ドッペルゲンガーを吸収
『良いものを君に見せてあげる』とドッペル長谷川は右足を大きく上げた。そして右足の足裏全身を勢いよく地面に叩きつけた。
僕の足元から小刻みな揺れが襲った。僕は自然と視線を下に落とした瞬間…足元から芽が出て、即座に木のツルになった。そしてそのツルは僕の手首と足首を拘束した。
「な…なんだよコレ?ま、魔法?」
僕は声を震わせながら目の前のドッペル長谷川に聞いた。
『魔法…?ハハハ魔法か。この世界だと…この力はそんな面白い表現をしているのか』とドッペル長谷川は嬉しそうに言った。
なんでだ。なんで足元から急に植物が…ツルが生えてくるんだ。なんで…それをドッペル長谷川は操っているんだ。
『君も僕に聞きたいことは多いだろうけど時間がない。君を吸収したら永遠に僕の中で生きることになるからその時にでも知ってくれよ』
ドッペル長谷川は右手にナイフを持ち僕の方に一歩…また一歩近づいてきた。
『ナイフで刺して弱らせて吸収…これで僕もこの世界の住人だ』
死んだ…。死んだ…。いやまだ死んでないけど…死ぬ。もうダメだ。死ぬ。これ死ぬ。
手首に巻かれた木のツルから抜け出そうとしてもビクともしない。
走馬灯…走馬灯…。あっ…あっ…わ。やばい。走馬灯流れないし、ちいかわみたいになってる。そりゃそうだ。
僕には漫画の登場人物のようなコマ枠ベタ塗りの過去回想するようなことなんてない。
大事な人は死んでないし、壮絶なイジメも虐待もされていない、本当に普通に普通の生活を僕は送ってきた。
何も思い出すことも大事な人も…。
ーおい長谷川…お前に貸したジャンプ鼻クソついてたんだけどー
い、池田。僕の走馬灯…珍しく眉間に皺を寄せた池田の顔か。てかあの時、池田からジャンプ借りてねーし。最後の走馬灯は好きな女の子でも親でもなかった。鼻くそ冤罪をかけた同級生だった。
『クッソォ!!』
最後に思い出す人が“池田”で、最後の言葉が“クッソォ”なのか僕。僕…幸せじゃないか。
ゆっくりと目を開けると僕は口から血が溢れていた。目をかっぴらいて、ブルブルと震えていた。もう今にも死にそうだ。
あ…違う。これ僕だけど僕じゃない。僕のドッペルゲンガーだ。目の前で血を流しているのはドッペル長谷川だ。
え、なんでドッペル長谷川が口から血を…そう思った瞬間、僕の右手がズシリと重たくなった。右手?僕の右手はさっき木のツルに縛られていたのに。僕はゆっくりと自分の右手に視線を落とした。
あぁ…
嘘だろ…
ドッペル長谷川の腹はナイフで刺されていた。無論…刺したのは僕だ。木のツルは依然、手首に巻きついていた。
16歳…僕は僕を殺した。
ナイフを伝ってドッペル長谷川の身体は緑色に溶け出した。
「なんだよコレ…」
『それは…こっちの…セリフだよ。どうしてお前が…』とドッペル長谷川は僕の顔を睨みつけながら言った。
『なんで…お前が吸収するんだよ』
「え、吸収?」
僕は再び視線をドッペル長谷川の腹部に戻した。
「僕の中に入ってき…てる?」
ドッペル長谷川の腹部から流れる血が赤から緑に変色し僕の体の中に入っていく。そしてドッペル長谷川の身体は粉雪のように分解され僕の体の中に吸収されていく。
『おいお前…こんなことになっても君が待っているのは地獄だぞ。救われるために召喚したんだろ。お前は最後…き……』と言いかけたところでドッペル長谷川の身体は消えた。
ナイフに付いていた最後の血一滴が僕の身体に吸い込まれていった。さっきまでの出来事は嘘のように痕跡がなくなった。月明かりで銀に輝く新品同然のナイフは今僕の身にあったことを証明できるだろうか。いやできない。
僕は震える足でさっきまで座っていたベンチに再び腰掛けた。左足の貧乏ゆすりが治らない。いや貧乏ゆすり?違う?恐怖で震えが止まらない。
夜空には星が輝き人々が家路に急ぐ時間。僕は何も考えることができなかった。額に浮かぶ脂汗も拭うことが出来ずただ呆然としていた。
その時「おまたせー!」と明るい声が聞こえた。
僕はゆっくりと視線をあげると、そこには長内蛍がいた。
「いやー自販機の前でサイフぶちまけちゃってね!!小銭拾っていたら時間かかちゃったよぉ!」
と蛍はまくしたてるように言って僕にコンポタージュを渡した。
僕は1分ほどコーンポタージュの缶を握った。
「….随分とぬるいね」
僕は蛍に向かってひきつった笑顔でそう言った。
彼女は一体…この缶の熱が冷めるまでどこで何をしていたのだろうか。
蛍は少し真顔になってから、僕の方を向いて不敵な笑みを浮かべた。