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アイアンナックル/リマスター  作者: 高柳 総一郎
ヘヴィレイン・イン・アジアンストリート
16/57

雨に唄えば

 遠くからサイレンの音が鳴り響く。赤と青のパトランプが回転し、その異様を伝える。

 鉄腕とクリスは、そんな現場を背に店を抜け出し、アジアンストリートの喧騒に紛れていた。香辛料の香り。雨の香り。感じ取った直後に、雨が降り出した。

「参ったな。降ってきた」

「雨宿りしようよ」

「そりゃ名案だ」

 二人は突然の雨に騒ぐ人混みを避け、トタン屋根で形成されたアーケードへ足を運んだ。怪しげな占いの館、アクセサリー・ショップ、漢方薬局が軒を連ねている。赤を基調とした中華テイストの通り。雨の香りが遠のく。漢方の香り。油の匂い。

「濡れちゃった」

 クリスが濡れそぼった黒髪をかきあげ、雫を飛ばした。鉄腕はというと、コートの下からハンカチを取り出し、水滴を払う。

「警察を呼ばれるとはな。ヤクザの根城を聞きそびれた」

 三合会の力は予想外に弱まっていると考えたほうが良いだろう。というより、警察もこのアジアンストリートの勢力図を気にしているのだ。普段なら、三合会が一言言えば捜査自体が行われないこともざらだろう。警察も組織だ。敗戦濃厚な組織を相手にはしない。

 彼らもまた、このストリートの覇者が誰かを見極めようとしている──他ならぬ治安のために。

「……誰もいないね」

「歩きやすくていい」

 トタンを穿つ雨の音。スニーカーの音、遠くからの喧騒も掻き消え、まるで音が奪われていっているようだ。

 雨の匂いが強くなる。ビルの合間に現れた開けた裏路地。雨がコンクリートに染みつく音が響く。

 黒いフリル付きの傘。ガーリーなパステルピンクのミニ・ワンピース。顔は傘で隠れて窺い知れない。ただ女がそこに立っていた。

 咥えていた葉巻の火が、雨にあたり消える。ポートワインの香りが消える。鉄腕は異常を感じ取る。この女は変だ。危険が胸からせり上がってくる。

不知名ブーチーミン

 女が少しだけ傘を持ち上げる。口元が歪む。歪な唇。ただれた肌が覗く。

「クリス」

 言うまでもなく、クリスは後ずさりした。この広場に足を踏み入れれば、何かが起こる。不知名であればそうなる。何かシェンから説明があったわけではない。まして、相手からそう言われたわけでもない。だが鉄腕には、異常から生じる危険がどのようなものかある程度わかる。

「アタシはアンタに会うために、アンタのお友達に会いに行くとこだったのさ」

「筋を通しに行ったわけ?」

 女は朗らかに、穏やかに言った。

「デートに誘う時は、段階を踏むことにしてるんでね」

「そう」

 女は傘を地面に転がした。ヘヴィ・レイン。ロックバンドの高速ドラムのように、雨足が傘を叩く。

「敬意を払える人は好きよ」

 黒いヴェールに覆われた、背の高い女。手足は長く浅黒い肌。英語は少し訛っている──。

「アンナ・マイヤー。残念だがアンタはやり過ぎてる。だからアタシが呼ばれた」

「……皮肉なものね。ここの連中は人に敬意を払えないクズばかり。ようやくあなたが現れたと思ったら──殺さなくちゃならないなんて」

 不知名はゆっくりと右足を持ち上げた。両手拳を握る。鉄腕もゆっくりコートの右袖をまくり上げて、雨の中に鉄の腕をさらした。

 鋼鉄の右腕と、高速の右足が交差した! 鉄腕のみたて通りならば、生身の足がへし折れ終わりになるはずだった。だが事実は違う! 足はそのままだ。それどころか、まるで蛇が巻き付くように関節に絡め取られ、鉄腕はくるりとその場で一回転! そのまま立っていれば、足の力だけで鋼鉄の右腕をねじ切る気だったのだ。理屈はわからぬが、不知名にはそれだけのことをやってのける凄みがあった!

「アンナさん。あなたは人に敬意を払える人。だから教えるわ。……あなたは、私には勝てない」

 鉄腕の顔めがけ、槍を連続で突き刺すような鋭い蹴り! 頬の肉が裂け、雨に血が混じり消えてゆく。息もつかせずローキックが鉄腕の左足に炸裂!腹、そして頬を打つ! あまりの衝撃に、鉄腕はふっとばされ荒いアスファルトの上を転がった! 雨が容赦なく鉄腕に降り注ぐ。

 ──強い!

 生身の喧嘩でこれほど押されたことは、アンナの人生にはほとんどない。殺されそうになったことは、両手両足で数えても足りないが、こと素手での喧嘩で遅れを取ることはまずなかった。

「……参ったな。アンタの顔も名前も知らないのに死ねないよ」

 不思議と追撃は無かった。これほどの実力ならば、そのまま鉄腕の頭を踏み抜いてもおかしくはないはずだ。

「あなた、その右腕は?」

「いつの間にかついてたのさ。サンタからのプレゼントかもな。毎年いい子にしてるんでね」

「おかしな人」

 彼女は穏やかにそう述べ、まっすぐに指をさした。鉄腕がやってきたアーケード。クリスが隠れている場所──。

「アンナさん。あなたの連れていた子が、たった今攫われていったわ」

 ごろりと転がったまま、上下逆の景色を見つめる。クリスの姿はたしかにない。

「勘弁してくれよ」

「タケガワ組の連中ね。敬意をまるで払えない連中。あなたと違って」

 おかしな女だった。このストリートに騒動を持ち込んだ張本人のくせに、先程のヤクザ連中よりよほど話しやすい。それがこの女のやり方なのかもしれないが、それにしたって拍子抜けだ。

「ねえ、アンナさん。私、あなたが気に入ったわ。クソみたいなクソヤクザどもと違って、あなたは私に敬意を払ってくれた」

 そういうと、彼女はゆっくりとヴェールを持ち上げた。彼女の顔があらわになる。鉄腕は少しだけ眉根を寄せた。

「友達にアンタよりはマシだが、同じように苦労してる探偵を知ってる。尤も、アンタと苦労のベクトルが別だろうがね」

「……驚かないのね」

「アタシは女が好きでね。もちろん好みはあるが、顔で優劣を決めてるわけじゃない」

 女はフリル付きの傘を拾い、鉄腕の上に差した。手足も長く背も高い。鉄腕が少し見上げるほどだ。

 彼女は口元を歪め笑みを作った。心からの笑みだろう。敬意を払う。口で言うのは容易いが、それを実行するのは難しい。ましてや、人にそう仕向けるのはどれほどのことか。

 彼女は狂っている。顔のない探偵と同じ、あってしかるべきものを無くしたことで、受けて然るべき尊敬を求めているのだ。

「この街のこのストリートなら、ひっそり暮らして行けると思ったの」

 彼女は雨音を一滴落とすようにそう言った。

「アジアン達の集落なら、同国人に紛れて暮らせると思った。でも、ダメね。クソどもを蹴り飛ばしてやったら、次から次へと湧いて出てくるんだから」

「……まさかあんた、売られた喧嘩の復讐まで全部買ったんじゃないだろうな」

 鉄腕は呆れたように言った。彼女は再び口元だけで笑う。

「欲張りなのよ」

 ともあれ、この女が三合会やらタケガワ組やらに対して、戦争行為を一人で売りつけたのは確かだ。

 鉄腕は金で動く。殺すと啖呵を切った以上、殺せませんとホールドアップはできない。

 しかし、それよりも、だ。

「クリスは相棒なんだ。なんでまた攫ったのか理解できんが、放っておくとヘソを曲げられる」

「助けに行けばいいじゃない」

「面倒なのがいる。魔法なんとかってやつだ。あんた、一回手ひどくやられたんだって?」

 不知名は不気味に笑う。何か楽しいイベントを思いついたように、クスクスと少女のように。

「なら二人で行けばいいのよ。それなら、負けない」

「とんだデートだな。聞いたことないぜ、殺しに来たやつとヤクザの事務所に殴り込むなんて」

 雨が強くなる。鉄腕のコートが、不知名のフリル付きの傘が、強いビートを刻む。すべてを押し流してしまうような、ヘヴィ・レインが二人の女を打つ──。

「なら、あなたに敬意を払って、対等なビズをしましょう。アンナさん、もし私を殺したことにしてくれるなら、タケガワ組を二人でぶっ潰しに行って、クソヤクザ共を根こそぎ殺してあげる。そして、死んだことにしてここから離れるわ」

「アンタが約束を守る保証は?」

「信じてもらえないなら、それこそあの小さな女の子の命は保証されないんじゃない?」

 鉄腕は金のことを考え、ビズの信用を考えた。それから昨晩クリスとヤッたときのことを考え、答えを出した。

 彼女は右手を差し出した。

「グッド・ディールにしよう。……ところであんたの名前は? 不知名なんて、呼びづらくて敵わん」

 雨の中で女は握手に応じ、笑う。不気味に、ヴェールで覆った顔の下で笑う。まるで見計らったかのように、雨が止む。それが彼女の名前だと示すかのように。

「ヘヴィレインでいいわ。よろしくね」

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