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☆輝星side☆
「テラっち、また地雷カプ見てる」
「僕にとってあの二人が尊すぎる推しカプなの!」
僕以外に心を許す幼なじみなんて、本当は瞳に映したくない。 幼い頃の肩が触れ合う距離感で、僕だけがキミを独占したい。
ねぇ、どうして僕に笑いかけてくれなくなっちゃったの? 嫌いになった? 悲しいよほんと。
だって小学校の頃のキミは
『俺は輝星としか話したくない。輝星以外とは絶対に遊ばない』
僕だけが友達で、僕だけに微笑み、この僕だけをキミの甘い世界に閉じ込めてくれていたんだから。
*
*
*
高校に来るだけで心が痛む日々に、どうやって終止符を打てばいいのかな。
教室で幼なじみの笑い声を聞くだけで、嫉妬が溶けた悔し涙が製造されそうになる。
僕、萌黄輝星が人前で悲哀を洩らさないようにと必死にマスターしたのは、悲しい時ほどエンジェルスマイルを顔に張りつけるというチープな技。
放課後の今だってそうだ。 黄色いエプロンをはおり、卵を菜箸でとく手が止まってはいるものの終始笑顔。
僕の目じりは理想どうり垂れさがり、口角上向きのハピネス顔をキープできている。
調理室の2階の窓からテニスコートを見下ろし、スマッシュを決めた幼なじみと恋敵がハイタッチをした地獄絵図が、僕の瞳に映っているにもかかわらずだ。
あっぱれにもほどがある。 僕は人を騙す才能でもあるのだろうか。
テニスの試合は霞くんたちが勝ったんだなと、嬉しさよりも悲しみが色濃く心を占める。
遠くから見てもわかるよ、霞くんと恋敵くんが満面の笑みでグータッチを決めているもん。
恋敵くんなんてワイルドフェイスに白い歯を輝かせながら、霞くんの肩に腕を回していて。
はぁぁぁ、見てるのしんど……
癖のように視線を突き刺してしまう幼なじみの残像を闇に葬りたくて、窓に背中を強く押し当てた。
悲しみが僕の表情筋を殺そうとする。でも必死に抵抗、作り笑いは消したくなくて。
作り笑いは自分の心を偽る行為。 そんなことをして心が無傷ではいられないことは100も承知。 笑顔で悲しみに蓋をしているわけだから、そこそこの代償があるわけで。
いま僕は作り笑いをしちゃっているんだ……
むなしさを自覚した直後、心がトラックにひかれたような激痛にいつも襲われてしまう。
まさに今も心臓が苦しい。 悲しみを吐き出す術を身につけないと、精神が崩壊する日が来てしまうだろうな。近い将来、間違いなく。
「やっぱりもう一個、卵を追加しよう」
調理室の冷蔵庫に向かい、ボールに卵を割り入れる。 手についた白身のベタベタが負の感情とリンクしているようで、闇を消したくて石けんで念入りにぬめりを落とした。
報われない想い。 幼稚園から抱き続けている恋心。
さい銭箱に500円玉10枚を投げ入れて『霞くんの恋人にしてください』なんてお願いをしたら 『無理難題を押しつけられても困る。目が合っても無視されているじゃないか。嫌われているんだ諦めろ』 迷惑極まりないと言わんばかりのため息をこぼす神様に、おさい銭を投げ返されるだろう。
辛い、悲しい、苦しい。
恋心を捨てたい、この悲しみから逃れたい。
霞くんを諦めるための最適解は……
絶望にひたっている時のひらめきほど、とりつかれ注意なのかもしれない。
数週間前の僕は本当にどうかしていた。 でも、これしかないとすがってしまった。
【霞くんと誰かを僕の脳内で恋人にして、推しカプだと思いこめばいいんだ】
BL好きの腐女子ちゃんが親友だからだろうか。 自分のものとは思えない湾曲ぎみのひらめきが、病んだ脳に降ってきたあの日。
霞くんのお相手?
間違いない、心を許している彼しかいない。
俺様っぽいのに親しみやすくてコミュ力が高い、僕が勝手に恋敵と思い込んでいる、赤城奏多くん。
テニス部に所属していて、霞くんとダブルスのペアを組み、先日の県大会で優勝を果たしたスポーツ万能イケメン。
またか。
傷つくとわかっていながら、ついテニスコートの霞くんを瞳に映してしまった。
僕の瞳ってドM確定? ただのチラ見グセにしては諦めが悪すぎるよ。 ほらやっぱり、霞くんを見なきゃよかったでしょ。
僕の心の弱い部分が、後悔の悲鳴をあげている。
奏多くんはラケットを担ぎ、霞くんの肩を抱いている最中で、ニヒヒと笑みをこぼしながら、霞くんのサラサラな髪を豪快にかき乱した。 霞くんは奏多くんの腕を跳ねのけることなく、楽しそうに肩を揺らしている。
仲が良すぎ。 霞くんの幼なじみは、僕じゃなくて奏多くんだったんじゃないかな。 二人はすでに付き合っていたりして。
霞くんと奏多くんの【カスミソウ】コンビは、女子たちにも大人気だ。 麗しすぎて目の保養になると、あえて3年の廊下までのぞきに来る集団が後を絶たない。
おっとり微笑む優雅な王子様タイプの霞くん。 それに対し、奏多くんは見た目も性格もオスっぽい俺様系。
二人とも美形すぎで並ぶとさらに尊さが増す。 手を合わせて拝みたくなるご神仏レベルの神々しさだから、キラキラ直視は目の疲労面で長時間要注意。 なんの取り柄もない僕なんかが割って入るす隙間は、残念ながら一ミリもない。
カスミソウカプを推している女子たちに睨まれるとメンタルが病みそうだし、近づかないのが一番 とわかってはいるものの、推しカプを作ったことが功を奏し霞くんをほぼほぼ諦めたからと言って、恋心が日に日に膨れ上がってしまっているのが現実で。
やっぱり好きで。大好きで。でも手には入らなくて。無視されっぱなしで。結局しんどいまま。
高校を卒業して霞くんを瞳に映さなくなったら、ちゃんと別の恋ができるのかな。 違う人を好きになって、霞くんのことを忘れることができるのかな。
早く高校を卒業したい。 まだ半年以上もあるのがもどかしい。
ただ別枠の感情もある。
霞くんともう一度笑い合いたくて。 小学生の頃みたいに僕だけを友達認定して、僕だけを独占してほしくて。
嫌われているのにやっかいな願望が心底にくすぶっているから、ごみを捨てるように恋心を放り投げることはできないんだ。
クラスも一緒の流瑠ちゃんは僕の親友で、部活中の今は火の番人。 コンロの前に立ちグツグツうなる鍋の中を覗き込みながら不満げに眉を下げているあたり、ハートの中に雨雲がいらっしゃるもよう。
「嫌なことでもあった?」と僕が声をかけた直後に顔を上げ、鋭くギロリ。
あぁ、いつものですか。 今日はこのタイミングできましたか。
「ねぇテラっち、いつになったら私の妄想が現実になってくれると思う?」
ネコ目がふてくされている。 それもいつもの質問ですね。
「待っても待っても推しカプが進展しないの」
はぁぁぁ、親友を心配して損した。
「校内で絡んで欲しいのに。おはようって笑い合って、頭ナデナデからのハグ。誰にも見られない校舎裏でね。それを私だけが見ちゃうとか。うん、おいしい。そのシチュに出くわしたい!」
さっきまでの雨雲はどこへやら。 腐に片足を突っこみ中の流瑠ちゃんの顔が、にやけることにやけること。
誰についての愚痴かは言及していない。 でも僕にはわかる、出会った高1から耳ダコだから。
流瑠ちゃんの前では80のパーセンテージで喜怒哀楽を表現できる僕は、わざとらしいため息をこぼす。 誰にも聞かれたくなくて、流瑠ちゃんの耳元で声量をしぼった。
「僕が霞くんに無視されているところを毎日見てるでしょ」
「霞くんってテラっち以外には、優しい王子様っぽく微笑むのにね」
「僕が嫌われている証拠」
ブルーになるから認めたくないけど。 流瑠ちゃんは僕に、何らかのアクションをさせたいんだろう。
「好きだからこそ近寄れない。嫌われるくらいならいっそ距離を取ろう。そんな話、マンガではザラだよ」
菜箸の先端を僕に向けうなづいているが……
ごめんね、僕は行動なんてできないよ。
見てごらん、テニスコートにいる僕の推しカプ二人を。 笑いながら肩をぶつけあっているあたり、僕が割って入るすきなんてないでしょ。 あごをしゃくって、霞くんと奏多くんの方に流瑠ちゃんの視線を誘導する。
「あぁ、距離感近いよね、あの二人」
地雷カプだからって睨むのはどうかと思うよ。
流瑠ちゃんの注意を僕に戻そう。 あえてオーバーにため息を吐いた。
「僕と霞くんがくっつく妄想はもうやめて」 「凛として優雅に微笑む霞くんと、いっつも笑顔で無邪気で可愛いわんこ系のテラっち。これ以上のカプがどこに存在してるっていうの? いらっしゃったら拝みたいくらいだよ」
「あそこ」と窓の外を指さして、しまったと後悔が追いつく。 霞くんから注意をそらす作戦だったのに、流瑠ちゃんの視線を戻すことになってしまった。
この子をコントロールなんて無理か。 流れに任せようと思い直し、僕あえて窓と対面する。
「今だってテニスコートの周りにたくさんの女子が集まってる。キャーキャー飛び跳ねてるし。あの子たちみんな、霞くんと奏多くんカプを拝みに来てるんだよ。それなのになんで流瑠ちゃんは、僕と霞くんをくっつけようとするかな」
「だって私は小学生の時に……」
僕と霞くんがペアを組んで出たテニスの試合を、たまたま見たんだよね。 前衛の僕が弱すぎるせいで惨敗だった。 それでも霞くんは、この先も僕とペアを組むと譲らなかった。 僕以外と組まされるならテニスをやめるとコーチを困らせていた。
僕だけに笑って、僕だけに心を許して、他の人は拒絶で。
あの頃と今とでは違う。 霞くんからの気に入られ度も、お互いの距離感も、霞くんが僕に向ける視線の温度もなにもかも。
「僕たちが親友だったのは小学校まで。そのあとは友達ですらなくなっちゃったの。そのこと前に流瑠ちゃんに話したよね?」
「聞いたけど……」
重苦しい空気を一掃したい。
浮かない表情の流瑠ちゃんに向かって「この話は終わりね」と、僕は目じりを下げた。
「具が柔らかくなったんじゃない? いい感じだよ。玉ねぎも透明になったし。味付けして卵を流しいれて、親子丼を完成させちゃおう!」
声を弾ませた僕に対し流瑠ちゃんはムスっ。 負の感情をほっぺに詰め込んでいる。
「最重要案件。味付けは料理上手な流瑠ちゃんに任せた」
醤油の小瓶を手渡したところで、ようやく流瑠ちゃんのほっぺから空気が逃げた。 何かを自分に言い聞かせているのか、高速でうんうんと頷いているのが微笑ましい。
「あぁぁぁ、わかるよわかる。私にとっての推しカプは、テラっちにとっての地雷カプだもんね」
そういうことにしておいて。 霞くんへの恋心を捨て去るためには、霞くんは奏多くんとお似合いだって思い込むしかないから。
「人の好みにとやかく口を挟まないのが腐女子のたしなみだって思ってる。思ってきた。他人を否定したくないし」
「いい心がけだよね」
「だけどだよ。やっぱり私と違うカプを推されちゃうと、説き伏せたくなっちゃうの。いかんいかん、多様性の時代。他人と私は違う。好みも違って当たり前。これ大事!うんうん!」
ポニーテールを大振りさせた流瑠ちゃんの顔は、梅雨をひと蹴りした後のように快晴だ。
「味付けは部長でもなんでもない私に任せなさい」
白い歯をニカッと輝かせ、胸を張って仁王立ちを決め込んでいる。
「平部員なのに頼もしい」といじったせいだろう。 前方から頭突きが飛んできてドン。 ひたいに痛みが走ったけれど、僕の心が穏やかに凪いでいるいるからよしとしよう。
流瑠ちゃんは隠れ腐女子だ。 僕以外には完璧に隠し通しているらしい。 場をわきまえている。 そういう話になるとちゃんと声のトーンを落としているあたり、さすが成績上位者。
そんな彼女にはこの高校に推しカプがいる。 これまでの会話でわかっているとは思うが、もう一度伝えておこう。
流瑠ちゃんが脳内で愛してやまないカップルこそ、霞くんと僕なんだ。
僕らの名前2文字を取って【カステラ】と命名したのが小5の時というから、カプ愛でに年季が入っている。
腐の沼に落とした張本人が僕という事実を聞いて頭を下げたこともあるが、本人は幸せらしく、腐女子に変化した瞬間から脳内バラ色に染まるようになったそう。
『人生に潤いをありがとう』と、高校の入学式で初めて言葉を交わした時に感謝されてしまった。 その時は説明不足で、いったい何のこと?と首をかしげたのだが。
小5から中3まで脳内で僕たち推しカプを勝手に妄想しすぎたせいで、会話をしない現実の僕たちが許せなくなってしまうみたい。
そう言われても僕を避けたのは霞くんの方。 僕は今でも霞くんのことが大好きだし……
どうして腐女子ちゃんって、好物の話になると舌が回っちゃうんだろう。 ニコニコウキウキしているから、言葉を遮るのも罪な気がして。
「カプ名ってね攻めが先で受けが後。カステラで言うとテラっちは受けだね」
いや、遮らせて。
「あのさ、なんでもBLに置き換えるのやめて」と、今度は僕がほっぺをプクり。 笑顔キープの僕が流瑠ちゃんには負の感情もさらけ出せるから、いい意味でストレス発散になってるんだけど。
「テラっちってさ、髪の毛が柔らかなユルフワじゃん。筋肉も脂肪もあんまなくて。背がちっちゃいわ目がグリグリのまん丸だわ。見た目からしてわかりやすい受けなんだけど」
男なのに女の子寄りの外見って言いたいわけね。 自覚あり、耳痛ですがなにか。
「マンガだったら私は俺様受けにしびれるんだよ。顔強魔王様系なのに好きな人だけには甘えるみたいな。そのギャップよくない?」
見た目も性格も俺様とは無縁の僕。 流瑠ちゃんの期待に沿えずすみません。
「あっ、テラっちはそのままでいいからね。推しカプ同士が幼なじみってだけでおいしいんだから。これでテラっちが優雅な王子様の霞くんに甘えてくれたら、胸キュンで脳が破裂して死神に魂を持ってかれるかもな。良い! それ味わいたい! あっ、その時は救急車よろしくね」
ほんと腐女子ちゃんは妄想力が半端ないな。 その偉大な妄想で世界平和が実現できるのではないかと、本気で思える時があるし。
「流瑠ちゃん、魂は大事してよ」
僕の口から冷たいため息がもれる。つっこんだ数秒後、遅れてブハッと笑いがこみあげてきた。
推しカプにキュンキュンしたせいで脳が破裂してもいいと思っているの?
アハハ、流瑠ちゃんの脳内をのぞいてみたいよ。 頭をメスで解剖して。いやいやグロテスクすぎ~
「あっ、いま私をバカにしたでしょ」
「違う違う」と手を振りながらも、目じりにたまった笑い涙をサッと拭いさる。
「琉瑠ちゃんが瞳を輝かせながらありったけの熱量で好きを語りつくすから、幸せそうでなによりだなってしみじみ浸ってただけ」
僕と霞くんのイチャイチャを妄想されるのは恥ずかしいから、やめて欲しかったりするけれど。
「テラっちさ、今年の夏も制服の半袖着ない気? 長袖暑くない? もうみんな衣替えしてるよ」
突然流瑠ちゃんが話題を変えたせい、笑いの熱が急速冷凍。悲しみがヌモっと顔を出す。 作り笑いが顔に張りつけられなくて、長めの前髪で目を隠した。
もう僕は期待しないって決めたんだ。 どうせ霞くんに選ばれない。友達にも恋人にも。
校内だけならまだしも、たまに一緒になる狭いバスの中でも無視されまくっているのがその証拠。
期待って残酷なんだよ。 輝かしい未来像がモクモクと膨らむほど、裏切られた時のショックは計り知れない。 ハートがめった刺しに斬り刻まれてしまうんだ。
だから僕は、霞くんと奏多くんを推しカプと思い込むことにしたわけで。 【カスミソウ】が本当に付き合ってくれれば、霞くん以外の人を好きになれるかもと微かな期待を持ってしまっているわけで。
はぁぁぁ。 霞くん以外を好きになれる日なんて、この先来るのかな……
「なんか今、睨まれた気がする」
なんのことと、僕は首をひねる。 ポニーテールを揺らしながら、流瑠ちゃんはテニスコートを指さした。
「霞くんだよ、こっち見てた。やっぱりテラっちに気があるって」
いやいやそれはない。 僕が外に視線を向けている今まさに、奏多くんと笑い合っているわけだし。
「私が推しカプを壊すなんて絶対に嫌だからね」
「僕と霞くんの縁はもう繋がってないよ。それに僕は霞くんのことなんて好きじゃない」
「ほんと?」
疑い深いジト目やめて。 右腕がぶり返したように痛みだしちゃう。
「……あっ、うん。好きじゃない、好きじゃない」と、髪が行ったり来たりするほど頭をブンブンブン。
「いま間があった」
鋭すぎ。この子は僕の心を読めるエスパーなの?
「すぐに返事できなかったのは、卵こぼしそうだったから」
「動揺しすぎて菜箸で高速カシャカシャしてる、卵泡立ってる、テラッちあやしい」
「だから何度も言ってるでしょ! 僕の推しカプは霞くんと奏多くん! 僕と霞くんは地雷カプ!」
「ふ~ん、俺様系の奏多くんが受けなんだ」
「嬉しそうにニマニマしないで。流瑠ちゃん経由でしかBLの知識が入ってこない僕には、攻めとか受けとかわからないから!」
お願いだから流瑠ちゃんやめて。 僕の恋心を放っておいて。 変にかき乱さないで。
霞くんが僕を毛嫌いしているのは現実なの。 あからさまに避けられているの。
もう限界。しんどい。恋心を捨て去りたい。
なんで僕、霞くんなんかを好きになっちゃったんだろう。