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Gear01:疾走する混乱

 あぁもう、冗談じゃねぇ。

 坪打唯一つぼうち ただかずは内心で吐き捨てながら、視線を走らせた。傍の木に手を当てて体重をかけ、ぐるりと直角に進路を変える。数瞬待たず、背後から地面の削れる音と大木に重量のある物がぶつかった音が耳に届いた。もどかしいと主張するように、苛立ちの混ざった唸り声が響き渡る。

 その間にも、奴との距離を伸ばし、あわよくば逃げ切るために走り続ける。足元のコンディションは最悪だ。雨の後の草地は滑りやすく、所々に木の根が飛び出してきて足を取られる。躓いて転びでもしようものなら、地獄の追いかけっこは即終了。自分の負け、敗北には死のおまけつき。

 本当に、冗談にならない。ジョークにして笑い飛ばしたいところだが、如何せん自分の身に現在進行形で降りかかっている事だ。ランナーズハイにでも陥って何も考えずに走りたいが、背後からの空気を震わせる唸り声と地面を響かせる足音に、現実逃避もままならない。

 気が付けば、見知らぬ森の中にいた。屋久島にでも行けば拝めそうな自然の中。もちろん来た覚えなんてない。じっとりと湿った地面に、雨でも降っていたのかとぼんやり考えていた。木々の間から見上げた空は、薄闇の広がりつつある夕暮れ時。先ほどまで、確かに青空を見上げていた覚えがあるのに。現実との差異に、頭がうまく働かなかった。

 ようやく立ち上がり、ここは何処なのかとなるべく冷静に考えようとして


 目の前に熊とは何事か。


 思わず見つめあってしまった。死んだふり……ってあぁあれはデマだっけ、等と考えながら、じり、と一歩後ろに下がる。熊のようだが、耳は大きく尖り、ふさふさの尾は長く揺らめいている。サイズは熊だが、見方を変えればごつい犬のようでもある。

 もちろん、唯一はそんな生物を知らない。

 そして、野性味あふれる雄叫びを合図に地獄の追いかけっこがスタートしたのだった。

 現在走り始めてから数分後。実際どれ程の時間が経過したのかは、正確には分からない。休憩を切に求める身体に鞭打って、ただひたすらに走り続ける。戦うなんてもっての外だ。あの犬熊、牙とか爪とか凄かった。涎垂らしてたし。見知らぬ土地で未確認生物に喰い殺されるなんて、絶対に嫌だ。

 最初は、知らない間に誘拐でもされたかと思った。長時間眠っていたのなら、空の色の変化も説明が付く。だが、そんな言い訳じみた考えは、獣の雄叫びによって吹き払われた。日本に限らない、地球上のどこにあんな生物がいるのだろう。唯一が知らなかっただけでそんな物が居たのだとしても、そんな場所にどうやって移動したと言うのか。

 空想じみた現実。唯一の知る世界とは全く違う所。異世界ってやつか、と半ば現実逃避気味に考える。だが目覚めたのは祭壇でも魔法陣の上でもなく森の中。誰もいない、誰も助けてくれない、ただ一人。

 小説とかのお約束だと、こういうピンチにはイケメンなヒーローが助けに来る。最近の若者向けジャンルでは、変な髪色の美少女だろうか。偏見かもしれないが、こう、火の玉とか飛ばして助けてくれる的な。あまりたしなんだ事はないので良く知らないが、今はそれに縋りたい気分でいっぱいだ。

 それでも、何も、起こらない。

 ただただ、死に近づいていく。

 背後からの荒い息に、もう追いつかれたのかと絶望がよぎる。先ほどから逃げながらフェイントを交えて、何度も木にぶつけさせているのだが、効いていないのだろうか。それとも馬鹿にされたと怒って、痛覚を感じていないのか。あ、後者ありえそう。

 と、どんっ、と背中を強く押されたかのような感触が走った。あれ、と何か思う前に、地面が目前に迫り頬に泥水が跳ねる。やっと過酷な労働から解放された、とでもいうかのように、さっきまで動いてくれた足はサボタージュだ。それどころか、身体全体がストライキ。意志に反して、指先さえも動かない。

 背中が熱い。頬にべしゃりと付いた泥は冷たいのに。指先は、冷えて行くのに。力なく、瞼が半ばまで下りてくる。ひゅぅひゅぅと喉は酸素を求め、その貪欲なまでの生命の足掻きに苦笑が漏れる。

 もう、無駄なのに。

 俺は、ここで死ぬのだろう。

 視界が霞み、まどろみが意識を優しく包み込む。その中で唯一は、ただ一言、呟いた。

「………しにたく、ねぇな……」


   +++++ 


「………夢オチは無しか……」

 思わず、目覚めて最初に言ってしまった。意識が覚醒してから目を開ける前に散々祈ってみたが、視界には見覚えのない天井が映っている。家で見慣れた白い壁紙でなく、石造りらしきレンガ模様。

 恐る恐る視線を動かし、首を動かし、部屋の中を見回す。大きな本棚には本が詰まっており、机にも本が何冊か散らばっている。小さめだがタンスもあり、今寝ているベッドを入れて、この部屋の家具は全てのようだ。一人暮らしの部屋ってこんな感じかな、とよく分からない感想を抱いていた。

 自分の状況も周りの環境もよく分からないので、どうにも判断できないのだ。とりあえず、死んだわけではなさそうだ。ここが死後の世界だとしたら、恐ろしく平凡ではないだろうか。もう少し夢がほしい。

「………ッ!」

 身体を起こすと、背中に痛みが走った。不意打ちの痛みに悲鳴さえ出ず、身体が硬直する。あの犬熊にやられた怪我だろう。上半身にぐるぐると包帯が巻いてある。痛みからして、そこまで深い傷ではないようだ。もっとざっくりいったかと思っていたが。案外、冬だったから厚着していたのも良かったのかもしれない。

 まぁ、走っている時は死ぬほど暑かったが。厚手のTシャツなんか着なければ良かったと本気で思ったが。脱がなくて正解だった、かもしれない。

 そろそろと動けば、そこまで痛みは感じない。ゆっくりとした動きでベッドを下りて、並べられていたスリッパを履く。そういえば、下半身も着替えさせられていた。柔らかい布の緩いズボンで、パジャマのようだ。

 手当をして、着替えさせてくれた人が居るはずだ。その人にとりあえず状況を聞こう。願わくば、言葉が通じますように。何しろ犬熊の前例が在る、何が出てこようと不思議ではない。

 と、正面のドアノブがガチャリと音をたてた。ドアが開き、その向こうに立っていた人物が顕わになる。

 光を受けてブロンドの髪がきらきらと輝き、うなじで束ねたそれは背中まで届いている。眼は晴れた空のような薄い青。現代日本に現れたら確実にメディアによって国民的アイドルになってもおかしくない顔立ちだった。正確な年齢は分からないが、二十歳前後といったところか。

 彼は身を起こした唯一に気付くと、端正な顔立ちに安堵を浮かべた。手に持っていた本を机に置き、唯一に微笑みかける。

「起きたのか、良かった」

 うわ、日本語。

 ファンタジーなお約束的展開に、思わず内心で突っ込みを入れる。本棚に並ぶ文字列はどう考えても日本語どころか英語でもないし、家の様子も人間も日本とは程遠いのに。

 黙り込んだままの唯一に、彼は困ったような顔で椅子に腰かけた。唯一と向き合い、えぇと、と口ごもる。

「こ、言葉、分かるか? 見たところこの辺りの人間じゃないみたいだけど……」

 唯一の無言を、言葉が分からないと受け取ったらしい。黒眼黒髪、肌の色も微妙に違うのだから当然の反応かもしれない。慌てて口を開く。

「わ……分かる。ちゃんと、通じてる」

「そっか、良かった。俺はアルファルド。昨日、森で倒れてたあんたを拾ったんだ」

「あ、ありがとう」

 とりあえずお礼を言って、口ごもる。彼―アルファルドが名乗ったのだから名乗り返すのが妥当だが、自分の名前をそのまま言っても大丈夫だろうか。自分を助けてくれた恩人だが、何があるか分からない中で迂闊に信頼してはまずいだろう。もしかしたら、異世界なんて信じてくれないかもしれないし、最悪怪しい奴だと痛い目にあわされるかもしれない。

 再び黙り込んだ唯一に、アルファルドが嘆息する。疑っているのが伝わったのだろう。

「いきなりで信用できないのは分かるけど……せめて、名前くらい教えてくれないか? 見たところ迷子のようだし……どこから来たんだ?」

 言いたくないなら、言わなくても良い、と付け加えて。アルファルドは優しく微笑んだ。

 信用、できるだろうか。少なくとも命の恩人だ。怪我の治療をして、助けてくれた。迷惑をかけないためにも保身のためにも、とにかく異世界の人間だとばれないようにするしかない。

「名前は……唯一。どこから来たかは、言えない」

「タダカズか……やっぱり、この辺りの人間じゃないんだな。とりあえず……」

 ん、とアルファルドが俯いて考える。その姿も様になっているので、美形は何したって美形だよなぁ、と唯一は思っていた。若干現実逃避が入っているが、それはもうどうしようもないと思う。

 そして、ぐうぅぅぅ、という間抜けながらも切な欲求の唸り。

「……メシにするか?」

「……御迷惑をおかけします……」

 穴掘って埋まりたい。


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