03
「ほら、いっぱい食え」
「いいの?」
「ああ……飯を食わせたくらいでは許されないことだが、少しずつ返していくからよ」
「分かった。いただきます」
小衣と同級生の女子――日花が作ってくれたごはんを食べていく。
どれも小衣の手料理に負けないくらい美味しいもので、最初の警戒心なんかどこかに飛んでいってしまった。
「あのよ、あの金って本当はなんなんだ?」
「あれは生活費」
「いや、それも嘘なんだろ?」
どうやらバレているようだ。
動かしていた手を止めて彼女を見つめる。
なにを勘違いしたのか「今日はこれくらいしかできないぞ」と呆れたような笑みを浮かべた。
「私の同級生が小衣のファーストキスを奪ったんだ。だから、そのお詫びとしてあの大金」
「なるほどな。いや俺もよ、気になったから聞こうとしただけなんだよ。でも、あいつが大声を出すからつい掴んじまってな」
「もっと冷静になった方が良かったと思う、僕も日花も」
「そうだよな……小雪を落としちまったからな……」
「生きてるしおっけー。ごはんも美味しい。それに逃げることなくちゃんと来ただけで偉いと思うよ」
残念なのは小衣の心はもう織宮に向かってしまっているということだ。
それを望んだのは自分のため強くは出られないが、悲しいことには変わらない。
家に帰ったらほぼ母とふたりきりというのも微妙で、これからどうやって時間をつぶそうかいまから考えておかなければならない。
「というか小雪……歳上なんだよな」
「うん、だからこんなに胸も大きい」
「いや、小さいぞ」
「……ごちそうさまでした。美味しかった、また今度も食べさせて」
「おう、それくらいならいくらでもいいぞ」
女の子なのにどうしてこんな男の子みたいな話し方なんだろう、名前も可愛らしいのにもったいない。
「日花、その喋り方はなに?」
「あー……親戚に小さいのがいてさ、姉代わりというか兄代わりなんだよ。俺は家の中で遊ぶより外で遊ぶ方が好きだからな」
「私は見ているのが好きだよ」
小衣が外で遊ぶ時はとても楽しそうだったから邪魔したくなかった。
自分といる時では見られない種類の笑顔というのもあるんだ。
日花は「ははっ、小雪は確かに運動とかしなさそうだよな」と少し失礼なことを言ってくれたが事実なので食いついたりはしなかった。
「そろそろ帰る」
「おう……今日は本当に悪かったな。その同級生みたいに金を渡してやれなくて悪いが……」
「別にいい、日花は気にしないで」
さあ、大切な人のいない家に帰ろう。
大丈夫、今生の別れというわけでもないし、いつかまたゆっくり会話できる時がくるはずだから。
「お、お風呂、ありがとうございました」
「別にいいわよ、いちいちお礼なんて言わなくて」
「あの……お姉ちゃんは本当に大丈夫ですかね」
「どうかしらね……あの子、どこか無理しているんでしょうからね今回は」
本当なら今すぐにでも家に帰りたい。
直接顔を見て夜遅くまで話したり、一緒のお風呂に入ったりしたい。
でも、紫音さんの辛そうな顔を見ていたらそれも放っておけなくて、こうして来た形となる。
「服、大きいかしら」
「いえ、大丈夫です、ありがとうございます」
勝手にキスされた時は最低とか思ったけど、あの紫音さんとふたりきり、紫音さんの服を着て家でふたりきり……意識するとドキドキしてくる。
「お金、本当にいいの?」
「……はい。あの、あれはなんのお金なんですか?」
「生活費よ」
「え……そ、そんなの駄目じゃないですか」
50万円の生活費って凄いけど。
高校でひとり暮らしができているということはお金持ちなのだろうか。
「駄目なのは勝手に奪うことでしょう? 冗談だと思った? 本気で罪悪感を感じているのよ?」
「い、いえ……」
「嫌かもしれないけど、寝るのは一緒の部屋でもいい?」
「嫌ではありませんよ」
「そう、それならもう部屋に行きましょうか」
こくりと頷いていい匂いの紫音さんに付いていく。
そもそもこの服がもういい匂いをしている感じがして、クラクラとしてきてしまった。
「小衣?」
「あっ、行きます」
中に入らせてもらって端の方に座っていたらわざわざ紫音さんが横に座った。
彼女の家なのだからどこに座ろうが彼女の自由だけど、意識してやっているんじゃないかって不安になる。
「小雪と違って髪が長いわよね」
「はい、お手入れは大変ですけど好きなんです」
お姉ちゃんには冷たくするけどそれ以外では母のことが本当に好きだった。
だからそれを真似た結果がこの髪型であり、現在もまだ伸ばし続けている。
「いいわね、似合っているわよ」
「あ、あのっ、なんで触って……」
「あ……ごめんなさい、あなたが綺麗だから」
「や、やめてください……」
そんなお世辞を言われたってドキドキなんか……しない。
「そういえばあの時のことなんだけど、あなたの唇、柔らかかったわよ」
「い、いまそういうことはっ」
「なんで? ねえ」
「だ、駄目ですってば!」
その先を言わせたら恐らくまた硬直の魔法にかかってされてしまう。
――だけど紫音さんならという気持ちがあるのは分かっていた。
「……私だけって決めてくれるなら、いいですよ」
彼女はこちらを優しく抱きしめて「大丈夫」と穏やかな声音で呟いた。
家に泊めてくれたのはお姉ちゃんとか一切関係なく自分の意思だったんだろうか。
「私が言うのもなんだけど、小雪のことはいいの?」
お姉ちゃんのことは大切だ。
でも、そこから先に進めるというわけでもない。
おまけに他の人とキスをしてしまった今となっては、もう受け入れてはもらえない。
だからいいんだ、今度は自分の意思でしてもらう。
「して……?」
「――っ、え、ええ……分かったわ」
目をつむって待っていると唇にまた柔らかい感触。
けれどあの時とは違って苦しさとかは微塵も感じられなかった。
それどころか紫音さんがしてくれて嬉しいとすら感じている自分もいる。
自分ってこんなに軽い女だったんだってちょっと笑いそうになったけど、なんとか我慢した。
「ありがと……」
「ごめんなさい」
「え? なんで謝るの?」
「やっぱりこんなの駄目よ、まだ付き合ってもいないのに……」
「勝手に奪った人が言うの?」
「それを言われると痛いわね……」
もうこのままメチャクチャにしてほしい。
そうすれば取り返しがつかないところまでいって、お姉ちゃんへの罪悪感も無くなる。
「紫音さん――いや、紫音」
「ぐ、グイグイくるのね今日は」
「もうこのままメチャクチャにして」
「……ごめんなさい、今日はもう寝るわ」
「あ……私も隣で寝る」
一緒の布団に入らせてもらった。
そのまま手も握って、逃げられないようにする。
やっていて思った、実は自分は肉食系なんじゃないかと。
「小衣……離しなさい」
「やだ、紫音がその気にさせたんだよ? それとも私だけってことじゃなかったの?」
「それは違う。ちゃんと守る、あなたを愛するわ」
「じゃあなんでしてくれないの?」
今回は拒絶することなく受け入れるのに、拒絶されると凄く悲しい。
それとまだ引っかかってしまうので、もう紫音のものだって証拠を残してほしかった。
「どうせするなら飛び飛びではなくしっかりとゆっくりとね。だって初めての恋なのよ? キスしてしまったのは失敗だったけれどね」
「え……」
「キスなんてしたから慣れているとでも思った? あれは気づけばしてしまっていたのよ」
それで生活費を持ってきたはいいけど何円か分からないから全額ってことなのかな。
そう考えると可愛すぎてキュンキュンときてしまった。
彼女の頭を勝手に抱きしめてひとりだけ満足してしまう。
「あなた積極的なのね」
「ごめんね……だけど紫音色で染めてほしいの」
そろそろお姉ちゃん離れをしないといけない。
それがいまはちょうどいい機会なんだ、この出会いを大切にしようと私は決めたのだった。
4月もあと1週間で終わるというところまできた。
正直に言って小衣のいない生活が辛くてなにがあったのか覚えていない。
分かっているのはあの子にとって私が必要なくなったということだろう。
元々仲良くもなかったオリシーは放課後になったらすぐに出ていく。
フウフウも基本的に他の子といるから常にひとりぼっちのようなものだ。
「あー……」
家に変える気も起きなくて、このままずっと放課後であってくれたらって思う。
時間が止まってしまえばいいのにとすら思った。
「小雪」
「あ、日花」
「どうしたんだよ、そんな絶望したような顔をして」
妹離れしようという気持ちと、妹と離れて悲しいという気持ちが綯い交ぜになっているからだ。
「教室での小衣ってどんな感じ?」
「普通だな、休み時間になるとすぐに出ていくが」
そりゃそうだ、織宮だって出ていくし。
誰もいない空間でなにをしているかなんて考えるまでもない。
受け入れたってことなんだ、そうしたらもう止まらないのが普通なはず。
ということはもうあんなことやこんなこととか……。
「ふっ、妹離れできていないようだな」
「そんなことない。元々1年間はひとりだったんだから普通だよ」
机に突っ伏す。
「帰らないのか?」
「うん」
居場所はもうここくらいしかない。
でも、楽しそうにしている織宮を見ると引っかかる。
小衣といる時は本当に楽しかった。
というか、最低限の勇気を貰えた、小衣だけが味方だったから。
だけど今は違う、もう味方ではなくなった。
だってそうじゃなければ一切連絡してこないっておかしい。
「うぅ……」
「まだ痛むのか?」
「うん……痛い」
別に階段から落ちた時のそれはもうないけれど。
「飯、食うか? あれくらいならいくらでも作ってやるが」
「うん……食べる」
彼女の優しさにつけ込むようなことをしてしまった。
食べさせてもらうために移動してから馬鹿な私は気づいた。
いざ彼女の手料理を前にして、以前みたいに手は動かなかった。
「どうした? 冷めちまうぞ?」
「日花ごめん……私は最低なことをした」
「ん?」
「……小衣に相手にされない精神ダメージの話を出した、から」
しかも作ってもらってから言う辺りが汚い。
外食に行って食べ終えてからお金を忘れて払えないと同等くらい悪いことだ。
「別に気にするなよ、ほら早く食べてくれ」
「うん……ありがたくいただくね」
しかしまあなんとも暖かくて色々と感情をくすぐられ目頭が熱くなってしまった。
食べながらポタポタと机やお皿の上を汚していく、しょっぱく感じるのは多分全部このせい。
「いい子だな」
「え……」
「あっ、悪い……親戚の子がいるって言っただろ? よく泣く子がいてさ、これをすると落ち着くんだ」
「……日花はお姉ちゃんみたいだね」
「逆だろ、小雪がお姉ちゃんだろ?」
ダメダメな姉だけど。
結局、小衣のためになにかをしてあげられたことは1度としてなかった。
逆に支えられていた、小衣がいるからって変わらないことを望んでしまった。
そりゃ離れたくなる、会話だってしたくなくなる。
それが今、色々なのが重なって爆発したというところなんだ。
「美味いか?」
「うん……日花料理上手」
このままそれで埋め尽くしていけば小衣が作ってくれたごはんの味も忘れられるだろうか。
日花と過ごしていればこのダメージだっていつかはなくなってくれるのかな。
「……小雪、家が辛いのか?」
「お母さんには悪いけど帰りたくない。小雪がいないあの家なんて帰る意味ない」
「……俺の家に住むか? そうすれば返せていけると思うんだよな」
正直揺れた、今すぐにでも手を伸ばしてそれを掴み取りたかった。
本人が言ってくれているのなら素直に甘えておけばいいのかもしれないけど、やっぱり駄目だ。
「ありがと……でも、日花に迷惑がかかるからいい。あんまり説得力もないからごはんを食べさせてもらうのもやめる。なにも返さなくていい、いきなり掴みかかろうとした自分が悪かったんだから。ごちそうさまでした、それじゃあ帰るね」
食器をきちんと流しに持っていってから廊下に出ようとした私を日花が止めてきた。
「いちいち気にするなよ、俺がしたいからしてるんだからよ」
こちらの袖を握って、まるで帰ってほしくないかのよう。
「駄目だよ……また甘えてしまうから」
「いいじゃねえかよ、別に俺が拒んでいるわけじゃないんだから」
「どうせいつか離れる! その時になったらまた今みたいな悲しい気持ちになる!」
家族とは違ってこれは完全な消滅を意味する。
自分の意思でそうした場合はより精神を削っていくはず。
「やっぱりまだ痛いんだろ?」
「階段から落ちた時のはもう痛くないよ!」
「別に物理ダメージの話なんかしてねえよ。ここに連れてきたのだって小雪が痛いって言ったからだ」
なんでもかんでもバレバレということだろうか。
だけど駄目だ、甘えることはするべきではない。
「帰る、気持ちだけありがたく受け取っておくよ」
今度は彼女も止めなかった。
だから私は複雑さを抱えながら家へと帰った。
「ただいま……」
「なにをやっていたのっ」
「なにって……友達と買い食いを――」
「これからはさっさと帰ってきなさい! 守れなかったら土日とか家から出さないようにするわよ!」
今日はやけにキレ気味だ。
小衣と衝突してからはずっと見ていなかった、私にとっては普通の母親像。
「分かった……すぐ帰ってくる」
「当たり前でしょ!」
「うん……」
守っておけば怒られないかといえばそうじゃないけど。
精々怒らせないように頑張ろうと決めたのだった。