2
☆輝星side☆
闇夜にひっそりとたたずむバス停には、僕以外誰もいない。
そりゃそうかとボヤキ、梅雨時期とは思えない星たちの堂々たる輝きに目を止めた。
電車の駅というすぐれたものが、高校のすぐ近くにある。徒歩や自転車以外は電車通学がほとんどで、バスに乗るのは家の近くに駅がない田舎暮らしの生徒ぐらいだ。つまりは僕。
それでもバスで45分揺られれば、家の近くまで連れて行ってくれる。
ありがたやと、くたびれ感漂うバスに手を合わせての感謝は欠かせない。
だって経営赤字のこのバスがなくなってしまったら大変。山道を自転車コギコギで遠くの駅まで行って、電車に揺られ、帰りも自転車コギコギという通学地獄が待っている。
太陽の照りが強烈な真夏日は特に、高校に行きたくなくなるだろう。体が凍りつくような真冬も同様に。
雨が降ってはいないが、梅雨特有のじめっぽさで空気が重い。じとじとが体感温度を無駄に上げる。
腕にまとわりつく熱を逃がしたくて、僕は制服シャツの長い袖を肘までまくった。
いつも君を隠していてごめんね。
広範囲にわたる腕の傷を、手のひらで慈しむように撫でる。
君のこと、嫌いじゃないよ。むしろ大好き。霞くんとのかけがえのない想い出でできた稲妻に見えるんだ。
でもね、僕はこの赤黒い傷跡を晒せない。霞くんの前では特に。
彼を悲しませたくない。僕のことで悲痛な表情を浮かべないで欲しいと、切に願ってしまう。
人間が持つありとあらゆる感情というものは、絡まりやすくて、ほどくのが難儀で、ほんと扱いづらいよね。
頼りなく揺れる街灯の光が、僕とバス停だけを闇から浮かびあがらせている。折れそうなほど薄い月が行方をくらませた。さっきまで雲一つない夜空だったのに、明日は雨なのかもしれない。
放課後だけは大雨であってくれないかな。そうすれば調理室からテニスコートを見下ろすことも、カスミソウカプを瞳に映して作り笑いを浮かべることもしなくてすむから。
雲間から顔を出した頼りない月に願いを込めてみたものの「天気は操れないから無理」と突き放された気がするのは、また月が雲に隠れてしまったせい。
他力本願はよくないよね。そもそも部活中に窓の外を見なければいい話だし。
体力が吸い取られた時のように背骨がへにゃる体に力が入らない。
バス停に頭を預けたその時だった。聞き覚えのある、僕の耳には入れたくない、鼓膜が拒絶するようなワイルドな笑い声が聞こえてきたのは。
アハハと楽しそうな声に重なるのは、自転車を引く音。地面を擦る足音が二人分。
笑い声で身元がわれた。ゾッとなった僕は、上半身しか隠すことができないバス停に右腕をくっつけ、一体化を図り息をひそめる。
どうしよう、奏多くんと霞くんがこっちに来るよ。暗がりだからまだ二人は僕の存在に気づいていないことだけが救いだけど、時間の問題だよね。
「行ってみたい、カスミん家」とぼやいた奏多君に、「今度ね」と霞くんが了承した。
「カスミが飼ってる犬、ポメラニアンだっけ? 白の」
「茶色だよ。毛がふわふわなの」
「俺のひざを寝床がわりに提供したら、茶ポメ喜ぶか?」
「どうだろう。奏多の太もも、筋肉で固そうだし」
「わしゃわしゃ撫でてやったら、俺に懐かせられる自信しかない」
「フフフ、変な日本語。奏多は握力が半端ないんだから優しくね、怖がらせないでよ」
二人の仲良さげな声を聞かされている僕。
聞かされているという言葉は違うか、隠れている僕の耳が勝手に取得しているだけだし。
冗談を言い合える関係がうらやましいよ。僕も小学校のころまでは、霞くんの発言におどけていたんだ。
僕が冗談を飛ばしながら笑うたび
「輝星かわいい」
「ほんと好き」
「ずっと一緒にいて」
「俺のそばから離れないで」
独占欲丸出しの霞くんが、僕の頭を撫でてくれてばかりだったけれど……
はぁぁぁ、幸せな頃を思い出すのはやめなきゃ。
余計にメンタルが闇に落ちちゃう。
二人の楽しげな声を遮断したくて耳をふさいではみたものの、僕の聴覚は心とは裏腹だ。大好きな人の声を一言ももらさず聞き取ろうと敏感になっているから困りもの。
「カスミはガキの頃から犬好きだったわけ?」
「飼いだしたのは中学に入ってから。ペットショップで一目ぼれをしたんだ」
「親は反対しなかったのか?」
「どうしても飼いたくてね。勉強を頑張るからって言ったらOKが出た」
「だからオマエ、テストで学年1位キープしてんのな。まぁカスミに可愛がられてるなら、その茶ポメはお姫様気分を味わい放題なんだろけど。オマエLOVEの高校の女子たちの耳に入ったら、その茶ポメは嫉妬でいびられるぞ」
「そんな酷いことをする人なんてうちの高校にいないよ。あと名前があるから。かぐや」
「やっぱり姫って」
「別に昔話からとったわけじゃないし」
「光ってた竹を日本刀でスパッと切ったら、赤ちゃんが出てきたてきな?」
「聞いてた? うちのかぐやとはペットショップで出会ったって言ったでしょ」
「月からの使者がカスミの家に来たことないわけ? 今まで姫が世話になった、月に連れ帰る的な」
「かぐやがいない生活なんて考えられないよ。縁起でもないこと言うのやめて」
「お犬様にどんだけ愛情与えてんだよ。それ俺に向けろや、マジで」
豪快な笑い声に、クスクスと上品な笑い声が混ざり合う。なんて耳に贅沢なハーモニーなんだろう雲間から顔を出した月が、高音と低音の美声に酔いしれ聞きほれているよう。
でも僕は違う。はっきり言って不快だ。不協和音を聞かされた直後のような痛苦しさで、心臓が締め付けられてしまうんだ。
嫉妬で苦しい今こそ思い込まなきゃ。僕の中で霞くんと奏多くんが推しカプなんだ。美形で尊くてお似合いなんだって。
僕がバス停の後ろに隠れているってバレたら、二人だけの世界に水を差してしまうのではと焦りにかられる。これ以上霞くんに嫌われたくないから、死活問題。
お月さま、今日だけ僕の願いを叶えて。
バスよ早く来て、僕が見つかる前に。
早く早く、秒で到着して!
「あっ、あいつって」
月への必死な願いは届かなかったと、奏多くんの驚き声で知る。
闇に響いていた二人の足音が消えた。僕は顔を上げられない。右腕の傷跡を霞くんに見られないようにと、まくっていた袖を手の甲まで急いで伸ばす。
バス停になりきりたくて、透明人間になりたくて、さらに時刻表に体をくっつけるも無意味でしかなくて、空しくて。
「バス停の横に立ってるの、カスミと同じクラスの奴だよな? 調理部の。名前は確か……」
「萌黄くんだよ」
もう名前では呼んでくれないのか……
人物の特定までされてしまい、僕はゆっくりとバス停から顔だけを出した。もちろん得意の作り笑顔を顔に張りつけて。
離れたところに立つ二人に向かって、ゆるふわ髪が弾むほどオーバーに頭を下げ、すぐさま顔をバス停で隠す。
心臓がドギマギする。悪いことをして隠れている気分だ。
霞くん、僕が微笑んだことを不快に思ったかな。
教室ではどうしてもってくらい緊急性が高すぎる時しか、彼は話かけてこない。
目が合うと秒でそらされてしまう。俺には関わらないでと態度で示しているみたいに。
今も笑顔の僕とは対照的に、冷ややかな視線を突き刺されてしまった。
悲しい。心臓が痛い。消えたい。
どうやらこの二人は、僕に絡むつもりはないみたい。その点は安心したけれど……
「何オマエ、同じバス乗ってくる奴がいたんだな」
「彼は中学が同じだからね」
霞くんの声色は穏やかだが、拒絶されているのがはっきりとわかってしまう。
小学生までは僕だけに懐いてくれていた記憶が残っているだけに、これは拒絶で間違いない。
「同中って言っても、しゃべっったことないやつなんてザラだよな。俺のいた中学なんて10クラスもあったし、顔見ても誰ってやつ多いわ」
「奏多、今日も送ってくれてありがとう。もう帰ったら? バスもうすぐ来るし」
聞き耳を立てながら、霞くんは奏多くんともっと一緒にいたいんじゃないの?と勘ぐってしまう僕。
「いつも俺にバスが見えなくなるまで見送らせといて、今さらなんだよ」
「見送りなんてお願いしたことはないよ」
「オマエの笑顔が無意識に俺の足を固めてんだよ」
「なにそれ、罪のこすりつけにもほどがあるでしょ」
霞くんの笑い声が響いている。楽しそうで何よりだ。なんて心の中で強がってはみたものの、敗北感がぬぐえない。
僕の感情は、いつ雨が降ってもおかしくないほど荒れている。
涙腺が刺激され、鼻がしらがツンとうずいて、雫が製造されそうで。
バスが来るまでの間、この場から逃がしてくれるヒーローが現れてくれることを、僕は折れそうなくらいひ弱な月に懇願することしかできなかった。
☆霞side☆
タイヤのついた小さな箱に、俺を毛嫌いしている幼なじみと二人きり。 あっ、運転手さんも入れたら三人か。
先にバスに乗り込んだ輝星は、俺から逃げるように前方の一人席に腰を下ろした。
俺が一番後ろの席に座ったのは、バスの重量バランスを考えてというわけではない。 今は特に輝星の顔を見たくない。 きっとニマニマ微笑んでいるに違いないんだ。 調理室で親友の流瑠さんとキスをしてから、そんなに時間がたっていないんだから。
進みだしたバスが、俺の記憶脳を揺らしたせいだろう。 二度と思い返したくないほどの衝撃映像が、脳内で再生されてしまった。
わかっている。 輝星の特別はもう俺じゃない。 同じクラスの鈴木流瑠さん。
中学に上がる前、輝星を拒絶したのはこの俺だ。 今も他人のふりを続け、目を合わせないようにしている。
全部自分の蒔いた種。 自業自得。 輝星は何も悪くない。 出会った時からずっと俺だけが悪い。
そのことはちゃんとわかってはいるはずなのに。、ふつふつと怒りが湧き、血が頭にのぼっていく。 二人のキスシーンを頭から追い出したいと髪をかきむしっても、よけいに色濃く脳に刻まれるだけ。
心を救う方法なんて、一つも見当たらなくて。
俺だけの輝星だったのに……
中学に入る前までは……間違いなく……
荒れる心拍を落ちつけたくて、バスの背もたれに左腕と左頬を押し当てた。 あごの角度を上げ、涙の雫のようにはかなげに浮かぶ細い月をぼんやりと見つめる。
部活中、調理室でアクションを起こしたのは、輝星ではなく流瑠さんの方だった。
ポニーテールを大振りさせながら、流瑠さんは勢いよく上半身を傾け輝星にキス。
遠かったし角度的にも唇同士が触れ合うところまでは見えなかった。 でもキスをしたのは間違いない。 だって二人の体が離れた直後、おでこに手を当てた輝星が嬉しそうに微笑んでいたんだから。
何をするのと流瑠さんをとがめるわけでもなく、他の部員に見られて恥ずかしいと、その場から逃げ去るわけでもなし。
唇を重ね合う行為が二人にとって当たり前であるかのように、微笑みながら愛おしそうに流瑠さんを見つめていて。 二人が付き合っているというウワサは、本当だったんだ…… 隕石が脳天を直撃したような衝撃と絶望に、俺は手に持っていたボールを落としてしまった。
『どうした霞、ラケットの振りすぎで握力消えたんじゃねーの?』
奏多がイヒヒと笑いながら拾い上げたボールを俺の背中に投げつけてきたけれど、いつものよそいき笑顔が作れなかった。 余裕のない引きつり笑いしか返せなくて。
隣のコートで練習をしていた女子テニス部員も、輝星たちのキスを見てしまったようだ。 はしゃぎ具合は、まるで芸能人カップルのイチャつきを目の当たりにした時のよう。
「ねぇ見た? 輝星先輩と流瑠先輩がキスしてたとこ」
「見た見た、流れ星カプがついに誕生ってことでいいんだよね」
「このカプ押してる子たち、学年関係なく結構いるって聞いたよ」
「わかる~、二人とも後輩のうちらにまで優しいしさ」
「付き合ってるか聞かれて否定してたらしいから、くっついたのは最近かな」
「どっちから告白したんだろう。テラセ先輩? ルル先輩?」
「姉御肌っぽいし流瑠先輩からじゃない?」
「ウルウルお目目の上目遣いで、甘えるように輝星先輩から告白されたら、嬉しくて流瑠先輩が泣いちゃいそう」
「でもさでもさ、どっちからの告白の妄想もおいしいよね!」
キャーキャー声をあげる女子たちが、僕のすぐ近くで飛び跳ねていたから
――誰から見ても、輝星と流瑠さんはお似合いなんだな。
心が悲しみ色に侵食されてしまった俺は、ラケットを握る手に力が入らなくなってしまったんだ。
どうやら二人の仲の良さは生徒公認のみたいだ。
髪がゆるふわな輝星は、まとっている雰囲気が陽だまりぬくぬくの癒し系。 背が低くて華奢な体格に、大きな瞳にかかる長いまつげ、愛くるしい幼顔。 心にスッと入り込む絶妙の距離感で優しく微笑まれたら、男女先輩後輩関係なくみんな好感をもってしまうようだ。
そして先生たちのお気に入りでもある。
『萌黄は将来、幼稚園の先生なんてどうだ? 子供からも保護者からも好かれること間違いなしだ』
『私は介護のお仕事が合うと思うの。老人ホームに慰労に行った時、輝星くん大人気だったでしょ。うちの孫と結婚してくれ。むこに入って欲しいなんて、みんなから腕をぐいぐい引っ張られていたし』
と、輝星の前で進路指導を始めたと思ったら
『何言ってるの先生たち! 人に好かれる才能を活かすなら、アイドルしかないでしょ!』
と、アイドルオーディションの紙を輝星の目の前に突きつける生徒までいて。
輝星はオロオロのタジタジで。
『僕は栄養士になりたいんです。先生とか介護士とかアイドルにはなりませんから』
困り果てたように両手を振る輝星を陰から見て、俺は再認識したんだ。
もう輝星は俺だけのものじゃない。 どんどん俺から離れて行っちゃうんだなって。
人に好かれる才能を持つ輝星に対し、鈴木流瑠さんも人気者という点ではひけをとらない。
気持ち釣り気味な目もと。 凛とした黒い瞳。 ストレートで綺麗な黒髪は前髪と一緒に高い位置で結われ、一見性格がきつそうなポニーテール美女に見えるのだが、見た目と性格のギャップに沼ってしまう生徒は数知れず。
困っている人を見かけた瞬間に猛ダッシュ。
『手伝うよ』
『こんな重い荷物、職員室から一人で運んできたの? 偉すぎ』
『お礼なんて全然いらないいらない。あっ、じゃあこうしない? 今度校内で私と目が合ったらニコッて笑って、それがお礼。ねっ、いいでしょ?』
『やった、約束ね』
地声の大きさから、流瑠さんの声しか俺の耳に届かないことが多いけれど、いろんなところに目を向け、いろんな人に笑顔を振りまくところは輝星と同じだなって、俺も流瑠さんを一人の人間として尊敬している。 そう、いい人なんだ。
いい人なだけに俺は苦しいんだ。 輝星が心を許している相手が嫌な人だったら、思う存分憎めるのに。
……なんて、中学に入る前に輝星を突き放し傷つけた俺が、こんなことを想う資格なんてないんだけどね。
バスの窓枠にひじをのせる。 手の甲に頬をあて、悲哀に染まる瞳で夜空を見上げてみた。
なに自分勝手なことを思っているんだと、呆れてしまったんだろう。 月は隠れてしまった。 闇夜に広がる雲の後ろでほんのりと光をこぼすだけ。
バスの揺れが不快でたまらない。 6年前に固めた俺の決意を崩そうとする。
あの頃は、お互い関わらないことが輝星のためだと思いこんでいた。 俺が今まで通り独占していたら、輝星がいつか天国に行ってしまうんじゃないかと怖くてたまらなかった。
一緒にいたくて。大好きで。手放したくなくて。 俺だけの世界に閉じ込めたくて。 輝星にも同じ思いでいて欲しくて。
でも怖くて。死なないで欲しくて。守ってあげたくて。輝星には幸せになって欲しくて。
いろんな感情に襲われた小6の俺は、嫌われるくらい酷く輝星を突き放すことで、輝星の幸せを願っていたんだ。
高3になった輝星は今、彼女ができて幸せそうだ。 あの時の決断は間違っていなかったと、宝物を手放した小6の俺を褒めてあげたい。
ただ…… 毎日が苦しい。
同じ教室に自ら手放した大事な人がいる状況。 みんなに愛される笑顔を、輝星はクラスみんなに振りまいている。 休み時間や昼休みは、誰も入れないような楽しい空気を流瑠さんと二人で作り出している。
俺には笑いかけてくれなくて。 俺も俺で笑顔を作れなくて。 冷たい目を輝星に突き刺すことしかできなくて。
やっぱり一緒にいたくて。 小学校の頃に戻りたくて。 輝星の瞳に俺だけを映して欲しくて。 他の人には笑いかけないでほしくて。
はぁぁぁぁぁ。 俺の重すぎる恋心は、死んでも来世にまで引き継がれそうだな。 いっそ今すぐ生まれ変わって、輝星を思う存分愛する人生をやり直したい。
俺のメンヘラ闇落ち度が増してしまったからだろう。 月を隠す雲が、さらに厚みを増した。
今夜の月は情けない俺を慰めるつもりはないらしい。 ふふふ、当たり前か。
太ももに振動を感じ、ポケットからスマホを取り出す。 やる気のない視線をスマホ画面に落とした。
メッセージが届いたお知らせあり。奏多からだ。 テニスの全国大会用の戦術でも思いついたのだろうか。
試合が始まるのは夏休みに入ってから、まだ1か月以上も先のこと。 戦術を話し合うのは対戦相手が決まってからにすると奏多は言っていたけれど、気が変わったのかもしれないな。
とりあえず読んで、とりあえずスタンプだけ返して、あとは学校で話せばいいか。
スマホの画面に浮き上がるアイコンをタップし、奏多からのメッセージを目で追いかける。
『トーナメント表見た? 球技大会の』
すでに各クラスに配られているのか。 うちの高校で行われるクラス対抗球技大会は、来週に迫っているしね。
『テニスでお前とダブルス組む萌黄って、さっきバス停にいた奴だよな?』
その通り、輝星のことだけど…… って……
ん? ダブルスを組む? 俺と?
『ペアの片方はテニス部員以外って決まりあるけど、あいつテニスできるわけ?』
待って待って、俺は小倉くんとペアを組む予定だよ。
『絶対にお前と決勝で当たりたい。萌黄を徹底的に鍛えとけよ』
メッセージはそれで終わっている。 追加でカンガルーがパンチを繰り出すスタンプが送られてきたけれど、頭の中がハテナだらけの俺はスタンプ一つ返す心の余裕すら持ち合わせていない。
動揺する心臓を落ち着かせたくて、目をしばたかせながら胸に手を当てた。
なんで奏多はとんでもない勘違いをしているの?
輝星はテニスには出ないよ。 彼は男女混合のドッチボールメンバーなんだから。
添えられていたテニスのトーナメント表を、指で拡大してみた。 目を見開いてしまったのは、あるはずもない【萌黄】の文字を見つけたからだ。 しかも俺の名前の斜め上に。 もともと俺の隣には別の名前が書いてあったようで、黒ペンで消された上に、手書きの後付けで【萌黄】と記されている。
俺とダブルスを組むのは中学までテニス部だった小倉くんのはず。 最近休みがちでまだ一度も一緒にボールを打ち合ってはいないけれど、ペアに決まった時、頑張ろうねってお互いグータッチを決めたじゃないか。
体の震えが止まらない。 手違いであってほしい。
いや、奏多のことだ。 俺を騙すためにトーナメント表に手を加えたとも考えられる。 テニスというスポーツは敵を騙して点を取るスポーツだと俺は思っていて、県大会優勝を果たした俺と奏多も人を騙す術にたけていると思うから。
小学校の時に俺と輝星のペアがテニスでいい結果を残せなかったのは、輝星が人を騙せない綺麗な心の持ち主だったからだろうな。
幸せだったころが詰まった思い出箱に片足を突っ込んだところで、手に持っていたスマホが震えだした。
今度は奏多からのメッセージじゃない。 うちのクラスの体育大会委員をしている堀北くん。 焦る気持ちのまま画面を開く。
びっくりするほどの長文羅列で面を食らったのち、心臓をいったん落ち着かせとようと窓の外の夜空を見上げた。 闇夜に白く輝く月が俺を見つめている。 さっきまで隠れていたくせに。
アタフタする俺を楽しみたいんだろうなと思ったら、折れそうなほど細い月がにやけた人間の口に見えてきた。 今は癒しが欲しいのに意地悪だな、今夜の月は。
心の安定を諦め、俺は再び文字羅列に視線を戻す。 『小倉くんは当分のあいだ学校を休むらしい。球技大会は出られないって』
トーナメント表の黒い塗りつぶしは、そういうことか。
『担任からその話を聞かされてた時、教室に鈴木さんがいて』
鈴木流瑠さんね、輝星の親友兼たぶん彼女の。
『小倉くんの代わりはテニス経験者の萌黄くんが適任、萌黄くんしかありえないって、鈴木さんがすごい熱量で営業してて』
輝星が小6まで真剣にテニスをしていたことを、本人から聞いていたんだろうな。 彼氏がテニスをしている姿を見てみたいとか?
やめて欲しい、俺のメンタルが持たないから。
『先生も俺もどうしていいかわからなくなっちゃって。萌黄くんが出てもいいならって鈴木さんに伝えたら、鈴木さんが嬉しそうに教室から飛び出て行っちゃったの。ペアを組む霞くんの同意も必要だよなって気づいた直後に、今度は教室に体育委員長が入ってきて。テニスのトーナメント表を全クラスに配るけど、出場者の名前あってる? 違ってたら今すぐ言って! って急かされたから、とりあえず小倉くんの名前を消して萌黄って書きかえたんだ』
そういうことだったんだ。 体育委員の堀北くんも、いろいろお疲れ様だね。
『相談もせず勝手にごめん。でもまだ変更できるって。大会の朝にやっぱ違う人と組むってなってもいいって言ってたし』
いやいや、俺のことは気にしないで。 今度堀北くんに労いのスポーツドリンクでもさしいれしよう……って。
いやいやいや、ちょっと待ってください。 頭の中をいったん整理させてください。
俺は幼稚園の頃から輝星が好き。 替えが利かないくらい特別でたまらない。 話さなくなった今も、日々輝星への執着がしつこく色濃くなっていて……って。
あっ、今はそのことは関係ないか。 落ち着けオレ、深呼吸、深呼吸。
球技大会は来週に迫っている。 もう一週間もない。 俺と輝星でペアを組んで、テニスの試合に出るってことだよね?
まずい、心臓吐きそう、今すぐに。
大会中、がっつり一緒にいることになるよ。
輝星の近くにいたらダメな気がする。 だって一緒にテニスなんてしたら、小学校の頃の楽しかった記憶が玉手箱のようにあふれ出して、好きという気持ちが噴水のように湧き出て止まらなくなってしまいそうだから。
そもそもの話、 俺とペアを組むことを輝星はもう知っているのだろうか?
俺たちはいまバスの中。 一番後ろの席から、前の方に座る輝星のつむじに視線を突き刺す。
寝ているね、あれは。 背もたれから横に飛び出ている輝星の後頭部しか見えないけれど、上半身の傾き具合から寝ているとしか思えない。 俺とテニスの試合に出るとわかっていての熟睡だったら、尊敬を通り越して怖すぎなんだけど。
人間に恐怖を与える根源の一つは、他人の心だと思う。 他人の心の中が見えないからこそ、勝手に想像して、勝手に怖くなって、勝手に絶望するんだ。
輝星にこれ以上近づくのが怖い。 卒業まで、お互い顔を合わせなくなる日まで、他人の距離を保っていたい。
完全に恋心を捨てるために。 輝星の幸せを願い続ける王子様でいるために。
流瑠さんは彼氏がテニスをしているところを見たいだけかもしれないが、俺にとっては大問題なんだ。 残りの高校生活を平穏無事に過ごせる希望が、崩れかけているんだ。
俺がテニスの試合に出るのを辞退する? いやそれは避けたい。
クラスにテニス部は俺しかいない。 全スポーツで優勝を勝ち取りたいと練習に励んでいるクラスメイトの士気を、下げることになりかねない。
輝星が断ってくれないかな。 嫌いな俺とダブルスなんて組みたくないよね? もう二度と、俺と一緒にテニスなんてしたくないでしょ?
どれくらい放心状態のまま、バスに揺られていただろう。 俺はカバンから手のひらサイズの箱を取り出した。
しわくちゃでギュっと潰れたおにぎりぐらいの大きさの塊を、丁寧に撫でる。 ところどころ黒く焦げていて、愛おしさと一緒に悲しみがこみあげてきた。
同じ失敗を繰り返してはダメだ。 あの時の絶望は二度と味わいたくない。
生きた心地がしなかった。
輝星が死んじゃったらどうしよう……
俺の命を代わりに差し出すから、輝星だけは助けて…… あの時、必死に願ったんだ。
涙が止まらなかった。 地獄をさまよっている気分だった。
今も変わらず輝星の幸せを願っている。 たとえ隣にいる相手が俺じゃなくても。
ただ…… 苦しい。 しんどい。 輝星のそばにいたい。 俺が隣で輝星を守り続けたい。
この病みすぎた恋心をどう処理すればいいか、そろそろ誰か教えてよ。 6年以上も俺は、悲しみの業火に焼かれ続けているんだから。
☆輝星side☆
誰か教えてください!
これはいったい、どういう状況なんでしょうか!
揺れと睡魔がタックを組み襲ってきたので、僕は抗えず寝てしまったんです。スの前方のひとり席で。 それはいつものこと、そこはいいとして。
いま僕は目を覚ましました。 脳がボケボケのまま、座っているシートの左横を見ました。
僕が着ているのと同じ制服のスラックスが、瞳いっぱいに映っています。 感じる気配と普段のバスの閑散状況から、このバスに乗っている客はほぼいないと推測できるんです。 後ろなんて振り向けないけれど、席はガラ空きで間違いない。
それなのにですよ、わざわざ僕が座る隣の通路に立っている人がいるんですよ。
こっ、この人は……
足の長さと細身のシルエットという情報だけで、相手が誰なのか特定できてしまう自分が怖い。
彼の肩に下げられたラケットケースが目に入った。 人物特定の決定的証拠。 ねっ、頭の中がパニックになるのはしょうがないでしょ?
なななななっなんで、僕の隣に霞くんが立っているの?
本物? まさかね。学校であれだけ避けられているんだ、ありえない。
幽霊? 霞くんがこの世からいなくなるなんて絶対に嫌だから、その可能性は信じないとして。
夢? いや、ついさっき睡魔が退散したでしょ。ちゃんと目覚めているでしょ、僕は。
霞くんのことが大好きすぎて、ついに幻覚を見るようになっちゃったのかも。 それなら僕の片思いは、治療や手術が必要なくらいの重症病みレベルということになってしまうのですが。
頭を抱える。 おかしくなった脳を正常に戻そうと、全指の腹で何度も何度も頭をつつく。 この状況を視覚で確認したくて、波打つ前髪の隙間から目玉だけを左上にずらしてみた。
僕の真横に立っているのは、間違いなく霞くんご本人です。 片手で吊革を握り、僕にやや背を向け、無表情で視線をスマホに突き刺しています。 どうやらまだ、僕がチラ見していることに気づいていないもよう。
うわわーっと胸の鼓動が沸き立つ。 口から空気を取り入れたいのに、ドキドキが肺に送り込まれてしまい呼吸が苦しくてたまらない。 胸をさすっても平穏は戻らないので、諦めモードで息をひそめ、オロオロと霞くんを見続ける。
うぅぅぅぅ、麗しい!
彼のサラサラのブラウン髪が、バスの揺れに合わせてふわりと踊った。 白い肌に映える上品で優しい瞳。通った鼻筋。薄くて形のいい唇。 どの顔面パーツも見とれてしまうほど完璧で、黄金比率で小顔にはめ込まれていて、白いタキシードをまとわせたら童話の中の王子様にしか見えないほどの造形美。
お城から僕に会いに来てくれたの?
座席も車体も古びたこのバスよりも、白馬にまたがる方が霞くんにはお似合いだよ。
どうしよう、緊張してきた、息が止まりそう。
大好きな人をこんな至近距離で瞳に映しているなんて、不幸が訪れる予兆だったりして。
このバスが崖から落ちたりでもしたら…… その時は、霞くんを助けなきゃ。 僕の命に代えても、絶対に。
久々に湧き上がった使命感が懐かしい。
小6までの僕は、自分の命より霞くんの命が大事だと思って生きていた。そう思い込んで疑わなかった。
弱すぎる自分が霞くんを崇めすぎていたせいで行きついた、依存よりもヤバすぎる執着だったんだと、霞くんと離れてみて冷静に分析をしたけれど…… 月日が経ても霞くんから離れても、僕の核は変わっていないんだな。 何かあった時はまた、僕が霞くんを守るから。
6年前の古傷がうずく。 右腕全体が鈍く痛みだし、大好きな人との唯一の絆を服の上から優しく撫でてみた。
大好きな傷跡を撫でているのに、微笑むことができない。 霞くんに避けられている日々がつらくて、みじめで、もう一度笑いかけて欲しくて、でも現実はそんなのありえなくて、唇を噛みしめながら手の平で何度も何度も古傷を愛でる。
ひきつった顔を霞くんに見られないようにと、上半身を窓の方にひねった時だった。 頭上から抑揚も感情もない、無機質な声が降ってきたのは。
「痛むの?」
極度の驚きで撫でていた手が固まる。 心臓までもが止まりそうになって焦ったが、なんとか僕の生命は維持し続けている。
霞くんが…… 僕に話しかけてくれた……
心停止を免れた心臓はしだいに暴れだし、脈が異常なほど速く駆けはじめ、心臓と脈の乱動は一向に収まる気配がない。
どうしよう…… 顔を上げられないよ……
霞くんに久々に話しかけられ、嬉しさと感動がこみあげてきた。 でも感情の大波の大部分は、恐怖が占めている。
気軽に返事をして幻滅されたらどうしよう……
もっともっと嫌われたらどうしよう……
うつむいたまま返事をしないのも、好感度が下がるよね? 何か言わなきゃ。
でも言葉が出ない。 何を話していいかわからない。
拒絶されてからの6年間、霞くんが僕に話しかけてくれますようにと星に願い続けてきたのに、実際に奇跡が起きた今は、震えうつむくことしかできないなんて。 僕のメンタルは豆腐確定だ。 弱すぎて泣きたくなるよ。
「大好き」という感情は、僕を弱くする。
「嫌われたくない」という感情も厄介もの。
一歩踏み出す勇気をガラスのごとく、粉々に砕いてしまうんだ。
ドキドキを紛らわせたい僕は、膝に乗せてあったリュックを両手で抱きしめた。 人肌を感じるわけでもないのに、緊張が少しだけ緩んでいく。 生まれた心の余裕を糧に、うつむいたまま吐息に言葉を溶かした。
「お……は……よう……」
しまった!
今は誰がどう見ても完全なる夜。 バスの窓から見える薄い月が、僕の失態をイヒヒと笑っているではないか。
恥ずかしい。 なんてことを言っちゃったんだろう。 小6の頃から脳が成長してないと、失望されたに違いない。
自分にがっかりした僕は、これ以上霞くんと会話を続けるのを諦めた。 肩を落とし、リュックを強く抱きしめ、早くバス停に着いてと懇願する。
理由のわからない涙が、製造されそうになった時だった。 薄くて縦長の小箱が、僕の視界に映りこんだのは。
「これは?」と、瞳キョトンで霞くんを見上げる。
箱を持った手を僕の前に伸ばしている霞くんの表情は、なんといえばいいものか。 笑っているわけでも眉を吊り上げているわけでもない。
感情が全く読めなくて。 唇は一文字にぎゅっ。 斜め上から真剣な目を、座席に座る僕に突き刺してきて。 瞳が捕まってしまった僕は、ただただ霞くんを見上げることしかできない。
「あげる」
「この箱を……僕に?」
「約束だったから」
なんのことかわからない。 僕と霞くんが何かを約束したとなると、拒絶される前、小6以前の話になるけれど。
蓋をあけて中身を確認しようとした僕の手が完全にフリーズした。 「テニスやるの?」と、霞くんが冷たい視線を突き刺してきたから。
霞くんは、僕が父さんとテニス練習をしていることを知っているのだろうか。
テニスは楽しい。 ストレス発散になる。 でもこの願望が一番強いんだ。
【いつか霞くんと、もう一度テニスがしたい】
「やるよ……テニス……」
「てらっ、萌黄くんはイヤじゃないの?」
やっぱり名前では呼んでもらえないか。 灰色の悲しみが涙腺をつついてくる。
今の質問はテニスはイヤじゃないの?という意味だろうか。
勘違いされたくない。 霞くんとボールを打ち合ったあの日々に勝る思い出なんて、この僕にはないよ。
「好きだよ……今も……」
「テニスが? それとも俺……」
「え?」
尻すぼみになった霞君の声は、最後の方が聞き取れなかった。
僕は目をぱちくりせずにはいられない。 だって霞くんの表情がおかしすぎなんだもん。
何か恥ずかしいことでもあった?
霞くん、顔が赤い。耳まで真っ赤だよ。
視線を僕からそらし口元を手で隠している。
伝染しちゃうからそんな顔しないで。 僕の顔面まで熱くなり、心臓がバクバクとうなり始めちゃった。 お互い顔を合わせられず、視線が迷子になる。
くすぐったい空気が僕たちを包み込んでいるような気がして、どうも落ち着かない。 僕まで得体のしれない恥ずかしさに襲われて、霞くんが何を考えているのか全く分からなくて。
テニスが好きか聞かれたんだからちゃんと答えなきゃ。 責任感にかられた僕は、照れ声を震わせた。
「大好きだよ……テニス……」
「あっ、テニスの方か」
ふてくされたような声が届き、僕の心臓がズキリとうずく。 僕、何か変なことを言っちゃった? 霞くんの瞳があからさまに陰ってしまったことに、オロオロせずにはいられない。
「萌黄くんは俺とペアを組みたくないと思うけど一日だけ我慢して、クラスのために」
「あっうん、クラスのためにね……って、、、ん?」
待って待って。 霞くんとペア? 一日だけ我慢? 何の話をしているの?
「もう一つだけいい?」
「はっ、はい」
脳内がパニック。 なぜか敬語になっちゃった。
「校内でキスをするなら、人目につかないところを選んだ方がいいと思うよ。調理室もテニスコートから見えたりするから」
え? 今、キスって言った? それこそ何の話? 全く身に覚えがないんですけど。
聞きたいことは山ほどある。
なんで霞くんは、寝ている僕の隣に立っていたの?
なんで久々に話しかけてくれたの?
渡されたこの小箱は何?
テニス? ペア? キス?
えええ、なになになに???
でもでも、なにから質問していいかわからない。 とりあえず視線を近づけたいと、座っていた僕は勢いよく立ち上がった。
でも無意味だった。だって…… 「明日からよろしく」 霞くんは僕に背を向けると、冷たい響きを残しバスから降りてしまったんから。
いつの間にか霞くんの家の近くのバス停に到着していたんだと、窓の外の景色を見て気づく。 次にこのバスがたどり着くのは、僕が降りるバス停。 僕は霞くんを追いかけるのを諦め、座席にお尻を落とす。
リュックからパスケースを取り出さなきゃとわかってはいるものの、手が拒んでいる。 霞くんのことも気になるし、受け取った小箱の中身も気になって気になって。
真っ白な小箱の蓋を持ち上げてみる。
中に入っていたものは、薄くて丸くて金色で、カラフルなひもがついていて……
って、これは金メダルだ。
メダルの表面にはテニスをしている二人組の姿が彫られ、裏には優勝の文字が。 霞くんと奏多くんのペアで勝ち取った、テニスの県大会優勝メダルで間違いない。
なんで霞くんは僕にくれたの?
箱を手渡しながら『約束だったから』と言っていたよね。
あっ思い出した。 僕が霞くんとペアを組んでテニスの試合に出た、小5の時のこと。
どれだけ練習しても勝てなくて。 必死に球を追いかけても、上位入賞ですらほど遠く。 試合に負けて、悔しくて悔しくて、陰で泣いていた僕に霞くんが言ってくれたんだ。
『いつか俺が、輝星に金メダルをプレゼントしてあげるからね』って。
僕はたまらなく嬉しくなって『絶対だよ、約束だからね』って、霞くんに抱きつき、わんわん泣いちゃったんだけど……
もしかして霞くんは、ずっと勘違いしてたの?
僕は霞くんと他の誰かが勝ち取ったメダルが欲しかったわけじゃないよ。 霞くんと僕で優勝して、おそろいの金メダルを首から下げたかったんだ。
この金メダルは、これ以上僕が触ってはいけない代物だ。 キズをつけないよう丁寧に扱い箱に戻さなきゃ。
ふたを閉める直前、堂々たる輝きを放つ金メダルに重いため息を吹きかけてしまった。
僕の推しカプ二人がつかみ取った輝かしいメダルではあるけれど、僕が持っていたくない。 霞くんにふさわしいのは奏多くんだって、このメダルが証明している気がするから。
醜い嫉妬心とえげつない敗北感。 どす黒い大波に襲われた僕は、霞くんと奏多くんが存在しない闇世界に、とてつもなく逃げたくなってしまったのでした。