Track B "Country Road"
崩れ落ちた部屋の瓦礫を押しのけて、わたしはオリィの手を引いた。
あまり時間の余裕はない。わたしたちは追手に牙を剥き、宣戦布告したのだから。
「まだ、足が……」
オリィは瓦礫に足を取られそうになりながら、ふらふらとその場に座り込んでしまいそうになる。
「怪我をしているのか」
彼女は頭を振ると、ぱくぱくと口を動かし、身振り手振りを加えて言った。
「それは大丈夫。パパがクスリだけはやるなって言ってたのに、破っちゃった。……自白剤だとか、なんとか言ってた。とにかく、最悪の気分なだけ」
わたしは耳からイヤホンを抜くと、彼女にプレーヤーごと手渡した。彼女の父親と、彼女のギターの音。今の彼女を落ち着かせるには充分なアイテムだろう。
「すまない、勝手に持ち出した」
「なんで?」
「君の一番の宝物だからさ。……もうオールドハイトにはいられない。なら、それだけは持ってこなくちゃいけないだろうと思ったんだ」
ドーム状の部屋を見上げると、壁沿いに点検用のキャット・ウォークが見て取れた。バチバチ、と消えかけている赤ランプのそばには、お誂え向きのドアもある。
「君を巻き込んでしまって申し訳ないと思う。……君を、絶対にここから出す。そう誓うよ」
オリィは静かに頷いた。彼女は様々なものを奪われてきた。声も奪われ、今普通に暮らす権利すら奪われようとしている。
わたしは、思えば組織への忠誠のため、様々なものを捧げてきた。
それは、失った左腕を取り戻して、さらに居場所をくれた第四帝国への恩返しだった。
与えられた以上、返すのは当たり前だ。だが、それを強要するのは違う。一方的に奪うことなどあってはならないことだ。
わたしはそうなってしまった帝国を憎まざるを得なかった。もちろん、それで今までのわたしがしてきたことが正当化されるなどとは思わない。
だが、帝国と戦う事で、オリィを守ることができるというならば、わたしは喜んでそのために身を捧げるだろう。それだけ、彼女からもらった物は大きかった。
「わたしの体に掴まって。あそこならウインチで登れる」
オリィは瓦礫の下を覗いていた。彼女が引っ張り出そうとしたのは、ギターのネックだった。
「彼のギターか」
「彼に会ったの?」
「こうしてわたしが生きていられるのも、彼のお陰だ。スキを作ってもらったからな」
わたしは左腕で瓦礫を持ち上げると、ネックを一緒に引っ張り、『彼』を助け出した。白いアイバニーズは輝かんばかりであった。傷一つ付いてない。
「ケースは無理だが、彼を助け出せてよかった。──行こう」
わたしは左腕を射出し、文字通り天井に向かって手を伸ばした。
点検口の鉄柵を外すと、うまい具合に非常用階段へとたどり着いた。とりあえず、人の気配は無い。
「離れないでくれ」
わたしはルガーを抜いて、左手で短剣を握り、銃底にくっつけて言った。
「あの連中が殺到するのはうまくない。戦闘は可能な限り避けよう。君は、わたしの指示に必ず従ってくれ。いいね」
一人ならば、いくらでもなんとかする自信はあった。だが、非戦闘員を連れているのに、戦場を無傷で正面突破し駆け抜けられると考えられるほどうぬぼれてはいなかった。
階段下──人影なし。階段上──なし。可能な限り足音が少なくなるように、ゆっくりと。その時であった。
『ミリィ・ハーネ元少佐。生きているか。この放送は、生きているものとして行うものである』
なめらかな機械音声だった。わたしの記憶の中にも存在する。第四帝国のスーパーコンピュータ。存在するかどうか分からぬ総統からの特命すら操れる、帝国の上位存在──。
『第四帝国オールドハイト支部統括AI、ゼウスだ。君には心底失望させられた。だが人的リソースは通常の物質的リソースと違い、いくらでも再利用の道がある。君にも、そうしたチャンスが与えられるべきだ。投降したまえ。もちろん君のパートナーにもね。君の記憶の中には、僕へたどり着くためのルートが眠っているはずだ。そこまできたまえ。繰り返す。投降したまえ』
一瞬、迷った。
わたしはどうなっても構わないが、オリィが助かるなら。
しかし、オリィは首を振った。わたしはミッターマイヤーの体温を思い出す。無念の内に失われていった先のあの冷たさを。
第四帝国は、機械による交渉の余地のない組織として完成した。そこに、不確定要素が割り込むことはありえない。文字通り投降していったとして、果たして敵を許すだろうか。
「行こう」
階段を慎重に上がり、その先にあった扉を開ける。ルガーのガンバレル、その先に敵は見当たらない。
薄暗い。
それでいて、不気味に澄んだ空気だった。囲まれている。そんな雰囲気だ。ルガーだけで突破させてもらえるほど甘くはなさそうだった。わたしは左腕をコッキングし、バレルの先に短剣を取り付けると、ロングバレルに変形させた。やれるかどうかはわからない。
「無茶だよ」
オリィは首を振った。
「……君と一緒ならやれる。わたしは、死なないさ」
彼女は意を決した様に、ギターを構えた。
「わたしも戦う」
「……後悔はしないのか」
彼女の体の震えを、今も鮮明に思い出せる。戦うことが日常出会った私と、そうでなかった彼女には、大きな隔たりがある。人間が銃のトリガーを引くことには、それ自体が全く違う世界への入り口となりうるのだ。
できることなら、そんな世界に巻き込みたくなかった。罪を背負えというのなら、わたしがすべて請け負うつもりでいたほどだ。
だが、今は。
わたしの側に選択肢がなかった。わたしが死ねば彼女はどうなる。死ぬだろう。それを防ぐにはもう、戦うしかない。二人で。
「合図を出す」
二人共死ななければ、わたしたちは死なない。なんと皮肉だろう。わたしは、死なせたミッターマイヤーと同じ言葉で自らを奮い立たせなくてはならなかった。
「そうしたら、君の好きなようにギターを弾いてくれ。あとは、わたしがやる」
「曲のリクエストは」
「君の一番好きな曲を、最後まで」
いつものように確かめるようなリフ。一息おいてから、弦を大きく弾いた。
電流が地面を奔り、アンプが、ペダルが生まれ、オリィの楽しげで静かなイントロが始まった。
わたしは残っていた銃弾を、夜空に星を撒くように投げた。刹那、演奏は激しくリズムを変え、電流が銃弾を貫き、花火のように炸裂する! それを起点として、まるで蛇が狭い穴に吸い込まれるように電流が照明システムに入り込み、暗かった部屋を真昼の如く照らし出した。
円形にコントロール・パネルが設置され、その中心には巨大な柱が、ちかちかと生命のように様々な色のランプを点滅させていた。
植え付けられた『ミリィ・ハーネ』の記憶が、ここが第四帝国オールドハイト支部の心臓部──すなわち総司令部であることを示していた。
炸裂した銃弾が、阿鼻叫喚の嵐を生む。潜んでいたクローン達が撃たれた箇所を抱えながら地面を転がる。影から短剣やHKG8を構えたガスマスク軍人達が、コントロール・パネルを遮蔽物にしてこちらに向かって銃弾をばらまいてくる。なおも演奏中のオリィの襟首を右手で引っ張り、バレルをパネルに載せてこちらも銃弾でお返しした。
「もっと早く──もっと激しく!」
まるで悪魔が合いの手を打った様に、オリィの手が、指が、まるでそれ自体が生き物のようになめらかに、激しく動き出す。
わたしはバレルを再びコッキングすると、ショットガンに変形させ、銃弾の嵐の中立ち上がった。
クローン兵士達のオリジナル──マルク・ミッターマイヤーは、速成コース出身で兵士としては半人前だったが、射撃の才能があった。長距離射撃はもちろん、屋内の乱戦中における射撃の精密さも、なかなかのものだった。
つまり、今のわたしのように、遮蔽物から立ち上がった者に対して命中させるなど朝飯前だ。
分かっていたが、躊躇などしていられない。死ぬかもしれないとしても、ここで立ち止まっていたら永遠にこのままだからだ。
その時だった。オリィがひときわ大きく──腕を風車の如く回して、弦を弾いた。アンプから目に見えるほどの音波の壁がわたしをすり抜け、銃弾を叩き落とす。
何が起こったのか考える暇はなかった。わたしは残っていた三人にスラグ弾をぶち込み、頭や腕、腹をふっ飛ばした。
いつの間にか、わたしの口の中で鉄の味が滲んでいた。奥歯を噛み締め過ぎたのかもしれない。
わたしが撃っていたのは、ミッターマイヤーたちだ。私が知っていたのとは違うかもしれないにしろ、彼そのものなのだ──。
『まったく度し難い』
合成機械音声が、わたしの思考に割り込んでくる。
『優秀な者ほど、定石どおり動かない。不確定要素が増えるのは、組織として大きなマイナスだね、少佐。前任者は戦闘能力を除けばその点において非常に優秀だった』
「AIにもジョークが言えるようになるとはな。判断をAI任せにする軍人を優秀と判断するとは、時代も変わるものだ」
まるで笑うように、AI・ゼウスは自身──本体の機器ランプを震わせ、明滅させた。
『ああ、そのとおりだ。帝国には長い歴史があり、悠久なる未来が約束されているからね。では、僕も君に対し判断とやらを仰いでみよう。第四帝国に再び忠誠を誓いたまえ、少佐。今回の叛逆については不問とし、二階級特進を約束する。もちろん君のお友達についてもだ』
「判断材料は外部からのタイピングで賄っているのか、ゼウス。なんの取引にもなっていないぞ」
『いいや、なっているとも。歌による記憶のインストールは極めて不安定だ。ミリィ・ハーネとしての記憶や人格の定着には、再調整が必須なんだよ。僕の申し入れを断れば、君の記憶はハードディスクを強引に抜き取ったパソコンに等しいというわけだ。消える、ということだね。もちろん、君が出奔し、一人の掃除人として働いた頃の記憶も──『前の世界』の記憶もね』
前の世界。
一体どういうこと、とでも言いたそうな困惑の目を、オリィはわたしに向ける。隠すつもりも意味もなかった。だがそれは、わたしにとってのみ意味を為す脅しだった。
わたしは、この世界の人間ではない。
『君も薄々感じているだろう。君の記憶と、君にインストールしたミリィ・ハーネの記憶には齟齬がある。君は南米基地で総統付きのSS将校だったはずなのに、この世界の彼女にはそのような過去はない。……君は、戦術人形計画の最終段階に達した実験体──平行世界から呼び出された、史上最強の『ミリィ・ハーネ少佐』なのだ。即ち、クローンの体というハードウェアに、平行世界の同一人物のソフトをインストールし、拒否反応が起こらない様に身体を調整することで、最強の兵士を量産する』
「絵空事を」
虚しい反撃だった。口ではどうとでも言えるが、その実わたしは納得してしまっていた。
『以前、第四帝国の基地の出入り口が敵勢力にバレてしまったことがあってね。その際、基地の構成を組み直して、設備も移動させたんだが──君に逃げられてしまった。何ヶ月も探したが、結局のところこうして戻ってくれたわけだ』
「それがどうした」
わたしは左手の銃口をゼウスそのものに向けながら言った。
「わたしはレフティだ。もう名前は捨てた。左腕も欲しければくれてやる。記憶もな。わたしやオリィの邪魔をしなければ、何も」
『分かっていないね、少佐。君のしていることは何もかも無駄なんだよ。我々のリソースは、君という存在の量産を可能とした。ただ時間は有限だ。外敵も我々を狙っている。新しく戦力を作り出そうとするのに手間がかかるだろうという観点からこうした提案をしているに過ぎない。君に次のチャンスは無い。我々に再度忠誠を誓うという手段を除いてね。それこそが、第四帝国の兵士たる者の誇りではなかったのかな。──それとも』
床に倒れ伏し、虚しくギターが音を立てた。
オリィだった。
彼女の身体が床に転がり、悪魔の力の象徴たるアンプやペダルが、風によって崩される砂の城のように消えてゆく。
彼女の命が消えてゆく。
「オリィ!」
腹から血が滲み、シャツに広がってゆく。彼女もまた一瞬何が起こったのか分からなかったようだが、血を見たことでそれを理解したようだった。
『総司令部警護用のレーザーシステムを使ったのは初めてだよ。我々なら彼女を救えるかもしれないな、少佐。さて、君の決断を教えてもらおうか? もっとも、聞かずとも決まったようなものだろうが……』
こんなことは望んでいなかった。
わたしは、彼女と一緒であればそれでよかったのに。
ミッターマイヤーを二度も失い、今ここでオリィという理解者をも失おうとしている。その上で、わたしからこれ以上何を奪おうと言うのか。
「駄目だよ、レフティ」
妙にざらついた言葉が、わたしの耳を打った。また時が一気に軟化し、世界が灰色になって止まってゆく。
「あいつらの言うことを聞いちゃ駄目。あなたは生きなきゃ」
悪魔の仕業だ。悪魔は笑顔で砂に還りかけているアンプに腰掛けて、こちらを見ている。そのアンプから、ノイズかかったオリィの声が聞こえてくるのだ。
「しかし、君が──君が死ぬことに意味などない!」
「あるよ、レフティ。彼と取引できるもの」
銀色の悪魔が、同じく銀色に光る歯を見せ笑った。
「彼に聞いた。人間の魂を削り取って生きてるって。だったら、命そのものを捧げることができたら、それだけ凄い力が出せるんじゃないのかって。見てのとおり、もう助かんないから。代わりにレフティ、あなたを救えるんじゃないかって思ったんだ」
「わたしのために死ぬというのか」
わたしはどろりとした熱いマグマが、口の奥から飛び出してきそうな気がした。そんなことがあってはならない。わたしが生き残るために、オリィを犠牲にしていいはずがない。
「そんなことは間違ってる! 君が──軍人でもない君が、わたしに恩義を感じて死ぬ必要などない!」
「違うよ、レフティ。それは違う。あなたをかわいそうだとか恩を感じたとか、そういう理由でそうしようと思ったわけじゃないよ。そうしたいと思った。わたしにはそう選択できた。それでレフティを自由にできると思ったからこそ、そうしたんだよ」
「わたしの記憶は失われるんだぞ。それで、君のことを忘れてしまったとしても?」
「なかったことにはならないよ」
悪魔がギターを拾い、わたしに近づいてくる。オリィの聞いていたカセット・プレーヤーをわたしのズボンのポケットにねじ込んでから、彼はギターを構えた。
「さようなら、レフティ。これはできたらでいいんだけど、わたしのことをいつか思い出してね」
悪魔はニヤリと笑うと、オリィがそうしたように大きく手を回して、ギターを思い切り弾いた。止まっていた時間が動き出し、モニターというモニターが衝撃ですべて砕けていく。
『なんだ、何が起こった!?』
時間にすれば、一万分の一秒にも満たなかったのかもしれない。それでもわたしには永遠に近いような思考時間だった。
悪魔も、アンプも、ギターも──そして、オリィの姿もそこには無かった。
わたしは背中側に一つだけマウントしていた、パンツァーファウスト3の弾薬を左手で握って、未だ何が起こったのか分からないままのゼウスに向かい合った。
「ゼウス。悪魔に電気の力を悪用された気分について聞こうか」
『……さま! いっ……タイ……何wo!』
「さあな。残念ながらわたしは第四帝国にはなんら関係の無い一個人でしかない。報告の義務も無ければ答えを披露する必要もない」
ウインチのロックを解除し、わたしは大きく振りかぶると、弾薬を握ったまま腕を伸ばし、ゼウスの本体へと叩きつけた!
弾頭が潰れ、炸裂し、神の身体は爆発を起こし、全体からショートし始め燃え上がる!
「機械に捧げる忠誠など、わたしは持ち合わせていない」
爆ぜて、爆ぜて──わたしの視界はそのまま爆ぜ、光に飲まれて──やがて消えた。
わたしは雨の中、マントを巻き付けて路地裏にうずくまっていた。
何もわからなかった。
何が起こって、何があって──そして自分が何者なのかも。
「……なんだ?」
わたしは自分のズボンのポケットに、何かが入っているのに気がついた。それがカセット・プレーヤーであり──中にカセットが入っていることも分かった。
再生ボタンを押してみるが、音は鳴らなかった。入れ方がおかしいのだろうか、と中のテープを取り出してみる。
なぜだか、視界が滲んでいた。雨のせいかと思ったら、わたしの目から涙が溢れているためだった。
ラベルテープに真新しく書かれた『To Lefty』を見てから、それこそ未だ降るこの土砂降りの雨のように、止まらなかった。
わたしはテープをさし直して、再生ボタンを押した。聴いたことがあるのかどうかも分からないのに、こみ上げてくる郷愁のまま、わたしは歩き出した。わたしはそうしなくてはならなかった。
わたしの名前はレフティ。わたしの左腕は無敵の鋼鉄製で、許せない者たちと戦うことができる。そしてこのテープから流れる曲の名前は──。
終




