1話 記憶喪失の少年エル
「第3防衛ライン、突破されました!」
「この侵攻速度ですと、対象はあと1時間程度で避難指定区域外へと上陸します!」
「くっ…この未曾有の事態、一体どうすれば!」
「お前達の方はどうだ、福慧?」
「こっちも駄目ね。対象の"能力"で氷塊が霰のように降ってるわ。おかげさまで近づくこともままならないないわね。」
「私単独で動いていいなら、足止めくらいはできると思うけど…」
「許可できない…!お前も見ただろう、対象は隊長ですら簡単に殺せるだけの力がある!」
「加えて、隊長がいなくなると前線の指揮系統が崩壊し、さらなる混乱を招くことになる!エージェント達の増援が来るまで待機してくれ。」
「…了解。」
「くそ…こいつを抑えるには人手が足りなすぎる!被害がデカすぎるせいで避難誘導をするだけで精一杯だ…!」
「隊長!速報です!」
「どうした!」
「正体不明の人物たち数名が対象に接近!攻撃を加えている模様です!」
「何だと?!」
「エージェントたちからの連絡は届いていない…一体何者だ!」
「分かりません!しかし…対象沈黙!海へと落下していきます!」
「了解した。その者たちにも事情を聞かねばならないが…まずは対象の捕獲だ!準備の整った者から、急げ!」
あア…何ダこレは…?
いタい…シカいがかスむ…このカラだがオモうように…うごカヌ…
マだ…クチハテるわけには…ニクきニンゲンどもをメッするマで…ワレは…!
……………
…〜い……きて……
………おき…さい……
「まだ……5分くらい…」
「エル!起きてっ!!」
離すまいと抱きしめていた布団が瞬く間に引っ剥がされてしまい、朝のひんやりとした外気が僕を襲う。
意識が覚醒してしまったので仕方なく瞼を開けると、よく見知った金色の瞳と目が合う。
「まだ寝てたかったのに…」
「そんなこと言って…これ以上寝てたら遅刻しちゃうでしょ?」
「もう朝ごはんできてるから、着替えたら下に降りてきなさいよ、いい?」
ぷりぷりという擬音が似合う様子で、両手を腰に当てて怒る義姉さん。「分かったよ。」と返事をすると、義姉さんはそのまま下の階へと降りていく。
「うーん、しょ…っと。」
大きく伸びをして起き上がると、机のカレンダーへと視線を動かす。
「今日は…水曜日かあ。ということは体育あるのか、嫌だなあ…」
ようやく朝の準備をする気になった僕、和泉エルは、ぼそぼそと独り言を呟きながら顔を洗い、制服に着替え、朝食を食べるためにとぼとぼと階段を下っていく。
「…おはよう、詩織義姉さん。」
「うん、エルもおはよう!」
下った先で満面の笑みで挨拶を返してくれるのは、僕の義姉さんである和泉詩織。
肩まで伸びている栗色の髪と金色の瞳が特徴的で、今日は水色のトップスをつけている。
義姉さんの言う通り、リビングの机上には2人分の朝食が並べられてあり、僕たちは向かい合うように椅子に座る。
「「いただきます」」と合唱すると、僕は今日の朝ごはんである目玉焼きの乗ったトーストにかぶりつく。
「…そういえばさ、母さんはどうしているの?」
「うーんっとね…確か今日から出張だったかな。2,3週間で戻ってくると思う。」
「そっか…」
「あっ、そうだ。私も今日は大学の講義で遅くなるから、鍵忘れずに持って行ってね?家に誰もいないからさ。」
「了解。義姉さんは晩ご飯までには帰ってくる?」
「そりゃあ勿論。じゃないとエル餓死しちゃうでしょ?」
「晩ご飯を抜いたくらいで餓死したりしないよ…」
詩織義姉さんが冗談めかしたように言う。義姉さんって基本真面目なんだけど、どこか抜けてると言うか、こういうところあるんだよなあ…
「……?!」
義姉さんとそんな会話をしている内に、今朝の夢について思い出し、動揺で僕の身体がかすかに震える。
「……どうしたの?少し顔色が悪いけど…」
僕の異変をすかさず察知した詩織義姉さんが、首を傾げて質問を投げかける。
「いや、大したことじゃないんだけどさ…またあの夢見ちゃって…」
「あの夢って…氷塊が降ってくる夢のこと?」
「うん。もう10回目くらいになるかな…化け物が霰みたいに氷塊を散らしまくっていて、それを止めようと大勢の人が…」
そう話したところで、詩織義姉さんが僕の話に静止をかける。
「無理に思い出さなくてもいいよ、エルも辛いだろうし…」
「…ありがとう、義姉さん。」
「でも、やっぱりこの夢が、僕の記憶を取り戻す鍵になるんじゃないかって思ってさ…」
そう、僕はいわゆる記憶喪失の状態だ。読み書きとか普段生活する上で必要な知識は備わっているけど、2年前までの記憶、つまり僕が中学2年生になるまでの記憶が綺麗さっぱり抜け落ちている。
「それはそうかもしれないけどさ…」
「でも、わたしは嫌だよ。エルが記憶を取り戻すために、苦しい思いをするのは。」
心配そうに眉をひそめて、僕に訴えかけるように話す詩織義姉さん。
こういう顔に弱いから、やめてほしいんだけどなあ。それとも、分かっててやっているのか…何にせよこんな顔をされては、僕の返事は決まっていた。
「…分かったよ。義姉さんがそういうなら。」
「うん。ならよろしい♪」
しばらくして、朝ごはんも食べ終わった僕は、2階からリュックを取ってきて、玄関へと向かう。
「大丈夫?忘れ物はない?」
「大丈夫だって…僕だってもう高校生だよ?」
「うーん…でも、エルだし?忘れ物するかなって。」
「どんだけ信用されてないの…」
なんでもない言葉を交わしながら、僕は靴紐を結び、玄関の扉を開く。
「それじゃあ、行ってきます。」
「行ってらっしゃい!気をつけて行くんだよ?」