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不器用な俺のマッサージそのいち 後編

第二話、後編です。


「んじゃ、さっそく始めるぞ。痛むようなら、すぐ教えてくれ」

「……ん」


 一言、声を掛けてから、俺はマッサージを開始する。

 まずは、肩をさする。いきなり力を入れてはかえって筋肉が驚いてしまうのだ。摩擦によって徐々に刺激を加える。それに衣服の上からとはいっても、多少は血行促進の効果もあるだろう。

 最初こそ硬くなっていた双葉だが、摩擦が続くにつれ強張りがほどけてゆく。俺が両手を前後させるリズムに合わせて、彼女の上体も前後に揺れる。


「(双葉サンの体って小柄だからなぁー、力加減に気を付けないとな)」


 そんな風に思いながら、俺は両手を動かす。

 ……普段あまり外出しない人間が疲れる、となると該当箇所は脚などの下半身だと思いがちだが、しかしそうとは限らない。

 集団行動によって気疲れを起こしてしまったり、あるいは強い緊張によって背筋や腰に疲労が溜まる事もある。重たい頭をずっと支えている肩や首回りだって、当然のように凝ってしまう。

 心が緊張すれば、体も強張るという訳だ。

 そこで、こうした場合のマッサージでは脚に限らず上半身にも施すことによって、肉体的にも精神的にもリラックス効果を促すのだ。(先程双葉の様子や姿勢を見るだに、上半身に疲労があると判断したのもある)

 ……まぁそれと、流石に肩までならいざ知らず、脚への施術というのは人前でしにくい・というのもあるが。

 ともあれ。

 ほどほどに緊張がほぐれるまで摩擦を加えると、今度は首の付け根に両方の親指を添える。


「そんじゃ、押してくぞ」

「……お願い」


 了承が得られたところで、俺は親指に力を込める。

 ゆーっくり、ゆーっくりと圧を加える。最初はあまり体重を掛けず、指の力だけで指圧。そこから段々と腕の力も加える。

 親指を左右へずらし、再び指圧。なだらかな肩のラインに沿って(ぐーっ)(ぐーっ)と、固くなった筋肉を緩ませるように指を埋める。

 肩の骨辺りまで親指が移動すると、今度は来た道を逆戻りするように首へと向かってゆく。

 ふと。

 上着の襟元から、双葉の首すじが目に入る。すべすべとした傷一つないその肌は、ある種の艶やかさを醸し出し俺の視線を一瞬奪う。

 だが、すぐに意識を切り替えてマッサージに集中する。ここで下心など出している暇はないとばかりに、その雑念を一蹴する。

 ……その集中力と意識の切り替えが、何故さっき待ち合わせているときには出来なかったのだろう、などと自分を恨めしく思う。あの初心で無耐性な俺に、今の俺を見せてやりたいくらいだ。

 尤も、それは今考えても詮の無い話。そんな気持ちすらも意識から蹴飛ばして、俺は指先の感覚に意識を集中させた。


「痛くないか?」

「……大丈夫」


 双葉は目を瞑って、じっとソファに座っている。その言葉にも、指先から伝わる彼女の肩からも、反発するような緊張は感じられない。

 首周りの強張りが解けるのを確認すると、俺は次のステップへ進む。

 続いて、両の掌で肩を包み込むように掴む。今度は親指の付け根を使って、肩甲骨の内側を(ぐいーっ)と押す。


「んっ」

「どした?」

「……何でもない」

「? そっか」


 力を込めた瞬間、双葉の口から声が漏れた。もしや痛かったのかと思ったが、その口ぶりにはそのようなニュアンスは含まれていなかった。刺激に驚いただけだったのだろうか?俺は安心しつつ施術を続ける。

 動きのストロークを長めにとって、(ぐいーっ、ぐいーっ)とゆっくり揉む。親指の位置を微妙にずらしつつ、また揉む。

 そうしているうちに、双葉の小さな頭が前後に揺れ始めた。(かくっ……かくっ……)と動くのは、首や肩が程よく脱力している証拠。

 肩を揉みながら、徐々に掌を腕へと移す。掌底と指の腹を使って、上腕から順に揉みさする。

 と。


「……あっ」

「どうかしたか」

「……そこは、あんまり……」

「腕は止しとくか?」

「……(こくん)」

「はいよ、了解」


 若干顔を赤くした双葉からの一言で、俺は腕のマッサージを中止する。


「(まあ、さすがに人前でやるには若干の抵抗があったか……?)」


 理由までは分からなかったが、ともかく腕をやらないのであれば次の箇所に移る。

 肩甲骨の内側に親指を当てる。

 円を描くように親指で(ぐりぐり)と、えぐるような軌道で。親指の関節を器用に当てて、深い部分の凝りをピンポイントで散らすかのように。

 指先で肩を押さえて施術を行なっているが、ややもすると小柄でちょこんとした双葉の体が折れてしまいそうな錯覚を受ける。まさかとは思うが、先程よりも力加減を調整して圧を当てる。

 疲れの所為か、やや肩が内側へ丸まっている。とは言っても俺自身には整体師ほどの専門的な技術が無いので、ちょっと姿勢を整える程度の事しかできないが。効果を意識しつつも抑え気味に、マッサージを続ける。

 時折、双葉の口から小さな吐息が漏れる。少々、負担がかかっているだろうか。


「痛くないか?」

「……(こくん)」


 首肯にて返答。それを確認しつつ、注意しながら親指を動かす。

 徐々に凝りが取れるのと同時に、親指を背骨の傍へ移動させる。そのまま背骨に沿って、上から順に指圧。

 ここは特に凝っていた。背すじを伸ばしていた所為だろう、かなり固くなっている。

 痛くならない程度に、ここも円を描くように(ぐりぐり)と指を使って。背骨の節ごとに一個ずつ、丁寧に凝りを散らす。


「……ん……ぁ……っ」


 凝り固まった筋肉が緩むたびに、双葉の口から熱い吐息が漏れる。もはや我慢ならないといった様子で、呼吸も荒くなっていた。が、それが苦痛由来ではなく快感由来であろう事が分かる為、こちらも安心して集中できる。

 (ごりごり)と指圧するたびに、分厚いゴムのような感触が徐々に解れてくるのが分かる。

 上から順番に指圧を行ない、そして――


「……ちょ、ちょっと待って……!」

「え、あ、はい?」


 ――突然のストップ。俺は慌てて指を離す。

 もしかして痛かったか? と思い双葉の顔を窺うと、そこに苦痛の色は浮かんでいない。


「――っ!」


 ただ、頬を紅潮させ呼吸を荒くした女の子の顔が、そこにはあった。

 それは普段の、全く表情の見えないあの顔とはまるで違う、艶やかな色気を感じさせて。

 一瞬で、心臓をぎゅっと握り潰さんばかりの衝撃を俺に与えた。

 雑念を吹き飛ばすほどの集中力も、彼女の声で途切れてしまっていて。

 その所為もあってか、一度衝撃を受けた心臓はあっという間にハイビート。そのまま早鐘を打つ心臓はデッドヒートゾーンに突入せんと、さらに熱と衝動とを俺の全身へと循環させる。

 が。

 飛びかけた理性を、しかし必死に呼び戻す。こんなとこで妙な気を起こす訳にはいかないのだ。

 かくして、一瞬で飛んだ理性を2~3秒かけてリセットし、なるだけ平静を保って双葉へ声を掛ける。


「ど、どした。 どっか痛むか?」

「……そ、そうじゃなくて。そこから先は……え、遠慮したい……」

「?」


 ふと先程まで自分がマッサージを行なっていた箇所を見遣る。背中の中頃までは終わり、腰まで届こうという場所にまで指が這っていた。

 なるほど、確かにこういったデリケートな場所は人前でして貰うにはかなり抵抗があるに違いない。

 そこに思い至ると同時に、そんな微妙な場所を触っていたのだという事実に、こちらもやや赤面しそうになる。

 ふと周りを見渡すと、幾人かの人がちらちらと、こちらの様子を見ている。どうやら目立ち過ぎてしまったようだ。

 双葉の様子を見ると、やや息は上がっているものの体の動きに気怠さや疲労の色は感じられない。

 そろそろ区切りをつけた方が良さそうだ。そう思い、双葉へと声を掛ける。


「あー、その、そろそろ大丈夫そうか?」

「……ん」


 いつも通りの短い言葉で、しかしやや上ずった声での返答。

 それを確認すると同時に、俺たちはお互い顔を合わせる事もできないまま、ぎこちない動きで映画館を後にするのだった。



◇  ◆  ◇



 帰路につく途中。相変わらず顔を合わせられないまま、俺と双葉は並んで歩いていた。

 気まずさと気恥ずかしさが混在した微妙な空気が、お互いの間に流れる。勿論、どちらも言葉を掛ける事なく進んでゆく。

 元々双葉は饒舌なタイプではないものの、この空気だけは如何ともし難く。

 どうしたものかと思案に暮れつつ、とりあえず当たり障りの無い言葉を紡ぐ。


「なんか今日はゴメンな、最後は変な感じになって」

「……別に、気にしなくていい」


 相変わらず、単調な返答。

 もしかしたら気分を害してしまったか。折角の初デートだったにも関わらず、こんな終わり方をしてしまうのか……。

 と。


「……今日は、ありがと」

「へ?」


 双葉の口から紡がれた言葉。

 それはいつもと同じ短く、しかしその口調は何となく普段と違うものを俺に感じさせた。

 いったい、彼女がどんな気持ちでそれが紡いだのかは分からない。が、彼女の口から出たその言葉は俺の心に深く入り込んだ。

 はっとして双葉の顔へ視線を向けると、そこには恥ずかしそうに、ほんの少しだけ頬を紅潮させた彼女の姿があった。

 それに釣られて、こちらも顔が赤くなってしまう。全く、こういう事には本当に弱いんだな俺は。


「あー、その。こっちこそ付き合ってくれてありがとな」

「……うん」

「その……楽しかったか?」

「(こくん)」


 小さく、しかし確かな首肯。それだけで、俺はとても満たされた気持ちになる。

 その気持ちに後押しされて、俺はまたほんの少しだけ前に踏み込んでみる。


「じゃあ、また今度誘ったら、来てくれるか?」

「……場所による」

「だよなー」


 返ってきたのは、何とも彼女らしい言葉。思わず吹き出しそうになる。

 と、彼女の様子を見ると。


「……ふふっ」


 ほんの少し。

 ほんの少しだけだが、彼女も笑っていた。


 俺の恋路は、ひとつ、前に進む。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

第三話に続きます。

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