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そして話は冒頭に戻る。
まさか私の返答のせいでこんなことになるとは夢にも思わなかった。今さら謝っても遅いのはわかっているがそれでも言わずにはいられない。
世界中の皆様申し訳ありません。
世界は滅亡してしまいました。
私の願い、拒絶によって。
でも、それならどうすればよかったのだろう?
初対面の神様にありったけの願いを叶えてもらってから、大人しく嫁に行きますとでも言えばよかったのだろうか。
しかしそれが実行できる人間が、迷いなく決断できる人間が果たして世界にどのくらいいるのだろう?
まぁ、もう世界に謝る相手はいなくなってしまったのだけれど。
人間はおろか、一切合切の生命体が綺麗さっぱりいなくなってしまったのだけれど。
そんな世界で。
何もかもが失われた世界で、絶望を絵に描いたような風景を目の当たりにした私がようやく最初に口にした言葉は、
「どうして…」
ありふれた、どこまでも陳腐な疑問詞ひとつだった。
「どうして?おかしなことを言うんだね」
彼が私を見下ろしながら笑う。頭のネジがひとしきり飛んでしまったような楽しそうな顔で。
「僕はこの世界を治めてるって言ったと思うけど、何故だかわかるかい?それはね、元々この世界を作ったのが僕だからさ」
屋上の柵越しに滅びた世界を振り返りながら彼は続ける。
「だから、この世界は全て僕のものであり、僕そのものでもあるんだ。正確に言うと、この世界が僕の一部であり、目に見える部分というべきかな?つまり、僕が必要ないということはー」
振り返っていた彼がこちらへ向き直る。一瞬前まで荒廃しきった世界を目にしていた顔は、先ほどと打って変わってひどくつまらなさそうで、どこまでも冷酷な顔だった。
「ーこの世界そのものが、いらないってことだろう?」
「そっ…そこまでは、言って、ない…」
咄嗟に反論した私の声は笑えるほど掠れていて。
「なんで?」
「あ、なたが、私に、もう関わってさえくれなければ、私の関係ないところに行って、そこで自由にしてるだけなら、別に私も、なにも、文句はなかった、けど」
「言っただろう?この世界が僕そのものなんだってば。だから君と僕が関わらないようにするとなると、選択肢はふたつしかない。君が死ぬか、世界もろとも僕が消えるか…先に君を殺してしまうというのもなかなか捨てがたい案ではあったんだけど、僕の覚悟を見てもらいたかったし、君が死んだら僕は手が出せないからなぁ。それにこの世界が消えたらどうせ君も生きてはいけないだろう?ならちょうどいいじゃないか」
つらつらと温度をなくした声で彼は淡々と返す。
「ちょ、ちょうどいい…?」
「心中ってヤツさ」
「しっ!?」
心中!?
「じょ、冗談でしょ!?なにいって
「いくら僕が神でも、冗談でここまですると思う?」
じっとこちらを見据える瞳は、なぜだろう、先ほどと同じ華やかな色のままのはずなのに、ひどく冷え切って見える。
「…まぁいいや。もう済んだことだし」
体重を預けていた柵からギィ、と身を起こすと、まっすぐにこちらへと歩いてくる。
私の元へ。
「君の願いは叶えた。そしてその結果、僕たちは一緒にはいられない…なら僕がすべきことはあと一つだ」
「あと、ひとつ…?」
「君を殺して僕も死ぬ」
「!?」
「ん?なにその顔。まさか世界を滅ぼしておいて、自分だけ見逃してもらえるとでも思ってたのかい?」
「わ、私が滅ぼしたわけじゃない…」
「やったのは僕だけど、元凶は君だろう?今さら責任転嫁でもするつもりかい?」
「そんな…そんなつもりじゃ、そ、れにどうせほっといても私もいなくなるんだからわざわざ殺さなくても、
「大丈夫だよ、心配しなくても痛くはしないからね。好きな子を苦しめる趣味はないよ」
ヤバい。
こいつは本当の本当にヤバい。
世界が滅亡するのをただ座って見ていることしかできなかっただけの私も、流石に立ち上がって後ずさる。目の前の得体の知れない、噓みたいに規格外の力を持つ、到底人間では及ばない存在である彼に、本来なら関わるはずのない現象に、どうすることもできない理不尽そのものからー少しでも距離を取りたくて無意識に動いた足は、あっという間に反対側の柵に阻まれる。
どうしよう。
どうすればよかったの?
どうすればー
「駄目だよ、逃げちゃ」
先ほどまで感情を無くしていた彼の瞳に、再び光が灯っている。嬉々とした狂気の光が。
「君も馬鹿だなぁ。僕と一緒が嫌だと言っても、どうせ二人で死ぬなら一緒になるのに。…あぁ、それともこれも運命ってヤツかい?それはそれで悪くない。むしろ大歓迎だ」
鮮やかな瞳が細められる。薄い口端がアシンメトリーに釣り上がる。男にしてはもったいないほど長くて綺麗な指が、その指先でひとつ音を鳴らすだけで無慈悲に命を奪える殺戮兵器が、ゆっくりと眼前に迫ってくる。
触れられたら終わるんだろう。
こんな、こんな形で私だけならまだしも、世界の全てを巻き込んで終わるなんて、無責任にもほどがある。世界中の人からしてみれば完全なとばっちりだ。私が彼に対し、唯一口にした願いのせいで。
…唯一?
「ま、まって!ちょっと待って!」
「待てない」
「いやそんなこと言わずに!お願いだから!わかった、言い方変える!あなたに叶えてほしい願いを思いついたから!聞いて!お願いします!」
私が必死に懇願した成果が実ったのか、彼はピタリと手を止めた。
「…一応聞こうか。何?」
「せ」
「せ?」
「世界を、元に戻してほしい、です…」
「…それ意味あるの?」
わかりやすくうんざりした表情で彼が聞き返す。
「世界を直したところで、どうせ君は僕と結婚するのは嫌だとか言い出すんだろう?そしたら僕のことだから、また嫌になって世界を壊すだろうし。何度でもね。念のため釘を刺しておくけど、僕に世界だけ直させておいて一緒になるのは嫌だなんて、そんな都合のいい願いは流石に聞けないからね?」
「ち、ちなみに戻せるんですか?」
「何を?」
「せ、かいを…」
「可否だけで言うなら可能だけど、でも
「わかってます!わかってますから!もうちょっとだけ!まって!ウェイト!タンマ!少し考えさせて!世界もまだ直さなくていいから!待つの得意なんでしょ!?3分!3分だけでいいから!」
「…分かった」
いかにも不服そうに、じっとりとした視線でこちらを睨みながらも、彼はとりあえず伸ばしていた右手をポケットに入れた。ほぼゼロ距離で目の前にいるので圧が半端ないけど、たぶんこれはプレッシャーをかけるためじゃなくて、私を逃がさないようにするためだろう。
私を確実に仕留めるために。
そこまでしなくても、世界中荒廃してるからどうせ逃げ場なんてないのにな…
しかし、これで一応チャンスが生まれた。3分だけだけど。
考えろ。
考えろ考えろ。
考えろ考えろ考えろ。
たぶんだけど、私が今からでもあなたの嫁になりますとでも言えば世界を元に戻してはもらえるだろう。しかしそんな覚悟があるのかと言われればない。むしろ真っ平御免だ。ただ彼も言ってたけど、世界だけ直させてはいさようならなどと都合よくはできないので、そこをなんとか…100%うまくはいかなくても、ギリギリ合格の折衷案くらいにはならないだろうか?
なにか、なにか案は…
「時間だよ」
冷え切った声が降ってくる。
「最後の悪足掻きの内容は決まったかい?」