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槍の雨が降り止んだ頃という日本語を使う日が来るとは思わなかったが、とりあえず槍を降らせるのをやめてもらうように頼んだ後(ちなみに彼の指パッチン一つで止まった)、私は自称神の男、というかひょっとして本当の本当に神なのこの人?と向かい合って座っていた。
「どう?」
自称神様の肩書きがかなり現実味を帯びてきたところで男がぐいっと顔を近づけてきた。
「僕が神様だって信じてもらえたかな?」
「…まぁ、一応は」
「よかったぁ!さっきので信じてもらえなかったら、とりあえずこの国一つ吹き飛ばさないと駄目かなって思ってたからさ!」
「絶対にやめてください」
とんでもないこと言いだしたぞこの神。
「というかさっきの私も普通に危なかったですよね!?」
「え?何言ってるの、君に当てるわけないじゃないか。そのくらいちゃんと見てやってるよ」
「でもそこの校庭にいた男子とかも結構危なかったですよ」
「そんなの知らないよ。君以外興味ないし」
「なっ」
いやいやいやいや。何言ってんのこの人。人じゃないにしても。
「校庭とか校舎とか、見える範囲だけでもかなりボロボロなんですけど」
まだ槍刺さったまんまだし。
「あれ?槍が降ってほしいとか言うから欲しいのかと思ってたけど、ひょっとして違うのかい?」
「当たり前でしょ!?あれはものの例えで言っただけで、本当に欲しいなんて微塵も思ってませんからね!?」
「なぁんだ」
そう言いながら彼が右手を軽く宙で払う仕草をすると、そこら中に突き刺さったままの槍が一つ残らず霧のように消えた。抉れた穴も一緒に。
「これでいい?」
「…嘘でしょ」
「嘘なもんか。君が見ているのは紛れもなく現実さ。現実から目を逸らしたら駄目だよ?」
クスクス笑いながら「ね?」と駄目押ししてくる彼は神か、はたまた悪魔なんだろうか。私が目の前の男への評価を考えあぐねている間に、「さて」と彼は話を再開させる。
「他に欲しいものはない?」
「…」
「あぁ、言い忘れてたけど叶える願いの回数に上限はないよ。もちろん規模も欲しいものの個数もね。なんでもいいよ。神様っていうのは、人間の願いを叶えるのが仕事だからね」
「……」
「すぐには決められないかな?だったら待つよ、いくらでもね。僕、基本的に不老不死だから待つのは得意だよ」
「………えて」
「ん?何?」
「今すぐ私の前から消えて。そして二度と私に関わらないで」
「…へ?」
ヘラヘラ顔でずっとこちらを見つめていた男の顔が、その瞬間固まった。
「…ごめん、よく聞こえなかったんだけどなんて言ったのかな?」
「今すぐ消えろって言いました。そして二度と目の前に現れるなとも」
「…おかしいなぁ、それだと僕は君と二度と会えないみたいに聞こえるんだけど」
「それで合ってますよ。私はあなたと一緒にいる気は微塵もないと言ってるんです」
「いやそんな言い方…というかそんなにはっきり拒絶しなくても…」
「今すぐ!私の!目の前から!消えろ!二度と!来んな!!!」
怖い。埒が明かない。一刻も早くこいつと離れて関わりを断ちたい。その一心で、私は叫ぶように、最後はほとんど悲鳴のように、目の前の男を拒絶した。出会ったばかりの私に絶縁宣言を突きつけられた男は、その美しい瞳を見開いたまま、その輝かんばかりの顔をぐしゃりと歪めたまま絶句した。
目をマックスに開けたまま顔をしかめられるとか器用な顔面だな、と私が斜め上の感心をしていると、
「…なにそれ」
絞り出すような声で男が吐き捨てる。
「なんだよ、なんだよそれ…どうしろって言うんだよ…せっかく、せっかく僕が直々にさぁ、なんでも願いを叶えてあげるって言ってるのに…君というやつはさぁ…」
「じゃあ言い方を変えましょうか?二度と私の前に現れないでください。それが私の願いです。ほら、人間の願いを叶えるのが神様ってヤツなんでしょ?さっき自分で言ってたじゃないですか」
「いや確かにそう言ったよ?言ったけどね?…そうだ、他は?他に願いはないの?ねえ?もう一つくらい
「ありません」
「…ほんとに?」
「しつこいな、さっきからずっとないって言ってるじゃないですか。ないものはないんです、だからさっさとどっか行ってください!」
しっしっと手で追い払う仕草を見せると、たっぷり数十秒間の静止の後、男はがっくりと肩を落とした。実にわかりやすい。
「…わかったよ」
うなだれたままの男が立ち上がる。
「そこまで拒絶されてしまったら仕方ない。僕は消えることにするさ」
ようやく諦めたのか、男はとぼとぼと屋上の端へ向かって歩きだした。私がほっとしたのも束の間、
「…嗚呼、でも」
転落防止用の柵までたどり着いたところで、男が不意に空を仰ぐ。
「なんですか?まだ何か?」
「いや、言われなくてもちゃんと消えるってば。君にあそこまで拒絶されてしまってはね…流石に堪えたよ。でも、消えるなら、どうせ消えてしまうなら、消えなくてはいけないなら…」
ゆらりゆらり、視線を左右に揺らしながら男が不意に笑みを浮かべた。
「僕一人だけで消えるのは、寂しいなぁ…」
「え?」
なに言ってんの、と私が聞き返すのと、男がひとつ指を鳴らしたのと、
世界から生命が消え果てたのは、ほぼ同時のことだった。