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多分、おそらく、きっと、そう

作者: 有坂瞬
掲載日:2025/11/03

 大学一年生、春の教室。

まだ僕が大学生活に馴染めない頃、経営学の講義を共に受けている君のことを、僕は一方的に認識していた。

君について知っていたのは、マスクの余白から覗く大きな目と、"地雷系"の服装で周囲の視線を集めていたことだけ。


 君は、いつも一人だった。


 ある日のグループワークで、僕と君は隣の席になった。

僕は教授の言う教科書を忘れていたことに気づき、君に助けを求める。

君は、表情を変えないまま、マスク越しに目線だけで

「いいよ」

と言い、僕達二人の机の真ん中に教科書を開いた。

 講義中、君はその見た目とは裏腹に聡明で、饒舌な人物なのだと知る。

興味を持った僕は講義が終わった後、君の連絡先を聞いた。

また君は目線だけで承諾し、スマホのQRコードを差し出してきた。


 それからというもの、僕と君はSNS上で多くを語らった。

具体的に何を話していたかと言われると、今やもう記憶にないが。


 数週間、メッセージでのやり取りと、講義で直接目を見て話すルーティーンを繰り返した後、二人で渋谷へ行くことになった。

目的は、君が追いかけているという女性の地下アイドルで、その子が渋谷の猫カフェにゲストで来るらしい。


 改札前、駅構内を貫く柱の前で君を待っていると、君が来たことは、遠目に見ていてもすぐに分かった。

いつも身に纏っていた黒を基調としたドレスが、その日は胸に大きなリボンを付けたピンク色のものに置き換わっていたからだ。

大学でも君は目立っていたが、渋谷の雑踏の中でそれはより際立っていた。

改札を出ようとポケットからICカードを取り出そうとする君と、目線を交わした。


 君の服装の変化を伝えることはせず、猫カフェへと向かう。

到着してからというもの、僕はずっと上の空だった。

その猫カフェと伝えられていた部屋の中に、猫目当てで訪れている人間は一人もいないと、一目でわかった。

アイドルファンらしき男性達が規則正しく列を成しており、肝心の猫はというと、それを横目に皆思い思いにくつろいでいた。

「チェキ撮ってくるから、ちょっと待ってて」

高揚した声で君はそう言った。

僕は、扉をくぐった時からすでに疎外感を覚えていた。

部屋の隅で一匹だけ虚ろな目をしているメインクーンがいる。

彼、あるいは彼女の側に座り込み、その子をそっと撫でてみたが、どうやら普段の激務で消耗しているのか、あるいはもう人間という生き物への警戒心を抱くことすら諦めているのか、されるがままだった。 

「お互い大変だね」

心のなかでそう呟いた。


 僕は、躁鬱という病気を患い、大学生活にも馴染めず、バイトもしていない。親にも迷惑をかけている。


生物学上での種族の違いを除いて、僕とこの子との唯一の違いは、今僕には希望の光が差し込んでいるということ。

そうして僕は列に並ぶ君を見つめながら待つ。

やがて君の番が来たようで、君の目が今まで見たこと無いほど細くなり、一本の線になる。

余程嬉しかったのだろう。

チェキをすぐに見せてもらったが、地下アイドルと並んでいる君のその格好には、少しの違和感もなかった。


 その後、君が洋服を見たいと言い出したので、109に入る。

わかっていたことだが、そこで目立つのは僕の方。

いつも、異質なのは君の方だったが、君の世界では、僕の方が異質なのだ。

君の好むファッション専門店を連れ回されたのは、新手の拷問かのように感じた。

君はいつも異質な世界に身を置いていながら威風堂々としている。

君の中に、強さを感じた。


 夕食にラーメンを食べる。

君は食にこだわりがないようで、何を食べたいかと聞いても、

「君の好きなもの」

としか返ってこなかった。

初めて、マスクを取った君の顔を見た。

稲妻が走る。めっちゃ可愛い。

最近巷でよく言われている「マスク美人」って言葉、嘘なんじゃないか?

マスクを外した顔で人と目を合わせるのが苦手なのか、モジモジとラーメンを啜っていた。


 店を出て、少し歩くと人目が少なくなる。

そこで僕は君に

「どうしてマスクをしているの?」

と問う。

 君は下を向きながら、

「私の顔、可愛くなかったでしょ。」

と言う。

僕はさっき思ったことを、全て正直に伝えた。

「え、ほんと??」

君は、少しはにかんでいた。


 それからというもの、君はメッセージ上で僕に色んな表情を見せるようになった。

「〜で鬱」「すきすき」「一緒に死のう」「結婚しよー」「死にたい」

ダルビッシュ有のように、次々と変化球を投げてくる。

僕は最初こそ取りこぼしたが、やがて君の球種に慣れ、僕もキャッチ。

投げ返す。

大学で会うときは変わらないまま。


 夏、ディズニーシーに行った。

マスクはしていなかった。

門の前の行列の真ん中で、僕達が交わした会話。

君が、

「せっかくディズニーに来れたんだから、その幸せのままに私は海に飛び込んで死ぬんだ。」

僕は、

「それじゃあ、ディズニー死ーになっちゃうね。」

君は、

「文字じゃないと伝わらないの、やめて」

といい、珍しく声を出して笑っていた。


 開園し、人混みが夢の国へとなだれ込んでいく。

僕達もそれに押し出されるように、夢の世界へ。

僕は、待つことが嫌いということと、女性と喧嘩をしてみたいと言う気色の悪い願望があったので、その旨を伝えたら、最初に一番人気で待ち時間の長いセンター・オブ・ジ・アースに乗るデートコースを組んでくれた。

その乗車列で、君は唐突に、


「私、25歳になったら死ぬんだ。」


 と言い放つ。その表情は、真剣そのものだった。今までの「死にたい」はあくまで冗談の範疇のものだと思っていた。

僕は普段から君の「死にたい」という言葉を投げつけられていたから、その理由については既に推測できていた。

地下アイドルの隣に立っている時、109やディズニーの中にいる時は別だが、君は、普段生きている世界の中で異質な存在として扱われることに疲弊している。

そして同時に、君は若く美しいままにその人生を終わらせたい。

年をとっても今のままの服装をしていたら蔑む人も多い。

そういった目線から、君は逃げたかった。

僕はどんな言葉を発すればいいか逡巡する。

理由について聞くのは野暮だと思ったのと、何より、君の「死にたい」という気持ちを痛いほど理解していたから、引き止めるような事を言うことは良くないとわかっていた。

何より、君は僕と一緒にその逃避行を成し遂げたかったのだ。

僕はというと、君と出会うまでは病気のせいで希死念慮があったものの、君と出会ってから、その想いは変わっている最中だった。


「俺が死ぬまでは、生きててね」


 僕は、最低だ。

自分の世界に君を留めておきたいエゴから、そう言ってしまった。

君の表情は、ぴくりとも動かなかった。

君は、僕の生きる理由に。

僕は、君の死ぬ理由になっていた。

そこから先は、君に広大な遊園地の敷地内をエスコートしてもらったが、全て無機質なものにしか感じられなかった。




 それからというもの、鉛のように体が重い。

寝たきりの時間が増える。

いつもの波がやってきたのだ。


 スマホの画面上では今までと変わらない軽快なキャッチボールをしていた。

僕の頭の中では、あの発言への後悔と、君の生きる理由になれなかったことへのやるせなさが、巡り巡っていた。


 次に大学で会ったとき、君は、変わらないテンションで、川越に行こうと誘ってきた。

断る理由もないので、僕は俯いたまま、首を縦に振る。


 当日も、体が重い。

悪い想像が頭を巡ってしまう。

果たして、今日僕が君に会いに行くことに、意味はあるのだろうか。

そんな事を考えていたら、集合時間を過ぎていた。

自分の事で一杯一杯になっていた僕は、今日君に会えなくなった事を伝えることすらできずに眠りにつく。




 今回の波はいつもより長めのものだった。大学に通うこともやめてしまったし、当然君に連絡をすることもなかった。


 半年後、また次の波がやってきて、身体が軽くなった。

中学の友達が飲み会を開くというから、久しぶりに行ってみよう。

君のことは当然忘れていなかったが、気分が良くなった今でも、君に謝ろうという気にはなれなかった。


 酒を飲む。箍が外れた。


 君に連絡しようと思い立ち、友達にその事を伝えると、

「お前、女いたのか!」

と皆囃し立てる。

僕は君にこんな風な事を送ったらしい。

面白おかしく、

「結婚しよー」 「一緒に死のう」。

君の返信は、怒りと狂気に満ちていた。


僕は、最低だ。

一緒に死ぬとまで考えるほど僕を想ってくれた人に対して、許されざることをした。


僕は、最低だ。

君が心の内に秘めていた狂気に気づけて、僕の判断は正しかったのだろうと、安堵してしまった。


 それから、君の姿を大学で見かけることはなくなった。


 君は、僕という死ぬ理由を失った。

だから、今も生きている。


 多分、おそらく、きっと、そう。

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