異世界転移前日 ~プロローグ~
寿 和也 三十二歳独身。
「ただいま、俺~。さて、今日は何を作ろうかな?」
週末の膨大な仕事を終わったと自己暗示をかけ、終電間際の電車に飛び乗り、無事先ほど帰宅した。
「う~ん。少し肌寒いし、出し巻き卵でも作るか」
季節は春も近付く三月の最終日で日付が変わるかどうかの時間になっている。とはいえこの時間帯の夜風は冷たく、駅から家までの道のりですっかり冷えてしまった。
疲れきった体に鞭を打ち、ジャケットを脱ぎ、ネクタイを外して入念に手を洗う。
「――にしても今日は疲れた。中間管理職なんてやるもんじゃないよ。まったく」
冷蔵庫を開け、食材を眺めてるのだが週末なのでストックは乏しい。
だが、卵は辛うじて残っていたので問題は無い。明日、買い出しに行かないとな……。
「さ~てと、こんなもんでどうかなっと。おしっ! 焼き目もばっちり! さてお味は……百点! 後はビールっと」
料理の出来を確認した後、冷蔵庫からビール二本取り出し、ほんのり湯気の上がるだし巻き玉子を持ってリビングのソファーに腰掛けた。
プルタブを開ける小気味の良い音が響き、早速ビールを喉に流し込んだ。
「はあぁ、この一杯のために生きてるなあ~!」
おっさんが言う『独り言ランキングベスト3』に入っているであろうセリフを吐きながら、テーブルの上に散らばした物に目を向けた。
「そういえば郵便受けに結構、配達物溜まってたな。まあ、大したものは無いだろうけども」
でも、もしかしたら大事な物が混じってるかも知れないし、確認はしておこう。
「不動産のチラシはいらないっと。――これは、宅配ピザか。自分で作った方が美味いもんな。やっぱりゴミばっかり……うん?」
広告やチラシの中にひときわ品質の良い封筒が目に付いた。
これは――結婚式の招待状か。宛先は……弟だ。そうそう、弟は来月結婚する予定だったな。
この状況、何かフラグっぽいな……。
世間一般で認知されているこの結婚式フラグ。ただこれはダメなやつなので成立していただかなくて結構だ。俺は死にたくない。
そういえば弟は高校時代から同級生の彼女が居て、誰もがうらやむような高校生活を送っていたなあ……。
それはもう、一昔前に流行ったギャルゲーさながらの内容で、それを逐一聞いていた俺は何度枕を涙で濡らしたか……数えきれたもんじゃない。
高校卒業後も大学生として優雅なキャンパスライフを送り、社会人としても立派に成長し、兄を差し置いて結婚にまで至ったし。
「しかし、我が弟よ。兄として盛大に祝ってやるぞ」
ビールを一気に流し込み、出し巻き卵を口に入れた。出汁の香りとほくほくの食感を味わいながら続けざまに二本目のビールに手を置いた。
しかしプルタブに手をかけたところで、ふと物思いにふけた。
思えば俺は弟と違い、人とは浅く広くというスタンスで生きて来た。深く踏み込めば良い所も見える反面、悪い所も見えてしまうし、その分、付き合いも複雑になる。
コミュ障では無いと思うのだか、それが面倒で知り合いは多いが友達、ましてや親友なんて呼べる奴は居ないし、仲間は居るがあくまでコミュニティー限定でしかない。
その分不自由さは感じないが、それが原因で人との距離を詰められず年齢=彼女いない歴になってしまっているのは悲しい事実だ。
「……弟のせいで感傷に浸ってしまった。やっぱり今度会ったら兄として妬みと恨みを愚痴ってやろう」
――まだビールも出し巻き卵も残ってるがなんだろう。ものすごく眠い。ああ、片付けないと、でも眠い……ま、明日でいいか……。
「はあ、ギャルゲーのような楽しい高校生活、俺も送りたかったなあ……」
人に聞かれるとちょっとアレなやつだが、誰が聞いている訳でも無いし問題無いだろう。このまま寝てしまおう……。
お休み、俺……。