童貞喪失、それ即ち死亡フラグ 2
彼女は、一言も発さずにノートを開いていた。
黒髪セミロング。制服の着方はきっちりしていて、姿勢もまっすぐ。
でも、静かというよりは空気を壊したくないって雰囲気で、むしろ“真面目でおとなしい子”って印象だった。
ひかりが指差したのは、そんな彼女――中戸 現。
最初に見たとき、俺は“目立たないタイプ”だと思った。
でもよく見ると、顔立ちも整っていて、目元がちょっと眠たげで……なんか、かわいい。
(これは……当たりかもしれんな)
正直、そう思っていた。
ゲームだとしても、最初のヒロインが“いい子そう”ってのはモチベに関わる。
俺は軽く息を吸って、声をかけた。
「えっと……隣、いいかな?」
現はぴくりと肩を揺らして、そっと顔を上げた。
長めの前髪の隙間から、水面みたいな静かな目が、こちらを覗いた。
「……あ、うん。どうぞ」
少しだけ笑ってくれた。
その笑顔が、なんというか……ちゃんと“人間の女の子”って感じがして、妙に安心した。
「俺、今日からこのクラスに来た葛葉 陽炎っていいます。えっと……転校生です」
「葛葉……くん。よろしくね。中戸 現です」
「あ、うん、よろしく……」
あれ、普通に会話できてる……?
てっきり無言で圧だけ飛ばしてくるタイプかと思ってたけど、全然そんなことなかった。
ちょっとした沈黙が流れたあと、現がふとノートを閉じて、ぽつりと言った。
「……転校生って、どんな感じなんだろって思ってたけど。陽炎くんは……優しそうだね」
「へっ? あ、いやいやいや、全然そんなことないっすよ! むしろスケベだし浅ましいし童貞ですし!!」
「……えっ?」
「今のナシで」
うっかり本音が漏れた。死にたい。
けど現は、俺のテンパりを咎めることもなく、ふふっと少し笑ってくれた。
「……なんか、思ってたより、陽炎くんって喋りやすいかも」
「そ、それはよかった……」
気づけば俺も少し笑っていた。
これは……アレか? フラグってやつか? 初手からちょっと好感度上がったんじゃね?
そんな妄想が脳内を駆け巡っていると、現が小さく言った。
「……あのね」
「ん?」
「……陽炎くんのこと、ちょっとだけ《リサーチ》してたんだ」
「え?」
思わず間抜けな声が出た。
……いま、“リサーチ”って言った?
「わたし、人見知りだから……新しい人が来るって聞いて、事前に少し調べたり、メモしたりしてて」
彼女はノートをそっと差し出してきた。
そこには、俺のプロフィールのような走り書き。
・名前:葛葉 陽炎
・二年B組に編入
・転校生
・性格:明るい?冗談が多め?たぶんエロい?
・趣味:漫画/動画/女子をチラ見
「な、なんで“エロい”って知ってるの!? しかも“チラ見”ってなんでバレてるの!?」
「観察してたら、なんとなく。あと、昨日の全体オリエンの時、ずっと前の席の子の脚見てたし……」
「いやいやいや、それは視線の角度的に偶然であって!!」
「……うん、別に責めてないよ?」
そう言って笑う現は、どこまでも穏やかだった。
「ちょっと気になっただけ。陽炎くんがどんな人なのかなって。
ちゃんと知ってから、仲良くなりたいから……って、それも変かな?」
「いや、全然変じゃないっす」
むしろ健全。
予習してくるヒロインとか好感度爆上がりでしかない。
⸻
「……あの、陽炎くん」
「うん?」
「初対面でこうやって話せて、うれしい」
現は、ふと目をそらしながら言った。
「わたし、あんまり……自分から話しかけるのって、得意じゃないから。
でも、転校生が来るって聞いて、ちゃんと話してみたいって思ったんだ」
「……そうなんだ」
「うん。だって、“一緒に過ごす”って、最初が大事だって聞いたから」
その言葉に、ほんの少しだけ、引っかかるものを感じた。
でも、悪い意味じゃなかった。むしろ、ちゃんと向き合おうとしてくれてる感じがして――
(やっぱこの子、いい子だわ)
「俺の方こそ、現ちゃんが最初の子でよかったよ」
「……え」
「うわ、今の告白っぽいな!? ちがうからね!? いや、違わないけど違うからね!?」
「……ふふっ」
現は、また笑った。
さっきよりも、少しだけ自然に。
俺の心臓はちょっとだけ跳ねてた。
なんだこれ、たぶん人生初の“甘酸っぱい”ってやつじゃないか?
「じゃあ、これからよろしくね。葛葉くん」
「うん、よろしく」
その瞬間、俺の目の前にいたのは、
“最初の恋愛対象”というよりも、ただの普通の、だけどちょっと可愛い女の子だった。
だからこそ、思った。
(――この子が、あとで“とんでもなく重い”っての、ほんとなのか?)
今のところは、そんな気配……全然ないけど。