二人の酒
私がそのカラスと友達になったのは、3ヶ月前のことだった。
もともと人嫌いだった私は、おそらくこの時代に生まれていなければ、生きていけなかっただろう。
どうにか息苦しい学生生活を終え、ウェブデザイナーとしてほとんど人とコミュニケートすることなく、都心から隣家と50mは離れているような、郊外の古民家に移り住んでいった。
……それは、私にとっては革命のような人生変化だったのだ。
人、人、人ばかりの都心から、”空間、空間、また空間”の世界へ。
生活にどかんと大きな沈黙がやって来たために、私は毎夜、大声で歌いながら楽しみ、その無音を埋めていくことになった。
そして、いくらか寂しさを覚えはじめた頃に、ネットで友達を作る方法を知ったわけである。
『カラスにずっと餌をやり続けていると、キラキラしたものを集めるのが好きな彼らは、その宝物を置いていってくれるようになりますよ』
本当か!?
とそのとき私は思った。
でもまあ、近所付き合いもないし、ペットを飼うのも面倒だった私は、カラスくらいとならやっていけるかな、と、いつからか餌を与えはじめていったのである……。
ーーこれは、そのカラスが巻き起こした、『大事件』に纏わる物語である。
(いや、別に彼らはただ、好きなことをしてただけなんだけど)
……これを知った貴方が、驚くかどうかは分からない。
けれど、いつも厄介者扱いされる、黒く不吉な鳥たちに、少しでも穏やかな目を向けてやってほしいーー
これは、そんな思いで書かれた、悲しくも短い手記なのだ。
どうか、賢く、本当は心優しい(かもしれない)者たちに、暖かな光が差しますようにーー
「おっ、今日も元気に食べてるねえー」
守本 雪ーー私は、その日も満面の笑みで、エサ台に近づいていった。
カラスの『E3号』(ロボットみたいな動きをしているため、そう名付けてしまった)は、3ヶ月前、はじめて私に”宝物”をプレゼントしてくれた一羽である。
「……えへへ。これ、大事にしてるからね」
嘴を研ぐためにでも、使っていたのだろうか。
古い牛乳ビンの欠片のようなガラス片を、猫よけのために高い場所に設置したエサ台に、置いていってくれたのだ。
ネットで見た噂は、ただの偶然かもしれないが、私にとっては真実になったようだった。
今は、そのもらったガラス片を加工して、ペンダントのように使っている。……これまで恋人はおろか、友達すらろくにいなかった自分にとっては最高の宝物だった。
「うん、まだエサは残ってるね……。あんまり鳥が集まってくると、さすがに遠くの家にも異様さが伝わっちゃうから、次の配給は数日後にします」
そうつぶやきながら、近くに寄ってもなかなか逃げなくなった『E3号』や、他のカラス、まわりに散っているスズメなんかに微笑む。
朝は5時に起き、夜は10時には眠る。
田舎にやってきてからすっかり健康的になってしまった私は、今日こなす仕事を頭で整理していった。
ウェブデザインは、派手に飾るよりもシンプルで印象にのこるものの方が、重要度が高い。
クライアントのニーズに寄り添いながらも、私は古いものや最新のデザインにも触れ、上々の仕事をこなしている毎日だった。
……実は、この時すでに、想像もできないーーいや、想像もしたくないような「とんでもない事件」は始まっていたのだが、当然そんなことを私が知るよしもなかった。
そして、次にカラスたちに餌をやる時に、自分の平穏な生活はフリーズしてしまうことになるのだが、もう止めようがない怒濤の嵐は、目を凝らせば見える所にまで近づいていたのだった。
(……さて。今日は約束の”配給”の日だったな)
その日は、何の予感もなく、始まることになった。
厳冬の、痛みを感じるような空気が和らぎ、半纏一枚を上から着込んだだけで表に出ても、ふるえの来ない昼下がりである。
前日の仕事が押してしまったので、締め切りギリギリまでパソコンの前で格闘することになったのだ。
「ごめんねー、遅くなって。みんな朝から待ってたんだよねえ」
私が庭に姿を現したことで、小鳥たちがせわしなく飛び立ち、カラスは喜ぶように羽ばたいて着地する。
彼らに与える餌は、雑穀とハムを細切れにしたものである。基本的にカラスは何でも食べるし、そろそろ飽きるな、と感じる頃にはおやつを出してみることもある。
(……ん?)
そうして、自分を必要としてくれる彼らに近づいたその時。
……何か、臭う?
ふっ、と、風に乗って生臭い空気が流れてきたような気がした。
エサ台まで来て確認するが、特に変わった所はーー
「ひっ!」
ゾッ、と背筋が氷柱のように固まっていた。
それは変形した白い玉だった。
あちこちに細かい傷があり、赤い滲みに歪んだくぼみ……その玉は、「何かヤバイ」ものだった。
これーー
それは『E3号』がくれた、新しい宝物。
「ひ、人の眼球!?」
ひゃあああーっ! と私は、声にならない叫びをあげていた。
まだ二年ほどしか住んでいないのでよく分からないが、おそらく”三ツ川町”始まって以来の大事件だったと思う。
私が警察に通報してから、パトカーの数は見る間にふくれあがり、結果、野次馬に合わせるかのように車両数は2桁を超え、警官動員は3桁を上回るのでは、という途方もない事態になってしまったのだ。
……ここで、賢明な読者ならお気づきかもしれない。
なぜ、人の目玉が一つ発見されたくらいでそんな規模の大事になるのだと。
確かに鳥肌が立つような事件だが、警察関係者が100人以上も投入されるはずがないと。
だが、事態は一秒も無駄にできないほど逼迫していたのだ。
何故ならーー
「おい、死体で見つかったぞ! 高見山だってよ!!」
「ちっ!! やっぱり死んでやがったか!」
そうなのである。
発見された目玉が、まだ腐敗していないという、異例の事態だったのだ。
カラスの行動範囲は、農村部でおよそ10~30㎞ーー
まだ眼球を抜き取られた人間が生きている可能性もあったわけである。
そして、まさに高速でDNA鑑定が行われ、軽い暴行事件に関わったことのある、都内の大学生”二木洋平(21)”が浮かび上がったのだった。
「……E3号~。あんた、何てもんを見つけて来るのよ~。私とうぶん、夢に見ちゃうわよあれ……」
昼の庭で、呆然としたまま警察の事情聴取を終え、ほっと一息ついた私だったが、「また後日、詳しい聞き取りを行わせてください」と告げられ、ゲンナリした気持ちになった。
詳しい聞き取りって……今日以上の何を言わされるっていうのよ。
カラスが目玉を見つけて来ました、でそれが全てなのだ。どこをほじくり返しても、近郊にある高見山に死体を棄てていった犯人などが出てくるはずもない。
ーーしかしまあ、彼らにそんな理屈は通用しない。
そんなことはTVドラマや映画なんかで、何度も見せられているのである。
「やれやれ……」
私は憂鬱な気分で、その日一日の仕事に向かうことになったのだった。
ちなみに、その事件の犯人は、あっさり逮捕されることとなった。
なぜかと言えば、被害者の”二木洋平”が、高級住宅地に住むボンボン(死語)大学生で、後ろから刺される姿が、近所の監視カメラに思いきり映っていたためである。
……だが、『高見山死体遺棄事件~カラスの見つけもの~』の犯人を即日逮捕した警察は、そこから大いに首をひねることになったのだったーー
「ーーちょっと、あなた。守本 雪さん!? 一社会人として、そんな態度でいいと思ってんの? 仮にも、死体の第一発見者でしょうに!」
私は私で、そんなふうに連日マスコミになじられ、家に閉じこもることになっている。
……何しろ、混乱したアホな警察官がーーいや、いくらなんでもアホはまずいなーー几帳面すぎる警察官が、『私は”第一発見者”として事件に関わりたくないので、マスコミに発表する際には、カラスが死体を見つけたということにしてください』という私の言葉に応じて、『死体はカラスの”E3号”によって発見された』と記者発表したのである。
カラスの『E3号』。
名前がついてるなら、飼い主がいるのか! と記者に詰め寄られるのも当たり前である。
かくして、人とゴチャゴチャ関わるのが嫌いな私は、マスコミ大旋風にさらされることになったのだった。
無視してもあまりに家のピンポンを連打されるので、『警察関係以外はお断り』という張り紙を貼ると、「すみません、警察の記者クラブに詰めている者ですが」という屁理屈をこねてくる始末だ。
……とりあえずまあ、私の方はこんな感じである。
ウェブデザインの仕事は、当初からハンドルネームを使っていたので、まったく被害に遭わずに済んだ。
人とのやり取りが苦手で、自然と誰もいない場所へ、いない場所へと流れてきた自分だったが、世界はいったいそんな人間に何をやらせたいのだろうと、この時は無駄に考えてしまったものである。
ーー自然に生きて、自然に結婚できず、それでも精一杯生きて死ぬなら、それでいいじゃないかーー
って、話が逸れまくってるな……
しかしまあ、どうか許してほしい。
何せこの殺人事件は、いったいどこにスポットを当てればいいのか、警察や記者も困り果てたほどのものだったのである。
おほん。
ーー話を核心に戻そう。
警察は、高見山に死体を棄てていった犯人を、即座に逮捕することができた。
だが、そこから捜査は船がひっくり返るような暗礁に乗り上げてしまったのである。
ーーまず、犯人は無難にニートだった。
『川上幸樹(30)』は、被害者の大学生と完全に無関係の存在である。
ここで取り調べをする刑事たちは「何だよ、また『誰でもよかった』ってふざけた野郎か!」と憤慨したのだが、どうやらそれは見当違いだったらしい。
通り魔殺人をサラッとやってのけたわりには、死体をしっかり高見山にまで運んでいるからだ。
……突然キレた『無職』の線でないなら、何なんだ?
彼らは川上と被害者の関係を洗い出そうと躍起になったが、筋金入りのニートだった犯人は、外出などここ五年以上もしていなかったらしい。
PC等のデータもすべて調べたが、殺された大学生”二木洋平”との接点は無し。
殺人犯はだんまりを決め込んでいるが、このまま書類送検して起訴するのは簡単だ。証拠が揃いすぎている。
……だが、いくつもの案件を片付けてきた優秀な刑事たちの”鼻”に、何かが引っかかった。
「こりゃ、もしかすると相当な裏があるぞ」
のちに裁判で動機が明かになり、一騒動起こったとしたら、自分たちの失態だ。
『最近の警察は、不祥事が多いだけでなく、取り調べもろくにできんのか。子供の使いだな!』
そんな世間の嘲笑が聞こえてくるようである。
時折家族の様子を、とくに妹を気にしている川上に苦い返事をしながら、刑事たちは彼をにらみ付けていたのだった。
関係者すべてが匙を投げかける、そんな歯止めがかかってしまった事態を打破できたのは、まったくの偶然というわけではない。
だが、ニートのわりにきびきびと知的な対応をする犯人の真実を引き出したのは、完全に予想外からの珍客だった。
ーーそれは、こともあろうに、地域的にも部署としても管轄外すぎる、県警の『生活安全部”少年捜査課”』。
彼らは愚かにも、自分たちの調査を進めていく中で、『川上』という家に行き当たったことに、気づいていなかった。
ただの仕事の聞き取りから、繋がりをもった関係者を当たっていっただけなのである。
「班長。ここって、『川上』さん……。まさか、ちょっと前にテレビでやってた事件の、犯人の実家じゃあ……」
「あの”カラスが目玉を運んできた”ってやつか? 馬鹿言ってんじゃねえよ。そんなドラマみたいな偶然が、そうそうあってたまるか」
本庁捜査一課のヤマに土足で踏み込んだことを知ったのは、二人がその家を訪ね、あまりに沈んでいながらも警察にこなれた対応を見せられたためである。
やばい!の一言で二人は退散しようとしたが、さすがに愚かでも、自分たちの職能では大した力を発揮していた。
(この家……両親は普通に『人殺しの息子を持ってしまった親』という対応だが、娘である、犯人の妹は違うな……。こりゃあもしかすると、”当たり”を引いちまったかもしれん)
少年課”班長”磯部の対応は、早かった。
すぐさま女性の捜査員を呼びつけると、殺人犯川上の妹に話を聞くよう、とりなしていったのである。
事件の様相は、そこで暴風雨に見舞われたように、完全に狂ってしまった。
犯人がひた隠しにしていた事実が、明るみに晒されてしまったためである。
彼は「妹がその覚悟を決めたなら」いつでも告白する用意はあったが、何しろ内容が内容である。就職後に失敗し、親とは違ってニートになってしまった自分に変わらず接してくれていた妹を、地獄にたたき落とすようなマネは決してできなかった。
……その、ありがちではあるが、凶悪過ぎた犯罪の全貌は、以下のものである。
『殺された被害者”二木洋平”は、有名私大の学生であった。
比較的裕福な家庭に生まれ、学業においてもすぐれた能力を持っていた彼は、さして勉強せずとも入れた大学において、《広告研究会》《アナウンス研究会》などのメディア系サークルの複合同好会を立ち上げた。
それは彼の人脈が駆使され、他大学にもそれなりの繋がりを持つものである。
華やかな人間が集まるなかで、富裕層の男子だけが特に囲みを作り、彼らが所有していたとされる高級メーカーのワンボックス車で、しばしばその行為は繰り返されていた。
「各キャンパスにおいての、ミスコンについて」「メディアの要職に、叔父がいる」様々な理由をつけて、彼らは女性を誘う。
車内で、または解放感のある屋外キャンプ場で、ソフトドリンクと偽ってアルコールや睡眠薬がふる舞われた。
強姦された女性は、動画を撮られ、結局名乗り出なかった者もふくめて、20名をかるく超えると言われた。
二木ら犯人グループは巧妙で、映像で脅すにしても、裁判で勝訴したり慰謝料で和解に応じた女性の悲惨な末路だけをピックアップして聞かせるなど、事件が明るみに出るには相当の時間を要することになる。
”少年課”の刑事が始めに動いたのは、親が突然自殺未遂をくり返すようになった娘を心配し、事件性を考慮して警察に相談したことがきっかけだった。
……その頃には、女性への暴行を重ねた”二木洋平”たちは、いっこうにそれが問題にならないことに、慣れはじめていた。
殺人犯『川上幸樹』の妹は、車内でくり返し乱暴され、最後は夜の郊外の山にドアから蹴り出され、同じように放られた男たちの体液が付いた服を身につけ、泣きながら兄に連絡して助けを求めたとされる。
川上幸樹は、高見山に投げ捨てただけのずさんな死体の処理について、「いつ捕まってもかまわなかった。ただ、逮捕されない限りは(妹を襲った男を)全員殺すつもりだった」と供述している』
救われない事件だった。
事実が明るみにでるほど、傷つく者が増えていくだけの。
次々に判明する内容を公表していくマスコミには、いつもなら下卑た好奇心をむき出しにする世論の底にいる者たちからすら、ブレーキをかけるような苦言があったほどである。
唯一、批判を浴びながらも、わずかながらの救いがあったとすれば、川上の弁護についた老弁護士が、後に乱暴の被害に遭った女性の集団暴行訴訟にも加わり、川上が妹に向けた言葉を公表したことだろうか。
それは嘲笑を浴びるものでもあったが、かすかな数の人間を救うものでもあった。
「……未紗(川上の妹)、体にできた傷があったとしても、それは時間が経てばすべて新しく綺麗な細胞に変わる。俯いて生きる必要なんかないんだ。たとえ罪を犯さなくても、取り返しのつかないくらい無神経に人の心をふみにじる人間はいる。汚れた人間というのは、汚した方のことで、「汚された」と感じる方は、いつだって綺麗なままなんだ。お前は、誰に何を恥じることもない。ただ真っ当に生きるだけで、美しく生きることができるんだ」
詭弁だと指摘する人間も多かったが、川上(兄)が、妹におくった、精一杯の言葉だったのだろう。
……私は、そんな事件があった後も、「E3号」とはつながりを持ち続けた。
それについては、事件に粘着質な人間がいて、怒りを向けられたこともあったが、”彼”は、人を救ったカラスでもあったのだ。
夜遊びを当たり前としていた、当時の『二木洋平』を、家族が心配して捜索願いなど出したはずもない。
彼が死体をいち早く発見してこなかったら、川上は最後まで人を殺し続けたかもしれないのだ。
ーー私とE3号は、それから10年の時を一緒に生きた。
飼育下におけるカラスの寿命が20~30年と言われるから、彼と出会ったのは、あちらにとっては人生の後半だったのかもしれない。
ある寒い日の朝、私が車を置いているガレージの中で、かじかむようにE3号は横たわっていたのだ。
猫や野犬に死体を荒らされなかったのは、幸運だったのだろう。
カラスは、衰えてくると最期を巣で迎えるというから、私は彼に感謝しなくてはいけない。
友達が一人もいない、孤独な人間に、寄り添いながら死んでいってくれたのだ。
……自分が住んでいる、三ツ川町という場所が、酷い事件に関係したことは忘れることがない。
だが私は、一匹のカラスが死んだ夜、お酒を飲みながら、事件の時以上に彼のためにこぼれる涙を、止めることができなかった。