Gear02:現実と笑み
ダイニングの窓から見ると、日も高く昇っていた。夜に唯一を見つけて治療し一晩寝ていたのだろうから、そりゃあ腹も減るはずだ。育ち盛りの高校生が食事を抜くのは、結構な痛手である。
異世界と言うことで一体どんな料理が出るのかと不安と期待にドキドキしていたが、意外にも出て来たのはパエリアとお粥の中間のようなものだった。見た目と味はパエリア、食感はお粥に近く柔らかい。毒や自白剤を想定もしたが、何かする気ならもうとっくにされているだろう、と腹をくくって食べる。この際、背に腹は代えられない。
「どう? 口に合うかな」
「あ、はい。美味しい、です」
「そっか、良かった」
唯一のぎこちない敬語にもふわ、と柔らかく笑みを浮かべる。こういう笑顔を浮かべれる人は凄いな、と無条件で思う。唯一の周囲からの評価は、「顔は良いんだけど、なんか怖い」だった。
昼食を粗方食べ終わったところで、アルファルドは遠慮がちに口を開いた。
「それで、その……タダカズはこれからどうするつもりだ? その、俺も出来る限り手助けしたいけど、何処から来たかも分からないし……」
「それは……」
手が止まり、俯く。いい加減に頭の整理だって出来ている。ここは紛れもなく、唯一のいた世界とは全く違う場所。ぞっとする現実だが、異世界というやつに来てしまったらしい。
目下の目標は元の世界に戻る事だが、一体どうすれば戻れると言うのだろう。こっちに来た瞬間のことも覚えていないし、手掛かりだってない。そして異世界から来ましたと言って安全かどうかも定かではない。宗教の事まではまだ分からないが、異民族として酷い目にあう可能性だって十分にあるのだ。
とりあえず。
「それ、は………っ」
斜め下を向き寂しげな、それでいて哀しげな表情。そこには後悔や憤りが含まれ、声をかける事を躊躇わせる顔。
「あ、いや……悪い。言い辛いことなら良いんだ」
慌てて前言撤回しバツの悪そうな顔になるアルファルド。なんていうか、凄く良い人だ。騙しているこっちの良心が疼く。
「とりあえず……元居た国に帰りたいとは思っています。でも、どうやってここに来たのかも分からなくて……ここ、一体どこなんですか?」
とりあえず、ぎりぎり嘘を言わずに聞いてみる。アルファルドはすこし考えた後、「ちょっと待ってろ」と言って部屋を出ていった。
とりあえず残りのお粥パエリアを食べ進めて、食べ終わる頃にアルファルドは戻って来た。手に数冊の本と、丸めた紙を持っている。テーブルに紙を広げると、縦にした直角三角形のような形が染みを作っていた。
「とりあえず、地図とか持ってきた。えーっと、今いるのがここだな。カナージっていうところだよ。まぁこの家はちょっと町はずれだけど……大丈夫か?」
傍目からでも分かるくらいに硬直していたらしい。
唯一は苦い顔で頭を掻きながら、地図を見下ろした。大まかに四つに分けられている、アフリカ大陸のような形にため息が出そうだ。異世界だと分かってはいても、こうはっきりと目の前に出されると落ち込む。
唯一の世界は、唯一の知る場所はここには無い。
「…………」
おそらく通常の手段、既存の方法では世界を超えて帰るなんて無理だろう。この世界特有の物、それこそ魔法のようなものが無ければきつい。が、それを正面から聞いて怪しまれずには済まないだろう。というか現時点で十分に怪しいのだけれど。
唯一のように世界を渡って来た前例はいるのか、居たとしたら帰れたのか。これを知るのがまずもっての目標だ。自然とそういった情報が手に入れば良いが、そうもいくまい。
どうする。
言うか、騙すか。
「……何か、訳があるんだろう?」
「っ!」
柔らかなアルファルドの声に、唯一が顔を上げる。懐かしそうに微笑み、アルファルドは地図を指差した。先ほど指した場所よりもややずれた地点に指をあて、言葉を続ける。
「何日か北上した所に、割と大きな街があるんだ。人も物も、もちろん情報も多い。タダカズさえ良ければ、そこへ行ってみないか?」
「あ……」
何も聞かず、アルファルドはやんわりと言った。明らかに怪しい訳ありの唯一を問い詰める事もなく、必要と思われる手段を示してくれた。
「で、でも、俺……どうやって行けばいいか」
「俺が連れてってやる。まぁ、こうして会ったのも何かの縁だ。面倒くらい見るよ」
にっこりと笑顔を浮かべるアルファルドに、唯一の頬もぎこちなく緩む。口角を少しだけ上げ、なんとか笑顔を浮かべた。
「ありがとう、ございます」
「いいって。俺も久々に街に出たいし」
アルファルドは唯一の言葉にも軽く答え、それじゃいろいろ準備しなきゃなぁ、と笑った。彼にとってはメリットなど無いだろうのに、力を貸してくれる。唯一を心配し、助けてくれる存在。
失ってはならないから、ぎこちなくでも口角を上げた。
+++++
背後のドアを閉め、先ほどまで寝ていたベッドに倒れこむ。あまり人づきあいの得意でない唯一にとって、アルファルドとの会話は疲れるものだった。恩人だろうと何だろうと、知らない人と話すのは苦手なのだ。
ましてや、全く信用していない人間と話すのは。
見るからに怪しい唯一を探ろうともせず、何も知らないのに唯一を助ける。唯一自身も状況もおかしいはずなのだ。たとえ世界が違おうとも、アルファルドのやっている事はあまりに正しすぎ、優しすぎる。
そして、だから、信じられない。
冷静に自分を見直せば、怪しい事この上ない。怪我をして森の中に倒れていた、はまだいいとしよう。あんな野生動物が居るくらいだから、それは珍しい事でもない可能性はある。
だが、ここが何処だか分からない、遠くから来たと言う割には、何らかの移動手段を持っているようでもない。姿かたちは異国の人間であり、しかし言葉は通じている。危険な森の中を素手でうろつき、恩人に名前さえ言うのを渋った。
追われている犯罪者だとか、危険人物だとか。そんな風に疑って警察の様な機関に突きだされたっておかしくない人物だ。それなのに怪我を治療し、食事も与えて、今後の心配もして、街に連れて行くとまで言って。
唯一を連れて行っても、メリットなど無い。謝礼など払えるわけがないし、街に行った所で帰れるかも分からない。連れて行くと見せかけて、唯一を裏切る可能性は十分にある。この世界、この国がどんな場序かは分からないが、人身売買が行われていたっておかしくは無いのだ。
「……ったく、最低だな」
石造りの天井を見上げ、口角を釣り上げる。先ほどまで作っていた笑みでは無く、自然な笑みだ。もっとも、それは自嘲に満ちていた。
が、今は自己嫌悪に浸っている場合ではない。とにかく現状把握と安全確保に動くべきだ。その為なら、命の恩人であろうと信じたりしない。どれほど恩を感じていても、目的の為に利用する。
疑え、騙せ、媚を売れ。
それが、生き残る道だ。