02
「こんなの受け取れません!」
彼女に押し付けるようにして不要な物を返した。
それは今朝ポストに入れられていた物――封筒の中身は。1万円札50枚。
律儀に『ファーストキス代』なんて書かれた紙も同封されており、それが余計にむかついた。
「あら、まだ足りなかった? これでも一応罪悪感を抱いているのよ? だからそれをポストに入れたの」
「そうじゃなくてっ、なんでそれでお金なんですか!」
「じゃあ逆にどうやって詫びればいいの? やっぱり50枚だけじゃファーストキス代は足りなかったかしら?」
「謝ってくださいっ、勝手に奪うなんて許せない!」
嬉しさよりも恐ろしさが勝った。
普通こんな大金を女子高生が獲得すれば喜ぶだろうが……お金を払って済むと思われるのは心外だ。
「あなた、本当に嫌だったの? キスしていい? って聞いた後、すぐに逃げなかったじゃない」
「それは……手を握られていたからですっ」
「でもあなたはキスされた後、私を押しのけて離れたわよね?」
ぐっ……確かにそうだ、それにその前も瞳から目が離せなかったし、キスされる前は唇から目が話せなかった。
「悪かったわよ」
「あ! もしかしてお姉ちゃんにはしていないですよね!?」
「してないわよ、だって興味がないもの」
は? いまなんて言った?
私の前で絶対に言ってはいけないことをこの人は口にしたぞ。
「許せないっ」
「なにをそんなに熱り立っているの?」
「もうキスしたことはどうでもいいです。でも、お姉ちゃんを馬鹿にしたことだけは許さない!」
それでもこんな人に奪われるなんて最悪だ。
が、どれだけ悔やんだところでもう戻ってきたりはしない。
もしやるとしてもそれは――って思っていたのに……。
「小衣ー」
「お、お姉ちゃん!?」
……学校だからおかしいことではないけど、いまは来てほしくなかった。
というか、同じ教室に存在していることも本当はたまらなく嫌だ。
私がお姉ちゃんと同級生だったら……もう少しくらいは力になれたのに。
「叫んでどうしたの? オリシーと喧嘩でもした?」
「違うわよ、もう戻るわ。それと、これは返しておくわね」
こんなお金使えるわけがない。
だけど言うわけにはいかない代物だ。
「それなに?」
「なんでもないよ。教室に戻るね、友達と約束あるし……」
「そうなの? 良かったね、友達ができて」
友達なんていない。
とにかくこのお金の入った封筒を持っていたくないのだ。
急いでお姉ちゃんと別れて教室に戻ろうとしていた時のこと、
「あっ……」
人にぶつかって封筒の中身をぶちまけてしまったのだ。
当然、ぶつかった相手にも教室内の子にも見られてしまい、慌てて拾ってここから逃げ去る。
「ど、どうしよう……」
「なあ、その金ってお前のか?」
「ひゃっ!?」
小衣の様子がおかしかった。
いや、昨日からずっとそうだ。
一緒に帰っていたはずなのに自分が帰宅してから3時間後に帰宅。
その上、話しかけても「疲れてるから」の一点張り。
……なんか嫌な予感がする。
「ねえ、大鐘小衣、知らない?」
「大鐘さんなら大金を持ってどこかに行きましたよ」
「何円くらい?」
「多分ですけど30万円以上はあったと思います」
「教えてくれてありがと」
妹は確かに堅実でお小遣いも貯めているけど、10万円以上は持っていないはずだ。
織宮が渡していた先程の封筒……あれがそうだったのか? なんで織宮が小衣にお金を渡すのか。
「離してください!」
その時聞こえてきた妹の大声。
急いで階段を登っていくと、登った先で小衣の腕を引っ張る女がいた。
小衣に乱暴を働く人間は許さない、だからそれ以上強い力で引っ張ろうとしたのが悪かったのかもしれない。
なにが悪かったって、小衣に乱暴を働く人間がいるから妹を助けなければならないとしか考えられていなかったこと。
その人間のパワーが強くて、やつの背中を引っ張る、気づいたやつに押される、そして落ちる――という最悪なコンボになってしまったのだ。
「お姉ちゃん!」
最後の聞こえてきたのは妹の大きな声。
最近はよく聞くなあと思いつつ、私の意識は消えたのだった。
上半身を起こすと側で小衣が突っ伏して寝ていることに気づいた。
背中や後頭部がジンジンと鈍く痛んでいることにも気づいた、ついでに保健室だとも。
「起きた?」
「織宮」
「あなた、階段から落ちたのよ」
「知ってる」
寝ている今がチャンスか。
「織宮、小衣にお金を渡した?」
「ええ、昨日ファーストキスを奪ってしまったからそのお詫びにね」
「ファーストキス……を奪ったっ?」
飛び起きて小衣を守るように前に立つ。
「大丈夫そうね、その様子なら」
「私のことはどうでもいい。小衣のファーストキスを奪ったってどういうこと!?」
「ふふ、あなたにしては珍しく大声、慌てている顔ね」
「答えて!」
これだけ叫んでいても小衣は起きない。
このまま終わるまで寝ていてくれるのが理想だ。
だってこんなことされても結局戻ってこない、虚しいだけだから。
「可愛かったからよ。でも、いきなりするべきではなかったわ」
「だからお金? 30万?」
「いいえ、50万よ」
絶対にちびちびと使ってしまって自分では貯められない金額。
それをぽんと渡せてしまう彼女は凄いが、払えば許すというわけでもないだろう。
「……じゃあ責任を持って小衣のことを愛してよ」
「いいの? あなたも彼女のことを大切にしているんじゃないの? 女の子として好きなくらい」
「付いて行ったってことは織宮にちょっとでも惹かれたってことだよ。とにかく、キスだけして終わりなんて絶対に許さない」
母と違っていつも来てくれる小衣には感謝していた。
その可愛さにドキドキとしたことだってあるけど、少なくとも姉妹恋愛よりは通常だと思う。
最初が最悪でも仲良くしていけば幸せになれるかもしれない。
キスだって仲良くなってからすれば恐らく幸せな行為のはずだ。
「分かったわ。元々彼女に興味があったもの」
「うん」
大人しく寝ていてくれた小衣の頭を撫でる。
ごめんね小衣、勝手にこんなことを決めてしまって。
最初は受け入れられないかもしれないけど、仲良くなればもう勝ったようなものだから。
「うぅ……」
「織宮、小衣のことよろしくね。あ、お金はちゃんと持って帰ってよ?」
「あなたはどうするの?」
「私は荷物を持って帰るよ。ついでに、家に小衣を泊めてくれたらもっといいかな」
私も小衣もそろそろ相手から離れなければならない。
姉が妹に依存しているというのも悪影響を与えてしまうだろう。
「上手くいくかしら」
「小衣を見ると傷が痛むから織宮の家に泊めてもらって、ってそのまま伝えてくれないかな」
織宮が勝手に内容を変えて私が拒絶している的な言い方をしてもいい。
喧嘩してしまえば誰だって一緒にはいたくなくなるから。
でもなあ、まさか小衣が高校に入って2日目にこんなことになるなんて。
「分かったわ。気をつけなさいよ?」
「うん」
痛む体を庇いつつ一旦教室に。
「小雪たん大丈夫!?」
しかしまだフウフウが残っていたようだった。
「そのたんってなに?」
「あ、ごめん……と、というかさ、階段から落ちたんでしょ!?」
「うん、滑った。だけど大丈夫、胸があったから助かった」
「え、小雪ちゃんのお胸……そ、そうだよねっ、あったから助かったんだよね!」
フウフウには言わなくてもいいと判断して一緒に学校をあとにする。
「大丈夫? 抱きしめようか? あ、抱きかかえようか?」
「大丈夫、フウフウの家はどこなの?」
「私の家はすぐそこだよ。寄ってく!?」
「じゃあそうさせてもらおうかな」
「おっけー!」
泊まることにしても荷物を取りに来るだろうしその時に会ったら気まずい。
というか私、朝からずっと保健室で寝ていたってことか。
あれ、先生に言ってから出てきた方が良かったのだろうか。
「まあいいか」
「え?」
「ううん」
――確かに風雛の家はすぐ近くにあって大変ではなかった。
中に入らせてもらってソファに座らせてもらう。
「ぐっ……」
「痛むの? 湿布とか貼ろうか?」
「いや、大丈夫」
どちらかと言うと小衣と仲良くできないことが1番痛い。
極端なことをしなくてもいいのかもしれないけど、中途半端にしていると求めてしまうので良くない。
会う時間を減らせば減らすほど会った時に抱きしめたりしてしまうから。
だから完全に距離を置くのがベスト、このまま泊まり続けるとかしてくれれば楽なんだけどなー。
「そうだそうだ、これ、登録しておいて。紫音ちゃんの分もあるから」
「了解」
登録して早速やることは織宮に確認。
『あなたの名前を出したら落ち着いたわ。とりあえず今日のところはこっちに泊まってくれるみたい』
『そっか、ならそのまま泊まらせ続けるって可能?』
50万円もあるんだし少なくとも1ヶ月くらいは泊めても平気だと思うけど。
『私はいいけど、小衣は絶対に文句を言うと思うわよ』
『そこをなんとか』
『じゃああなたから言いなさい』
『分かった』
声が聞きたいので直接電話をする。
「小衣」
「お姉ちゃん! あっ……ごめん大声出しちゃった……大丈夫なの?」
「うん、おけおけおっけー」
「う、うん、なら良かったけど」
これから会うのはやめようとか言ったら絶対に怒るよね。
それでも上手くいったら織宮ベッタリになってくれるかもしれない。
「小衣、これからは織宮の家に泊まってほしい」
「あ、うん……私もそう考えていたところなんだ。紫音さんはひとり暮らしでね、いくらでも泊まってもいいって言うから泊まらせてもらうことにしたんだ。お母さんに連絡したら『生活費は渡す』とだけ言って切られちゃったけど、それって反対じゃないってことだよね?」
あれだけ小衣大好きーだった母にしては意外な決断だ。
でもまあ、これで妹依存症から脱することができる。
「最後に迷惑かけたね」
「最後……とか言わないでよ、姉妹なのは変わらないんだから」
「うん、それじゃあ織宮と仲良くね」
電話を切ってスマホをポケットにしまう。
「妹さんと別れちゃうの?」
「うん」
「だけどなんで紫音ちゃんの家に……」
良かった、小衣もすんなりと受け入れてくれて。
怖いのは母だが、文句は全て自分が受け付ければいい。
「まーいっか、妹さんが紫音ちゃんの家に泊まるんだよね? だったら小雪ちゃんもここに泊まって!」
「私は帰る、心配してくれてありがとうフウフウ」
「いちいちお礼なんてノンノンだよ! うーむ、じゃあ気をつけて帰ってくれよん?」
「うん、ありがとん」
彼女の家を出て今度は逆に学校へ。
「あ、先生」
「大鐘さん! どこに行っていたのっ?」
「全然気にせず帰っていました。すみませんでした」
ただまあ、流石に大袈裟に寝すぎた。
触って確認してみても凹んでいるところは胸以外にないし、さっさと起きるべきだった。
だってもうサボりとか印象が悪すぎだろう。
「無事ならいいけど……大丈夫なの?」
「はい、体や頭は大丈夫です」
「今度からは気をつけてね」
「はい、失礼します」
教室に行って少しだけのんびりとすることに。
「あの、大鐘小衣さんのお姉さんですよね?」
するとすぐに年下っぽい女の子が現れて聞いてくる。
私を見ただけで小衣の姉だと分かるのは凄いと感心。
「うん、大鐘小雪」
「あのお金のことについてお聞きしたいんですけど」
「あれは今月の生活費」
本当はファーストキス代らしいけど、細かいことを言う必要ない。
……私がもし50万円という大金を手にしていたのなら小衣のそれを貰えていたのかな?
「え、あ、そうなんですか?」
「うん、私と同級生の織宮紫音って子と一緒に暮らしてる」
「なんだ……いけないことをしているのかと思ってしまいました」
――いけないことを考えたのはこちらだった。
「小衣は絶対にそんなことをしない。良くない噂とかを流すやつがいたら教えて、潰すから」
「み、見てしまったみんなに説明しておきます!」
彼女は何度も頭を下げてから帰っていった。
小衣がいない家など価値がないため、帰りたくない私は教室に居座る。
「なあ」
「ん? ――お前は小衣に乱暴を働いていたやつ! 絶対に許さないっ」
今度こそ絶対的な力でねじ伏せてやるぞ。
姉は負けない、いつだって小衣にとって自慢の姉でいたいから。
「い、いや……悪かったよ。で、大丈夫か?」
「私? 別に大丈夫。胸が大きかったおかげでクッションになって生き残った」
「胸が大きい……ま、まあ、良かったな」
なんで胸が大きいと言うと同じような反応になるのか。
下を見ればこんなにも大きなそれが――あれ? 階段から落ちて失くなったか……。
「あのよ、詫びしたいからちょっと来てくれないか?」
「もう1回落とす?」
「し、しねえよっ。とにかく来てくれ!」
「あーあー誘拐されるー……」
「しねえよ!」
よく分からないけど悪いことにはならない……ならないと思いたかった。