1 静かで平和なジェント村
冒険者ギルド。
それは多くの冒険者が訪れ、後に冒険譚として語られる始まりの場所。
錆び付いた鎧を着こなす冒険者達が扉を潜り、クエストの受注票を片手に受付カウンターへ歩む。
冒険者ギルドとは。
冒険者によって形作られると言ってもいい。
例えば彼らがする会話だってそうだ。
この前のモンスターはどうだったとか。
新しい装備を買ったとか。
パーティーランクが上がったとか。
そんな世間話で盛り上がる賑やかな雰囲気というのは、冒険者なくして生まれないんだよ。
まさしく子供達が一度は夢見る光景。
男なら誰もが憧れる世界さ。
ただ。
そんな雰囲気に欠かせない存在がもう一つある。
受付嬢や受付人といった冒険を見送る者達。
彼らは毎日カウンターで冒険者と言葉を交わすんだよ。
冒険者適性試験を受けますか?
ランク昇格の試験を受けますか?
クエストを受けますか?
そんな風にクエストの始まりを告げる存在だ。
一見、大した存在じゃないように見えるけど全くそんな事はない。
受付の人達は日々クエストの危険度を確認して、受注する冒険者の能力と釣り合うか選定する。
冒険の土台に立つのが冒険者なら、その土台を作るのは受付嬢と言う訳さ。
──それに。
受付の人達は冒険に対して、冒険者とはまた違った視点を持っていると僕は思う。それは冒険者になれなかった人や怪我で冒険者を辞めた人だからというのもあるけど、受付の人が持てる特権みたいなのがあるんだ。
冒険者を見送る事。
冒険者の冒険を見続ける事。
彼ら彼女らの成長を見るのが楽しみだったんだよ。
ディーア。
僕はね。そういった物語を見るのが好きなんだ。
────────────────
今は比較的平和な時代。
魔王は勇者によって倒され、魔物が当たり前のように人を殺し大地を血で染める時代は終わりを迎えている。
悲劇の騒音で満ちていた世界も今では静かな物へと変わっており、それは世界の片隅にある村でも一緒の事だった。
「──フンフン、フンフン♫」
時は早朝。天気はずっと晴れ。
青い空から流れる風は心地よく、一日の始まりをより良い物にしてくれる。
つまり。
今日のジェント村もいつも通り。
緑に溢れているが故に静かな村。
見事なまでに共存していると言えば田舎だと思うだろうが、実際は違う。
田舎よりも遥かに自然と同化している。
そんなほぼ緑一色な村で金の長髪が揺らめいた。
風に靡かれるのは両手を前にして丁寧な姿勢でいる少女。彼女の青空に似た蒼い瞳が、この村で一際大きい建物を見通していた。
「今日も受付嬢として頑張りましょう」
そうして受付嬢ことディーアは、一際大きい建物……つまり冒険者ギルドの前で呪いを唱えてみた。
こう両手をグーにして胸を張る様に。
父から教わった、自分のやる気を上げる小技を活用したのだ。
ついでに硬い表情をほぐそうと両頬を軽く叩いて、彼女は前へ踏み出す。
「失礼します」
木で造られた扉がギシィ……と鈍い音を鳴らしながら開かれた。奥に広がるのは暗くて少しだけ広大なギルドホール。
だがそこに活気ある冒険者達の雰囲気や。
ドタバタして忙しい受付人の姿は全く無かった。
「……やはり誰も来ていませんね。仕方ありません。私一人で準備を済ませてしまいましょう」
彼女は刹那の思考を切り捨てた後、独り言と共に足を踏み出して床をほんのちょっぴり軋ませる。
ディーアはもう受付嬢として準備に取り掛かっていた。
「まずは電気です」
いつも通り受付カウンターの奥へと最短ルートで進めば、見えてくるのは電気魔術の起点。少女の親指より小さいスイッチが姿を現した。
「ポチッとな」
軽い音と共に起動する壁内の魔術回路。電気系統のソレは正しく雷の魔力をギルド全体に巡らせ、深淵の森のように沈んでいた冒険者ホールへ光をもたらした。
……少しだけ、寂しさが紛れる。
「いけませんいけません! 次の仕事に取り掛からねばっ!」
顔を軽く振って気分をリセット。
寂れた気分に浸っている余裕はないとディーアは時計を見れば、
時刻:六時
「開館まであと三十分しかないっ!?」
珍しく驚きの声を上げてしまった。
(いつもなら四十五分の準備時間はあるはずなのに、なぜこんなにも時間が短くっ!?)
無言でありながら狼狽える彼女。
しかし彼女の体は実に高性能であり、脳に埋め込まれた思考回路は事態究明の為、迅速に演算が行われていた。
(……寝坊したからですね)
結果、割としょーもない答えが導かれたのだった。
「とにかく、早く準備に取り掛からなければっ!」
言葉の放出で無理やり焦りを緩和させて(?)掲示板の確認へ移る。
掲示板……というより掲示板に載ったクエスト受注票の確認は、受付嬢にとって重要な仕事の一つだ。
一日置きに変わる外の状況変化に対応しているか?
誤字など間違った情報が書かれていないか?
重要な証明書類として機能できるほど紙の状態は良好なのか?
これに限らず様々なチェック要素がある。
地味ではあれど受注票は必要な存在だ。
なにせ冒険者はこの情報を信じて戦場、つまりはクエストへ向かうのだから。
(受付人とは冒険者の安全や勝利を支える存在だ! ですよねお父様)
真剣な眼差しで受注票を見るディーアの記録には、今は亡き父の言葉がよぎっていた。だからこそ彼女は一文字の間違いを見逃さず掲示板を睨む。
(昨日は雨が酷かったですが戸締りはしました。保護魔法もしっかり掛けているので受注票は水に強いまま……なので状態は…………シワクチャですね?)
そして大事な大事な受注票は反っていた……
「ほ、保護魔法は……って昨日で上限の10年を経過していましたか。何とタイミングが悪い」
他にも調べてみれば同じ日に保護魔法をかけた物ばかり。急いでディーアは受付カウンター奥にある予備の紙を引き出し、恐ろしい精密さで複写を済ませていく。
Cランク一枚とAランク二枚にSランク一枚と、少し反っていた四枚の受注票は新品同様となって貼り直された。
時間にして約三分。
一連の動きに一切の無駄は無く、受注票に書かれた文字群も一切のズレがなく極めて正確そのもの。
素晴らしい腕前だった。
「これが無ければ"冒険"は始まりません」
これも父の格言である。
後はカウンターやホールの掃除と花瓶に水入れたりして最後に魔法機能の確認を──
時刻:六時半
「魔法の点検、昨日との誤差0.00061%許容範囲内……問題なし。ふぅ、コレで全て終わりましたね」
そうしてディーアは問題なく準備を終わらせた。
消失した十五分なんて何のその。迅速、正確、冷静を貫き通す彼女の敵ではなかった。
「それでは最後に、お花の様子を見て……」
やり切った感情を声で吐きつつも位置に着いたディーアは、そのままカウンターの定位置に着いた。
準備という大きな仕事を終えた彼女を迎えたのは、健気に咲いている一輪の花。綺麗な瓶から生え出てきた紫のアネモネは、古びた木材で埋め尽くされた建物内では異彩を放っている。
「アネモネさんも元気そうですね。良いことです!」
ただこの村でも珍しい紫の色は、ただ置いてあるだけで景色の印象を変える程に力強い。だからこそ永遠と変わらない村に住む彼女は、その《変化》を楽しんでいた。
「これで私の準備もオッケーです!」
仕事の準場は終わり、心の準備も済ませた。
ならば後は開館時間の鐘が鳴るのを待つだけ。
「これで私も何の心配もなく冒険者を、
いえ物語の始まりを見る事ができます」
ディーアの父は言っていた。
冒険者ギルドとは活気溢れるという言葉を具現化した場所だと。
開館時間になった瞬間、自分の夢を叶える為に蛮勇と勇気を持った者達が一斉に足を踏み始めると。
鐘が冒険者ギルドの開館を知らせるんじゃない。
冒険者達の足音が、生きる気力が物語の始まりを知らせるんだと。
(その記憶こそが私を形作る大切な思い出)
父からそんな物語を聞かされたディーアは、自分の知らない光景に興味を持って勝手に受付嬢になった。
父が語る光景に夢を馳せたのだ。
そしてその光景が今、彼女の目の前で広がる。
──鐘が鳴り響く。
そうして、勇気と蛮勇を持った冒険者達がここ冒険者ギルドへ足を踏み入れて──
時刻:七時
──誰一人、足を踏み入れなかった。
「…………………………」
でもそれは当然の話だった。
このジェント村に冒険者は一人もおらず。
そして受付の人もディーア以外、誰もおらず。
そもそもこのジェント村に人間がいない。
ディーアが生まれてからずっと、このジェント村は時が止まったように静かだ。かつては活気のあったこの村も廃れ、その大半が緑に侵食された廃墟と化している。
今だに健在な建物はたったの二つだけ。
彼女と父が住んでいた家と、冒険者ギルドだ。
時刻:二十二時
時は流れ、賑やかな雰囲気も活気を感じさせる世間話も一切なく……今日もまた、静かに一日が終わる。
暗闇に沈んだジェント村に置いて唯一光で照らすのは冒険者ギルドのみ。
だがそれも開館している間の話。
電気を灯し一日中ずっと来訪者を待ち望んでいた冒険者ギルドも、閉館時間を知らせる鐘の音が聞こえれば村と同じように寝てしまう。
人がいない世界で同じ事を繰り返す。
そんな日々をディーアは生まれてから永遠と過ごしていた。
「今日も……誰一人来ませんでしたね」
ディーアはこの村で唯一生き残ったモノだ。
魔物に襲われ、村から人が消えて約五十年。
彼女は──夢見る受付嬢はこの寂れた村で、冒険者が訪れるのをずっと待っている。