街の外のヒーロー 1 前
ここからが本編。
「この子が古種心ちゃんですか?」
じいさんは今でこそ人間不信の偏屈老人だが、かつては本物の名探偵だった。
しかし、その名声の高さも今では、"訳ありで警察沙汰にしたくない金持ち達の駆け込み寺"としての売り込みにしか使われていないから浮かばれない。
今回もそんな依頼だった。
依頼人は古種と名乗る老人。いかにも権力者然とした雰囲気が気に食わないタイプだった。
後から調べてみれば、有名ホテルの社長の父親らしい。本人も様々な逸話のある人物で、かつてじいさんと知り合った縁からここに来たそうだ。
そんな事に興味はない。
彼の依頼の内容は孫探し。曰く、「見つけなくても構わない。失踪前の行動の調査を纏めれば報酬は出す。」
じいさんが投げた依頼を拾った形ではあるが久々の探偵仕事。一年と少し振りに街から出る事になった。というのが建前。
実際には、この街では手に入らない物が多い事に業を煮やした僕の、隣県への買い物遠征の予定だった。麻向が着いてきてもその予定を変えるつもりは無い。
「間違いないはずだ。古種老人が嘘をついていないなら、だけど」
電車が駅に着いた。
コミックの上から目を移すと、麻向が封筒から写真を抜き出して眺めていた。可愛らしいが、あの老人に似て強情そうな女の子が写っている。
偏屈を遺伝したのだろう。
そういえば父さんはじいさん以上に頑固で偏屈な男だった。僕も年をとれば偏屈遺伝子が表に出て来るのだろうか?
そんな僕をさて置いた麻向は、一人で燃え上がって居た。
「こんな小さい子が行方不明なんです。世も末って考えてしまいますね」
指で宙によくわからない模様を描きながら、麻向がいつものように嘆いた。
「やっぱり『良からぬ輩に攫われた』でしょうか、家出の線は薄いようですし、この年齢では何処かで捕まってしまうでしょう。少なくとも二週間も見つからないなんてことは無いはずです」
勘違いしている。説明していないから当たり前だけど。
説明しなかった僕が悪いのは分かっているが、勘違いしたまま話を進められると訂正し辛い。何よりお互いに恥ずかしいし、気まずい状態になってしまう。まったく気が乗らないが、埒が明かなくなる前に説明ついでに訂正させてもらうしかない。
「僕の知ってる事を教えるぞ麻向。心ちゃんは自分から行方をくらませた。何も言わずに出て行って、家政婦の追走を振り切って逃げたんだ。そしてその写真は古い物で、彼女は僕達の一つ下だ」
僕の指摘に麻向は眼鏡を直して軽く深呼吸する。感動するほど冷静だ。
実際は、古種老人は孫娘から嫌われていた(と、本人は語っていた)から、小学生の頃にひっそりと撮影し、隠し持っていた一枚しか心ちゃんの写真をもっていないのだ。そして、心ちゃんの両親も冷めた人間で、写真など撮っていないらしい。
つまり、これ一枚が古種心を視覚から探す為の情報な訳だ。流石に麻向も僕がこんな不明瞭な依頼を受けているとは思って無いだろうし、そもそもそんな依頼をする人間がいるとも思っていなかったかも知れない。
祖父との不仲、両親との悪関係、高校一年生。古種老人の言葉が正しければ学校も休みがちだったそうだ。暴力的だが良くある話と一絡げにしたくなってしまう。僕はしないが。
「完全に家出少女と言えますね。お金欲しさに非行に走る可能性はどうですか?」
僕はしないが、麻向は素直だった。麻向ならば当然と言ってもいい。麻向と僕の言葉には決定的な違いが在る。ここで家出少女と口にだした上で、本当はテロリストだとしても対応できる柔軟性を持つ人間とそうじゃ無い人間の差だ。
僕はじいさんから、見くびらない為に判断をどのタイミングで下すかの見極めを叩き込まれた。
麻向は例えどんなに誤った想像をしていても、現実を受け入れる。
価値観の基点が自分では無いのだろう。神を信じるように、現実を信じて居るのだ。だから如何なる推論も現実に覆る。
起こり得る全てを考えて、どれか一つに絞らない。
しかも、そう考えてしまったら、行動なんて出来ない。矛盾している。どれか一つに絞らなかったら動けない。絞るための判断能力を麻向は持っていない。
だから他人がいなければ動けない。麻向はここ一番の判断を自分で下せないのだ。僕が答えてやらなきゃいけない。
また電車が揺れ始める。
「金銭面に問題は無い。財布もカードも持って行ってる。心ちゃんは計画的に出て行ったんだ。逃走ルートの構築も完璧だった。車の通行量、家政婦の足、当日の工事まで考慮されてる」
「今推測できないのは、彼女の目的くらいですね――わっ!?」
考察に熱中している麻向をB5判のコミックスで小突いた。ずっしりとしたB5判は麻向の肉付きのいい脇腹に刺さり、麻向は上擦った声を上げる。この距離だと前髪で見えないが多分睨んでるのだろう、非難を感じる。見るのは僕じゃなくて横だ。
口笛を鳴らされてようやく気付いたらしい。横に立っていた二人組と目が合う。ダンディな男と金髪の女の子だ。
「お二人さん、いちゃついてるところ悪いが相席いいかい?」
背の高い方の発言にちびっ子のほうが噛み付いた。
「嫌よマクスウェル! この冴えない男、そこの根暗そうな女に暴力を振るってたのよ!」
金髪の少女が僕と麻向を指先で的確に傷つけながらマクスウェルと呼ばれた男にまくし立てる。僕も麻向も言われ慣れたことだ、今更気にしない。
理知的な人間は少々冴えるイメージを持たれるが、必要なのはここぞって時に冴えてるかどうかだ。能ある鷹は爪を隠す。そういうことなのだ。
横の麻向はいつもの様に、極めてわかりづらく落ち込んでいる。
「いいかマリー、お勉強だ。ジャパニーズは気心の知れた会話中に小突くんだ。俺だって初めて見た時は驚いた」
背の高いマクスウェルさんはちっこいマリーに視線を合わせて言った。日本にそんな風習なんてあっただろうか?
そもそもこの人達は一体どういう関係なんだろう。はじめに見た時は親子かと思っていたが、今はただの怪しい外人コンビだ。麻向もそっと僕の隣に移動して、すっかり人見知り状態になっている。
「相席、構いませんよ」
「ああ、済まないな」
努めてフレンドリーに言った僕に、マクスウェルさんはダンディに返した。そして、映画のワンシーンのような動作で旅行鞄を窓際の席に置き、自身は通路側の席に座る。その膝の上にマリーちゃんがちょこんと座った。
「いや助かった。ちょっと隣の席の奴と問題を起こしてな。空いてる席がないわけじゃないが、マリーは話し相手の居ない旅が出来ないタイプでな。本当に助かった」