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アイアンナックル/リマスター  作者: 高柳 総一郎
姿なき猟犬ディアナ
29/57

It's All Over But The Crying

「どうするのさ。追ってきてる」

 雨はやみ、夜に立ち込める深い霧がオールドハイトを覆い始める。盗品バンのハンドルを握っていた鉄腕は、静かにバンを止めた。

「逃げるのも飽きたな」

「どうせ無駄だから?」

 フェイもまた、クリスと一緒にバンのリアウインドウから、オンボロの白いカマロを見ていた。ちかちかと頼りなく点滅するハザード・ランプ。霧の中で揺らめく人影が、まるで巨人の影のように大きく映る。

「ああ、無駄だろうな。アタシが降りていくのも、猟犬がトリガーを引くのも、結局は無駄なのさ」

 ビルとビルの間。ヘッドランプに照らされる影と影。鉄腕は追跡者に声をかける。

「ハロー、懐かしのスーパースター。ペンなら持ってる。サインくれよ……」

 四十四口径オートマグが鉄腕を捉える。当たれば文句なしに死ぬ大口径銃。霧が頬を撫ぜる。汗か、霧か分からない液体が頬を伝う。

「物騒な話だな。あんたも、アタシも誰かに迷惑をかけなきゃ生きていけない」

 ハザード・ランプが点滅する。アーモンド色の瞳が渦を巻く。美しいながら、疲れた女の顔。刻まれた皺から見ても、四十代は過ぎてしまっているだろう。くすんだ金髪。素っ気のないノーネクタイの黒スーツ。かつてのスーパースター。過去の遺物。時代遅れのディアナ。

「いずれは我が身ってわけだ。アタシもこの街から忘れ去られる時がくるんだろうよ。……だがそれは今じゃない」

 ディアナがトリガーを絞る。鋭い銃声。マズルフラッシュと共に、四十四口径のマグナム弾が、鉄腕の特殊繊維性防弾コートにめり込む。鉄腕はもろともせず進む。再び銃声。鉄腕がバレルを掴み斜線をずらした。結果的に、オートマグのマグナム弾はあさっての方向に跳ねた。

「同窓会はおしまいだ、懐かしスター」

 鉄腕は決着をつけようとした。バレルを掴んだ右手を使って、裏拳で殴り飛ばし、それで勝敗を決しようとしたのだ。

 手応えがなかった。ディアナは消えていた。まるで黒い霧に溶けるように、鉄腕が抑えたオートマグを残して姿を消したのだ。裏拳は彼女がいたはずのところを通過し空振りする。家にいた時と同じ。

 ──すべてが終わっても、泣いてはいけない──

 突如、カマロのカーステレオから、古い歌が流れる。インク・スポッツ。鉄腕はその意味を知っている。時代遅れのディアナのルール、その最後のひとつを。

 その歌が流れた時、相手は間違いなく死ぬ。曰くそれはディアナからの花向け、鎮魂歌であると──。

 GRRRR──獣が喉を鳴らす。ハザード・ランプが壁に張り付く獣の影を映し出す。人間ではない。時代遅れのディアナだったはずの、黒スーツの疲れた女殺し屋は、今や鉄腕より明らかに大きな獣──いや犬獣人ライカンスロープと化していたのだった!

『私は時代遅れなんかじゃない』

 ざりざり、とノイズ混じりの声。ぎょろりとした大きな丸い目が、鉄腕を見下ろす。よく見ると手には、小さなテープレコーダ。

『私の──キュルキュル──名前は──ブツブツ──猟犬ディアナです』

 犬歯を剥き、長い耳と毛を振り乱しながら、ディアナは伸びた爪で鉄腕のいた地面をまるでバターをすくい取るように斬り付けた! いかな防刃コートといえど、こんなものをまともに受ければひとたまりもない!

「こんな芸をいつ身に着けたんだ! あんたらしくもない!」

 バンの扉を蹴り飛ばし、フェイが助太刀に現れる。槍を突き刺すかのごとく鋭い蹴りが、鉄腕を致命的に切り裂いたであろう爪をわずかにそらす。鉄腕の長いポニーテールが、ざんばらとわずかに切り裂かれ霧の中を舞う。

 フェイは体をねじり、そのまま回転し左足を突き刺すがやはり手応えなし。その時、ようやく二人は異常に気づく。ディアナは本当に消えているのだ。反射神経や、体捌きで超えられるような動きはとうに超えている。まるでオールドハイトの霧そのものに溶けるように、黒い粒子に分解し、体が再構成されている。雨や霧で気付かなかったのは、偶然かディアナの策略か。

「なんてこと、これじゃ打つ手なし!」

 再構成されたディアナが、空間をも切り裂くような爪を振り抜き雨を断ち切った。フェイは鋼鉄パンプスの靴底で裂拍一閃、爪を踏み折り跳躍、そのままビル壁を蹴り三角蹴りを繰り出す! しかし再びディアナは黒い霧に溶け、三度完全に消滅!

「どこ行った」

 息を整えながら、鉄腕もフェイもあたりを警戒する。インク・スポッツはまだ歌っている。すべてが終わった。なにもかもすべてが──。歌詞のとおりだとは思わない。ディアナはまだこちらを伺っている。獲物を狩るために息を潜める猟犬のごとく。

「わからないわ」

『我々の挑戦者はいかがですか、鉄腕さん』

 何者かの声が響く。カマロのカーステレオから、鉄腕あてにメッセージが届いたのだ。

「誰だ」

 雨でシケった葉巻から、雫が落ちる。姿なき監視者への苛立ちがつのる。

『SOHKSの者です。ヘルブラウ教授、とでもお呼びください。もっともカーステレオに気軽に話しをするというのはハードルが高いでしょうが』

 やはり。ディアナ一人で、このような能力を身につけられるはずがない。

「カマロをぶっ壊したらアンタの声を聞かなくて済むのか?」

 ヘルブラウは芝居がかった様子でわざとらしく笑った。

『あなたに理解できるとは思いませんが、その時は別のカーステレオから声を出せば良いだけです。なんだったら、バンに乗ってるお嬢さんや、あなたの携帯電話からも音を出してもいいですよ』

「殺しても死なないわけだな。結構だ。音楽鑑賞の趣味はやめる。聞かずに取っといたイエロー・サブマリンのレコードも捨てる。これでアンタと会わずに済む」

 ひび割れた笑い声。鉄腕は平静を装っていたが、内心は苛立っていた。復讐はくだらないかもしれないが、鉄腕にとっては重要だ。自分の腕と恋人はもはや戻らない。ならばケジメをつけなくては、前へは進めない。

『猟犬の弾丸は尽きましたが、彼女の牙は、爪は残っている。SOHKSは、ヴァイス博士の死を重く見ています。あなたという脅威についても。……我々はあなたを滅ぼす戦いを始めなくてはならない。あのお方にたどり着く前に、あなたはこのオールドハイトから消えなくてはならないのですよ』

「クソくらえだ」

 虚しいファックサインであることくらい、鉄腕は理解していた。泥沼の戦いへの狼煙。上等だ。そっちがその気なら、どちらか死ぬまでやってやる。

『では、ごきげんよう。また近いうちにお会いしましょう』

 雨が止む。相変わらず、霧は漂ったままだ。カーステレオから、自動的にテープが飛び出していた。すべてが終わった。

 だが、泣いている暇などない。





 わたしは濡れそぼっている。

 わたしはかろうじてボロボロのまま残ったスーツの上着を羽織り、霧の街を歩く。わたしはバチバチと霧に散る火花を見る。古い電灯が、放置されたまま割れた鏡を映し出す。

 元から特異体質だった。キャバリア・キング・チャールズ・スパニエルの虚像を、まるで幽霊離脱のように歩かせ、その目から世界を見ることができた。

 その代償かどうかは分からなかったが、鏡に映っているのはいつも自分ではなかった。

 今のわたしは、疲れた顔の殺し屋でも、愛らしい犬でもない。裂けた口、長い犬歯。くすんだ金髪と左手は人間に戻り、右手は長い爪のついた獣のままだ。

 わたしはNukePurpleを取り出そうとしたが、もはやボロ布と化したスーツの上着の中には見当たらないことにまたもや絶望していた。

 身体はだんだんと人間に戻っていく。ただ、顔だけが戻らない。獣の口。獣の瞳。わたしは毛で覆われたままの顔に手を触れる。戻らない。全く。

 わたしは人間か、獣か? 決まっている。

 わたしはほんとうの姿を失ったただの『猟犬』。

 名前と二つ名だけが残ったばけもの。

 わたしの名前はディアナ。『姿なき猟犬』──。アーモンド色の瞳からは、もう涙は出なかった。



姿なき猟犬ディアナ編 終



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