真佐江 1-11
PM 14:15 真佐江の職場。
(あーもう、今日どうしよっかなー)
真佐江は高速でキーボードを打ちながら考え事をしていた。
「野々原くん」
(ギガちゃんたちが心配だから異世界に寄ってから帰りたいけど、あの変なやつに体をまた乗っ取られたら癪だしなー)
「野々原くん、野々原くん」
「……あ? じゃなくて、はい。なんですか課長」
真佐江は背後に立っていた課長の佐藤に目線だけ向けた。マスクをしていてもにおってくる強烈な香水臭が吐き気を催した。なるべく呼吸をしないようにする。
「君の報告書だけまだ提出が終わってないみたいなんだけど〜? どうなってんの〜?」
佐藤が真佐江のデスクに手をつき、距離が近づく。
高級ブランドの香水らしいが、香料のきつい整髪料のにおいと体臭とかがごちゃまぜで、ただの悪臭でしかない。なぜ本人がこの悪臭と共存可能なのか謎である。
真佐江は悪臭に我慢ができず、タイピングしていた左手をマスクの援護に向かわせた。
「ああ、その件でしたら、チームリーダーの鈴木さんがコロナで欠勤中なので復帰後の提出でいいと部長に確認が済んでます。なので他の件を優先してます。ご心配不要です」
右手でキーボードを高速打ちしながら真佐江はノー・ルックで返事をする。
「だめだよ野々原く〜ん、そういう大事なことはさ〜、ちゃんと上司である僕に報告してくれなくちゃ〜」
ねちっこい口調の佐藤へ一切視線を向けず、真佐江はディスプレイにもう一つタブを展開した。
この悪臭公害男に一刻も早く消えてほしい。
呼吸が限界だ。真佐江の肺が新鮮な酸素を要求していた。
「……課長にもメッセージ共有してありますよ、お見逃しではないでしょうか。
ご自身の端末をご確認ください。私の送信は……締切の二日前ですね」
社内メッセージの該当部分にカーソルを合わせ、ぐるぐると動かした。
「あれ? そうだった? ごっめーん、僕宛のメッセージが多すぎで見逃しちゃったよー。君よりも忙しいもんでさー」
真佐江の胃が限界を迎えた。
イライラと悪臭で。
(だめだ……吐く……!)
バンッ! とデスクに手を叩きつけ、真佐江は立ち上がった。
「うわ! なんだよ! キレるなよー!」
真佐江は佐藤の返事を待たずにトイレへ駆け込んで吐いた。
そしてすぐに体調不良を理由に早退した。
・・・
真佐江が向かったのは、以前お世話になった消化器内科だ。
午後の診察開始直後で混んでいなかったため、予約なしでもすぐに診察が受けられた。
「野々原さん、久しぶりだね。またストレス性胃炎かな?」
受診は数年ぶりだが、クリニックの医師は親しみやすい口調で問診を開始した。
「はい、たぶん……。
ずっと調子よかったんですけど、最近になって急にイライラと胃痛と……吐き気も出てくるようになって……」
「ふんふん、なるほどね。
んーと、前にここに来てた時は婦人科もかかってるって言ってたね。そっちもまだ通院中?」
「あ、いえ。最近はずっとストレス発散はうまくできていたので……、婦人科の方はむしろ改善したって言うか……」
そこまで言いかけて、真佐江は固まった。
(…………あれ……?
最後に来たの……いつだ……?)
異世界体験に通うようになってから、ホルモンバランスが正常になり、月のモノも順調にサイクルが整うようになった。
すっかり忘れていたが、よく考えたら毎月来るはずのものが止まっている。
(……いつから? ――そうだ! 誕生日を過ぎてからまだ一回も来てない!
まさか40歳突破のタイミングと共に閉経&更年期か!? マジかよっ、早すぎだろ!!)
真佐江の頭から血の気が引いていった。