オールドハイトは天国みたいなところさ
「よもやあたしのやることに文句をつけないだろうね、警部?」
生演奏のピアノが静かにその場に流れていた。円形テーブルの上には、ちょうどメインディッシュが置かれているところだった。和風スタイルのワサビ・ソースのかかった、ミディアム・レアのステーキ。
それを乱暴にナイフとフォークで切り分け、口に運んだのは──オールドハイト市警99分署強行犯係の警部、ランスであった。とてもこのような高級レストランには似合わぬ男である。事実、いつもよりきっちりとネクタイこそ締めているが、お世辞にも高そうには見えないスーツは毛羽立ってしまっている。
そして、目の前には、これまた似合わぬ格好──サイケデリックな色のドレス姿に、丸サングラスの老婆──ミス・ゴールドストンの姿があった。
「あたしは孫のように可愛がってる娘に小遣いをやった。その保護者がその金でハワイに行くという。それを間違いだというのなら、世の中の爺様婆様は生きがいのほとんどを奪われてしまうというものよ」
鉄腕が絡んでいるという、オールドハイト・ステート・ビル崩落事件。いつも彼女を利用し続けているランス警部といえど、これをただ見逃してやるのは難しかった。
鉄腕とランス警部は、ビジネス関係にあり、お互いに利用し合っている。ただ、ランスは鉄腕に恨みを抱いている。
娘を殺した仇。
真偽はどうであれ事実はそのとおりだ。だから、ヘマをして使い物にならなくなったら、ランスは彼女を容赦なく刑務所にぶちこみ、一生を塀の中の奥で過ごさせてやると決めている。
「あんたの会社には恐れ入るよ。保険の会社は損をしただろうが、投資ファンドはどうだ? 事件が起これば、鉄腕から情報を流してもらえりゃ、いち早く投資できる。どの株の銘柄が上がって下がるのか、手に取るようにわかるわけだ。さぞかし儲かったんだろう。……だからこそ、あんたはあいつを守ってやらなくちゃならなかった。ビジネスのためにもな」
鉄腕を逮捕し、市警のメンツを保つ。市警があのカイジュウ騒ぎで何もできなかったのは誰の目にも明らかだが、それでもなにかしたことにせねば、市警としての優位性は保てない。
だからこそ、ミス・ゴールドストンの下に来た。抗議の意味も込めて。鉄腕はしばらく『旅行』だ。ゴールドストンのバックアップがあれば、捜査をするだけ無駄だろう。それだけ彼女らの結びつきは強く、ゴールドストンの力もまた強い。
要は、ここに来ている時点で既にチェックメイト。ランスにできることなど何もない。
せいぜいがこうして、ステーキをタダで食うことくらいだ。
「邪推ならSNSにでも書き込むことだね。大統領がいつもやってるだろう。……ま、今回の事はこのババアの顔に免じてここまでとしとくれよ」
「話を変えよう。……ミス・ゴールドストン、街はしばらく騒がしくなる。わけのわからん連中が、テロまがいのことをしてくれたせいだ。暴力は当たり前のように連鎖する。関係性が見いだせなくとも、大なり小なり事件ってのが拡散するんだ。孫可愛さで旅行に出したのは間違いだったかもしれんぜ」
「あたしがこの街にいるのは、儲かるからだよ警部」
老婆は獰猛ともとれる笑みを見せながら言った。
「全盛期のルー・テーズみたいに、リングに上がれば必ず儲かる。降りなけりゃなんだって構わないよ。あの子を抱えてるのは、ジン・キニスキーが現れた時に代わりにブチのめしてもらうためでね。……今んとこ、その気配がない。なら、遊びに出したってあたしは一向に構わない」
「ルー・テーズは晩年団体を潰してる」
「それでもミル・マスカラスがいたさ。どうせあたしは気ままな独り身、リングに立ち続けても死ぬ時は死ぬ。死ぬが……あたしは立ち続けるさ。あの子はそのためにいる」
「そうかい。……ミス・ゴールドストン、市警の仕事を増やしてくれて感謝するよ。しかし忠告もさせてもらうぜ。あんなのでも、ザコをおとなしくさせるのにゃ一役買ってる。いわばつっかえ棒ってわけだ。それを外したツケを、あんたはどこかで払わなきゃならんはずだ」
残りのステーキを口の中に放り込むと、ランスはもう用は無い、とでも言いたげに立ち上がった。
「なら、あんたはカール・ゴッチにでもなるがいいさ」
「悪いがバディ・ロジャーズの方が好きでね。せいぜいリングに立ち続けるがいいさ、チャンピオン」
もしもパパが子供の頃に古いレコードを聞かせてくれなかったらどうなっていただろう、とよく考える。
パパは昔ながらのシンガー・ソングライターで、アコースティックギター一本で、懐かしいカントリーミュージックを弾いていた。
街に一つしかない小さなバーで、パパが生演奏するとみんなが拍手した。パパは私のヒーローだった。だから、私もそうなりたいと願うのは当たり前のことだったし、事実そうしたかった。
その日までは。
「クビだ」
「なんで?」
オリィは店長に詰め寄ったが、無駄なあがきだった。オールドハイト西地区、デリバリーピザチェーン「グローリー・サークル」。田舎から出てきたオリィがここ数年を過ごした店だ。
「売上が落ちてるんだ。それ以外に理由でも?」
「ピザのつまみ食いもしてない、ツバだって吐きかけてない。無遅刻だし……欠席はしてるけど」
「オリィ、すまないがうちの経営は苦しいんだ。本当に心苦しいよ。だからほんとうにすまない。いままでありがとう」
早口でそうまくし立てる店長に、追いやられ、荷物を引っつかまれ、裏口から押し出され──オリィの姿は外に出てしまっていた。
プラチナブロンドに、紫色の前髪が一房。ミリタリースタイルの黒いジーンズに、グリーンのキャミソール。白いジャケットを肩にかけている。
その下から見えるのは、細い両二の腕にびっしりと描かれたタトゥー。ハート、骸骨、拳銃、梵字──。
その時であった。扉が開き、リュックとギター・ケースが投げ出された。わずかな隙間からは、店長のすまなそうな顔。
「オリィ、本当にすまない。だが訴えるだけ無駄だぞ。俺は君に持ち物を返して、残業代も含めてカネも払ったからな。じゃ」
何をわめこうが、無駄なようだった。オリィは扉を一回蹴りつけると、とぼとぼとストリートを歩き始めた。
こういう時は、ギターを弾くことにしている。ストリートの影で良い。とにかく文句を言われず弾ければなんだって。
ギターケースを開けて、古いアコースティック・ギターを取り出す。大好きだったパパの形見。故郷は既に遠く、戻ることは叶わない。
懐かしい故郷の歌を、パパのように歌うと、不思議と寂しくなかった。弦を押さえてピックを弾くと、世界が広がったような気がする。
広がった世界に対して、歌で投げかける。いつも考えていること、いつも感じていること。
パパが死んで、ママがいなくなった頃からよく考える。世界に、この広い世界に、わたしが存在する意味はあるのだろうか。わたしは存在していいのだろうか。
硬貨やドル札の数が、その答えだ。
西地区はサウスパークに比べれば治安が良いと言われているが、それでも夜の街で女ひとり暗がりでギターを弾くのははばかられる。
夕方に差し掛かる直前に、オリィはギターを片付けようとした。レストランには入れないが、バーガーセットにはありつけそうだ。仕事を見つけるまで切り詰めていかなくてはならない。
夢のシンガー・ソングライターにはまだまだ程遠い。
「姉ちゃん……」
低い声だった。
通りはまだ人の姿があったし、警戒すべき時間帯まで、まだ余裕はあった。なによりも、自分がそんな目にあうものか、という自惚れのようなものもあったかもしれない。
わたしが振り向いたとき、その男は居た。ささくれだった鉄パイプのようなものを持って、フードを被った男だった。
パイプが振り上げられたのを見て、まだ手にしていたギターで防ごうと掲げてしまったのが、間違いだった。パパのギターにぐしゃりとパイプがめり込み、ネックが折れ、ボディに穴が開く。
「やめて!」
男はもう一度パイプを振り下ろした。わたしは思わずボロボロのギターを抱えて叫んでいた。
それがわたしの最後の言葉になるとは、私自身が考えもしないことだった。
鉄パイプは折れたネックを巻き込み、その破片がわたしの喉を貫いたのだ。
わたしは声も出せず、その場に転がった。男はこちらをかえりみもせず、ギターケースの中の金を引っ掴んで逃げていった。
パトカーのサイレンが遠くで鳴っている。わたしはあまりの現実感のなさに、サイレンの音階はなんだっただろう、とかどうでもいいことを考えていた。
シとソ? 高音過ぎてよくわからない。喉がぬるぬるして気持ちが悪い。触った手がびっくりするくらい赤く染まっていて、座り込んだまま立てなかった。
びっくりしたはずなのに、声が出なかった。壊れたパパのギターは、何も答えてはくれなかった。ただ、これだけはわかる。
オールドハイトは、わたしにとって天国ではなかったのだ。




