怪奇!オールドハイトに巨大生物現る!
「釣れるかい」
オールドハイト南部、サウスパークよりさらに南、ハドリア川が流れ込むハドリア湾。
寂れたヨットハーバーと、ぽつぽつと活動を続ける漁師達に混じり、ジャンはいつものように釣り竿にクーラー・ボックスを下げて、友人の釣り人たちへ声をかける。
釣りとは己との対話である。
年金生活に入り、孫も生まれ、暇を持て余す老人のジャンにとって、オールドハイト郊外のこの土地での釣りは、精神統一のような役割を持つ。
「ジャンじいさん。今日は駄目だね」
オールドハイト・Tレックスの帽子を被り、ティアドロップのサングラスをかけた中年男が言った。
「雑魚一匹釣れねえよ。俺は朝からいるがまるで駄目だ」
「そりゃ変だね。暖かい季節だし、沖から魚が戻ってきててもおかしかないんだが」
「昨日は釣れたんだよ。それもバカみたいに。海面がびちびち魚で埋まるくらいで入れ食いだった。餌いらなかったんだぜ」
「猫に食わすぶんだけあればわしは十分だからね。そんなに釣れても仕方ないよ。糸を垂らしてぼぉっとしてれば満足さ」
中年男の隣に腰掛け、桟橋から足を投げ出し、糸を垂らす。ジャンにとって至福の瞬間である。別に釣れずとも、こうして何も考えず、水面できらめく光の反射だけを感じる。時間の流れを忘れ、ただこの時だけを楽しむ。その日も、何尾か──もちろん何も釣れなくても良い──釣って、帰るつもりだった。やがてとなりの中年が諦め帰り、回りの釣り人たちが一人、二人といなくなり、とうとうジャン一人になった。
すでに日は傾きかけている。
クーラーボックスの氷は溶け、ビールはぬるくなり、相変わらず釣り糸が水面で揺らいでいる。
きりきりとリールを回し、くいくいと竿を引いてみるが、なんの反応もない。猫のユリウスが悲しがるだろう。いい缶詰でも買って帰ろうか──。
のんきにそんなことを考えていたその時であった。
水鳥が示し合わせたように、いっせいに水面から飛び立ったのだ。カモメがせわしなく鳴き、ちょうどオールドハイト中心部へ向かって飛んでいく。
そして、静かになった。魚も鳥もいない、不気味なほどの静寂に、さしものジャンも白いひげに触れて、慌てて竿をしまい、クーラーボックスを持ち上げた。
まるでなにかから逃げ去るように、とにかくそうしなければならないように、ジャンは桟橋から離れようとした。
海に背中を向けた彼には『水面が持ち上がった』ことに、気づかなかった。静かに持ち上がった水面はやがて波を立て、ジャンへと向かう。彼は音でそれに気づき、持ち上がった水面の正体を見た。
見たのだ。
「神よ(GOD)……」
黒曜石のような輝きのそれを、彼は見た。それが瞳だったのだ、ということを彼は誰にも伝えられなかった。
次の瞬間──それは口を大きく開け、桟橋をバキバキ砕きながら、ジャンを呑み込んだからだ──。
「ふざっけんな、このクソ野郎!」
アンナ・マイヤーはブチギレていた。彼女は自分より背がひょろっと長い男の胸ぐらに左手で掴みかかり、ちょうど木を揺らすグリズリーのように男の身体を前後に揺らしていた。
「テメー言ったよな!? アタシは絶対言ったぞ! アンタにデータを預けとくから、なんかあったら絶対直せって!」
アンナは左手を離し、男の身体を床に放り投げた。まずは状況から説明せねばなるまい。
アンナ・マイヤーの鋼鉄製の右義腕は失われた。永遠に。ただ彼女とてバカではない。形あるものがいつか失われることくらい、よく理解している。
オールドハイトには何でも起こる。その理由の一つに、出処不明の科学技術が流出してくるというものがある。
どこかの国で誰かが開発したオモチャを、オールドハイトで試しにくるのだ。そうした噂もあるが、真偽はわからない。
ただ、そうした謎の技術を求めてやってくる好事家がいるのも事実だ。カンザキ・A・マックスも、そうしたギークの一人だ。
MITの博士号に、機械制御とエネルギー技術、モーターの特許を二桁。一般的に天才と呼ばれる彼が鉄腕の『友人』になったのは二年前の話。紆余曲折を経て、彼はアンナ・マイヤーの鉄腕をただ一人研究・整備できる立場を得たのだ。
「かん、勘違いしないでくれたまえよ、キミィ! ぼ、僕は直せないとは言ってない! ただ、直すには予算と期間が必要だといってるだけだ!」
うっとおしいほど長い若白髪をかきあげながら、分厚く指紋だらけの汚い眼鏡を押し上げて、カンザキは叫ぶように言った。
「大体一月だぞ!? キミの義腕は、パーツがバラバラになってダメになってる部品が四割、車なら文句なしの廃車なんだぞ! それを、一月でボクは直すんだ。感謝されこそすれ、文句言われる筋合いなんかあるか!」
「うるせえ! 御託ばっかり並べやがって、ファッキンギーク野郎! それ以上ドリトス臭い口を開けてみろ! 肌がピンキーパイになるまで張り手してやる」
ここは、ノースロードの郊外にあるカンザキのラボである。ふとしたことから無敵の鉄腕を失ったアンナは、とにかく義腕を直すことを先決にしようと考え、相棒のクリスと共にここにやってきたのだった。
右腕がないのは不便だ。バイクには乗れないし、ピザを食べながらビールを飲もうとするのに苦労する。何より、右腕一本で相手を殴り倒してきたアンナにとって、最大の武器が無いというのは不便以上に不安ですらある。
「なんでガンダムばっか置いてあるの。ボルトロンは置いてないの?」
クリスは二人のケンカには興味ないらしく、カンザキの私物であるプラモデルを両手に持って、人形遊び中だ。
「あと初代ガンダムしか観てないの? 僕、00とかユニコーンとかのほうが好きなんだけど」
「やめて! それはEXPOに行ったときの限定品なの! 左手に持ってるやつはもう廃盤になってるやつ!」
カンザキのあまりの剣幕に、クリスは二体ともそっと棚に戻してやった。彼はそれに胸を撫で下ろしていたが、今度は鉄腕の左手が頬をがっちり掴み、強引に首を向けさせられる!
「とにかく、アタシがアンタに言えるのは、腕をすぐに直せ、速攻で直せってことさ。アタシはクリスみたいに優しくねえ。あの棚の地球連邦軍を半分消し飛ばしてやってもいいんだぞ。インフィニティ・ウォーのサノスみたいにな」
「い、インフィニティ・ウォーは良かったよね……」
「ああ、良かったさ。アタシもジェムを持ってりゃ良かったな。肝心なガントレットをハメるための、腕を、持って、無いけどな!」
カンザキは思わずうう、と唸り、胃のあたりを抑えながら、錠剤を口に放り込み、コーラでそれを飲み下した。
彼は鉄腕に貸しがある。
研究費用の足しにしようと、違法車両の整備や、犯罪に利用される遠隔操作重機などの開発に携わったのがまずかった。マフィアに脅され組織に組み込まれ、身動きが取れなくなっていたところを救われたのだ。
結果、胃の調子が劇的に悪化した以外は、状況が改善したのである。よって、彼女には頭が上がらない。無理難題でも、鉄腕が言うのならやらねばならぬ。棚の上の地球連邦軍どころか、ジオン軍も危ない。
「と、とにかく……直すから乱暴だけはやめてくれ。どっちにしろ、今日明日じゃできないことだけは確かだけど」
「じゃ、三日でやれ」
無慈悲! しかし、これ以上の交渉はイラついている鉄腕に対しては命の危険すらある。カンザキは諦めると、大きなため息をついて言った。
「わかったよ、三日ね……飲むエナジードリンクでお風呂入れそう。あっ、でも右手が無いと不便だろ。いつものやつとは数段落ちるけど、無いよりマシなやつがある。つけるかい?」
「コーヒー飲みながらトーストは食えるか?」
「バターも余裕で塗れる。だけど、やっぱりあのパワーは出せなかった。……君の義手はどうなってるんだろうね。さっぱりわからないよ」
鉄腕の義腕。鈍色の鉄腕について、彼女は多くを語ろうとしない。ただ言えるのは、あの義腕が現代科学水準以上の技術をもって作られているということだけだ。
鉄腕は葉巻をくわえると、カンザキの部屋の奥にある、施術用の椅子へとどっかと腰掛けた。カンザキはそれを追い、デスクトップパソコンにコードを入力すると、脇のコンテナがゆっくりと口を開く。中には、五本指の銀色に光る義腕。
椅子から伸びたマニュピレーターがそれを掴むと、追従するように他の小さな腕も伸び、アンナの右肩にある接続部で作業を始めた。
神経を直接細いケーブルで繋ぎ、通常の生身の腕と遜色がない形でフィードバックを行う方式がとられている。
「繋ぐときは痛いから、その……」
「大声出すな、か? 痛いのは苦手なんだ。それくらい許してくれ」
神経ケーブルが繋がれた瞬間、鉄腕の脳裏でスパークが起こる。同時に、肩口にムチを打たれたような痛み。拒絶のようなものかもしれないが、いかに鉄腕といえど歯を食いしばり、声が漏れる。
「動くかい?」
鉄腕は中指を立ててみせた。
「サイコーの気分だよ、ありがとう。機嫌が良くなった。無茶言って悪かったな」
「いつものことだろう? 気にしないでくれ」
鉄腕が椅子から立ち上がると、ソファーに寝転がったクリスが、つまらなそうにスマートフォンを操作しているのが見えた。
「代車は受け取ったぜ、ハニイ。しばらく休暇だ。ハワイにでも行こうぜ。ゴールドストンの婆様から、見舞金ももらったしな」
「……たぶん、難しいんじゃないかな。カンザキさん、テレビある? つけて」
カンザキは言うとおり壁面に設置してある52型プラズマテレビのスイッチを入れた。
おかしな映像だった。空撮で見下されるオールドハイト。オールドハイトTVのゴリラ顔でインテリな人気キャスター・ローランドが、必死の口調で『それ』の状況を伝えていた。
『今テレビをご覧になっている皆様、これはハリウッドの新作でも、ゲームのCGムービーでもありません! 現実です! ハドリア湾から上陸した巨大生物は、ハドリア川に沿って上陸を果たし、サウスパークに差し掛かろうとしているところです! この異常事態に、スティーブ市長は非常事態宣言を発し、ホワイトハウスへ海兵隊の出動を──』
開いた口が塞がらないとはこのことだった。巨大生物? 確かに、オオサンショウウオの出来損ないのような醜いなにかが、廃ビルや工場をなぎ倒しながらゆっくりと這って進んでいる。
「……何だこりゃ。チャンネル変えろ」
どのチャンネルも、同じ映像を映していた。カートゥーンチャンネルだけが、黄色い肌のハゲた親父が唸っているアニメを流していたが、少なくともそれ以外は同じだった。
クリスは目を輝かせて、テレビにかじりついた。そういえば日本の特撮映画も好きだったな。
「凄い。本物じゃない? こんなの生きてるうちにお目にかかれるなんて最高」
「……ちょっと待て。ここ、うちの近くだぞ」
見慣れたスラムにストリートが空からでも分かる。巨大生物が──カイジュウが鉄腕のアパートに近づいている!
「おい待て、待て待て……パスポートは家だぞ。あのヌメヌメの身体をぶつけてみろ! ハワイに行けなくなる!」
「ハワイより面白いじゃん」
「ハワイのほうが面白いに決まってるだろ! カンザキ! お前、科学者だろ。ギークだろ! なんかねえのか。あのオオサンショウウオだけぶっ殺すミサイルとか、そこの地球連邦軍みたいなロボットとか」
カンザキは神妙な顔で画面から目を離さずに、一言だけ答えた。
「モビルスーツ」
「は?」
「ロボットじゃなくて、あれはモビルスーツだから。人が乗り込む──というか着るものだからね。ぼくの考える『ロボット』とは違う」
そういうと、カンザキは棚の一番奥に飾られたフィギュアを指さした。トンガリ鼻に顎がでっぱった、マルっとしたロボットだ。
「人は乗らない。外部から動かす。それがロボットさ。見たところ、あのカイジュウは十メートルくらいかな。……ならイケるかもしれない」
「……まさか、本当にロボットがあるとか言うんじゃないだろうな」
カンザキはニヤリと笑うと、こちらに向き直りながら、キーボードを叩いた。
「あるさ。五年くらい前に、DARPAから投資を受けて作ったんだけど、操作方式がリモコンだったのが気に食わなかったらしくて。もったいなかったから、友達にぼくのラボの地下に運んでもらって完成させたのさ」
床が突然動き、警告ランプが点灯。なんと研究室ごと地下へ一段ずれ、そのまま斜め下方向へエレベーターとなり可動し始めた。
ひやりとした空気とともに、地下の全貌が明らかになる。そこにいた巨大な影。鉄腕も、クリスもおお、と感嘆の声をあげる。
彼女らが見たものとは、一体なんだと言うのか!?




