七薔薇物語 ―青薔薇―
七つの薔薇にまつわる物語
青薔薇 弔いの青
母の四番目の妹、一番小さな叔母様はいつまでも少女のようなヒトでした。
黒い髪黒い眼をしたその人は私の母方の叔母にあたる人でしたが、私とはほんの三つしか離れていない齢のせいもあり、呼び方こそ『叔母様』でしたが、私はその人を姉のように慕っていました。
どこへでもついていきたがる私を一度も邪険にしたりしたことは無く、手を優しく引きいつも優しく微笑んでくれるような優しい人でした。
そんな私たちを家族や親類は、まるで姉妹のよう、いっそ双子のようだと温かな目で見て言いました。
結婚式の当日はもうこれから叔母様にいつも会えないのだと思うと、悲しくて悲しくて。青白いほどの純白のウェディング・ドレスと、濡れたように艶やかにこぼれる黒髪の叔母様がため息が出る綺麗さな程、いっそう涙が零れました。
そんな私の頬をレェスのハンカチで優しくぬぐい、ずっと右手を握りしめ叔母様は慰めてくれました。
「そんな顔をしないで私の可愛い姪子さん、眼が真っ赤になってしまうわ。冬空の妖犬の瞳の輝き、綺麗な青がだいなしよ」
と。
そういって綺麗に結った頭から青薔薇の飾りを私の髪に挿し変えてくれました。
花嫁の幸せの青い飾りを。
私は慌てて返そうとしました。中途半端な焦茶の私の髪には似合わないと思いましたし、なにより花嫁の幸せを願う大切なものです。なのに叔母様は
「貴方が幸せなら、私も幸せだから」
と最後まで受け取ってくれませんでした。
この日の叔母様の時間は未来の夫になる方より、確実に私と過ごすほうが長かったでしょう。そんな私たちを家族や親類は、まるで恋人の別れのようだと苦笑していました。
暖かな思い出です、微笑ましい話です。
けれど
叔母様の旦那様になった侯爵が亡くなったと聞いた時、私はこれを思い出さずにはいられませんでした。
三ヶ月ほどで寡婦として実家の門をくぐることになった叔母様は、ひどく青白い貌に変わっていました。憔悴し、暗くくすんだ微笑はあの優しい叔母の笑顔と同じには思えませんでした。
部屋に暗いカァテンをいつも曳いている部屋に、私は幾度も通いました。私に笑ってくれなくとも、すこしも気になりませんでした。けれど一回り細くなった指を握りしめるたび、辛くてしかたありませんでした。
もうあの子に会わないでと、母に言われたのはそれから二月ほどたったある風の強い秋の日のことでした。泣いて抱きしてめくる母の腕の中にいてさえ、私の頭を占めていたのは叔母様のことでしかありませんでした。
「遊びましょうよ」そういって逢えない筈の叔母様が現れたのは冬の窓さえ凍る夜明け前でした。
黒いヴェル、黒い喪服、黒い弔花を手にした叔母様はじゃれつくように、ほんの小さな少女のようにわたしを抱きしめました。叔母様の腕からは果実のような饐えた甘い髪の薫りと、くらりとするトワレの香りがしました。
遊びましょうよ、遊びましょうよと繰り返し叔母様は上手にワルツのステップを踏むように私の部屋へ入られました。そして庭へと続く硝子のドアーの前で立ち止まり、愛おしそうに冷たいそれに頬を寄せ叔母様は呟きました。
「お弔いごっこをしましょうよ」と。
吐息が硝子を撫で、白く色付かせます。私は何のためらいも無く、はいと頷きました。そうするのが、ひどく当然に思われたのです。
叔母様は目を細め、にこりと微笑まれました。
夜着から悲しみの黒い喪服に着替えようとする私を制し、叔母様は暗い暗い紺のアフター・ドレスを着るようにと言いました。
「あなたは黒でなく紺でなきゃいけないわ。冬空の妖犬の瞳の輝き、の青。ねぇ?私の可愛い姪子さん」
私達は連れ出て自室から外へと、そのまま飛ぶように闇に沈む温室を、茨の小径を、氷柱を飾る噴水を駆け抜け、小さな祠へ辿り着きました。
ふくふくとした肢体の天使を模った祠は、聖名をいただく前に召された子らの弔いの場です。その祠に背を凭せかけ私達は並んで蹲りました。もう一歩も歩かずすむように。
叔母様は私の胴にぎゅうと手を回しました。喪服の上からも骨ばかり浮く腕の形がはっきりとわかるくらい、軋む音が聴こえるくらいの力でした。
「叔母様、私は何処にもいきません」
ずっと一緒、と遠い昔のように頬を摺り寄せ、曇った瞳を覗き込む。そうすると叔母様は、まるで以前のような晴れやかな笑顔を見せてくださいました。私は嬉しくて幸せになりました。
私は叔母様が大好きでした。わたしは叔母様が大好きです。
夜が空け使用人に見つけられた二つの亡骸は、まどろむように眼を閉じたまま、白い霜をまとっていた。其の姿は魔法で石の彫刻に変えられたギリシアの彫像のようだったそうだ。
ただ、朝陽を浴びた少女のベルベットの靴だけが現実の生々しさを感じさせる濡れた黒だった。