好きな女の子の彼氏と話すのは気まずい
「君は感謝の言葉も言えないのか」と夕根仁は言った。
夕根仁は僕より10センチも身長が高いから見下しているように聞こえる。いやこれシンプルに見下しているのか。
「…何に対する感謝の言葉だよ」と僕は自分の足元を見ながら言った。
僕は夕根仁が嫌いだ。勉強も運動もできて、金持ちで、背も高い。そして僕の好きな人と付き合っている。僕が欲しいものを全部持っている。
「なんだよ助けてやったのに」と仁は先頭を歩く先輩の後頭部をぼんやり見ながら言った。
「助けるっていうのは先輩のカツアゲに同行することじゃなくて、カツアゲさせないようにしてくれることだと思うけどね」と僕は柄にもなく足元の小石を蹴飛ばした。
そんな僕の様子を見て仁はフッと笑った。なんだお前。
「もーう!2人とも喧嘩しないの!!せっかく先輩が御前集会に案内してくれるのに!」と蛍は先輩の機嫌をとるように大きな声で言った。
しかし、目の前の先輩の歩みはブレることがなかった。蛍の現状解説と先輩ヨイショは無意味に終わった。
僕はポケットからスマホを取り出し時間を確認した。16時2分。今度こそもう日が落ちる。地平線の向こうで太陽が今日最後のオレンジを空に溶かして消えていく。溶けたオレンジは滲むように紺色の空に混ざり合ってなんとも言えない色になる。
僕たちは遊具のない広い公園を抜けた。ここから先は僕の見慣れない街に入る。
隣にいた夕根仁が少し早足になって先輩の方へ近づいた。
「ちなみに先輩…御前集会って何するんですか?」と真面目な様子で聞いた。
先輩は仁の顔を横目で見てすぐ視線を戻した。
「んー……理を知るという感じだな」と予想外にも先輩は考えて自分の言葉で答えてくれた。意味は全くわからないけど。
「ふーん自己啓発セミナーですかね。新興宗教特有の」と仁は容赦なくツッこんだ。
「まぁいずれ国教になるさ」と先輩はニヤリと答えた。
宗教に疎い日本人からしたら、何かを信仰している人とはどこか一線を引いてしまう。特に新興宗教なら尚更だ。
まぁでも…昨日僕の身に起きた出来事の真実を教えてくれるなら僕はその人物を神と崇めても良いかもしれない。それくらい今の僕のモヤモヤや漠然とした恐怖はでかい。
僕の目の前に現れたもう1人の僕は何者で、どうして僕を殺そうとして、僕に殺されたんだ。何一つ分からない。分からないのに日常が始まる。身体と心はついていけない。それなら、今この状況はモヤモヤを解消できる良い機会になるかもしれないのか。
「先輩はドッペルゲンガーのことどれくらい知っているんですか?」と僕は前を歩く先輩に向かって声を張って聞いた。
先輩は後ろを振り向いて僕の顔をじっくり見た。僕はやっぱり先輩が怖くて、目を逸らすことができなかった。その瞬間、また先輩の首元から木のツルのタトゥーが見えた…と同時に先輩の体は黄色の光に包まれたかのような幻覚が見えた。
今度は今までより幻覚の時間が長く眩暈がした。足元がぐらつき平衡感覚を失った。そんなもたつく僕の体を夕根仁が支えてくれた。
「ごめん」と僕は言ったが仁は僕に目を合わせず聞こえないフリをした。
「この世界に慣れるまで時間がかかるよな」と先輩は同情するような目線でそう言った。隣にいた蛍はあの時のように涼しい顔をしていた。
いや…もうなんとなくだけど、この先輩のお陰で僕の身に起きた出来事が何か分かりそうな気がしてきた。
でもそれは決して僕の状況を良くするものではいと分かる。非日常をこれからは日常として受け入れることになる。自分の運命が決まりそうなこの瞬間、僕は自分自身で選択肢すらも持てないことにただ苛立ちを隠せなかった。