童貞喪失、それ即ち死亡フラグ 5
昼休みの教室って、平和と混沌が共存してると思う。
飯食ってるやつ、寝てるやつ、スマホゲームしてるやつ、誰かと延々喋ってるやつ。
でも、俺は違う。
「……陽炎くんって、ヒマ?」
違うらしい。
突然声をかけてきたのは、前の席の女子――佐久間 梨々香。
ゆるふわ系でいつも爪にラメが入ってて、たぶん香水の名前は“ピーチドリーム”とかそんなの。
「これ見てよ〜!ヤバくない?」
差し出されたスマホ画面には、めっちゃ人間の顔っぽい猫の画像が表示されていた。
目が異様に潤んでて、口元が「ふっ……」みたいな表情。思わず吹き出しそうになる。
「うわ、なにこれ……キモいけどじわるな」
「でしょー!?やっぱ陽炎くんには刺さると思った!」
「なに、俺の感性ってキモカワ路線だったのかよ……」
「いや、たぶん“変人寄り”だと思ってたよ?」
「今の褒めた!?ディスったよね!?」
「ふふっ」
……ま、悪い気はしない。
軽口を叩いて笑い合う。こういう時間、俺は嫌いじゃない。
いやむしろ、リアル女子とこんなテンポで話せるだけでも大事件なんだが。
ただ――
背中が痒い。いや、“感じる”。
教室のどこかから、ピンポイントで刺さるような視線を感じた。
⸻
チラっと振り返る。
すると案の定、教室の後ろの方――窓際の席で弁当をつついてる中戸 現。
視線が合った瞬間、彼女はほのかに笑った。
けど、目だけは動いてない。口元だけが笑ってる。
(あ、これアカンやつや)
弁当の箸を止めたまま、じっとこっちを見てる。
たぶん、最初から全部見られてた。
俺と佐久間が喋ってたこと。
笑い合ってたこと。
猫のキモい顔で盛り上がってたこと。
全部。
⸻
昼休みが終わり、教室を出たタイミングだった。
「陽炎くん」
「……あっ、やあ、現ちゃん」
現は俺の隣に並んで歩きながら、横顔を覗き込んできた。
その表情は、いつも通りの小さな笑み。でも、温度がない。
「さっき、楽しそうだったね。佐久間さんと」
「あー、うん。猫の画像見せられてさ、なんか変な顔してるやつ。アレでちょっと笑ってただけ」
「そうなんだ。
……陽炎くんって、佐久間さんみたいなタイプが好きなのかな?」
「えっ、いやいや、違うって」
「そう? じゃあ、わたしの勘違いかな」
現はそう言って、また微笑んだ。
でも許された感じは全くしない。
「現ちゃんって、さ。もしかして……ちょっと怒ってる?」
「怒ってないよ?」
返事が早い。
「……ただ、少しだけ、胸がモヤモヤしただけ」
「モヤ……」
「……ねえ、陽炎くん。浮気、しないよね?」
柔らかい口調だった。
けれどその言葉は、皮膚に刺さるような冷たさを持っていた。
「浮気って……俺らって、そもそも……」
「付き合ってるんだよね?」
「いや、あの、その……俺、告白とかしてないような……」
「でも、好きって言ったよね?この前」
「たしかに、そう……かも?」
「じゃあ、大丈夫だね。
わたし以外の女の子と、これからはあんまり仲良くしないでくれたら、それでいいから」
(それでいいから、が怖いんだよ)
現は手を軽く振って、昇降口の方へ先に歩いていった。
背中は細くて、華奢で、制服の裾が揺れてるのに。
その後ろ姿が、どこか檻みたいに見えた。
⸻
「……葛葉くん。さっきの、見てたけどさ」
話しかけてきたのは、クラスに最近転校してきた女子――恋積 ひかり。
黒板消しを叩いてた手を止めて、こっちを見てくる。
「あれ、彼女って……ちょっと、重くない?」
「……え? ああ、いや、そんなことないよ、うん……たぶん?」
「ふーん……ま、私には関係ないけど」
そう言って、ひかりはまた笑った。
ただのクラスメイトとして、さりげなくそこにいた。
なんてことない昼休みの終わり。
……のはずだった。
⸻
(……いや待て)
教室で猫見てただけで、この圧。
笑い声出しただけで、「浮気しないよね?」の詰め。
これが“普通の女の子”なのか?
見た目は普通、笑顔も普通。だけど中身は――
(……やっぱ、この子、ヤバい気がする)
でも。
(けど……可愛いんだよな)
正直、顔はめちゃくちゃタイプだし、距離近くてちょっとドキドキするし。
それに、キスの予定はもう決まってるし……その先も……もしかして……
(……うん、たぶん、今は考えない方がいい)
結局、俺はその先を夢見ながら、違和感には蓋をした。