バベルの塔、裁きの雷
避難は迅速に進んでいるようだった。
すでにオールドハイト中心部では、荷物を満載にした車が北を目指し列を為していた。
鉄腕はその列を縫うようにハーレーを転がす。後ろからは怪獣の奇妙な吠え声。小さな爆発に轟音。
当然、観光モニュメントのひとつであるオールドハイト・ステイト・タワー周辺にもすでに人の姿は無い。受付カウンターも空。
「さて、どこにいるか……屋上展望台には間違いないだろうな」
オフィス・商業施設・ホテル、そして高級アパートメント。その先に、バー・ラウンジも兼ねた展望台。
鉄腕は迷わずボタンを押し、最上階へと向かう。ガラス張りのエレベーターだ。浮遊感と共に、オールドハイトの町並みが遠くなってゆく。102階まであっという間だ。途中で止まらなければ。
Peep。25階、商業施設最上階でエレベーターが止まる。数人の男女が乗ってくる。服装はバラバラ。年齢も。
ただ、全員が緊張している。そりゃそうだろう。鉄腕はひとりごちた。
「下へ行くなら乗るエレベーターを間違えてる」
誰も答えない。
「結構。んじゃ『間違えてない』ってことにしよう。地獄は依然として、地下にありき。あんたらは羽をもがれたなんとやらだ」
小ぶりのナタ、肘まで刃があるコンバットナイフを彼らが抜いたのと、鉄腕が身を屈めながら、一人の男の顎を打ったのはほぼ同時だった。
昏倒する男に巻き込まれ、何人かが壁に押し付けられる。ナイフを握った女の足を払い、ナタを避ける。壁に突き刺さり、火花が飛ぶ。
もう一人ナイフを握った男が、鉄腕を串刺しにせんと腕を伸ばす。彼女はそれを掴むと、狭いエレベーターの中を利用し、掴んだまま壁を蹴り、展望ガラス側へ投げ飛ばす!
鉄腕が下を覗こうと一歩出た瞬間、倒れていた男が起き上がり、鉄腕の胸ぐらを両手をクロスさせながら掴み上げ、壁へ押し付けた。
絞め殺す気か!
「Чёрт побери!(ブッ殺す!)」
肺から空気が抜け、心臓が早鐘を打つ。普段なら腕ごと掴んで骨ごと砕いてやるところだが、今の彼女にはそういうわけにもいかない。
なら狙うのは何処か? 簡単だ。もっと細くて先っぽだ。鉄腕は男の小指を掴むと、一気にへし折った!
AARGH! 怯んで拘束が緩む。鉄腕は再び地上へ降り立つと、顔を狙って鋭い蹴りを放った! 男は昏倒!
「蹴りを学ぶ時はタイ人に学べ。世界の常識だぜ」
PEEP。エレベーターが80階で停止。吹きすさぶ風に異常な衝撃。止まるのも仕方あるまい。
そこはホテルのロビーだった。80から95階がホテル部分になっているのだ。さすがの鉄腕にも縁が薄い、超高級ホテルだ。
ここもすでに避難が済んでいるのか、人の気配はない。ただ一人を除いて。
「どうも、お客様ぁ」
のんびりとした女の声だった。肩まで伸びたブロンドの、背の低い、若い女。鼻筋はそばかすだらけ。赤土色を基調にしたスカートスーツを身にまとっていた。なるほど、フロント係に見えなくもない。
「こちらはぁ、営業停止中でしちぇ。申し訳ないんですけど、帰っていただせます?」
妙なロシア訛りだった。下手くそな英語だが、まあヴィガよりはマシだろう。
「チェックインしたいんだがな、美しいお嬢さん(クラスィーヴァヤ ディェーヴシィカ)。予約は無い」
女はにこにこと人好きのする笑顔のまま、続けて言った。
「お断りをしちぇましてぇ。おかえりくだせい」
「そうか。ところで、エレベーターに乗ってきたのはアンタの友達か?」
「わたし、よくわかりませぇん」
「なら、アタシが今から話すのはタダの与太話だ。──ロシア野郎どもは全員一人残らず殺してやった。上にいる連中もその気なら、アタシはそいつらにもそうする。レイシズムは嫌いでね。ケンカを売られたら必ず全部買う主義なんだ」
女の顔から波が引くように、笑みが消えた瞬間、彼女の手元から刃が飛び出す。曲線を描く、黒く美しい刃。ククリナイフ。首を掠め、鉄腕のコートが僅かに裂ける。異常によく研がれている!
「Чёрт побери!(ブッ殺す!) ヤンキー野郎!」
ギザギザとした鮫のような歯を剥き出しに、憎悪の炎を燃やして、女はカウンターを乗り越えた。
「やってみな、お嬢さん!」
黒いククリナイフが空気を裂く。右。左。ナタのように重い刃を、金髪を振り乱しながら軽々と振るう。普段の腕ならいざ知らず、このスペアでは腕ごと落とされかねない。
鉄腕は距離を取り、構えた。パワーはある。しかしスピードはどうだろう。文字通り力任せでは負ける。
「アタシをバラバラにしたいか? 結構、やれるならしたらいい。ただ、名前くらいは聞かせてもらいたいもんだね」
「軍規上、死ぬ人間に名乗ることはできませぇん」
「残念だな。自己紹介の機会を永遠に失った」
振り下ろされるククリナイフを、体ごと躱して避ける。女は舌打ちしたかと思うと、腰に吊っていたもう一本のナイフを抜く。ククリナイフ二刀流のまま、力任せに義腕にたたきつけてきた!
装甲板がひん曲がり、内部機構が露出! この腕で、何秒持つか。足が自然に膝を付き、刃を受け止めている腕が自然と額にめり込む。圧し切られる。そう、通常の腕ならば。
小指を三回、親指を二回。
「なんのつもりでしか」
女は、鉄腕の指がピクピクと動くのを見咎めていった。
「こういうことさ」
中指をピンと立てる。堂々たるファックサイン。世界共通の挑発行為に、ロシア女は眉をひそめた。
「今更何を? 死にちぇいということでしかぁ?」
PONG! ボルトが飛ぶ。女が突然の事にバランスを崩し、鉄の肌にめり込みかけていた刃を巻き込まれ、つんのめる。
鉄腕の右腕が外れた。
それは、カンザキへの要望で付けてもらった機能だった。
まさか毎度毎度専用器具を使って外すわけにもいかない。事実、カンザキと出会う前の鉄の腕は外そうと思って簡単に外せるものでもなかった。指を動かす順番と回数で、緊急的に右腕を外す。
メンテナンスや、普段の生活に影響の無いように──さながらトカゲがしっぽを切るように。
鉄腕はその一瞬を見逃さなかった。腕に巻き込まれ、左手に握ったナイフが落ちた瞬間、すばやく右親指をへし折ったのだ!
当然、ナイフなど持つことなどできようはずもない。目を白黒させている彼女の顔に、今度は右膝を叩き込む!
途端にナイフから手が離れ、重い音を立て地面とダンスした。
殺す。
必殺の一撃を放つ時、鉄腕の血液が逆流する。時が止まる。脳内物質が駆け巡り、相手を殺せと脳裏が灼ける。
しかし、その右腕は、今はない。
「……やめよう」
鉄腕はナイフを踏みつけて言った。女は地面に這いつくばり、鼻から血を流しながら唸っていた。
「別にカネになるわけでもない話だ。──美しいお嬢さん。アタシはカネさえあれば、大統領だって殴ってみせる。タダで女の子は殴れねえ。……ああ、いや、すまない。蹴って悪かったな」
アンナはその名のとおりの鉄腕を拾い上げると、接続部にくっつけた。彼女の腕の接続部はミルフィーユ上の階層になっている。神経接続部と、日常生活用脱着部は別だ。よって、思った以上に簡単に──器具なしで腕の脱着が可能なのだ。
「さて……悪いがこっちにも事情があってな。まさかここまで抵抗しておいて、上でやってんのはドラッグパーティーってわけでもないだろう」
「сука!」
女は恨めしげな目でこちらを見上げながら呟いた。鉄腕は彼女の首根っこを引っつかむと、乗ってきたものとは別のエレベーターに乗り込み、102階のボタンを押す。再び浮遊感。街の奥では、もうもうと粉塵があがり、鋼鉄巨人とカイジュウがプロレスをしながらビルをなぎ倒していた。
「あれがアンタたちのペットか?」
「……よくわかりませぇん」
鉄腕は新しい葉巻を取り出しくわえる。鋼鉄巨人が武器腕をパージし、鉄のマニュピレータでカイジュウをぶん殴る。乳白色の液体が飛び散る。あれが血液か。
「じゃ、飼い主に聞くとしよう」
PEEP。扉が開く。鉄腕は女を乱暴に投げ捨てる。床と擦れ音がなり、女の身体が投げ出される。
「……同志ヴェロニカ?」
赤土色のスーツに身を包んだ男女達が数人、ちょうど展望用ガラスの目の前を陣取っているところだった。ヴェロニカの異常を感じ取り、一斉にMP-443を抜く。ロシア正式採用拳銃。
「同志諸君お仕事ご苦労。そろそろボルシチが恋しいだろう? デカブツを引き取ってお帰り願おうか」
鉄腕はマッチを擦り、葉巻に火を移した。ヘンリエッタ・Y・チャーチルズのかぐわしいポートワインの香りが漂う。
銃口がこちらへ向く。鉄腕はすばやくヴェロニカの後ろへ回ると、彼女の顔を持ち上げた。不本意だが、これくらいのことをしなくては今の鉄腕は不利なのだ。
「待てよ。アンタらが誰だかアタシは知らない。目的もだ。つまり敵か味方かはまだ未確定。つまり、交渉の余地があるとは思わんかね?」
「何がいいたい」
兵士たちの壁をかき分けて、顔を出した男が一人。背の高いダークスーツの老紳士だった。長い白髪に顎髭。目元や額の皺から見ても、高齢であることを伺わせるが、背筋は伸びて立ち姿は美しい。
「アンタがボスか? 話が分かるとありがたいんだがな」
「我々は同志を人質にする者を味方だとは思わんよ」
「結構だ。ま、敵の話を聞いてくれ。……率直に言おう。あんたらはSOHKSか?」
男たちは顔を見合わせた。その内の一際大柄な金髪男がひそひそと老紳士に耳打ちした。
「なるほど……敵の敵は味方の論理かね?」
「と言うと、あんたらは違うと」
「もちろん違う。君に告げる事実は二つ。ひとつ。我々はGRU特務研究部局の者だ。SOHKSではない。ふたつ。残念ながら今のところ、あの試作機を撤退させる気はない。SOHKSとの戦端は開かれた。もはやどちらかが撃滅するまで、後退はありえないのだよ」
カイジュウが鋼鉄の腕にかじりつき、トドメを刺すように引きちぎりにかかる。MP-443が口を開き、死の種を植え付けにかかろうとしている。
鉄腕の額から、汗が一滴流れ落ちた。
「……わかった。ならアタシにも考えがある」
「勇気あるお嬢さん(ドゥーチ)。賢明な判断を期待するよ」
「敵の敵は味方。アンタら余所者がオールドハイトに巣食ってるSOHKSとやり合おうってんなら、方法はひとつしかないんじゃないか?」
老紳士は眉根を寄せる。鉄腕は笑う。死地に飛び込んでしまったのなら、死んだ気で生き残りに賭けるべし。
「何、順番の問題さ。アタシがSOHKSを代わりにぶっ潰してやる」
「それで、君に何のメリットが?」
「決まってる。背中を気にせずアンタらとケンカができる」




