稚拙な文で「戦争」について訴えるのと、くそ真面目に「鼻毛」について語るのでは、どちらが心に響くのだろう。
タイトル通りの文です。少し実験的(?)な作品だと自分は思っています。
せんそーは、いけないことです。
たくさんのひとが、しんじゃうから。
みんながしんじゃったら、かなしくなるよ。
だから、おとなのみなさん、
せんそーを、やめてください。
かなしくなるのは、だめだから、
しんじゃうのは、だめだから、
せんそーを、やめてください。
せんそーを、なくしてください。
むかしのひとは、
いたくなるのに、かなしくなるのに、
なんでやめなかったの?
でも、これからは、
せんそーは、しないでください。
わたしのこころからの、
おねがいです。
鼻毛の意義を理解している人は、いったいどれだけいるのだろう。
本来鼻毛とは、フィルターのような役割を担っている。
呼吸をおこなったときに、空気中のほこりやウィルスが体内にはいってしまうのを防ぐ役割だ。
そのため、空気中にごみが含まれやすい場所で生活、仕事をしている人ほど鼻毛がよりたくましくなるのだとか。(医学的な根拠はない)
鼻毛は男性ホルモンとかかわりがあるため、「体毛は濃いのに頭は寂しい」のように「鼻毛はたくましいのに頭は寂しい」というような人がいてもおかしくないのだ。
確かに、出ていたら格好悪いし、気にする人も多いとは思う。しかし、からだを守るため、日々空気中の異物やウィルスと戦っているのだ。
たかが鼻毛、と言っても、カラダを守る重要な役割を担っているのだ。
ここまで真面目に書いたが、別に鼻毛に対してよからぬ感情を抱いているわけではない。
ただ、人が本来あまりいい印象を抱いていない「鼻毛」にも、大切な役割があるということを伝えたかっただけだ。
勉強なら、習う。歴史も、習う。体のつくりだって、学校で習う。
でも、「鼻毛」について習ったことのある人はいないだろう?
汚い、と思うかもしれない。何馬鹿なことをこいつは言っているんだ、と思うかもしれない。
それがどうした。
社会にだって、埋もれている良い人材はいるはずだ。「縁の下の力持ち」的存在の人もいるはずだ。私はただ、「すべてのものに平等に存在価値はある」ということをいいたいだけ。
もともとある存在価値を利用するか利用しないかは、すべて自分次第なのだから。
感想まで読んでいただけると、より楽しめると思います。