ネコになった悪役令嬢
夢でヒントを得た物語です。楽しんでいただけたら、嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
「エヴァンジェリン、君のその無礼な態度には、もう我慢できない。婚約を破棄させていただく!」
「……ミャア」
「……え?」
私の婚約者エヴァンジェリン嬢は、侯爵令嬢だ。
幼い頃に決められた政略結婚で、長い付き合いになる。
だが、彼女はいつも顔色が悪く、イライラして怒りっぽく気難しい人なんだ。
いくら『完璧令嬢』と呼ばれようとも、転校してきた平民の女生徒に対する苛めは酷かった。
転校生が作ってきてくれたお菓子を叩き落とし、遅刻しそうなエヴァンジェリンを助けようと彼女の手をとったのを突き飛ばす。
転校生が笑えば、品がない、頭痛がすると酷い言葉ばかりを投げかける。
しかも、今日は前触れもなく私の屋敷に入り込み、許可なく部屋に入ってきたのだ。
こんな無礼を、許すことはできない!
私達は見なくても、お互いの居る位置がわかる。
魔法の込められた婚約指輪のおかげだ。
浮気防止なのだろう。
だからこの時、彼女を見ていなかった。
私は部屋に無断で入ってきたエヴァンジェリンに、顔を向けることなく婚約破棄を告げたのだ。
返事はミャアだった。……ミャア?
彼女の方を見ると、ソファの上に真っ白なふわふわの猫が鎮座していた。
サファイアのようにきらめく瞳は、エヴァンジェリンと同じものだ。
柔らかそうな毛は美しく、撫でると気持ちよさそうである。
私の婚約指輪は、彼女がエヴァンジェリンだと告げている。
だが、猫だ。
どう見ても猫だった。
「……エヴァンジェリン…?」
「ミャー!」
猫は嬉しそうに鳴くと、私のほうに駆けよってきた。
頭を私に擦りつけると、エヴァンジェリンの愛用している香水の匂いがした。
猫の柔らかな感触に、私はほっこりする。
それから、猫は机の上に飛び上がる。
置かれている新聞の文字を、器用に爪で指差した。
『わ・た・し・は・あ・さ・お・き・た・ら・ね・こ・で・し・た』
どうやら、この猫は本当にエヴァンジェリンのようだ。
猫の小さな指に、婚約指輪がついている。
魔法がかかっているので、教会で婚約解消を宣誓しないと外れないと聞いてはいた。
猫になっても、伸縮して外れないんだなと感心してしまった。
『い・え・の・だ・れ・も・わ・た・く・し・だ・と・わ・か・っ・て・く・れ・な・く・て・ほ・う・き・で・た・た・か・れ・ま・し・た』
彼女は実家を追い出された後、私を思い出した。
助けを求めて、ここまで歩いてきたようだ。
馬車で30分ほどの距離とはいえ、道中は魔獣が出ることもあるし危険だ。
大変だったろうに……。
よく見ると、エヴァンジェリンの足から血が出ていた。
私は彼女をベッドで休ませて、侍女と執事を呼んだ。
彼女の体に触れると、肋が浮くほど痩せていて驚いた。
侍女に猫の食べるものの用意と、執事に猫を診られる医者の手配を頼んだ。
2人は目をキラキラさせた。
「なんて美しい猫ちゃん…!」
「おまかせください! 最高の医者を手配いたします」
「ありがとう。任せたよ」
2人とも、猫好きなようだ。よかった。
信じがたい話だが、朝起きたら猫になってるなんて……な。
呪いか、神の怒りか……魔法?
魔法学院では、そんな魔法があるなんて教わったことはない。
いずれにしても、禁術といわれるものだろう。
エヴァンジェリンと婚約破棄するにしても、彼女を人間に戻さないといけない。
猫と教会で婚約破棄の宣誓しても、認められない気がするからな。
幸い、私もエヴァンジェリンも、卒業に必要な単位は全て取っている。
私はしばらく休学して、エヴァンジェリンを人間に戻すことに専念することにした。
いつもツンとすましている彼女が、自分を頼ってくれたことが嬉しかった。
両親に事情を話すと了承してくれた。
理解のある親でよかった。
(天国って、きっとここなんだわ……)
猫になったエヴァンジェリンは、生まれて初めて、ゆっくり好きなだけ眠っていた。
朝から深夜まで、多岐にわたる厳しい家庭教師、学園生活、ボランティア、母について屋敷運営について学び、コルセットをギリギリまで締め上げられ、姿勢が崩れると叱られた。足から血が出るまでダンスレッスンをした。
猫になって、この屋敷で好きなだけ、綺麗な景色を窓から眺めた。
人間の時は、楽しむ時間はなかった。
天気のいい日は、思う存分日向ぼっこをする。
貴族女性は、日焼けした肌を嫌うために、太陽の下で過ごしたことはなかった。
(太陽の光って暖かいわ…)
お腹いっぱいご飯を食べて、ゴロゴロした。
いつもはコルセットで体を締めつけられ、食べすぎると、気絶する程息苦しくなった。
どんなに大好物でも美味しくても、途中で諦めなくてはいけない。
腹が立って、婚約者のノーマンや料理長に、人気店の菓子や美味しいものを止めろと叫んだこともある。
転校生が大量の大型のクッキーを差し出した時は、頭に血が上って叩き落としてしまった。
足が痛い時、転校生に引っ張られた時は、突き飛ばしてしまった。
睡眠不足と疲労と痛みに耐えてる時、隣で大声でばか笑いをされたら、割れるように頭痛がした。
皮肉しか出なかった。
(もう、疲れ切っていたのだわ…)
嫁ぎ先が没落することがあっても生きていけるようにと、厳しく教育してくれた実家には感謝はしている。
だが、いつも欠点を探されては叱られる日々は、辛いだけだった。
褒められたことすらない。
限界だったのだ。今なら分かる。
呪いが解けたら、転校生にも謝りたい。
許してもらえるか分からないけれど……。
(ノーマンには感謝しかないわ)
婚約者のノーマン・ヒペリカム。公爵令息。
猫になった自分を理解し、保護してくれた。
実家は、行方不明になった事を隠したのだ。
病気療養とされて、領地に引っ込んだことにされてしまった。
醜聞を恐れたのだろう。
それをノーマンから教えられた時は、開いた口がふさがらなかった。
ノーマンは休学して、わたくしが人間に戻る方法を探してくれている。
高名な魔法使いや神官を連れてきて、私を診せてくれた。
それで分かったのは、禁術の呪いをかけられたということ。
呪いを解く方法は、分からなかった。
私とノーマンは、たくさん話し合った。
彼が私の家での教育に怒ってくれて、心が暖かくなって涙が出た。
彼はきっといい夫になる。
彼を見ると、胸がときめくようになった。
頭や体を擦りつけてしまう。
彼も笑って、嬉しそうに撫でてくれる。
(ずっとここに居たい。彼と一緒にいたい。それには、呪いを解かなくてはならないけれど……)
呪いで猫になってしまった、私の婚約者エヴァンジェリン・リリーベル。
驚いたのは、彼女がとても穏やかに過ごしていることだ。
彼女のことだから、怒りで暴れる凶暴猫と化すと想像していた。
話を聞いてみれば、常にコルセットを締め上げられて食事もままならず、深夜に及ぶ教育で疲れ切って睡眠不足だったそうだ。
淑女の嗜みとして、それを笑顔で隠していたらしい。
リリーベル家の教育方針に腹が立った。
彼女を人間に戻すことができても、彼女の実家には帰さない。
彼女は僕の婚約者だ。問題はない。
このまま結婚してしまおう。
私に擦り寄っってきて、甘えるように前足でふみふみしてくる。
エヴァンジェリンの温もりに癒される。
ずっとこうしていたかった。
そういえば魔法学院の友人から、卒業パーティーに出席しないかと手紙がきていた。
平民の女生徒を苛めた連中を、そこで断罪するそうだ。
……どうでもいい。
エヴァンジェリン以外の誰かをパートナーにして、出席する気にはなれなかった。
私の色を纏ったエヴァンジェリンは、それは美しいだろう。
体を締め付けないデザインのドレスを贈りたい。
それに希少な癒しの光魔法の平民だからとて、あそこまで入れ上げた自分はおかしかった。
小さな怪我を瞬時に治すだけなら、普通に手当てするだけでも事足りる。
手当ての教育もきちんと受けたエヴァンジェリンの方が、役立てるはずだ。
私は、エヴァンジェリンのことを何も知ろうとしてなかった。
これからは、もっと彼女を知る努力をしよう。
私の腕の中で、嬉しそうに喉をゴロゴロ鳴らしているエヴァンジェリン。
彼女を優しく撫でながら、必ず人間に戻すと私は誓った。
ある朝目覚めると、枕元にエヴァンジェリンが眠っていた。
私が名を呼ぶと、起き上がって近づいてきた。
すっと顔を私の顔に寄せてくる。
挨拶のつもりらしい。
その仕草が愛しくて、私はエヴァンジェリンの口にキスをした。
本当は、人と猫がキスをするのは良くないらしいのだが。
突然、エヴァンジェリンの体が輝いて、大きく膨らみ出した。
ゆるゆると人型になり、元の姿のエヴァンジェリンになった。
女神のように美しい、生まれたままの姿だ。
エヴァンジェリンは驚いて、私の腕の中で真っ赤になってうつむいてしまった。
なんて愛おしいんだろう。
「ノーマン様、あの、これは一体……」
「大丈夫だよ。優しくするから」
侍女が、私の支度を手伝うために部屋に入ってきた。
私は掛け布団で、エヴァンジェリンを包み込む。
驚いている侍女に、エヴァンジェリンの下着と服の支度をお願いした。
侍女は、こぼれそうな程目を見開いていたが、何も言わず対応してくれた。
……助かる。どう見ても、情事の朝だからな……。まだ何もしてないんだけど……。
私のキスで呪いが解けるなんてな。
まるで、おとぎ話のようではないか。
今後の対応を考えながら、私はにやけてしまった。
速攻で式を上げてしまおう。
人に戻った彼女は、健康的な薔薇色の頬で、恥ずかしそうに微笑んでいた。
とても綺麗だ。
エヴァンジェリンが猫になったおかげで、私は彼女の魅力に気づけた。
呪いをかけた奴は許せないが、感謝はしている。
突然、わたくし人間に戻れましたの。
ええ。ノーマン様とキ、キスをして。
わけがわからないけれど、嬉しくてたまらないわ。
ノーマン様は、裸の私を隠すようにしてくれましたの。
侍女に支度を頼んでくれました。
侍女の方も驚いたようだけれど、落ち着いて支度をしてくださいました。
その後どうなったかというと…わたくしの実家と話し合い、領地での療養から公爵家での療養ということになりました。
ノーマン様のたっての希望で、すぐ結婚式をあげることになりました。
身内だけの小さな式をして、披露宴は後ほど大々的にあげるそうです。
私に呪いをかけた方は、結局わかりませんでした。
卒業式も卒業パーティーも出られませんでした。
ノーマン様もです。
申し訳ない気持ちでいっぱいです。
そうそう、平民の女生徒の方なんですが、行方不明になられたそうです。
卒業パーティーの控え室から、突然いなくなったそうです。
代わりに、野良猫が彷徨いこんでいたので、彼女と仲の良かった男子生徒達が追い出したんですって。
……まさかね……。呪いはかけた本人に戻るというけれど。
そして、逆断罪劇というものがパーティー会場で起こったんですって。
どういうことかしら。詳しくは、教えてもらえないの。
私はノーマン様と仲良く暮らしています。
ノーマン様と話し合って、十分な睡眠・健康的な食事・適度な運動・2人でゆっくり過ごす時間を最優先に決めましたの。
その生活を守るため、よく話し合っています。
猫も飼いました。
お腹にいる子も、きっと猫好きになります。
……その後、一匹の猫が路地裏をとぼとぼと歩いていた。
カラスや犬や狐、道路を歩く馬車の馬…猫が嫌いな人……怖いものばかりで猫は弱りきっている。
(なんなのよ! 殿下も他の皆も! 私を汚い猫だって追っ払って!! 一番推しだったノーマン様は、会えなくなっちゃうし……。好感度アップのクッキーだって、あの悪役令嬢に邪魔されて食べてもらえなかったし! 邪魔だったから、王家の禁書にあった呪いをかけて追い払ったのに! 殿下にこっそり見せてもらった禁書だから、確実なはず!男爵家の誰も私だと分からなかった……。可愛い可愛いって言ってくれてたのに……)
猫は、呪いがかえってきた転校生の元平民のオリビアだった。
「どうした?腹でも減ってるのか?」
突然声をかけられて、オリビアは上を向いた。
孤児院時代、仲がよくて一緒にいた幼馴染のハリーという男性だ。
「これだけしかないけど、食べろよ」
ハリーは、ひとかけらのパンと少しの野草のスープをくれた。
オリビアは知っている。
これだけでも、孤児にとっては大切な食事だ。
「行くとこないなら、うちに来いよ。おまえ、昔の知り合いと目が同じだ。まあ、あいつは貴族の家に行って美味いもん食べてるだろうけどよ」
ハリーはニカっと笑った。
よく見ると、過酷な肉体労働でもしているのか、傷だらけだった。
(しょうがないわね!昔っから鈍臭い子だったわ!)
肉球をハリーの傷に当てて癒す。
「お!? おまえ、オリビアみたいだな!」
「ミャー!(オリビアよ!)」
オリビアは、ハリーと暮らすことにした。
彼女が、人間に戻れるかはまだ分からない。
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