不器用な彼女の耳かき 後編
第四話、後編です。
耳かきの部分に入ります。
「……最初は耳の淵から」
「ああ」
一声掛けられてから、耳の淵を耳かきがなぞる。
かりかりかり……。
耳の溝に沿って耳かきが走り、それから隅っこの窪んだ箇所も細やかなタッチで掻かれる。窪みから細かい耳垢が掻き出され、早くもすっきりとした気分になれる。
一通り掻いたら、溝全体をウェットティッシュで拭われる。冷ッとした感覚は夏の暑さに心地よく感じられ、心持ち耳が軽くなったような。
それが終わると、今度はくいっと耳たぶを引っ張られる。きっと中の様子を見ているのだろう。
それから、おもむろに耳の入口へ耳かきが入れられる。
「……入れるよ」
「分かった」
かりこりと丁寧に、強弱をつけつつ行われる。
くすぐったいような、もどかしさの入り混じった気持ちよさに、思わず唇をむずむず動かしてしまう。
ときどき、見える角度を調節しているのか、耳たぶをくいくいっと微妙に引っ張られる。それもちょうどいい刺激になり、耳から首まで快感が伝わった。
かりこり、かり、こり、こり……。
そのタッチは、汚れの除去というより気持ちよくさせるための手つきだった。
「……奥に行く。痛かったら」
「うん」
「我慢して」
「え」
「……冗談」
双葉の冗談なんて初めて聴いた。というか冗談なのか判別がつかない。
双葉の顔が見えないのが悔やまれる。今、どんな表情をしているのだろうか。
ちょっと驚いたが、そこは双葉を全面的に信頼して、耳と頭を預けた。
やがて耳の奥へと耳かきが進行する。
かりっ、かりっ、かりっ。
繊細かつ素早い手つきで、耳壁が刺激される。的確にかゆいところを擦られ、思わずうなるくらいに気持ちいい。
どうしてピンポイントに俺のかゆみが分かるのか、不思議なくらいだ。
かり、こり、カリカリカリ……っ。
「……きもちいい?」
「ああ……凄い、上手だな」
「……うん」
俺の言葉に、双葉の満足げな声が応じる。
魔法でも使っているかのように弱点ばかり刺激され、すっかり俺は蕩け切っていた。
ぐったりと力を抜いて、その手技に身を委ねる。もはや彼女の思うがままである。
情けない姿かもしれないが、しかしこういうのも悪くないと思っている自分もいた。
カリカリと耳から伝わる振動が、耳を通じて足先まで快感を送り込む。
「そこっ……特に気持ちいい」
「ここ?」
カリカリカリ…………。
「ぁ――」
されるがままに快感を享受する姿は、まるで赤子のよう。
今、この瞬間だけは、欲望に素直になった。
そうして耳から全身まで快感に浸っていると。
「……そろそろ仕上げ」
「んー……?」
ふーーっ
「ぅあ……」
完全に油断していたところへ、耳に吐息が吹きかけられる。
柔らかく耳朶を撫でるその感触は、みじろぎをしてしまうほどにくすぐったく、恥ずかしく。
既に心はふわふわと空中浮遊を始めていた。
「……まだ寝ないで。反対側も」
「そう……だな」
どろどろに溶けた思考のまま、彼女の言葉を受けて気怠げに体を動かす。
反対側を向くとなると、それは必然的に彼女の腹部へ顔を向ける格好となる。
だが、それについて羞恥を感じられるほど俺の思考は働いていなかった。
「……じ、じゃあ、こっちも」
「…………」
もはや返事すら出来ない。
その沈黙を肯定と受け取ったか、双葉は再び耳かきを始めた。
こちらも、繊細かつ的確な技法でもって俺の思考を犯しにかかる。
その心地よさと、暖かさと、優しさに。
耐え切る事など到底不可能で。
俺の意識は、手の届かないほど遥か遠くへ飛んでしまった。
◆ ◇ ◆
「……寝ちゃった?」
「ぐぅ……スゥ……」
私の声かけに、返事は無い。
どうやら完全に意識をなくしてしまったようだ。
私は小さく息を吐いて、そっと彼の髪をかき上げた。
無防備に寝息を立てているその姿は、年齢不相応のあどけなさを感じさせる。いつもの彼とはまるで違う魅力を放っていた。
――魅力。
「(……いつから、そう思うようになったんだろ)」
こういう事は、もっと明確にターニングポイントを自覚できるものだと思っていた。
だが実際は『いつのまにか、気が付いたら』という、なんともありきたりなものだった。
若干拍子抜けするのと同時に、自分にもこういう気持ちが湧く時が来たのかと、我ながら驚いたものだ。
「……こんな風になるなんて」
一人呟きながら、彼の頬を指で突っつく。
最初は鬱陶しかっただけだった。
けれど接しているうちに、不器用なりに色々と私の事を考えてくれてるんだな、と感じて。
ずっと一人で過ごしてきた私には、それがとても嬉しくて。
お互いに、こうして触れ合うような関係になっていた。
今日だって、二人で外出したり、耳かきをしてあげたり。そんなの、数か月前の自分には考えられなかった。
「……耳かき、喜んでくれたかな」
私としては、いつもしてくれている行為のお礼も兼ねて、だったのだが。
彼が目を覚ましたら、改めて感想を訊いてみよう。
出来る事なら、またしてあげたい。
だって。
「(また、こうして寝顔を見られるのだから)」
そう思いながら、私はそっと彼の頭を撫でるのだった。
◆ ◇ ◆
「ごめんな、俺、眠っちゃってたみたいで」
「……気にしないで」
家に帰る途中。彼女の耳かきに影響され、眠ってしまっていた事を詫びる。
が、双葉はあまり気にしていないようだった。
むしろどことなく名残惜しそうな雰囲気すら感じられたのだが……気のせいだろうか。
それから他愛もない会話をしているうちに、俺たちは双葉の家までたどり着いた。
「じゃ、俺はここで」
「……うん。また」
俺たちらしい、短いフレーズのやり取りの後、俺は踵を返して自分の家へ向かおうとする。
と。
「……あの」
「?」
双葉に呼び止められて、 俺は振り返り彼女の方へ向き直る。
そこには、顔を紅潮させ視線をさまよわせる双葉の姿があった。
ほんの少しだけ、彼女はもじもじと気恥ずかしそうに体を揺らした後、俺の目を見てこう言った。
「……また、耳かきしてもいい?」
「え? ああ、構わないよ」
「……ほんと?」
俺としては、特にその申し出を断る理由も無い。
だが俺の返事を聞いた瞬間、何故か彼女はぱぁっと顔を綻ばせた。
そうした感情を表に出している姿は、滅多に無く。俺は思わずドキッとしてしまった。
「ああ、本当だ」
「……じゃあ、約束」
その言葉と同時に、彼女はおずおずと自らの小指を差し出す。
その行為のなつかしさとあどけなさに、俺は苦笑しつつも応じる事にした。
俺も自分の小指を出して、彼女のそれと絡める。
“ゆびきり”というやつだ。
「約束な。また双葉サンにお願いするって」
「……ありがと」
思いのほか強い力で、ぎゅっ、っと互いの指を絡めあう。
それは、それぞれの気持ちを表しているかのようだった。
二人の恋路は、また一歩先に進む。
これからも、きっと。
さらに先へ。
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