バイオレンス・ヒロイン達の挽歌
レイラがフォークとプラ・ソーサーをテーブルに置いた時と、鉄腕がキッチンへのドアノブを握ったのと──そして、爆音・閃光とともにアパートの壁が吹き飛ばされたのはほぼ同時だった。
レイラはカウンター・キッチンの影へ滑り込み──鉄腕は思い切って扉を開けた。
「こうしてアタシの良心や心遣いは無駄に終わったってわけだ」
鉄腕は、ナイフを握り込んだレイラの姿を見て、怒りやら諦めやら呆れるやら、とにかくどうしてくれようかと、感情が渦を巻いていた。
「楽しいか? アタシは楽しくない」
「わ、わたし、だって……」
レイラは目に涙を溜めて言った。鉄腕の開けたドアの先で、綺麗に揃えたプラダのバッグや、ルブタンのパンプスが無残に廊下へ転がっているのが見えたからだ。
「楽しく、ない! わたしの家、コレクションが……」
「そうかい」
もやが晴れていくにつれ、この部屋の異常に否が応でも気付かされる。数人のものものしい装備の死体。全てこの女が、一人で。
そんなレイラは、自分を落ち着かせたかったのか、必死でくわえたタバコに、ライターで火を点けようとしていた。刻印されている名前はレイラ。火花が散るばかりで、手元は震えている。火など点くわけがない。鉄腕は彼女のそばにしゃがみこむ。彼女が反射的にナイフを突き出してきたが、鉄腕はうまくその手首を掴むと、くわえたままの葉巻の火を、彼女のキャメルに移した。じりじりと炎が移る。キャメル独特のキツイ香りが、レイラの精神をケミカルに制御する。
「なん、で」
「アタシは大家にアンタを追い出せといわれてるだけさ。殺せともましてやアパートを壊せとも言われてない。落ち着いたか? レイラ」
目を丸くしたまま、レイラは頷く他無かった。鉄腕は小さく笑って言った。
「なんだ、そうかい。タバコで落ち着かないなら、もっと素敵な手立てがあったんだがな……それより、ありゃ何だ。アンタ、知り合いか?」
レイラはカウンターキッチンから、恐る恐る顔を出した。鉄腕も同じようにそうした。遺体の転がる床、破壊された壁の奥。川をのぞみ、ビジネス街の人工の光がその姿を不気味に浮き立たせている。赤い大きな瞳だけが揺らぎ、二本の細い角が立っている。まさしくその姿を異様と言わずしてどう言おう。
それはまるで怪物──人の形をした異形であった。
「人にして人を超えたこと──それについて許しは乞わぬ!」
くぐもった声。腰についた2つのランプが怪しい光を発する。右手を払い、両手をクロス。ぐいと拳を握り込み、その異形は叫ぶ!
「我は正義の化身、マスク・ド・ジャスティス! 貴様ら、犯した罪の許しを乞うべし!」
異形の首に黒いマフラーが展開し、腰についたスピーカーから、勇ましい歌が流れる。歌詞は理解できないが、どうやら中国語のようであった。
わけがわからぬ。鉄腕の感想はそれであった。正義の化身? なんだそれは。だいたい死体で転がっているこの男たちのなんなのだ。
「ふざけんじゃないわァ! 良くもわたしのコレクションをォッ!」
レイラが弓を引いた矢の如く飛び出していく! やめろ、という前の出来事であった。肩が波打つのが分かる。繰り出すナイフが異形の身体を切り裂くのが分かる。
しかし、異形は身じろぎもしない。効いている風もない。レイラもその異常に気づいたようだったが、遅かった。頬に異形のスローなパンチが決まる。
「ジャスティス・パンチ!!!」
叫んだ途端、まるで爆発したようにレイラの身体が床に叩きつけられツーバウンド! 鉄腕は身を呈して彼女を受け止める。あまりの勢いに、ずり、と床を踏ん張る足が滑った。
「ヘイ! 正義の化身とやら。女を殴るのがアンタの言う正義なのか」
「聞いたふうな口をきくな!! お前は勘違いをしている。──正義とは、己の意志、信念、そして目的の正しさを信じる事だ。それに反するようならば貴様らは悪! 性別は一切関係なし!」
床にレイラを下ろすと、鉄腕はガードを上げ、ファイティングポーズを取った。異形は大きく手を広げ、足も広げた。装甲服のようなスーツ。昆虫のような赤い瞳。ベルトには2つのランプ、バックルの上から飛び出すトグルスイッチ。そしてスピーカー。勇ましい歌はまだ流れている。
「よく分かったよ、ヒーロー。だがコミックスはここで打ち切りだ」
「ほざくがいい、悪党! マスク・ド・ジャスティスは負けぬ」
鉄腕は踏み込む。鈍く光る鋼鉄の右拳を振りかぶって、正義の化身へ叩きつける。先程と同じようにマスク・ド・ジャスティスは構えを解くようなそぶりも見せず、ただそれを受け止めるつもりらしい。
バカだぜ、アンタは!
鉄腕は必殺の右ストレートで頭蓋を破壊してやるつもりだった。あと40センチも突き出せば、奇怪なヘルメットごとそうできるはずだった。
その時、不思議なことが起こったのだ。
急速に、鉄腕の時間が軟化した。はじめは、脳内物質が溢れ出たせいだと思った。ケンカで勝ち確定の時、良くそうなったから余計に考えたのだ。
これは、違う。自分の感じる時間が遅くなっているわけではない。
次の瞬間、鉄腕の顎に拳が叩きつけられていた。そして爆発的なエネルギーが彼女を襲った!
「ジャスティス・アッパー!!!」
1階の天井を突き破り、二階へと運ばれる! なんという爆発力。数多くのケンカを経験した鉄腕ですら、経験の無いエネルギー。奥歯が砕けたので、血とともに吐き出す。顎は問題無いようだった。
「ステーキは食える、大丈夫だな」
「ジャスティス・サンダー!!!」
下の階から、勇ましい音楽と電流の音、マスク・ド・ジャスティスとレイラの叫びがマッシュ・アップされ響く。まさか、殺すつもりか。鉄腕は自分が運ばれてきた穴を覗き込もうとするが、それより早く影が下から登ってきた。
正義の化身、その赤い瞳が鉄腕を見下ろす。黒いマフラーが揺らぐ。
「あの女は危険やさかいにな。このマスク・ド・ジャスティスとSOHKSが保護するつもりなんや。え? 鉄腕さんよ」
女の声だった。SOHKSがなぜここに。疑問は怒りと共に消えた。拳を握り込み立ち上がろうとする。マスク・ド・ジャスティスが近づき、背中に足を載せ鉄腕を這いつくばらせた。
「あんまりSOHKSをナメてもろたら困んねん、鉄腕。ウチらが本気を出したら、そこまで。まあ、勉強代にはなったんとちゃうか? 悪いことは言わへん。ここらでイモ引きや」
「SOHKS? 参ったな、科学者連中がこうも喧嘩に強いとは思わなかった。……アタシを殺す気か? よせよ、この物件賃貸なんだぜ。事故物件はうまくない」
異形の中の女はくぐもった笑いを漏らしながら、鉄腕の背中から足を離した。今しかない。彼女は異形の足を掴む。渾身の力を込め、足を吹き飛ばしてやるという気持ちを込めて。
しかし、力が入らない。体の反応がまるで遅い。
「しつこいのは野良犬の特権やさかいに、哀れやのう。……おっと、残念やが遊んどる時間は無いねん」
鉄腕の顔を蹴り上げる。吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられる。マスク・ド・ジャスティスは何度か咳払いをして、合成音声で叫ぶ。
「トドメを刺してくれる!」
トグルスイッチを倒し、ランプが激しく点滅する。眩い光と共に、スイッチを引き抜くと、輝く刀身がそこから伸びた。
手前で回転させながら右逆手に構えると、身体をねじる。
ヤバイ。どう考えてもヤバイに決まっている。鉄腕のカンはよく当たる。特にそれが自分の命を脅かすものだとすれば、なおさら。
「アアアッ!!」
声にならぬ獣のような声。むりやり羽交い締めをしかけているのは、レイラだ。
「バカ、やめろ!」
マスク・ド・ジャスティスは彼女を振り払い、輝く剣をきらめかせ、彼女を袈裟掛けに切り裂いた。熱せられた血があたりに飛ぶ。
「邪魔をするな!」
ぶつり。葉巻が噛みちぎれあたりに転がる。お互い殺されるのだけはゴメンだ。このいけ好かないヒーロー気取りにだけは。鉄腕は大きく拳を振りかぶり、殴りかかった。ヒーローは手元で剣を回転させると、そのまま輝く切っ先を突出す!
「ジャスティス・クラッシュ!」
エネルギーとエネルギーがぶつかり合い、激しく閃光が明滅した。
その光の中で、鉄腕は己が崩れていくのを感じていた。即ち、自慢の鉄拳の装甲が、配線が、油圧シリンダーが、ブラックボックスが、光に溶けながら崩れていく。
部品が、自分自身が床を打ち、乾いた音を立てて転がった。壊れてしまった。
そのまま彼女は倒れ伏した。もう一歩だって動けない。まるでイモムシか何かになったみたいだった。
「……時間切れやな」
輝く刀身が失せる。バックルに突き刺し、トグルスイッチを逆方向へ倒すと、女の姿が現れる。黒髪の三つ編みの女。白衣にチューブスカートの女。
「身の程知らずが分かったかいな? まあ、人生言うんはそういうもんやさかいにの。精々往生しいや」
「テメェ……」
「おお、そう言えば自己紹介もまだやったわ。ウチは、SOHKS BIG5の黒北光。ま、しばらく大人しくしとき。ウチらは今のアンタに興味が無いねん。ちょっかいかける暇も無うてな」
「どういう……意味だ!」
「言葉通りやがな」
黒はその身体のどこにそんなパワーがあるのやら、血塗れのレイラの身体を担ぎ上げた。
「ま、せやから身体を大事にしときや。こっちは戦争やらなんやで忙しいねん」
振り向きもせずに、黒はレイラを連れて姿を消した。
負けた。アイアンナックルが喧嘩で負けた。
それはいい。クリスは生きてる。自分も生きてる。ならば次で勝てば良い。喧嘩は最後に勝っていたものの勝ちだ。
だが、レイラは連れて行かれた。アパートは台無しだ。おまけに情けまで。
どろりとした重苦しい何かが鉄腕の肺を満たした。悔しかった。惨めだった。彼女は確かに、理不尽で完璧な敗北を味わったのだった。
ごろりと仰向けに寝転がり、新しい葉巻をくわえ、マッチで火をつける。火を点けてやったあの時、レイラは少し正気に戻ったのだろうか。今はもうわからない。
クリスに会いたかった。
それはすぐに叶ったが、彼女には問題が残った。
鉄腕のないアイアンナックルを、人々はどう思うのだろうか?
ゴミアパートのワンマンアーミー 終




