午後六時からのヒーロー 1
「藤村くん知っていますか? 美渡の方のヒトハツ銀行の話」
後ろの席の麻向はいつもの様に世も末だと嘆いている。いや、囁いている。去年からずっと思っていたけれど、麻向は無意識下で終末論者なんだろうか? わからない。
だが何も考えていないよりかいい。
この街で何も考えていない人間なんて生きていけない。いつだって流れて行くという事は落ちていく事と同じなんだ。流れは常に高所から低く、上から下に、当たり前のように落ちていく。まったくもって分かりやすい。
「おとといだよな、銀行強盗」
「その通り。さすが藤村くん。相変わらずマイナーな事件もチェックしているんですね」
振り向くと麻向はこちらを見ていた。いつの間にか顔が触れ合いそうな程に近付いている。すがる様な目だ。確かに僕を見据えているが、何処か目を逸らしている様な目がこちらを見ていた。
初めて会った時からそうだった。去年、入学式の帰りに目が合った時から同じ目だ。
僕はこいつを知りたい。ワガママだが助けたい。
どうしてそんな目をしているのか、何から目を逸らし続けているのか、そして、何故僕にそれを向けるのか。
「白昼堂々、さらに引き際を弁えずノロノロとやっていたそうで、目撃談多数。昨日の晩までに半分は捕まってますね。そのメンバーもチンピラ上がりの程度の低い四流ばかりでした」
「さすがの僕もそこまでは詳しくないぞ。けど、言いたいことは伝わった」
麻向雛。あさむかいひな、と読む。成績優秀、文道一路。定期テストでは常に上位に食い込むが、体育に出席している姿を見たことがない。才女と壁新聞に書かれ注目を浴び、50m走で倒れて好奇の目に晒される。
僕の数少ない友人の一人だ。いつも通り不健康そうだが問題はないだろう。コイツは絶対に自分の状態を見誤らない。不調の一歩手前、自分を使えるギリギリのラインをわきまえている。そして常にそのラインの上に立っているのだ。恐ろしいほどの自己管理能力。
かつて倒れた時だってそうだった。コイツは自分が倒れることを知っていて走った。倒れる為に走ったのだ。僕も友人として一芝居させてもらったが、麻向は誰も騙さなかった。誠実なのだ、とんでもなく。
「誰も死んでいないんだろ? 麻向」
「その通り、怪我人は出たけれど誰も死んでいない。そして、その場では誰も捕まっていない。間違い無く事実です」
「断言するなんて珍しいな、その情報はどこから来たんだ?」
本当に珍しいな。麻向が誰かを信じるのだろうか? 僕にはとてもそう思えない。
例えば僕が死んだとして、麻向は信じないだろう。時間が経って、僕に会わなくなったことだけを思うのだろう。そしていずれ忘れるのだろう。勝手だが薄情だな。だからこそ麻向の話には信憑性があるけれど。
「私がこの目で見たことですので。勘違いの類いが無ければ間違いない事と思っていいです」
「いくらこの街とは言え銀行強盗にまで遭うんだな」
「私も記憶の限り初めてでした。もちろん事実ですよ?」
実際に見ただって? 僕だったらその話題もっと勿体つけるぞ。或いはその場で麻向に電話する。
もしかしたら麻向はその場で別の友人と衝撃を分かち合ったのかも知れない。
……そんな訳が無い。なんかイメージと違う。
極めて勿体無く麻向はこう続けた。
「チンピラ上がりとは別に、この話に噛んでいる人間が居る。と考えます。仮説ですが、信じてくれますか?」
考えていた僕の耳元へと顔を寄せ、いつもの激甘な声で囁く。ズルいぞ、麻向。
僕が流されて同意するみたいじゃないか。
そんな事しなくても僕はお前を信じてるんんだ。いつも通り、誠実で居てくれたらそれで良い。
麻向に信頼されてない事が悲しかったが、首筋にかかる吐息を思いっきり楽しんで頷いた。
「僕を信じてくれ、麻向。今日もお前は正しいんだ」
安心したのか、それとも恥ずかしかったのか顔を遠ざける。僕は相当恥ずかしかった。
「藤村くんがそう言ってくれるから、私はいつだって全てに誠実でいられるんです。覚えておいて下さい。私はそう思っています。」
いつも通りに麻向はこう言う。
いつもながら僕にはこれが分からない。
麻向なら自分を正しいと言える根拠なんていくらでも用意出来るだろうに、難儀な奴なんだな。
「藤村くんが一番難儀ですよ? 根拠があれば誰だって動けると思って居るんでしょう?」
「根拠も無く動く人間なんてまともじゃないだろ」
どこからどう見ても納得してもらえていないが、彼女は自身の事がよく分かってる様でそうでも無いのかもしれない。自分を無条件に信じないのは好感が持てるけれど、もう少し自分に自信を持つべきじゃないか?
「……分からないなら別にいいです。重要なのはこの街に質の悪い輩がいる仮定です」
「僕が調べてくれば良いんだな」
実際の所、数件怪しいと思っていた事件が存在している。表面上は解決しているが背後に何かの動きを隠している事件達。
ひと段落したら数件追おう。形が見えてくるかも知れない。
「違います。絶対に調べないで下さい」
「はあ!? 何を言ってるんだ!」
じゃあ何故その話を僕にした? 気になってしょうがないじゃないか。
「気になって仕様がないのは理解してあげれますが、約束をしましょう。破ったら貴方と私は二度と会話をしない」
分かってたのか。だが。
「僕は納得出来ないぞ。理由をくれ」
「藤村くん、貴方には理由が有っても納得出来ない事があります」
納得出来ない約束をしろって言うのか?
理由もなしに? 何かおかしい。
「麻向らしく無いぞ、その判断。僕が聞かないのも分かってるだろ」
「だから約束をしましょう。別に破っても構いません」
「僕を脅して居るのか? なら僕は麻向を分かって無かったみたいだな」
「私は貴方の事をある程度分かってるつもりです」
普段なら解るのに麻向のやりたい事が見えてこない。僕は僕にこんなにも盲目なのか。
「なら分かってるだろ。僕は麻向の判断にまだ納得出来てない。理由が必要だ」
「言いたくありませんけど、私には友達が貴方しか居ません。気付いていないでしょうけど、私と一番親密な人間は貴方です。私は藤村くんと離れたくありません」
……でも、と。
「私は本気です。藤村くんが自分から首を突っ込むのなら、私は孤独になります。嫌ですけど」
「麻向、ズルいぞ。僕がどんな人間か分かってるだろ」
僕はあの麻向にここまで言わせておいて、分からないと言えるほど冷血じゃない。
しかも、麻向は自分から首を突っ込むのならと言った。調べなければそこに関わるのは構わないのだ。結局僕は最初から麻向の思うように動いていたのだろう。
「少し甘えさせて貰いました」
「仕方ないな、約束するよ。暗躍してる輩について絶対に調べない」
「……約束を破ったらどうします?」
「絶対に破らない」
麻向も僕も約束を破ったことが無い。破ったらなんて考えることも無い。普段は。
「知ってます、でも絶対ですからね」
やはり本気で僕の事を大事に思ってくれて居るのだろう。勝手に薄情だとか思ったのは悪かった。
友達が死んでも何とも思わない人間なんていないんだろう。僕だって自分が驕っていたより麻向の事を考えていなかった。
ただ僕は、僕が思って居るより彼女を大事に思っていたらしい。麻向じゃなければこの約束をしないだろうと想像出来てしまった。
「そんなに嫌ならやらなきゃ良かっただろ、大体恥ずかしかったんだろ?」
「恥ずかしいですけど、こうでもしないと約束してくれないでしょう。あと、私は知って欲しかったんです、私の事」
悪いが本当は麻向に友達が居ないことを知っていた。むしろ一年以上話していて気づかない訳が無い。ああ、言わなくて良かった。流石にこんなに想われてるとは考えても見なかったけど。……ああ、そうだ!
「少し街の外に行くことになってるけど、麻向、一緒にくるか?」
「絶対に行きます。ちなみにどれほどの滞在の予定ですか?」
「明後日からの一週間半」
行方不明者の足取りを纏めるついでの小旅行みたいなものだ。元々は一人で行くつもりだったが、こうなるとなんとなく一人にしておきたく無い。
「本当に良かったと思います。私は置いていかれていたら狂っていましたから」
誠実な彼女の言うことだ。
事実、狂って居たのだろう。寂しくて狂う麻向も見てみたいとは思うが、寂しい思いをさせなかった事は友人として価値があることだと思える。
「私は藤村くんに恋愛感情を持っています。いつか恋人になりましょう」
「……?今はダメみたいな言い方だな」
「藤村くん、私と恋人になりましょう」
「考えさせてくれ。……ああ。確かに今はダメだな。麻向を大事に出来ない」
まったくもって僕は想われているんだな。