ドッペル長谷川の爪痕
「ここが例のサラダッシュの現場だね〜」
蛍はスマホを片手に言った。スマホの画面にはサラダを片手に警察の追跡から逃れるドッペルゲンガー長谷川…ドペハセが映っている。
何度見ても流麗なフォームで万引をして逃走している。その顔が僕だから俄然面白い。
「まぁ…当たり前だけどもうドッペル長谷川は居ないよね」と僕は辺りを見回しながら言った。札幌駅と大通駅を繋ぐ地下コンコースには、老若男女の沢山の世代の人が行き交う。4月の札幌は普通に寒い。少しでも地上への滞在時間を減らすため、皆少し遠回りをしてでもこの地下コンコースに入り込む。
まぁでも、札駅と大通駅のコンコースは一直線の地下通路で信号がないから普通に便利だ。
「そーね〜。でもドペハセはサラダ万引きしてどこに行ったんだろう?」
「蛍が読んでいた本によると…ドッペル長谷川は僕を殺して、この世界の住人になろうとしているみたいだけどね」
「ふーん」と蛍はつまらなさそうな反応をした。
「なんだよ。もうやる気無くしたのか?このミーハー」
「長谷川君はどうして私のことを好きになったの?」
「え!?」僕は唐突の質問に動揺を隠せなかった。
「なによ?」
「蛍さん…その回答によっては…僕にもワンちゃんある?」僕は両手の掌で顔を隠しながら聞いた?
「ない」
「じゃあ答えない」
「あー意気地なし!でも聞かなくても分かるよ。私のどこが好きだったのか」
「…言ってみてよ」
「…」
蛍は何かおちゃらけた回答を言おうと、ニヤリと一瞬笑ったが何故か俯いて黙り込んだ。
「長谷川くん…意地悪してごめん。」
「なんだよ…別に」と言って俺は鼻を啜った。
気まずくなった。今まで気にしていなかったけど、ここドーナツ屋の目の前だ。めちゃめちゃ良い匂いがする。悪い雰囲気になっても甘くて美味しい匂いがすると最悪な雰囲気にはならないから不思議だ。
「ドーナツ食う?」と僕は言った。
「うん」と蛍は少し間を開けてから言った。
僕はフレンチクルーラー、蛍はポンデリングを頼み、駅のコンコースで立ちながら食べた。
フレンチクルーラーに関連して、僕は蛍の耳下にあるお団子ヘアを見つめた。やっぱり蛍のその髪型…フレンチクルーラーだ。僕は…蛍のその髪型から蛍のことを好きになったのかもしれない。僕は男だから分からないけどきっとこの髪型は何十分もかけて結んでいるのだろう。身だしなみに丁寧に時間をかけるその感じが好きだ。決して顔ではない。僕は中身から人を好きになるタイプだ。まぁでも最近、蛍のお団子は一年の初期よりは形が崩れている気がする。まぁそこも愛おしい。
「何笑ってんの」
「別に…」
駅のコンコースには、ちらほら帰路に向かうサラリーマンも増えてきた。僕は早歩きのサラリーマンを横目にふわぁと欠伸をした。朝4時44分から稼働している僕はもう体力的にも精神的にも限界を迎えていた。
「もう帰ろうか」と蛍に言おうとしたその時、『ちょっと待って君たち!!』と後ろから声をかけられた。
僕たちが後ろを振り向くと、そこには男性の駅員がいた。
『その君たちの制服…黒水高校の学生さんだよね?』と駅員は視線を僕たちの頭からつま先にかけて何度も往復しながら言った。
「そうですよ〜」と蛍は呑気に答えた。
僕が不安な顔をしたからか駅員さんの表情は柔らかくなった。そして駅員さんはジャケットの内ポケットを漁りスマートフォンを取り出した。
「君たちにこの動画を見て欲しいんだ」と言って駅員さんは僕と蛍の目の前にスマホ画面を表示させた。
『捕まえろ!!』
『こいつ足早いぞ!』
『え、なんかあの人サラダ持ってない?』
『キモいキモいキモい』
駅員さんの手元のスマートフォンからは、今日僕が何度も見た動画が再生された。駅のコンコースで男子高校生が警察官と駅員から逃げる動画。流麗なフォームでサラダを万引きしている動画。痴漢逮捕の追っ手から逃げようとする動画。
「あはは〜あの動画ですね」と蛍はニヤニヤしながら言った。
「いや〜警察さんが探しているから良いんだけどさ、君たちの制服見たらつい声かけちゃって」と駅員さんは言った。
駅員さんの左の薬指には結婚指輪がはめられていた。子供いるのかな。さっきからどこか子供慣れした感じがするし。それなら僕たちに気軽に話しかけにいった理由に納得がいく。
「君たち、この動画の人さ同じ高校の人だと思うけど知ってる?」と駅員さんは、より僕と蛍の顔にスマホを近づけて聞いてきた。
うん。僕だ。その画面の人、紛れもない僕だ。サラダッシュしてるの僕だ。てか顔もしっかり写っちゃっているじゃん。
僕は額から変な汗が流れてきた。
咀嚼したはずのポンデが丸のまま食道に挟まってしまったかのように呼吸が苦しい。
駅員さん、この動画の男が僕だって気づかないのか?(厳密には違うけど)
変な間ができてから蛍が「いや〜うちの学校1000人は学生いますからねー」とのほほんと答えた。
クソ…当事者じゃないならって、のほほん回答しやがって。
「そっかー。お兄さんはどう?この顔見覚えある?」
駅員さんの声が変わった。
あ、やばい。
スマホの奥から駅員さんと僕は目が合った。
駅員さんの瞳孔は完全に開いている。その真っ黒に開いた瞳孔には僕が映し出されていた。
僕は焦って駅員さんから目を逸らした。しかし逸らしたことで、次に僕が視界に入ったものはより最悪なものだった。
「蛍…走るぞ」と僕は小声で言った。
「へ?」と空気の読めない蛍がそう呟いた瞬間、僕は蛍の手を引っ張り走り出した。
僕たちが走り出した瞬間に「逃げたぞ!」と柱に隠れていた男が叫んだ。さっき僕と目が合った男だ。体格がいい。男の言葉を合図に、柱やベンチで座っていた男女4人が一斉に追いかけてきた。
警察…だ。おそらく。
バレてる。
バレてる。
バレてた。
そりゃそうだ。あの動画ガッツリ僕の顔が写っている。
事件現場で犯人と同じ顔をして同じ服を着ていて何十分もそこにいたら通報が入るのは当たり前だ。クソ…あれは確かに僕の顔だけど僕じゃないのに。
僕は蛍の手を引っ張り、地下のコンコースを一直線に走った。後ろを振り返ると屈強な男女が追いかけてきている。
「蛍…ごめん…なんか…お前身体…」と僕が言いかけた言葉を蛍は遮った。
「ミスドのドーナツを持って走る….こっちの長谷川はミスドッシュだね!」と蛍はウケをあからさまに狙った表情で言った。
「うるせーよ!!馬鹿!!」