今までのあらすじとチーズ蒸しパン
4回目の「意味分からない」を池田から言われて、僕は理解してもらうことを完全に諦めた。
「あぁ…もういいよ。」
僕は中心に北海道地図が書かれたチーズ蒸しパンをオホーツク海の方から齧った。
「ごめんって長谷川!!次こそは理解するからもう一度話してぇ!」と言って池田は僕のチーズ蒸しパンを取り上げた。
僕は蒸しパンと池田を交互に見て、最後に時計を見た。貴重な昼休みが後10分で終わる。僕はため息をついた。
「まず…僕は蛍と無事デートをした。そしてドッペル長谷川のサラダッシュの現場に行った。そしたら警察に追われた。逃げ切ったと思って公園で休んでいたらドッペル長谷川が僕の前に現れた。殺されたと思ったら僕がドッペル長谷川を殺した。そして僕はドッペル長谷川を吸収した」
「意味分からない」
はいもう次は絶対に話しません。僕は無言で池田からチーズ蒸しパンを取り上げた。
「いや待ってよ!無理だろ!今の理解できたら俺マジ都合の良い男じゃね!?良いの?長谷川にとって俺が都合の良い男で!?今の発言は絶対後悔するよ!?」
「あぁ良い。僕は都合の良い男がタイプだ。」
いつもより大口でチーズ蒸しパンを頬張った。もう昼休みが終わる。
クラスの皆は、もうどうでも良かったのか、池田以外、僕と蛍の昨日の1日について聞いてくるものはいなかった。
この件で1番苦労したのは担任の渡邊だ。渡邊先生は痴漢と万引きをしたのが僕ではないと、警察と駅員に何度も説明してくれた。まぁ池田が当日撮影した動画に僕が写っていたのがでかい。何事も客観的な証拠だ。
これで僕は晴れて、痴漢と万引きの疑いが晴れた。
平凡で幸せな僕の高校2年生ライフは、これで安心して、始まるん…だよな。
僕は自分の右の掌を見つめた。まだあの感触が残っている。
人を刺した感触
自分を殺した感触
自分が殺された感触
自分が自分を吸収する感触
思い出すと口の中でほろほろに崩れたチーズ蒸しパンが、食道で粘土の塊になって息を詰まらせる。
昨日の出来事はなんだったのか。
それでも全部夢ということにできてしまうくらい証拠が何一つない。僕がドッペル長谷川を殺し吸収した証拠が。ドッペル長谷川が自在に大地から植物を操っていた証拠が。
僕の身体や日常はなに一つ変化が起きていなかった。まぁ僕としてはあれが夢だったとしても何も弊害がない。ただ一時的な非日常的な記憶は、日常が緩やかに溶かしていく。
ただ…強いて唯一、変化があるとするならば僕の蛍に対する気持ちの変化だ。
僕は横目で長内蛍のことを盗み見た。彼女は夕根仁と“叩いて被ってじゃんけんぽん”をしていた。矛はティッシュの箱で盾は国語の教科書だ。毎回、蛍がじゃんけんに勝つのに、なぜか蛍は盾の教科書をすぐに取っている。仁も本来自分が取るはずの教科書が無くて戸惑う。そして2人は目を合わせて微笑む。この繰り返しだ。
付き合ってるのかあの2人は。昨日の蛍とのサイゼリヤデートを思い出す。楽しかった。それに駅で警察から逃げるのも2人で共同作業をしている感じで楽しかった。やっぱり仲を深めるのは共同作業…。あぁ…でも2人は付き合っているのか。夕根仁と長内蛍は。僕にとっては昨日の1日がデートでも蛍からしたらただの友達とのご飯…。
あぁ…。
昨日の蛍か…。
あの時の公園での蛍の顔がチラつく。無機質で透明なガラスみたいな…でも質感はある…日本人形みたいな顔。いや違う。表現できない。大人の顔でも…海外育ち特有の顔でも…ない。今まで見たことのない人間の顔だった。
僕は長内蛍という人物が、あの一瞬、全く知らない他人に見えた。
僕がドッペル長谷川と対峙している時、君は何をしていたんだ?小銭をばら撒いて拾っていた?そんなわけないだろ。
そもそも、どうして君は僕をドッペルゲンガー探しに誘ったんだ?君には彼氏がいるのに、そこまでして僕とドッペルゲンガー探しをしなきゃいけなかったのか。
その時、僕は蛍と目が合った。蛍は僕の方を見てニッコリと笑った。
一瞬、蛍の周りが淡い黄色の光に包まれた。そして蛍の首元一面には木のツルが書かれたタトゥーが見えた。
なんだ今の…。でも僕が次に瞬きをした時には黄色の光も首元のタトゥーも消えていた。
あの木のツル…僕が…いや、ドッペル長谷川が地面から出した木のツルと似ていた。
クソ…またあの時の人を刺した感触を思い出した。
なんだよ。やめてくれよ。僕には非日常は不要なんだ。
結局僕は、昼休みの時間内にチーズ蒸しパンを食べ終わることができなかった。