不器用な彼女の耳かき 前編
第四話です。
導入部分に当たります。
耳かきの描写は後編になります。
日本中の学生にとって共通の敵たる、定期考査。
それも無事に終わり、俺たちは晴れて夏休みに入る事が出来た。(なお、俺の場合は追試ギリギリだった事も追記しておく。双葉がいろいろ教えてくれなかったら、本格的にヤバかったろう)
閑話休題。
ともあれ懸念だったあれこれが終わり、俺も双葉もそれぞれの休みを過ごしていた。
◆ ◇ ◆
「そういやあ、明日の夜、河川敷で花火大会があるってよ」
「……?」
「だからさ、もし暇なら一緒に見に行かないかって話」
「……そう」
相変らずの素っ気ない返事。
今は双葉と二人で書店巡りをしている最中である。
普段は外出嫌いの彼女だが、こういうときは不思議と何時間の移動であっても平気らしい。(本人いわく「……後で疲れるけれど」との事だが)
それはともかく。
目当ての本やら思いがけない発見やらを満喫したところで、俺は双葉へ声を掛けた。
書籍が入った袋を抱えたままの双葉は、わずかな視線移動のみでこちらを窺った後、再び元の無表情へと戻る。
「……花火に、興味があるの?」
「いや花火に興味がってわけじゃなくて。折角の夏休みなんだから、こう、夏っぽいイベントに参加してもいいかなって」
「…………」
「だめ、かな?」
外出へ誘うというのは、双葉の中でやはりハードルが高い行為なのだろう。予想通り、双葉は思案しているものの、あまり乗り気で無さそうな表情に感じた。
これは無理かな、と思いつつ、言葉を重ねる。
「無理にって事じゃあないんだけど。双葉サンと一緒に行きたいなー、なんて……さ。思ってて」
「……!!」
「(あれ?)」
だが、その言葉を聴いた途端、双葉の瞳がほんの少しだけ揺れた。
よく分からないが、これはきっと動揺のサイン。
「……じゃあ、行ってみる」
「え、あ、本当に!?」
「……(こくん)」
何故か俺から視線をそらしつつ、両省の言葉を述べる双葉。俺は思わず飛び上がりたくなる衝動を堪えて、双葉から見えないように小さくガッツポーズを取ってしまった。
外出嫌いの双葉がどうして急にそれを受け入れたのかは分からないが、ともあれ一緒にこういうイベントを過ごせるのだから結果オーライである。
これもデートと言っていいのだろうか。いや、きっとデートと呼んで差し支えないだろう。
そう思うだけで、舞い上がってしまいそうだった。
「じゃあ待ち合わせの場所とか決めようか。えーと……」
「……それなら――」
かくして。
俺と双葉との、真夏のイベントが始まろうとしていた。
◆ ◇ ◆
花火大会当日。
無事、二人でそれを観賞し、その帰り道。
「花火、どうだった?」
「……悪くなかった」
「なー、そうだよな! 特に最後の七色のやつなんて――」
「……ねえ」
「な、なんだよ」
「……どうしてこっちを見ないの?」
「うっ」
俺はいつも通り、最初から心拍数がデッドヒートしていた。
彼女に指摘された通り、今日俺は一緒に外出してからというもの殆ど彼女へ視線を向けていない。
何故か。
答えは至極簡単。
今の俺には刺激が強すぎるからである。
「いやあの、まあ。なんというか」
「……似合ってなかった?」
「いやそういう訳じゃ……っていうか双葉サン、浴衣なんて持ってたんだ?」
「……お母さんが、自分の若いころのだって……無理やり……」
そう、浴衣である。
まさかというか完全に予想外というか。
これまでのデートと同じように、てっきり普通の学生服か、あっても飾り気のない私服だろうと思っていたこちらの予想を見事に裏切ってくれたのである。
何の気まぐれが発生したのかは全く分からない。
もちろん、わざわざ着飾ってくれたのは嬉しい。嬉しいのだが。
「んーと。うん、凄い似合ってる」
「……本当?」
ちら、と彼女の方へと視線を向ける。
そこには、淡い紫色の浴衣に身を包んだ、小柄な少女の姿があった。
彼女自身の立ち居振る舞いと相まって、落ち着いた、どこか儚げで幻のような印象を醸し出している。
その姿は、直視するにはあまりにもハードルが高かったのだ。
「(あー無理、もうちょい慣れてからじゃないと心臓が破裂する)」
「……?」
もう少し、この空気そのものに慣れないと。今も心臓がハイビートを刻んでいるのだから。
そんな俺へ、双葉は怪訝そうな顔を向けてくる。
折角のデートで、なおかつ双葉の浴衣姿というこれ以上ないくらいの幸運だというのに。
俺は全く対応出来ていないのだった。
◆ ◇ ◆
そんな、ちょっと甘いような気まずいような、複雑な空気の中。
双葉の家まであと少しというところで、彼女の申し出にて俺たちは近くの公園へと向かった。
「ちょっと休憩」と彼女は言うものの、俺の見立てでは言うほど彼女は疲れていなさそうだった。であるにも関わらず休憩?と、俺は首を傾げつつもその言葉に従うのだった。
公園内のベンチを見つけると、俺は丹念にごみを取り払ってからそこに腰掛ける。
周りには、俺たちと同じく花火大会の帰りと思しき人影がちらほら散見される程度で。殆ど誰もいなかった。
二人きりのシチュエーションだが、俺もだいぶ彼女の姿に慣れてきたのもあり、心拍数は落ち着いてきていた。
と。
彼女が持参していた巾着袋から、何かを取り出す。
それは。
「耳かき?」
「……うん」
彼女が取り出したのは、竹製の耳かきだった。恐らく新品と思しきそれを、彼女は指で起用にくるくる回している。
なるほど。それで耳かきをして欲しいと、そういう事か。
などと思っていると、何故かおもむろに双葉は自らの太腿をぽんぽん、と叩いた。
何の事かとキョトンとしていると、ややムッとした表情の彼女が口を開く。
「……ここ、頭乗せて」
「へ?」
「……耳かき、してあげる」
「は、はいぃぃ!?」
明日は雪でも降るのだろうか。今日は予想外の事ばかり起こる。
あろう事か、双葉が俺へ、耳かきを?
あまりの出来事に、俺はすっかり固まってしまった。
「な、なんでいきなり」
「……気疲れしてるみたいだから。癒してあげようと」
「あ――あぁ」
つまり、先ほど双葉が言っていた『休憩』とは、彼女自身の為ではなく俺の為にという事だったのか。
しかし何故耳かき?
分からない事が多くて、思考をフリーズさせていると。
「……早く」
「え、あ、やーあの、えっとだな」
「……えい」
「のわっ!?」
業を煮やした彼女に頭を掴まれる。そしてそのまま抵抗する間もなく、ぐいっと膝の上へと頭を持っていかれてしまった。
普段の彼女からは想像できない勢いに圧倒され、思わずドキッとしてしまう。
ふわり、と俺の頭を支える感触。
程よい柔らかさと、浴衣越しに伝わる彼女の体温。
鼻腔をくすぐる甘酸っぱい匂いに、頭がくらくらしてきた。
「いやあのその、おおお俺は別に耳かきなんて」
「……じっとしてて」
緊張感と高揚感とが混ざって、脳が情報過多になりオーバーフローを起こす。
すぐにでも体を起こしたくなる衝動に駆られ。
その刹那。
「……緊張しちゃダメ」
「あ――」
双葉が俺の頬に手を当て、ゆっくりと撫でてくれた。
ガチガチに強張った俺の心を、じっくり溶かして解きほぐすかのように。
すぅっ。
と。
真夏の熱気と緊張感とで火照った頬を、彼女の掌はひんやりと冷やしてくれて。
熱が引き、不思議と気持ちがクールダウンしたのだった。
「……落ち着いた?」
「ああ……。ありがとうな」
「……じゃあ、始めるよ?」
「お、おう」
俺が落ち着いた頃を見計らって、双葉からの質問。
その言葉と同時に、彼女が改めて耳かきを構える。
もはやこうなっては、俺に拒否権などあろう筈も無かった。思い切って覚悟を決める。
そうして。
双葉による耳かきが始まったのだった。
次回で最終回です。
後編に続きます。