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アイアンナックル/リマスター  作者: 高柳 総一郎
屍の国から愛をこめて
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死をよぶひまわり




 古ぼけた皮のソファに、男はどっかと腰かける。白髪交じりの大柄な男。コートを脱ぎもせずに、足を投げ出す。

「派手にやってくれたな」

 出された冷めた薄いコーヒーをすすりながら、男は──ランス警部は言った。灰皿に咲くタバコの吸い殻で出来た華が放つ異臭が、コーヒーの香りと混じる。

「いきなりひとんち来てタバコやってコーヒー飲んで、いうセリフがそれか?」

 警部は小ばかにするように笑いながら、じゃりじゃりと自分の無精ひげを撫でた。直後漂う、全てを変えてしまうような、ポートワインの香り。椅子の背もたれに顎を乗せながら、女は葉巻を咥えていた。彼女──アンナ・マイヤーにとって、葉巻は富と力の象徴だ。火を点けるだけで、彼女の精神は安定する。

「お前のせいで倉庫街からゴキブリ共がうじゃうじゃ湧き出た」

 ばりばり、とトルティーヤ・チップスが砕ける。部屋の隅の椅子に腰かけ、クリスが優雅にテレビを見ながらおやつを食べているのだった。

「そりゃいい。製薬会社は儲かるだろうな。……死体は出たのか?」

 ランスは尻ポケットから彼と同じくらい年季の入った手帳を取り出すと、ぺらぺらとページをめくりながら言った。

「一応調べてやったよ。死体は出なかった。まあ、あの火事だ。骨まで焼けて残らなかった、って見方も無いわけじゃない」

 結局、あのナチかぶれの女──ミリィ・ハーネの正体はわからずじまいだった。彼女は言った。アンナの右腕──すなわち、彼女が『アイアンナックル』と呼ばれる所以。鋼鉄製の右腕が、『第四帝国』と呼ばれる組織から流出したものであると、ミリィは言い放った。

 だが彼女は永遠に失われた。彼女の持っていた情報も、バックについていた組織も。一体彼女はなんのために、鉄腕を襲ったのか、その過去はすべて消滅した。ミリィがいなくなった時点で、鉄腕自身この件への興味を無くしてしまった。良い女が絡んでいるミステリーは解きがいがあるが、死んでしまったらそれで終わりだ。

「殺す奴があるか。弁護士殺しの犯人を捕まえそこなった」

「代わりにゴキブリ共を燻り出せただろ。フィフティ・フィフティだ」

 この油断ならぬ中年の警部が、倉庫街から焼け出された犯罪者どもをどのように扱ったかなど想像に難くない。押収した違法物品の価値の高さ、組織の大小をさぞよく観察し、判決を下したのだろう。懐に入った金も少なくないはずだ。クズ。負けず劣らずの汚職警官──。

「……なら貸し借りなしだな」

「そもそもあんたに貸しを作ったつもりはないぜ、警部」

「だからこれから頼みごとをしようってんだよ。お前、ノースサイドにカジノがあるの知ってるか。エル・シエロ・カルテルがやってるとこだ」

 エル・シエロ・カルテル。南米系の麻薬カルテルが母体と言われているが、オールドハイトでは比較的小規模な組織である。合法カジノで手際よく稼ぎ、回銭の利息を高く取ってまた稼ぐ。子悪党の部類に入る。

「サンフラワーだったか? カジノらしくもねえ。今時ゲームセンターだってもう少しマシな名前をつけるぜ」

「話は最後まで聞けよ。最近、このカジノで妙にツキまくってるやつがいてな。どうにも参っちまってるらしい。カジノでツキすぎるやつは嫌われる。組織が絡んでるならなおさら。……その辺の事情は分かるだろ?」

「ツキすぎるって気分はアタシにはわからんがね」

 警部はわずかに眉根をよせたが、鉄腕とくだらない言い合いをする気はなかったらしく、話を戻した。

「とにかく、エル・シエロの連中は、そのバカツキ野郎をバラしちまおうと考えた。どうせ相手は一人、現場はカジノの中だ。完全防音のVIPルームにご案内、サービスに22口径はいかがですか……とまあ、そういう洒落た演出だったらしい。六人の男が、そいつを撃ち殺そうとした」

「それで? どうなった」

「エル・シエロの連中は正確に頭を撃ち殺されて全員死んだ。全員だぞ。中には銃を撃った奴もいた」

「当たらなかったのか?」

「一発もな。中には元海兵隊の凄腕もいたが、全くの無駄だった。バカツキ野郎は悠々と外へ出てって、行方知れずだ」

 奇妙な話であった。鉄腕は基本的に運というものをあまり信じていない。世の中はなるようになっている。そこに不確定な要素は存在しない。自分がすることはすべて正しいとでも思わなければ、世の中を渡っていくことなどできない。そういうストロングスタイルの生き方が、鉄腕という女の根幹にある。くだらぬオカルト話に、鉄腕は葉巻を手につまんだまま笑った。

「それで? アンタが頼みたいのは、メン・イン・ブラックか? それとも、Xファイルの真似事か? よせよ。エリア51には興味ないぜ」

「エル・シエロ・カルテルの連中は、そのバカツキの首に賞金を懸けた。生死を問わず(デッド・オア・アライヴ)だ。賞金の額は二十万ドル」

「破格だな」

 人ひとりの命にかける額としては、オールドハイトにおいては最上級の額であった。

「すでに、得体の知れん連中が、町中にうようよしていやがる。目障りで仕方がねえ。オールドハイト市警(OHPD)のお偉方も、見過ごしちゃいられねえってわけさ……」

「警察が殺し屋の真似事をするってか?」

「馬鹿言うんじゃねえ。やるわけねえだろ。殺し屋の真似事をしようって連中が目障りなんだよ。やつら、この街の常識も知ったこっちゃねえ。戦争でも起こすつもりって言われてもわからんぜ」

 面白そうな話だ。まず鉄腕が考えたのは、そうしたよこしまなものであった。霧の街オールドハイトにおいて、犯罪も、命のやり取りも日常茶飯事だ。誰もがタフでなければ生き残れない。戦えない者は喰われる。そして喰われた者は救われず、野ざらしにされる。弱肉強食の世界。

 鉄腕は異端者だ。そうした喰って喰われてのやりとりを心から楽しんでいる節がある。どんな酒よりも、どんな相手とのセックスよりも、この街で起こる奇妙な争いごとのほうが楽しい。そのためならば、すべてはスパイスにしか過ぎない。

「それで、警部殿はアタシにどうしてもらいたいんだ?」

「アライヴだ。その女を、生かして捕まえろ。……クズどもをのさばらせるより、ここらで警察の存在を示したいってのが上の考えだ」

「大した建前だな。エル・シエロからいくらもらうんだ?」

 悪徳警部は不敵に笑う。彼が考えているのは自らの利益のみだ。だからこそ、ビジネスが成立する。──彼の娘を死に追いやった自分ができる、彼への罪滅ぼし。そう考えた時期もある。しかし彼が要求することは、償いとするにはあまりにもリスクが大きすぎることばかりだった。

 どんなことにも見返りは必要だ。たとえ間に、消えない因縁があったとしても。

「やつらは、今回の件で逆に警察に擦り寄る気でいやがるらしい。クズどもに払う額と同額を用意するらしいからな。まあ、無理もねえ。業界人にしちゃ、やつらまっとうな商売をしてやがったからな。警察に金を出しても、ホコリはまず出てこねえ。それどころか、『治安維持への貢献』とかで恩を売るつもりなんだろうよ」

「おいおい、あんたのとこを通す意味はなんだよ」

「倉庫街の件で、お前の姿を見た連中は両手じゃ足らんぜ。放火に殺人未遂。いや、ここは殺人だな。立件しようと思えばすぐできるんだぜ。安心しろ、取り分は十万ドルだ。拒否権が無いってだけさ。いい話だろ」

 つまらなそうにテレビでアニメを見ていたクリスが、ひときわ大きな音でばり、と最期のトルティーヤを砕いた。鉄腕はひとつため息をついたが、目の前の警部に負けぬほどの不敵な笑みを浮かべて見せた。面白い。

「相手が女ってところが気に入った」

「君らしいね」

 クリスはテレビを消しながら、そうつぶやいた。手をティッシュで拭いながら椅子を降りる。

「ついてくるかい、ハニイ」

「相棒の義務だろ。あと、クリスでいいから」

 腹は決まった。鉄腕はコートを翻しながら身に着ける。ここから先は競争だ。敵は殺し屋気取りの愚連隊ども。──そして『ツキまくってる女』。

「ま、アンタを出世させるのも面白いかもしれねえ。せいぜい吉報を待ってなよ、警部」

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