異世界97日目 7月5日(金) ②イリアさんの心
イリアさんから投げられた言葉……。
最初は正直、早く元の世界に帰りたかった。でもこの異世界に来てから気持ちが少しづつ変わっていくのが自分でも分かる。
そうでなければ今回のBBQだって誘っていないし、仮に誘われても体よく断っただろう。
ルーミィ達や園児達、村の方、みんなが俺を変えてくれたんだと思う。そのおかげでこっちの世界に残りたい気持ちが生まれた。
しかし元の世界に帰りたい思いも強い、いや強くなってしまった。
嫌で帰りたい気持ちから、この異世界で経験した事を持ち帰って元の世界で試してみたい、そんな考え方の変化が出来てしまったから。
答えを出せない俺にイリアさんは続けて重い口調で続けた……。
「あと……何日だ?」
その言葉に腰に付けた神ブックを取り出し、残りの日数をイメージしながら開く。淡く白い光が発光し、文字が浮かび上がる。
「今日を除けば……あと998日ですね……」
そうか、もう1000日を切っていたのか。
「……ルーミィは強いな。カズヤを元の世界に帰す為に一緒に頑張っているんだろ?」
厳密に言うと協力してくれているのは再研修の一環からではある。しかしそれ以上に親身になって尽力してくれているのは十分伝わっている。食欲旺盛過ぎるのが玉にキズではあるが。
「はい、ルーミィにはどれだけ感謝しても足りません」
「ふふ、あの子には敵わないかもな……」
イリアさんの表情……笑顔に分類されると思うがそれはとても悲しげなものであった。そのとても笑顔とは呼べない表情を浮かべたまま、ランタンを地面に置きこちらに近寄ってくる、手を伸ばせば簡単に触れられる距離まで。
「イ、イリアさん少し飲み過ぎでは? 少し落ち着きましょう」
「……大丈夫だ、あたしはお酒は飲んでいない。食堂で飲んでいたのはただの葡萄ジュースさ」
なんと、と言う事は今は素面ですか……道理で足取りもしっかりしていた訳だ。
「ルーミィとの約束は『酔った勢いで』だったろ?」
なるほど、酔っていない勢いなら合法ですね。ってなりませんから! か、肩を掴まれた! み、身動きが取れない。抑え込まれた……。
でもイリアさん、これって男女が逆じゃないですかね? これではおっさんが可憐な少女役になってないかな?
うん? 様子がおかしい。肩を掴んだままイリアさんがずっと下を向いている……。小さく聞こえるすすり声……もしかして泣いてる!?
なんで? 迫って来たのはイリアさんですよね? 端から見たらこの状況、俺が完全に悪者になっちゃいますよ?
「あたし、毎日が怖い……怖いんだ……」
力無く漏れた言葉とともに力も共に抜けてしまったように崩れ落ち、その場に座り込んでしまった……ふざけている場合では無い。
「カズヤが……居なくなる……消える……。それを考えると毎日怖い……あたしはルーミィみたいにはなれない、居なくなる手助けなんて出来ない。でも手伝わなければカズヤは消えてしまう……どうしたら、どうしたらいいんだ……」
そこまで俺の事で悩んでいたのか……。
「カズヤの世界、異世界に行く方法も散々調べた……でも無いんだよぉ……」
そうなのか……やはりその行為は神のみぞなせる技なのだろう。しかしどうする、今の状態のイリアさんに安っぽい言葉なんて何の役にも立たない、でも俺の為に悩んで泣いているのだ。何か、何かないのか……。
気付いた時には涙を流して座り込むイリアさんに後ろから優しく抱きしめていた。
「え……」
今までの人生で一番安心出来た言葉を探すものの、ロクな言葉が思いつかず、言葉を諦めて体験したことに枠を広げて考えた所、ルーミィが抱きしめてくれた事が頭に瞬時によぎり、咄嗟に体が動いていた。
「大丈夫です……勝手に居なくなったりしませんから」
嘘は言えない、自分の中で結論はまだ出ていないのだから。
イリアさんはそのまま静かに頷き、しばらくすると鳴き声は止んだ。
「大丈夫ですか? 少しは落ち着きましたか?」
「あ……うん。あの……」
――まだいつもの口調では無い。まだ心の整理がついていないのだろうか。まあ、無理も無い結局解決はしていな――。
「そ、その……む、胸……」
女の子って柔らかいな、とは感じていましたが……すみません! ずっと胸も一緒に抱きしめてしまってたんですね!?
もっと早く言って下さい! さっきの言い淀んでいたのはこのせいだったんですね!
「す、す、すみません! あの! こ、これは! その!」
急いでイリアさんから手を離したのだが、途端全身から汗が噴き出してきた。
や、やってしまった……い、いや、これは事故だ! いや違うな、え、冤罪! でも無いな……出頭するか……交番、お巡りさんはどこですか?
「ううん……ありがとう、カズヤ」
焦るおっさんに向けられたのはイリアスマイルである。本当にこの人のギャップは心を鷲掴みにされる。こんなに露出の高い服を着ているのに恋愛は奥手のようだ。
まあ、俺ほどでは無いだろうが。
「でも、胸触られちゃったなあ……あたしは飲んでないのに。ルーミィに報告しないとな」
ちょとおおおお! いつものイリアさんに戻ってくれたのはいいんですがそれはほんっとうに困る!
「何でもしますから! さ、さっきの事は内緒でお願い致します!」
その言葉にイリアさんはかつてルーミィに向けた同じ怪しい笑みを浮かべ二本の指を突き付けて来た。
「条件をふたつ飲むなら内緒にしてやろう。まずひとつは元の世界に帰る前に必ずあたしに伝える事、も、もうひとつは、キ、キスマークをつ、付けさせ……」
なんとかふたつ目のお願いは取り下げてもらった……。
しかし、確かに結論を出す時は必ず来る。だがその為には神ポイント達成は最低条件だ。
帰るか、残るか……。
今はその選択が出来るようになる為にしっかりと保育園を運営しなければならない。
「ただい――」
「遅い!!」
いや、大分早く帰って来た方だとは思うんですけど。それと、ずっと玄関で待っていたんですか? 腕を組んで仁王立ちのままで……。
「す、すみません。でもまだ時間は――」
言葉を言い終わる前にルーミィが詰め寄りシャツのボタンをひとつ外し、襟元を掴み、広げられた。その行動に一切の躊躇は無かった。
な、何!? いきなり! 近いってば! おっさんね、いい歳なの! いっぱい汗かいてるし、加齢臭とかも気になるからそんなにお顔を近づけないでえ!
「……無いね。ふう……良かった」
ううぅ……セクハラですぅ。
「ル、ルーミィ? 一体どうしたんですか? ち、近いですよ!?」
「あ……ご、ごめんなさい!」
ルーミィが俺から飛び退く。まさか可憐な美少女に襟元を掴まれるとは……人生分からないものである。
「あ、あのね、キ、キスマークが付いていなかって……その確認したくて……イリアさん、興味持ってたし……」
危なかった、あの場でイリアさんに許して貰わなければ俺は今頃……考えるだけでも恐ろしい。
「約束した通りご飯とお酒を飲んで来ただけですよ」
「うぅぅ。でもきっと何かあったでしょ! 白状しなさい!」
何故だ、何故キレられるのだろう。しかし抱きしめてしまった事を言う訳にはいかない。そう、絶対にだ。
「い、いへ。な、何も無いですよ?」
「へえ……な・に・も・な・か・っ・た・の・ね?」
やばい……噛んだ。あと、俺、少し酔っているのかな? ルーミィの綺麗な瞳が黒く、そしてその奥に赤いものが見えるような気がする。
「そっか。イリアさんそんなに思い詰めていたんだ……」
美少女のダークサイドを垣間見た俺は簡単に白状した。怖かった……。
「でも、抱きつくなんて一体どういう事!?」
「す、すみません……私の人生の中で一番の安堵感が得られたのが、ルーミィにしていただいたものでして。落ち込むイリアさんを見てると体が勝手に……」
「い、一番!? そ、そうなんだ……」
もちろんイリアさんが泣いていた事や、胸を触ってしまったことはイリアさんのプライドと俺の命に関わるので極秘だ。こればかりは譲れない!
「それにイリアさんは今日はお酒を飲んでなかったので。約束は守ってくれましたよ」
「う……ん。でもぉ……ぅぅ……」
「でもこれでルーミィもBBQに参加出来ますよ! 水着も楽しみですしね!」
「誰の?」
……口は災いの元である。




