レイガルは、その小さな霧の手を、そっと額で受け止める。


 こうして、封印されし古代竜レイガルは、再び空を得た。


 そして霧の精霊ユウトは、この世界で本当に「とんでもない味方」を手に入れたのだった。

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