上司〜その身の苦悩〜
焼肉って1年中美味しいですよね。
1人ぼっちだった。
今、この建物の中に「江川咲」以外の人物はいない。誰も見ていないままつけっぱなしのテレビの音声だけが響いている。江川は、パソコンの前で仕事をしていた。
江川は、1人でいることが苦手ではなかった。そもそも、仕事内容が1人のほうが捗るものだし、他の誰かに気を使わなくていいのも気に入っていた。
でも、1人でいることが好きなわけじゃなかった。例えば、早退して家に帰ったとして、看病してくれる人もいない。江川は、一人暮らしだった。大家さんには何かとよくして貰っているが、家族から離れての生活の寂しさは、簡単に拭えるものではなかった。
しかし、こっちにきてよかったこともある。
この暑い中、仕事に励んでくれているのだろう部下に会えたことだ。
彼は、江川の初出勤の日に初めてできた1つ年上の部下だった。
一緒に仕事したことは数えるほどもない。というか一度もなかった。会話するのは、彼が外に行く前と帰ってきた後。時間にすると1日30分くらいだが、江川はその時間に心地良さを感じていた。
(成瀬が帰ってきたら、なんの話をしよう…?)
最近、いつもそればかりを考えている。
ふと、つけたままのテレビに意識がいく。お昼のワイドショーが流れていた。番組では、女性キャスターがおっとりとした口調で午後の天気予報を知らせている。江川はそのキャスターの顔に見覚えがあった。
「確かこのキャスター、成瀬の気に入ってる…!」
自然と眉間が険しくなる。
ーー あれは初出勤の7日後だった。
仕事にもなれ、部下との会話が楽しみになりだしたときだ。その日、珍しく彼の仕事が午前中で終わり、一緒に事務所で昼食に舌鼓をうちつつ楽しく談笑していたのだが、急に彼が立ち上がりテレビの前を陣取った。
「そんなに近ずいてみると目が悪くなるよ?」
「部長、静かにしていてもらえませんか?」
普段の彼からは考えられないほど真剣な表情で、真剣に言われた。ちなみに江川は、この時より真剣な彼を見たことがない。急にそんなことを言われて不満もあったが、あまりに真剣だったため口が出せなかった。
何事かと、江川がテレビを覗き見る。そこには、例の女性キャスターが映っていた。そして、緩みきった彼の顔も写っていた。どうやら彼は、このキャスターにご執心のようだ。
江川からしてみれば、気に食わない。彼のレアな表情を見れたことは少しラッキーだったが、それ以前に自分との会話を遮ってまで見るようなものだと思わなかった。
キャスターの出番が終わってから、江川はいちよう、彼に聞いた。
「そのキャスターさんが成瀬のお気に入りなのかい?」
「はい!」
即答だった。
「部長、このキャスターさんはですね、美香さんと言って今年入ってきたの新人さんなんですよ。部長と一緒ですね!スタイルもいいし、笑顔も可愛い。なんてったって、このおっとりとした雰囲気がいいんですよ!」
力説されてしまった。
(今、ボクと同じって言ったけど、同じなのは新人さんってことだけだよね…)
そう、江川咲のスタイルはお世辞にもいいとは言えなかった。脚からウエストまでのラインは見事なものの、その上が、こぅ、なんというか、残念だった。要するにペチャパイだった。
「や、やっぱり、成瀬はスタイルがいい女の子が好きなのかい?」
「人並みには好きですかね。あ、ウエストがキュってなってる人とかも。」
パァっと江川の顔が明るくなって
「ーーそれと巨乳も好きです。」
江川の目が虚ろになった。
「すいません、セクハラですね今のは。でもでも、別に貧乳が嫌いって訳じゃないんですよ?ただ、やっぱり母性を求めてしまうというか。」
セクハラ発言を謝った直後にセクハラ発言とかもうわかんねぇな。
「あ、部長。俺そろそろ帰ります、また明日話しましょう。」
「え、うん、またね?」
「はい!さようなら〜。」
そんな感じでその日は終わって、そこから約半年が経過した今。
江川がはテレビを睨みつけながら、牛乳を飲んだ。とうに成長期など過ぎ去っている胸を、無理やり大きくしようと言うのだ。いや、逆だ。むしろ成長期を終えた胸がこの程度の大きさのはずがない。これから、これから来るのだ!ビックウェーブが!…そう信じて、江川は毎日牛乳をのむ。小さい喉から、ゴクゴクと音が響いた。
「プハァー……あ!?」
牛乳を飲み終えた江川は、ある事実に気づいた。いや、気づいてしまった。
「大きくなってる…ウソ、だよね?」
無論のこと、江川の胸が大きくなったわけではない。
もう1度、確認するように画面を見る。間違いなかった。
テレビ日本の人気キャスター清水美香のバストが、ワンランクアップしていた。
江川はそっとテレビの電源を切った。
明日も更新します。