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☆霞side☆
輝星の肩に手を回し、大好きな人と二人きりになれる軒下に輝星を連れてきた俺。
ベンチに座らせたまではいいが、輝星は隅っこで震えている。 大やけどを負わせてしまった俺のことを、今でも許せないんだろう。
泣きそうな顔でうつむく輝星は、俺を一切見ようとはしない。 じっと足元を見つめ、とにかく苦しそうで。
なんて声を掛ければ輝星の笑顔が引き出せるのか。 考えてはみるものの、6年間も無視し続けてきただけに正解が全くわからないんだ。
輝星と流瑠さんは付き合っていない。 それがわかった瞬間、心の底から嬉しかった。
キスも俺の勘違いだった。 安どのため息が止まらなかった。 大好きすぎるからこそ悪い方への想像が膨らんでしまったんだと思うと、恋心というのは感情を脅かす悪魔なのかと恐ろしくなる。
そして言われた。 俺のことが今でも大好き。 一緒にテニスができるなんて嬉しすぎだと。
舞い上がる恋心。 暴走気味にエンジンをふかす独占欲。
告白されたと勘違いした俺は、輝星を後ろから抱きしめて、俺だけのものにしようと強引に人気のない部室棟に連れてはきたものの、輝星の横に座っている今、とてつもない後悔に襲われている。
冷静になって勘違いに気がつくなんて、どれだけ舞い上がっていたんだろう。
さっきのは輝星からの告白なわけがない。 輝星が俺を拒絶しているのは一目瞭然だ。 クラスメイトに振りまくような無邪気な笑みなんて、俺には見せてはくれない。 今も俺の隣に座り、ただただ気まずそうに、ただただうつむき続けるだけ。
そういえば輝星は小さいころから、俺を喜ばせるためにオーバーな言葉を使う男子だったな。 『僕は今でも霞くんのことが大好き』という言葉も同様だろう。
流瑠さんのヤケドしそうなくらいの情熱に戸惑う俺を気遣って、誇張表現をこぼしただけに決まっている。 輝星に好かれるはずがないんだから、この俺が。
小6で俺は輝星を拒絶した。 そして拒絶の前には、一生消えることのない酷いヤケド痕を輝星の腕に刻みつけてしまった。
「なんで霞くんは僕を避けるようになったの?」
震える声が耳に届き、目を見開く。 弱りきった大きな瞳が、じっと俺を見上げていた。
輝星は今にも泣きそうで、俺が何を言っても輝星の涙腺に刃物を突き刺してしまいそうな恐怖に襲われる。 俺の声帯は震えることをためらってしまって、声が出なくて。
輝星を悲しませたいわけじゃない。 俺が輝星を笑顔にしたい。 俺だけが、輝星を笑顔にできる唯一の存在になりたい。 輝星を自分だけのものにしたいという欲張りすぎる感情を、俺は幼稚園の頃から変わらず持ち続けている。
でも小6の時に気がついた。 これは病的な執着だ。
一途すぎる俺の恋心が輝星を不幸にしてしまう。 手に負えないほど燃え上がる熱い愛情が、輝星を地獄に突き落としてしまう。
いやいや、想像のように語るのは間違いか。 だって俺は、実際に地獄に突き落としてしまった。 輝星を死の淵に立たせてしまった。
一歩間違えば輝星は死んでいたんだ。 小6のあの日。 燃え上がる炎の中で。
中学に上がる前、輝星を避けるようになった理由か……
ベンチに座ったまま俺は瞳を閉じた。 言葉にするのが怖い。 本心を話して輝星にどう思われるのか。 悪い方に想像してしまい、胃がギューッと縮こまる。
でもわかって欲しい自分もいるんだ。 俺は輝星を嫌ってなんかい。 輝星に幸せになって欲しくて距離をとった。 今でも大好きなんだよって。
体操服の袖が引っ張られたと気づき、まぶたを開ける。 俺を見あげた輝星。
「僕は霞くんに嫌われるようなことしをちゃったの?」
泣きそうな瞳を弱々しく揺らしている。
違う。 輝星は悪くない。 全部俺のせいなんだ。
切なる想いを吐き出せない俺に愛想を尽かせたのか、輝星は俺から視線をそらした。 泣き出しそうな顔でうつむいていて、膝に乗せた拳をガタガタと震わせている。
「嫌われてるってわかってたのに……霞くんは僕の顔なんてもう見たくないってわかってたのに……同じ高校を受験してごめんね……」
雨音にかき消されそうな弱り声を、一音も聞き漏らしたくない俺の耳が一生懸命拾う。
まさか輝星は、俺と同じ高校に通いたくてここを受験したの?と聞き返したくてたまらない。
「一緒の高校に入ったら……また親友に戻れるかもって……霞くんが僕に笑ってくれるかもって……期待しちゃって……」
確かに輝星がこの高校を選んだのは意外だった。 俺はスポーツ推薦。 テニスを極める環境が整っていることに魅力を感じ、迷いもなくこの高校を選んだ。
だが俺たちの地元から、この高校を受ける人はほぼいない。 私立高校のうえ、偏差値が高すぎる。 テストで学年5位以内に入らないと合格は厳しいとさえ言われていて、制服のオシャレさゆえこの高校に憧れを持つ同級生はたくさんいたが、中学の先生に「オマエはもう少し偏差値が低い高校にした方がいい」と指導され泣く泣く諦めた生徒を俺はたくさん見てきた。
そしてなにより通学が大変だ。 バスで往復1時間半もかかってしまう。
輝星は誰にでも笑顔を振りまくコミュ力モンスターだが、勉強がそこまで秀でてはいない。 中学の定期テストでも真ん中あたり。 だから多くの人が行く、地元の公立高校に通うものだと俺は思い込んでいたんだ。
この高校に受かったということは、輝星は受験のためにガムシャラに勉強に励んだということになる。 必死に勉強をしてまでこの高校に入った理由が、俺だったなんて。
信じられない。 中学3年間、俺に拒絶されて続けていたじゃないか。 それなのに……
「でも霞くんは……」と空気が小さく震え、輝星に焦点を合わせる。
「高校に入って奏多くんと仲良くなって……奏多くんとたくさん笑い合ってて……僕とは目も合わせてくれなくて……」
顔を見られたくないのか、輝星はベンチに腰かけたまま俺に背を向けた。
「小学校までは言ってくれてたのに……輝星以外の友達なんていらないって……だから輝星も、俺以外と仲良くしないでって……」
肩が小刻みに震えている。 声も辛そうに震えている。
輝星を守りたい。 その一心で輝星から離れたけれど、大好きな人をこれほどまでに傷つけていたんだな。
死ぬまで心の中に閉じ込めておくつもりだった想い。 他人に打ち明けるのを拒んできた本心。 意を決して、俺は雨音に溶かした。
「……怖かったんだ」
はぁぁぁと深いため息を吐いたのち、輝星が俺を注視している気配を肩越しで感じとった。 視線を合わる勇気が出ないまま、俺は穏やかに言葉を続ける。
「輝星は俺を守るためなら、簡単に命を投げ出そうとするでしょ?」
予想外だったのか、輝星の瞳孔が開く。
「このまま一緒にいたら、いつか輝星は俺のために死んじゃうんじゃないかと思った。そう思ったら怖くて怖くてたまらなくなった。だから中学に入る前に決めたんだ。輝星とは距離をとろうって」
幼稚園で出会って輝星は俺に懐いてくれた。 誰よりも俺を優先してくれるようになった。
友達よりも俺。 家族よりも俺。
そうなるように輝星を調教したのは俺自身で、他の友達と輝星が話しているだけで嫉妬して、俺以外と遊ばないでとくぎを刺し、輝星が俺と一緒にいるときには、王子様笑顔を振りまきながら輝星をたくさんほめて、頭を撫でて、抱きしめて。 アメと鞭を使い分けながら、俺にしか懐かないように輝星のマインドを変えていったんだ。
そして…… 俺の愛情沼につき落とされ溺れた輝星が行きついてしまったのは、自分の命を捨ててでも俺を助けたいという自己犠牲の領域。
やりすぎだったと懺悔したのは、輝星の命の炎が燃え尽きそうになったあの時だ。
「僕がいつか死んじゃうかもって……そんなことで僕をさけてたの?」
信じられないと言わんばかりに、輝星の表情が歪んでいる。
そんなこと? 輝星の命より大事なものなんてない。 わかってもらいたい俺は、眉尻を上げ語気を強める。
「実際に輝星は、炎が燃え広がった部屋に飛び込んで行っちゃったでしょ! 輝星が焼け死んだらって怖くなったあの時の俺の気持ち、なんでわらかないの!」
荒らげた声は予想以上の鋭さだった。 怖の色に染まった輝星の瞳が震えている。
俺は「大声を出してごめん」と頭を下げ、輝星から視線をそらす。
小6の時、俺はアパート暮らしだった。 アパートと言っても期間限定で、家を建て替えている間だけの借り住まい。
学校帰りだった。 ランドセルを背負いながら、輝星と俺のアパート近くに来た時だった。 自分が住むアパートの方から黒煙が上がっているのを見つけたのは。
輝星とともに走った。 嫌な予感は的中。 燃えていたのは俺たち家族が住む3階建てのアパートで、家事の様子を眺めている人はいるものの、まだ消防車は到着していない。
顔面蒼白で携帯を耳に押し当てた大家さんが、俺を見つけて駆け寄ってきた。
『良かった、霞くんが無事で』
大家さんは俺の肩を両手でつかむと
『君の家族も仕事に行っていて無事だよ。他の住民の安否確認も取れてる。霞くんだけが、アパートの中に取り残されていないか心配だったんだ。でも良かった、無事で良かった』
心から俺の心配をしている大家さんは
『もうすぐ消防車が来てくれる。危ないから絶対にアパートに近づかないでね』
と残し、また誰かに電話を掛けながら去っていって。
――俺の部屋が燃えてる。
現実が受け入れられずに放心状態だった俺は、つい悲しみをこぼしてしまったんだ。
『輝星が作ってくれた金メダルが燃えちゃう……俺の宝物なのに……』と。
輝星が俺のそばにいないと気づいたのは、視界に黒いランドセルが映りこんだから。
――輝星のランドセルだ。
『危ないからアパートに入るな! 焼け死ぬぞ! オイ、戻ってこい!』と男性の怒鳴り声が鼓膜に突き刺さって。 顔を上げたら、遠くに見えるアパートの階段を輝星が駆けあがっていて。
――俺が金メダルが燃えちゃうなんてつぶやいたからだ。
――輝星が炎に焼かれ、苦しみながらあの世に行ってしまったらどうしよう……
恐怖でいてもたってもいられなくなった俺は
「火の中に飛び込んだらダメだ!」
止める大人たちの声を振り切り、燃えるアパートの中に駆けこんだ。
6年まえに体験した恐怖がよみがえり、二度とあんな地獄は味わいたくないと目をつぶった現在の俺は、部室棟前に置かれたベンチに浅く座りなおす。 唇を噛みしめ声を鋭く尖らせた。
「いつだって輝星は俺を優先した! 自分の命より俺の笑顔を大事にした! あの時だって、まさか火の中に飛び込んでいくなんて!」
輝星はベンチに座りうつむいたままだ。
地面に転がった石を足の裏で転がしながら 「だって僕が作ってプレゼントした金メダルが燃えちゃうって……絶望した顔で霞くんが立ち尽くしていたから……喜んでほしくて……」 ふてくされたように唇を尖らせている。
ねぇ、なんでわかってくれないの?
「輝星がくれた金メダルは、間違いなく俺の宝物だった!」
テニスの試合で結果が残せない俺のために、粘土と金色の折り紙で一生懸命作ってくれたもの。 死ぬまで大事にする自信すらあった。
「でも、輝星の命の方が俺にとって大事だったんだよ!」
また俺のわめき声で輝星を責めてしまった。 輝星は納得できないらしい。 勢いで腰を上げた俺の前に、物申したい顔の輝星が立ったかと思うと、ほっぺに空気を詰め込み
「僕だってあの時、信じられなかったよ。なんで僕を追いかけて火の中に飛び込んできたの? アパートの外の安全な場所で待ってて欲しかったんだよ!」
と、責めるように人差し指を俺に突き刺してきて。
もちろん俺も黙っていない。 さらに声を荒らげる。
「輝星が煙を吸い込んで倒れたらどうしようとか、炎に包まれて焼かれたらどうしようとか、最悪なことを考えるに決まってるでしょ! 俺に安全な場所で待っててほしかった? 無理だよ! いてもたってもいられなかったんだよ! でも……」
高ぶる感情を輝星にぶつけた俺は、あの時の後悔にさいなまれ肩を落とした。 こわばっていた上半身の力が抜け、脱力しながら溜息を吐く。
確かに俺の行動は軽率だった。 輝星を助けなきゃと、必死に輝星を追いかけて火の中に飛び込んだのに……
「俺のせいで、輝星の腕に二度と消えないヤケドの跡を刻みつけてしまった……」
どれだけ懺悔してもしきれない。 火事の前にタイムスリップできたらと、何度願ったことだろう。
俺は輝星を強く責めたてていい人間じゃなかった。 反省の念にかられ、背を丸めベンチに座りこむ。
苦しそうに瞳を陰らす俺を、見ていられないのだろう。 輝星は小さいころから俺の負の感情に敏感で、俺を笑顔にしようと必死になるタイプだから。
輝星は申し訳なさそうに眉を下げると 「僕の方こそムキになってごめんね。霞くんは何も悪くないよ。燃えた家具が倒れてきたせいだから」と、隣に座り俺の顔を心配そうにのぞき込んできた。
「火事の時、輝星は俺をかばってくれた。倒れてきた家具を腕で受け止め、俺に覆いかぶさってくれた。おかげで俺は無傷だった。でも輝星は腕に酷いやけどを負って……」
俺が悔し目を突き刺したのは輝星の右腕。 ジャージの長い袖でやけど跡は見えないが、右腕の広範囲がただれているに違いない。
俺が輝星を傷つけてしまった。 やけどの激痛で悶えさせてしまった。 炎が燃え盛る部屋の中で、俺が転んでしまったから。 だから輝星が身をていして、俺を守らなければいけなくなったんだ。
小6の時の自分が許せない。 いや、そもそもの発端は幼稚園の時からだろう。
俺が輝星を好きにならなければ、独り占めしたいくらい大好きにならなければ……
過去も今も、悪いのは全て俺なんだ。 こんな俺が輝星のそばにいたらダメなんだ。 俺が隣にいたら、また輝星に不幸地獄に突き落とされてしまう。
笑顔が作れずため息が止まらない。 そんな俺のもとに降ってきたのは、穏やかな癒し声だった。
「霞くんは勘違いをしてる。僕はこのやけどの跡が大好きなんだよ」
そんなはずは……
「ただれた肌を見ていると、こんな僕でも霞くんを助けられたんだって嬉しくなる。僕にとっては勲章なの」
たぶん輝星は今、俺を笑顔にするために太陽みたいなキラキラスマイルを輝かせているんだろう。
でもごめん、俺は笑えない。 顔すら上げられない。 太ももにひじを押し込み、合わせた手の平に額をあて、ただただ地面を見つめてしまう。
「そういうところだよ、俺が輝星から離れようと思ったのは」
「そういうところ?」
飛んできたハテナに、俺は頷いた。 俺の罪をなにもわかっていない輝星に、自分の醜さを暴露しなければ。
永遠に縁を切られるくらい嫌われることを覚悟のうえで、俺は言葉を紡ぐ。
「俺が悪いんだ。輝星と幼稚園で出会ってから俺は輝星を洗脳した」
「僕、洗脳なんてされてないよ」
「輝星を独り占めしたくて、俺以外と遊んでほしくなくて、輝星に甘い言葉をたくさん吹きかけて、俺だけを選んでくれたら頭を撫でて、大好きってたくさん伝えて。俺の執着のせいで、輝星の感覚がマヒしてしまったんだ」
「僕の感覚が……まひって……」
「輝星は自分よりも、俺を大事にするようになった」
「当たり前だよ、だって自分の命より霞くんの方が大事だもん」
「そういうところが怖いんだ」
「何がいけないの? 自分より大事なものがあることは幸せなことでしょ」
「輝星は火の中に飛び込んで……倒れてきた家具から俺を守ってくてれ……」
「さっきも言ったけど僕は誇らしかった。霞くんのことも霞くんの宝物も守れたこと。あっでも、メダルは焼け焦げて形と色が変わちゃってて、本当は原型そのままで霞くんに渡してあげたかったのに」
「二人で火事のアパートから脱出したあと、輝星は倒れたでしょ?」
ふらついたと思ったら急に倒れて。 コンクリートに体を打ちつける前に俺が抱きとめたけれど、意識がなくて。 名前を叫んでも体を揺すっても、輝星は目を開けてくれなくて。
「ものすごく怖かった。生きた心地がしなかった。もう二度と輝星は目を覚まさないんじゃないか。輝星が死んじゃったらどうしようって」
「……霞くん」
「倒れている輝星が天国に行ってしまう気がして、最悪な結末ばっかり脳裏によぎって、俺は怖くて怖くて、早く目覚めてよって願っても願っても輝星は目を閉じたままで」
「……」
「駆けつけた救急隊員がこの子は大丈夫だよって言ってくれたけど、輝星を乗せた救急車がそのまま輝星を天国に連れて行っちゃう気がした。もう輝星とは話せなくて、テニスもできなくて、笑顔も見れないんじゃないかって、俺は涙を流すことしかできなくて……自分が無力で悔しくて……輝星を助けたいのにって……」
「でも僕は大丈夫だったでしょ。病院で処置してもらって、その日中に目覚めた。侮らないで、僕の生命力」
重い空気を一掃しようと輝星は笑い声を弾ませてくれたけれど、俺の気分は沈んだままだ。 表情筋までダダ下がりのまま。
「俺と一緒にいたら、輝星がまた命を投げ出すかもしれない。俺を守ろうととっさに動いて、その一瞬で命の火が消えるかもしれない。それが怖かった。だから中学に上がる前、俺は輝星から離れることにした。輝星の人生を断ち切るのが俺自身なんて、絶対に嫌だったから」
本心を伝え終えた俺なのに、まだ心のモヤモヤがはれてはくれない。 沈黙を選んだのは俺だけじゃない。 輝星も苦しそうな顔でうつむいている。
「小学校までの俺は、輝星のことが大好きすぎたんだ。俺の執着のせいで死の淵に追い詰めて、本当にごめん」
「大好きだったって……やっぱり過去形なんだね……」
「え?」
眉を下げた輝星の声が聞き取れなくてハテナを飛ばすも、何を言ったかは教えてはくれない。
「なんでもない」と首を振る輝星の笑顔が、引きつっているように感じてしまうが。 自分の表情をくるりと回転させるための気合い入れなのか、輝星がパンと両手を叩いた。
「霞くんは奏多くんとお似合いだしね」と微笑んで
「あっ、変な意味じゃなくて。霞くんの恋の邪魔をしようとも思ってなくて」
今度は焦ったように両手を小刻みに振って
「だって僕……一応……カスミソウが推しカプだし……」
恥ずかしそうに人差し指同士を、ツンツンとつついている。
表情が変わりすぎていろいろ突っ込みたいところだけど、一番引っかかったのは……
「ん? カスミソウ?」
「霞くんと奏多くんのことだよ。知らない? 高校の女子たちからそう呼ばれてるの」
知ってはいたよ。 俺と奏多がテニスでペアを組んでるから、二人の名前をくっつけているんだよね。 プロスポーツ界でもあるし。 輝星からその言葉を聞くなんて思ってもいなかったから、びっくりしただけで。
「俺たちが推しカプってどういう意味?」と、輝星を見る。
「霞くんと奏多くんは本当にお似合いで、尊いカプだなって、僕が勝手に崇めているんだ」
やけに輝星の笑顔が濃くて、楽しそうで、俺の胸がギスギスと痛みだした。
なんだそれは。 輝星は俺と奏多がくっついて欲しいと思っているんだろうか。 それが本心なら、今俺はふいうちで振られたことになるのだが。
「だって二人ともカッコ良すぎなんだもん。去年の文化祭のミスターコンテストだって、3連覇がかかったイケメンの先輩を優に超える得票数で霞くんが1位、奏多くんが2位だったでしょ。二人がテニスの練習をしてる時の見学女子の数すごいしね」
瞳が見えなくなるくらい輝星が微笑んでいるが、俺のハートは凍りつくばかり。
「もしかして輝星は、俺たちが付き合ってるって思ってる?」
「くっつくのは秒読み段階かなって……奏多くんが今度霞くんの家に行きたいって言ったら、いいよって答えてたし。それっておうちデートみたいなものでしょ。二人きりになれる場所でどっちかが告白するのかなって」
やめて、変な勘違いしないで。
「俺たちはそういう関係じゃない。ただのテニスのペアで……」
「小5の時、霞くんがテニスのコーチに言ったことを覚えてない? 俺は輝星以外とペアを組む気はないって。ものすごい剣幕で」
急に責められるような言い方をされ「確かに言ったけど」と、俺の眉が不愛想に吊り上がる。
「霞くんの頑とした考えを変えてくれたのは、奏多くんなんでしょ?」
いや、まったく違うけど。
「中学の時の霞くんは、シングルの試合にしか出てなかった。でも高校になってダブルスを組むようになった。それって、独り占めしたい相手が僕から奏多くんに変わった証拠だよ」
どうやったらそんな勘違いができるの?と聞けば、言い合いになってしまうだろう。 冷静さをキープしたまま事実を伝えたくて、俺は声を落ち着かせる。
「この高校に入った後、監督に言われたんだ。テニス部に入るからにはダブルスの試合にも出てもらうって。スポーツ推薦で入学したし、NOと言える立場じゃなかったんだ」
これでわかってくれると思いきや、輝星は納得がいっていない様子。
「放課後に調理室からテニスコートを眺めながら、ずっと思ってた。霞くんは奏多くんとペアを組んで本当に良かったって。だって僕とペアを組んでた時よりも、霞くんが攻撃して点をとれているんだもん。霞くんはヘタな僕に合わせて、後衛で動いてくれていたんだよね」
「違う!」
「違わない! テニスも友情も何もかも、僕は奏多くんには勝てないし、霞くんも僕より奏多くんを大事にしてる」
何その決めつけは。
「僕はカスミソウカプを応援してるんだ。僕の推しカプなんだ。だから僕のことは気にせず、霞くんは奏多くんとの仲を深めてください!」
俺を拒絶するかのように敬語で締めくくられた叫びが、雨つぶに吸い込まれ消えた。
彼はもう、俺と対話をする気がないらしい。 壁を作るように俺に背を向け、うつむいている。
輝星の勘違いを正したい。 奏多のことなんてなんとも思っていないとわかって欲しい。
それは奏多だって同じだ。 今日の昼休みのテニス練習で、俺を教室に帰らせて輝星と二人きりになろうとした奏多のことだ。
彼が気になっているのは俺じゃない。 輝星を気に入ったことは間違いない。
それが友情なのか愛情なのかまでは判断できなかったが、俺を敵視する姿は恋愛で生まれる嫉妬感情だと推測する。 俺も同じような態度を、小学校の時に取っていたから。
これ以上輝星と話しても、ハートを傷つけあってしまうだけかもしれないな。 時間を置くことで、うまくいくこともあると聞く。
「もう教室に戻ろう」
俺はベンチから立ち上がった。
「まだ雨が強いから、輝星は流瑠さんの傘を使って」
立てかけてあった真っ赤な折り畳み傘を、うつむく輝星に差し出す。
輝星は受け取る気配がない。 手は太ももの上に置かれたままで、動く気配がない。
しょうがない。 傘は輝星が座るベンチの隣に置いて、俺は先に教室に戻ろう。
校舎まで走ったらずぶ濡れだろうな。 でも今は体操服に着替えてある。 午後の授業の前に制服に着替えればいいだけの話。
傘をベンチに置こうとした時だった。 伸びてきた輝星の手が、傘ではなく俺の手首をつかんだのは。
ベンチに座ったままの輝星に手首を掴まれ、足が固まる。 どういうことだと輝星を見れば、泣きそうな顔の輝星と視線が絡んだ。
「……輝星」
「嫌いだ! 大っ嫌いだ!」
俺を嫌いなことはわかっているから、離してくれ。 手を振り払おうとしても、輝星は絶対に離さないと言わんばかりの力で握りしめてくる。
「もうほんとヤダ……こんな自分大嫌い……消えていなくなっちゃえばいいのに……」
うつむいた輝星は急に声を震わせ、泣いているのか鼻をすすりだした。
「自分のことを大嫌いだなんて思わないで欲しい」
今のは俺の心からの願いだ。 輝星は俺が心底愛した、たった一人の人間なんだから。
諭すようになだめてはみたが、俺の言葉に説得力はない。 俺だって自分のことが嫌いだ。 拒絶して傷つけることでしか輝星を守れない無力な自分なんて。
キミが大好きだよという感情を手の平に込め、優しく輝星の頭を撫でる。 懐かしいぬくもりに、涙腺が緩みそうになってしまった。
このぬくもりは俺にとって癒しで、輝星の存在は俺にとってかけがえのない宝物だった。 小学生までの俺は、自分の欲望のままこの宝物を独占していた。
ほんと贅沢な時間を過ごしていたんだなと過去の自分がうらやましくなり、切なさに負け輝星の後頭部から手を放す。
「雨に濡れたし、風邪ひかないようにね」
精一杯の愛情を声に溶かし、輝星に背を向けた時だった。 さみしさで凍える俺の背中が、大好きなぬくもりで包まれたのは。
俺のお腹にはジャージの袖で隠れた腕が絡みついている。 肩甲骨が浮かれはじめたのは、柔らかい頬が押し当てられているから。
輝星が後ろから抱き着いてくれている。 信じられない現実に体中が硬直するも心臓はうるさいくらいに飛び跳ねていて、何がおきた?と考えれば考えるほど、パニックに陥った脳が余計に俺の心臓に負荷をかけてくるんだ。
「……てらせ?」
俺の声に体をびくつかせた輝星は、さらに強く頬を俺の背中に押し当てた。
「自分のこと……大嫌いなんだ……でもね……」
「……」
「霞くんを大好きな自分だけは……大好きでいたい……」
「え?」
「やっぱり自分の気持ちに嘘はつけない。つきたくない。だってほんとはイヤだったんだもん。霞くんと奏多くんが笑い合ってるのを見てるのは」
「……」
「小6までの霞くんは僕にしか心を開いてくれてなかったのにって、学校に来るたびに嫉妬みたいな敗北感で苦しくなっちゃって……それがしんどくてたまらなくて……この醜い感情を流瑠ちゃんにも話せなくて……」
「……」
「霞くんに避けられているのがつらすぎて、霞くんと奏多くんは僕にとっての推しカプだって思い込んでみたけど、そんなんじゃ嫉妬心が消えてくれなかったんだ。ほんと嫌になる。こんな醜い感情捨てたいよ。霞くんのこと嫌いになりたいよ。二度と会いたくないって思うくらい大嫌いになりたい。でも大好きでたまらない。幼稚園で出会ったころよりも、小学校で一緒にテニスをやってた頃よりも、今が一番霞くんのことが大好きなんだ……毎日毎日、好きっていう感情が募っていっちゃうんだ……」
「助けてよ……霞くん……」と、涙声を震わせた輝星が、俺に絡めていた腕をほどいた。
「ごめん……今の忘れて……」
うなだれながら、ベンチに腰を下ろしてうつむいている。
「霞くんに風邪をひかせたのが自分だと思うと、余計に自分のことを嫌いになっちゃうから……使って、流瑠ちゃんの傘。僕のことは気にしないでいいから……」
今度はベンチに座る輝星が俺に傘を手渡してきた。 輝星が視線を絡めようとしてくれない。
そのことが無性に悲しくて「傘はいらない。輝星に使って欲しい」と静かに断りをこぼす。
嬉しかったんだ。 輝星が俺を好きだと言葉にしてくれたこと。
俺の一方的な片思いだと思っていた。 輝星と結ばれなくても、死ぬまで輝星を想い続けていればいい。 意地を張りながらも、なんとか初恋を諦め生きてきた。
でも両思いだとわかったとたん、再びあの悪夢がよみがえってしまったんだ。 地獄のような時間が脳内で再生されて、恐怖で足が震えてしまうんだ。
俺と輝星が付き合ったら、また輝星は自分を犠牲にしようとするだろう。 自分の命なんてどうでもよくなって、俺を助けるために身を投げ出してしまうだろう。
輝星が燃えるアパートに飛び込んでいったあの日。 焼ける家具から俺を助けてくれたあの時。 火事現場から脱出した直後に、輝星が意識を失ったあの瞬間。 本当に怖かった。
二度と輝星に会えなくなったらどうしよう。 輝星の輝かしい人生を、俺が終わりにしてしまったのかもしれない……と。
泣きそうな顔でベンチに座る輝星を、もう一度瞳に映す。 うつむいてはいるものの、頬に涙の痕がはっきりと残っているのがわかる。
輝星にこんな顔をさせたいんじゃない。 本当はずっとずっと笑っていて欲しい。 輝星は人を幸せにするエンジェルスマイルの持ち主だから。
キラキラな笑顔を引き出せるのが、唯一、俺だけだったらいいのに……
輝星の隣で、輝星の笑顔を独り占めできたらいいのに……
輝星のことが自分よりも大事だからこそ、輝星を自分のものにしてはダメだと思えてくる。
輝星が使ってと伝えたくて、真っ赤な折り畳み傘を輝星の隣に置いた時だった。 ふいに流瑠さんの笑顔が浮かんだのは。
『私、カステラが最推しなの!』
『その時思ったんだ。お互いがお互いのことを大事に思っている、素敵なカプだなって』
『てらっちを守ってあげてね、カスミ王子!』
ポニーテールを揺らす流瑠さんが再び脳内に浮かびハッとする。
無性におびえて委縮している自分のメンタルを殴りたくなった。 しっかりしろと怒気を飛ばし、拳を食い込ませたくなった。
何を俺は恐れていたんだろう。 流瑠さんの言う通りだ。
これから先、俺が全力で輝星を守ればいい。 輝星が俺のために自己犠牲を払わないよう俺自身が気をつけ、輝星をとことん愛すればいいだけのことだったんだ。 まさか恋敵と思っていた相手の言葉で、目が覚めるとは。
思ってもみなかった出来事に、額に手を当て溜息をもらす。 俺は再び表情を引き締めると、ベンチに置かれた折り畳み傘を手にした。
愛情色に染まった目が覚めるような真っ赤な傘。 勢いよく開き、勢いよく軒下から飛び出し、雨粒が跳ねる場所まで駆けていく。
なんで俺がわざわざ雨の中、傘を開いて立っているんだと不思議に思っているんだろうな、輝星は。
自分の想いを伝えたい。 怖いとか輝星の幸せとかそんなのなしで、俺の心に綴じ目込め続けた愛情だけを言葉にしたい。
湧き上がる欲が俺の表情筋を押し上げていく。
輝星に好かれたい。 大好きという感情に囚われ弱気になっていた俺自身もひっくるめて、大好きになって欲しい。
最上級の笑顔をうかべ、俺は輝星をまっすぐに見つめた。
「大好きだよ、輝星」
笑顔にさらに甘さを追加してみる。 はちみつトロトロのハニーボイスでささやいても、輝星は困惑を隠せない様子。
「そんなはずないでしょ。だって霞くんは僕のことなんて……」と、目を見開いて。
「大好きすぎて怖かった。自分のせいで輝星を失いたくなかった」
「本当に僕のことが好きなの?」
「そうだよ。出会ったころから、1秒も途絶えることなくね」
涙がにじみ出した輝星の瞳。
「僕だって霞くんのこと……出会ったころからずっと大好きだもん……」
両想いだとわかった嬉しさがこみあげてきて、俺は傘を持たない方の手を広げる。
「知っていると思おうけど、俺は嫉妬深いんだ。独占欲が強いし、輝星への執着はえげつないと自分でも思う。そんな俺で良かったら、輝星、俺を選んでよ。一生俺の隣にいて。輝星を溺愛する権限を俺だけに与えて」
手を広げたまま微笑めば、輝星の頬にとめどなく涙があふれだし
「僕の方が霞くんへの愛が大きいからね。出会ったころから僕が勝ちつづけているんだからね」
子供のように泣きじゃくり、俺の胸に飛び込んできて。 本当に可愛いな輝星はと、傘を見っていない方の腕で抱きしめる。
一つだけ言いたいことがある。 輝星ごめん、君は間違っているよ。 俺の愛情の方が大きいに決まっているんだ。 でも今は幸せな空気を壊したくないから、反論しないであげるけど。
「雨の中、一本の傘の下でぬくもりを確かめ合いたいのは、輝星だけだよ」
俺が耳元で囁けば、輝星は顔を俺の胸に押し当てたままうんうん頷いて。 弱っているけれどちゃんと意志を示してくれるその姿が可愛くてたまらなくて、俺は抱きしめる腕に力を込めた。
本当はずっとこのままでいたいけれど……でも……
あることを思いつき、「ねぇねぇ」輝星の腕を軽く叩く。 潤んだ大粒の瞳が俺を見上げた。
――ほんと可愛い。
――キュンとしすぎて死神に魂を持って行かれそうになったよ。
心停止を免れた俺は、王子様風の笑顔を輝星だけに咲かせる。
「このまま校庭を通って、校舎に入ろうか」
「相合傘で? 傘、こんな真っ赤なだよ 霞くんは女子たちに王子様認定をさているんだから、絶対に目立っちゃうよ」
「俺は目立ちたい」
「え?」
「輝星と推しカプ認定をされたいんだ」
「推しカプ認定って……流瑠ちゃんから?」
「高校のみんなから」
「僕たちが付き合っているって、みんなに伝えるってこと?」
「そうすれば誰も、輝星を俺から奪おうなんてしないと思う。野生のオス感が強い奏多であっても」
「なんで奏多くんの名前が出てきたの?」
「いいからいいから、ほら校舎に戻ろう」
「待って待って、本当に相合傘のまま行くの? みんなに注目されちゃう。まだ心の準備ができてない!」
一本の真っ赤な傘のした、逃がさないとばかりに俺は輝星の肩を抱く。
「地雷カプじゃ絶対にダーメ」
「霞くん、それなんのこと?」
「フフフ。輝星もちゃんとカステラを押しカプ認定してね」
「……うっ、嬉しいけど……恥ずかしすぎだよ」
はちみつみたいに甘い俺の声。
輝星の顔だけじゃなく、彼の首筋や耳までも赤く染め上げたのでした。