ヒロインは学んでいきたい
「ヒロインは育てられたい」の続きです。
乙女ゲームなどなどやったことないまま、勢いだけで書いてます。
設定などは細かい部分はいろいろいろいろご容赦を。
――季節は桜咲く春。
今日は待ちに待った王立学園の入学式。
王族も通う学園に、クジを当てて入ることのできた平民の一人、エリザ。
彼女の学園生活は、今、ここから始まる――
『クジを当ててってところから、すでにどんだけ運だけなの?って感じだよねーすごい設定だよねー大体、カタカナ名前のキャラクターなのに、桜咲く入学式ってところがもうなんだか…』
ひらひらとピンク色の可憐な花びらが舞う学園の門の前に私は立っていた。
そこに、無感動な女神様の声が聞こえてくる。
春…桜?
着ている制服は真新しくて、髪も少し短く感じる。
これって…
「ま、まま、待ってくださいー! どうして入学式なんですか? なんですかこれ、女神様は時間まで巻き戻せるんですか?!」
『え? だって、最初からやり直さないと…』
「あ、アシュレイ様は?!」
『うっそー…リセットされてない? 王子攻略したの覚えてるの?』
「覚えてるも何も、え、え? 彼…アッシュは…?」
思わず二人だけの時に許された愛称を口にして、慌てて周りを見回した時だった。
それぞれに佇んでいた生徒達が、まるで道を作るように中央を開けて脇に除けていた。
私もその中の一人になりながら、開けられた道を進んでくる人を呆けたように見つめるしかなかった。
黄金の髪が太陽の光を受けて輝き、蒼い瞳は真直ぐに前だけを見つめている。
颯爽と歩き去るその周囲だけが別の空気を纏っている様で、眩しくて目を細めずにいられない。
注がれる好奇の眼を気にせず優雅に歩き去る姿に、思わず多くのため息がもれるが聞こえてきた。
その中で私は息を詰めて動けなかった。
私に気づいてくれる?
そう期待してしまう。
けれど、彼――アシュレイ王子は視線さえ動かさずに、私の目の前を通り過ぎていった。
「アッシュ…」
失望と共に再び呟いてしまうと、一歩下がって王子の後を歩いていたカイン様が通りすがりに目だけをこちらに向けた。
眼鏡をかけた理知的な顔は、いつも穏やかに微笑んでいる。
なのに、その視線は背筋がヒヤリとするほど冷たかった。
カイン様は現宰相の息子で、学園ではアシュレイ様の側近として動いている方だ。
王子の隣に私がいる事を最後には認めてくれたけれど、最初はその笑顔で常に牽制されていたわ…と思い出すと、身を竦めるしかなかった。
『…そうかあ、よく分からんけど、こんなのも面白いか。うんうん、とにかく今度は勉強頑張ろうね。そしたらきっと自分に自信が付けられるから。その為に私がいるのよ!』
「そ、そうなんです、よね…」
『そしたらちょろい王子よりも、あの宰相の息子がいいって思うかもよ。彼もイケメンじゃない? 良い笑顔だし』
「ええっ、あの方の笑顔は表面だけですよ? 怖いです!」
『あらま、それは分かってたのね。でもね〜ふふふ、それがいいのよ!』
「あのっ?!」
『どっちみちもう、最初の王子との出会いイベントはスルーしちゃったし』
「出会いいべんと…? …そっ、そういえば入学式で私、門の前で彼にぶつかった覚えが…」
『さあさ、とにかく式に行こうね〜』
呆然としている間に、人の波は式の会場へと向かっていた。
慌ててその流れに乗る為に走り出す。
…と、我ながら驚くほど途中で盛大につまずいて、コケてしまった。
制服は汚れ、膝には擦り傷ができる。
見れば、支給されたばかりの慣れない革靴の紐が解けていた。
『なんってお約束なズッコケ…! でも誰も助けに来ないわねー。ふーん…』
「…とりあえず、痛い、です…」
『そうね、式はいいから保健…医療室行こう。場所は分かるよね』
1年間過ごした学園生活は、ちゃんと記憶に残っている。
式は確かに個人名を呼ばれることもなく、ひとりぐらい欠けていても平気なものだった。
はあ…初めての学園生活に胸躍らせていた入学式だったのに、こんな気持ちでまた迎えることになるなんて…
痛さに加えて、不安の混じった重い足取りで、私は医療室へ向かった。
医療室には誰もいなかった。
『隠れイケメン保健医とかいないのかー、残念』
なんだか嘆く声が聞こえてきたけど、いちいち気にしていると疲れることがだんだん分かってきた。
適当に薬と包帯類を探して傷の手当てをさせてもらい、制服の汚れをはたく。
鏡に映った薄汚れた姿を見たら、なんだか惨めで涙が出そうになった。
『まだ始まったばかりでしょ。情けない顔しないの』
「…時間が戻ったのは理解しました。でも、私にとってはさっきまで優しくアシュレイ様に言葉をかけていただいてた感覚なんです。そう簡単に始めから、なんて気持ちになれないです」
『ふうむ、そういう感じなのね。うん、それは悪かったわ。次はちゃんとその辺を考慮してあげなくちゃね』
「次?」
『いやいや、とりあえず今よね、今。学問と教養をきちんとがんばろう! ね!』
「…そうですよね、つり合うような教養ある女性になる為にも、1から始めることがきっと私には必要なんですね」
『そうそう! ポジティブに行こうね、ポジティブに!』
女神様の言葉を自分に納得させながら、医療室を出ようと扉を開け――ようとしたら、扉が先に開いた。
驚いて一歩下がると、入ってきた人物が後ろ手に扉を閉める。
頭ひとつ高い顔を見上げれば、それはカイン様だった。
「ひっ!」
驚いて、転げそうになりながら室内に戻る。
さっきの視線と、先の1年間に幾度も受けた微笑みの忠告が蘇って、本能的な怖れで身体が逃げてしまう。
隠れる場所はないけれど、隠れたい!
『わー、鍵閉めたよ…』
「な、なんで?!」
『んふふー面白くなりそー』
「面白がらないでください!」
逃げる場所なんて当然見つからないまま部屋の隅まで後ずさると、カイン様はまっすぐにこちらにやってきた。
えええ、医療室じゃなくて私が目的なんですか?!
「君、さっきから一人で何ぶつぶつ言ってるの?」
混乱で返事も出来ずに更に後ずさると、すぐに背中に壁がぶつかった。
すると頭の横の壁に腕が置かれて、逃げ場を塞がれる。
ついでに、真正面でカイン様の顔を見ることになった。
ひいぃ。
『おお、壁ドン! 壁ドン!』
またよく分からない単語で興奮してるけど、ちょっとー!
助けてくださいー!
「君、今年から始まったクジ枠で入った子だね? 名前は?」
穏やかだけれど、有無を言わさぬ声が降ってくる。
こ、怖い。
「え…エリザ、です」
「家名もないの?」
『あっ、名字いるの? 王子の時はいらなかったな…ええと、ちょっと待って。ええと、ええと…ウィンドウ、でどうよ』
慌てた声と共に適当に付けられたらしい名前が降ってきた。
うう、私、名前さえも女神様の気分次第だったのね。
「…エリザ・ウィンドウ、です」
「ふうん。爵位もなにもない平民、だよね? なんで王子を愛称で呼んでたのかな?」
「そ、それは、あの…アシュレイ様に憧れているうちに、つい、ええと、妄想が…でも、あの、大変な不敬でした。申し訳、ありませんでした」
「それだけ? さっき、もっとおかしなことを言ってたのが聞こえてきたけど」
いやー! どうして聞こえてたの?!
『地獄耳設定だねえ。しかもヒロインには最初から腹黒を隠してないじゃん。へー』
気楽な声が聞こえてくる。
しかもその中に、不穏な言葉も…
「はらぐろ…?」
腹黒…って、えっ、えっ、カイン様のことだったの?
まさか攻略するとか何とか言ってた ‘腹黒眼鏡’ って、カイン様?!
「絶対に無理!」
先の1年もずっと苦手だったのに、今回は最初から最悪な印象しかないんですけど!
「――それ、僕のことかな?」
声に出さないほどの呟きのつもりだったけど、これだけ真正面にいて聞こえないはずがない。
「な、何のこ…」
「腹黒って。そんな風に言われたことないんだけどね」
「ちっ、違います! あの!」
うわーん、どうしたらいいの!
近付く顔が恐ろしくて、思わず腰を落とし…その反動で腕の下から抜け出す。
少し驚いた様子が見えたけど、気にしないようにしてまっすぐに扉へ走り寄る。
「ゆ、許してくださいっ! もうしません! 申し訳ありませんでしたーっ!」
そう叫びながら鍵を開けて廊下に走り出れば、さすがにカイン様も追ってはこなかった。
既に式を終えた生徒達が静々と廊下を移動する光景を見て、走る勢いをなんとか留める。
混乱と驚愕、それに恐怖で心臓がどくどくと波打つのを収めるのに、しばらくかかりそうだった。
なんだかとんでもない方向に胸が躍ってるんですけど…泣きたい…
『いいねー。彼、実にいい笑顔で、見送ってたよ』
楽しそうに語る女神様の言葉は聞かなかったことにしたかった。
+ + + + +
偶然に偶然を重ねた末に実らせることができそうだったアシュレイ王子との恋の想い出は、封印するしかなかった。
当初の目的通り、せっかく入ることのできた学園で教養と学力をつけることに、心力を傾けることにする。
女神様の采配のお陰なのか、学ぶ時間は驚くほど増え、あらゆる知識がどんどん身につき、蓄積されていった。
そうなれば学ぶことが楽しくて仕方がない。
先の1年で王子や貴族の方に合わせようとマナーや社交にばかりかけていたような時間を全て捨て、私は勉強に打ち込んだ。
気がつけば試験で上位に入る栄誉も得て、アシュレイ様への恋心よりも充足した昂揚感を味わうことができるようになった。
『なるほど、学ばせればどんどん身につくキャラなのねえ…すごいすごい』
そんな女神様の感心した声も心地よい。
とはいえ、それだけでは済まなかった。
何しろ女神様の言う通りに動くと、カイン様と出会ってしまう機会がとにかく多いのだ。
逆らおうとすると『じゃあ、勉強時間カットね』と情け容赦ない制裁をくださるので拒否することもできない。
いつのまにか、勉強を教えてもらう関係にまでなってしまって――そりゃ独学では無理だった分野だったから本当に助かったけれど――なんだかんだとカイン様と会わない日はないような状態にまでなってしまった。
そして1年が経つ頃、進級に頭を悩ませることになった。
学年を上がる時には、授業の選択によって校舎やクラスも変えられる。
私はなんとかカイン様とは重ならないように志望をかけようと、提出期限ぎりぎりまで放課後の教室で考えこんでいた。
ようやくこれならと思える希望を記入し終えてホッとし——たところで、その用紙が横からさっと奪われてしまった。
「誰…」
見れば、私の手が届かない高さで紙を覗き込んでいる眼鏡の彼がいた。
「エリザ、これは不要だね」
にっこりと微笑みながら、紙が握りつぶされていく。
…心から微笑んでいるのが分かる顔なのに、どうして背筋が凍りそうになるのかしら?
「か、カイ?」
そう呼ばないと嫌がらせが始まるので、不本意ながらもその名前を呼ぶことに慣れてしまった。
でも、もう呼ぶ機会も減るだろう…と思っていたのに。
「もう僕が出しておいたから安心して。ついでに退寮届も出しておいた。君はその成績優秀さを買われて縁のある伯爵家に養女に入ることになったからね。今後はそちらで暮らしてもらう」
「えっ」
「よかったね、エリザ。カインのお陰で卒業後も顔を合わせることができそうだ。うん、本当に君とカインはお似合いだからね。僕も嬉しいよ」
「えっ」
カイン様の後ろで、邪気なく微笑むアシュレイ様の笑顔が眩し…いいえ、腹立たしい!
ほんとにね!
女神様の言う通り ‘ちょろい’ 方なんだってよく分かった1年だったわ!
どうしてそんなに鈍感でいられるの!
どうしてそんなに一緒にいるのに、カインのこの腹黒さに気づかないのーっ!
「愛しているよ、エリザ。君が永遠に隣にいてくれるのが、僕の望みだからね。叶えてくれるだろう?」
正面に立ったかと思えば、優しく見える笑顔を見せながら、恐ろしい告白をしてくれる。
い、いやー!…と叫びたかったけれど、のどが固まって声が出ない。
「言葉も出ないかい? 君は恥ずかしがり屋だからね」
そう言って、硬直する私の身体をぎゅっと胸に抱えこむ。
や、やめて!
そう言いたいのに、怖くて逆らうことができない。
ひたすら引き攣る私の周りで、二人と女神様が実に楽しそうに笑っている様子に泣きたくなってくる。
『うん、その嫌がり方がいいのよね。小動物みたいでたまらんわ。カインの気持ちが分かるわあ』
ちょっと! 女神様!
『これで、カインも攻略。よかったね♪』
よくないですー!
運命の女神様は、実は運命を破壊する悪神だったの…?
そんな考えに辿り着いたのは、今更だったのかもしれない。